「黒いはなびら」と聞いて、歌手水原弘を思い浮かべた人は、団塊世代以上の人たちだろう。懐かしいヒットソングである。この歌が世に出たのは1959年(昭和34年)。作詞は永六輔、作曲は中村八大。黄金コンビはここが出発点であった。意外に知られていないが、この歌が日本レコード大賞の最初の受賞曲でもあった。いろいろな歴史がこの年から始まっている。現天皇陛下が皇太子の時代に結婚されたのがこの年の4月。週刊少年サンデーや週刊少年マガジンが創刊されたのがこの年の3月であった。高度成長に向かって、時代が動き出していた。
この歌の持つ不思議な響きに、子供でありながら妙にひかれた。だが、特にその歌詞の意味を感じたわけではなかった。その時代がもっていた何か強烈なエネルギーとそれまでの歌謡曲にはない魅力がミックスされ、水原弘と言う個性的な歌手を浮かびあがらせていた。世の流れに背を向けたような、平穏な世の中に波紋を投げかけるような、なんとも毒のある雰囲気を感じさせていた。この時代はこうしたスターを求めていたのかもしれない。真のアウトローではないが、その境目にいるような、危うい感じと言った方がいいのかもしれない。どすの利いた声、ふてぶてしい歌い方、当時の歌手にはない独特の雰囲気をもっていた、と子供心に感じていた。
最近となって、YOUTUBEで今一度水原弘をと思って聞いてみた。ところが当時に思っていた印象とまるで違って聞こえる。いかにも普通の歌い方なのだ。なぜあの当時、全く違う感じ方をしたのだろうかと戸惑った。動き出した時代の中で一つの歌と歌い手が、不思議な飾り付けでまったく別のイメージに仕上がっていたのかと、思うほどであった。時を経過するとここまで違って感じるものなのかと驚いた。
歌は世につれ、という言葉がある。世が創り上げるイメージと言うものがあるのかもしれない。黒いはなびらと言う歌は、あの時代が盛り上げた歌の一つであったのか。あの時代はそういう時代であったのかと、あらためて思った。
今聞くと全く毒を感じなかった歌であり、歌手なのだが、水原弘は時代が作りだしたような毒の中で自分をその中に落とし込んでいった。奔放な私生活が災いし、芸能界から一時的に消える。しかし7年後の1967年に奇跡のカムバックを果たす。「君こそわが命」(作詞:川内康範、作曲:猪俣公章)と言う歌が彼を復活させる。だが、彼に沁みついた毒は、身体の中で暴れ、蝕む。1978年7月、享年43歳の若さで、黒い花びらは散っていった。
最近になって気付いたのだが、黒いはなびらの歌は恋の歌ではなく、死んでいった恋人への思いを綴った歌であった。水原弘はデビュー曲から死の匂いを感じさせていたのかもしれない。それが彼を毒という特殊のイメージで纏う要因となったのかもしれない。
(水原弘の歌では、私的には「黄昏のビギン」の方が好きだ。やはり永六輔と中村八大のコンビによるものだが、いかにも都会的センチメンタルの極致だった、と思っている)
黒い花びら
黒い花びら 静かに散った
あの人は帰らぬ遠い夢
俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
だからだからもう恋なんか
したくない したくないのさ
黒い花びら 涙に浮かべ
今は死いあの人 ああ初恋
俺は知ってる 恋の淋しさ 恋の切なさ
だからだからもう恋なんか
したくない したくないのさ
この歌がヒットした翌年、60年安保で日本が揺れた。東大生の女性がデモで死んだ。吹き荒れた嵐は70年にもまき上がった。しかしその後一気に沈静化した(学生運動の終焉とともに)。現在も日米安保は継続している。今の日本では集団的自衛権なるものの論議が姦しい。主にテレビや新聞が盛りたてている。だがマスメディアの信用性が著しく落ちていることに、メディア自身が気づいていない。彼らが目指す方向への報道(偏向)を進めれば進めるほど、民意は別の方向に流れていることに、なぜ気づかないのだろう。
メディアによるこの種の報道を目にするたび、黒い花びらの歌を思い出す。彼らは60年代の恋を、いまだに追い続けているのではないのだろうか。そんな思いが走った。
入院生活も三週間を経過した。日々、病院になじんでいく自分にいささか戸惑ってもいる。環境に順応しやすい体質なのだろうか。幽閉生活の苦痛を感じながら、それなりに生きられるものだと、思うこのごろ。この精神はいいのか悪いのか、自分でも分からない。
閉ざされた世界にできく、「黒いはなびら」はちょっぴり複雑な心境を運んでいた。
牧師の叔父の家に預けられて、新潟県の三条市に移民してました。
信州とは、まるでカルチャーが違う。もちろん、方言も違う!
なれない高歯を履きながら、この歌を歌って通学してたことを思い出しました。
黒い花では島倉千代子の♪クロユリは恋の花♪をよく覚えています。
いずれにせよ、叔父の家に預けられたことが現在のような、
根なし草人生のパンドラの函を開いたのかもしれません。
来し方を振り返ります。
ところでクロユリの唄は、オリイシゲコとかいう歌手の唄であったような。なぜ知っているかというと、この歌が映画君の名はで歌われていたからです。違ったかな?