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東京ドーム 巨人/中日

巨人/中日 試合始まる前のバックネット裏からの見学付きの招待券をもらったので野球を見に行きました。


↓ バックネット裏で練習を見ている高橋由伸監督 左

↓ 阿部慎之助

↓内海哲也

↓ 試合始まる前の練習

↓ 試合中

↓ 5回裏が終わりグランドを整備

↓ 応援
わかりずらいですが、一人応援団長がいるようです
やや左側に白い手袋して立っている人。 

↓ ジャビットと東京タワーのノッポン兄弟

巨人の勝利 良かった!!

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小石川後楽園

東京ドームに野球を見に行き始まる前に近くにある小石川後楽園に寄った。  2016.9.21
水道橋下車 東京ドームの前を通って小石川後楽園に行く。
21日まで敬老の日で無料でした。
 

江戸時代初期、寛永6年(1629)に水戸徳川家の祖である頼房が、
江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので
二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。

庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっている。
特別史跡及び特別名勝に指定されている。
特別史跡と特別名勝の重複指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮恩賜庭園と当園の二つだけです
全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、
奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、
岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけ。

↓ 蓬莱島 

↓ 大泉水 琵琶湖を見立てて造られた。


↓ 弁財天

 

↓ 内庭




↓稲田

↓ 神田上水跡


↓ 九八屋(くはちや)
江戸時代の風流な酒亭の様子を表した。
戦災により焼失したが昭和34年復元した。
お酒を飲むなら昼は9分夜は8分が適量

↓ 中の様子

↓ 円月橋(えんげつきょう)


↓ 水面に映る形が満月のように見える事からつけられた。

↓ 丸屋(まろや)
昔のわびた茶屋のたたずまいを表している
戦災で焼失したが昭和41年に復元した。

↓ 渡月橋
京都嵐山の渡月橋の名をとった。

↓屏風岩


↓ 通天橋

↓ 得仁堂(とくじんどう)
この建物は、水戸光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、
伯夷(はくい)・
叔斉(しゅくせい)の木像を安置した堂です。
得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによります。
 関東大震災や戦災にも残った唯一の建物です。

↓ 涵徳亭(かんとくてい)
集会場 定食のお店 入場券を払わないで食事が出来る
現在の建物は4代目で昭和61年に再建された。

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我孫子 大光寺

「歩く会」で歩く途中に立ち寄った大光寺(南海山不動院)
創建は室町時代 新四国
相場霊場八十八カ所42番
1805年(文化2年)と1820年(文政3年)の大火で焼失するが、1810年には、聖天堂が再建され、さらに1851年(嘉永4年)に高野山から夢告大師像を迎え、厄除け大師としての信仰が盛んとなった
境内が幼稚園の庭になっているので、門が閉まっていたが先生が開けてくれた。


↓ 本堂は、1947年(昭和22年)に再建された

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我孫子駅 東コース

我孫子南口周辺の名所旧跡を歩く東コース 約4Km  2016.9.12
旧我孫子宿名主邸(小熊家)非公開
亭保20(1735)年から明治に至るまで問屋兼名主。

1831(天保2)年建築で茅葺屋根の母屋

↓ 門の中を撮らせてもらいました。

↓ 柳宗悦やなぎむねよし邸跡 生活しているので非公開
三樹荘 嘉納治五郎が命名した 邸内の椎の木三本が名の由来。
大正3年から~10年までの7年間 兼子(かねこ)夫人と過ごす。
夫人は声楽家。 

イギリスの陶芸家バーナード・リーチは大正5年から8年までの約3年間
柳宗悦邸内に窯を築き作品を残す
柳夫婦が去ったあと元裁判所長官、田中耕太郎、陶芸家河村蜻山
(せいざん)らが住んだ。



↓ 門の外から 


↓ 嘉納治五郎別荘跡 柳宗悦は甥
明治44年(1911)2万坪の別荘地を購入
 

嘉納治五郎は柔道の始祖、講道館の設立者
昭和15年(1940年)第12回オリンピックを東京招致に成功したが第二次世界大戦で中止になった。
↓ 天神坂
由来はこの地に天神様があった事から。
平らな石と丸石を組み合わせた石段。

↓ 杉村楚人冠公園


↓ 杉村楚人冠の邸宅の庭の一部であった通称「観音山」が
公園として整備された。
楚人冠句碑 「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」と刻まれている。
  
杉村楚人冠(そじんかん)邸記念館 月曜日は休み
明治末期から昭和前期にかけて、東京朝日新聞で活躍した
ジャーナリスト。

見学したかったのですが残念でした。
門の中


↓ 竹林の間から

↓ 白樺文学館 月曜休み


↓ 志賀直哉邸跡


↓ この字体は志賀直哉の暗夜行路を参考にデザインした。 


↓ 柳宗悦から誘われて大正4年(1915)~12年まで我孫子に居住する。
母屋の基礎と書斎が緑雁明緑地より一区復元された。 
志賀直哉はここで「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」「暗夜行路(後半の途中まで)」を執筆しました。
↓反対側から
 
 
↓ 階段を上った先に浅井孝作跡にある寿古墳公園がある。
 
↓ 浅井孝作仮萬(仮住まい)跡
小説家 俳人 大正11(1922)年から12年我孫子に在住
 
 
↓ 浅井孝作が仮住まいした場所に5号古墳がある。
6世紀後半と推定されている。
浅井孝作跡 崖下の湧き水
 
 
↓ 旧川村堅固 別荘 月曜休み
東京帝国大学教授(西洋古代史を担当)村川堅固が彼がこの水辺の環境を気に入って、大正6年に沼を一望できる丘の中腹に別荘を設けました。
昭和になって息子の堅太郎に引き継がれた 息子の賢太郎も東京大学教授。
別荘は、「母屋」と「新館」と呼ばれる2つの建物からなっています。母屋は、大正10年に我孫子宿本陣(子の神道の入り口付近にありました)の離れを解体、移築したもので、当初は茅葺屋根でしたが後に瓦葺屋根に直しています。
新館は、昭和3年に斜面地を活かして建てられた銅板葺、千鳥破風の建物。


↓ 子の神大黒天
四国相馬霊場三十八番札所と四十三番札所があリ
関東三十三観音霊場二番の札所もある
山門
 
↓ 延寿院本堂
ネズミを使徒とする大黒天を祀っている。
毎年10月の第4日曜日に「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われる。
6世紀初めから末にかけて造られた古墳がある。

 
↓ 石に彫られた七福神

 
↓ 脚腰の象徴である「かねのわらじ」に願をかける 
 
 水の館 工事中2017年4月オープン
鳥の博物館月曜休み
↓ 山科鳥類研究所 見学は毎月第4金曜日 要予約
鳥の博物館の裏にある。
昭和59年(1984)東京都渋谷区から我孫子へ移転
我が国唯一の民間鳥類専門研究機関。標本7万点、図書4万点。
 
 
↓ ガラス越しに中を撮る
 
その後 我孫子駅のけやきプラザまで歩く。
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大田区立本門寺公園と五重の塔

池上本門寺となにも関係ない区立の公園
松濤園の向かい側にある。


↓ 弁天池
釣りをしている人もいました。

↓ 8種類の運動できるように、看板がありました。

↓ 公園から見えた五重の塔 

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