原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ボウモアに残した心。

2012年11月16日 09時10分45秒 | 海外

 

11月6日、ウイスキー好きにビックニュースが届けられた。英国が主催する国際品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で山崎18年と白州25年がウイスキー部門の最高賞を受賞。竹鶴正考がスコットランドでウイスキー造りを学んでから90年(竹鶴は山崎蒸留所の初代工場長。その後独立してニッカウヰスキーを創業)。日本のウイスキーが本場を超える日がついに来たかと感じた。サントリーは当初から本場スコットランドを目指していた。アイラ島のボウモア蒸留所が資金難に苦しみだした時、真っ先に援助の手を差し伸べ、最終的にはオーナーとなったことでも、それがよく分かる。

 

スコットランドの東の海にヘブリディーズ諸島が連なる。その中の一つがアイラ島。この島では18世紀からウイスキー造りが盛んになり、現在でも八つの蒸留所がある。ボウモア蒸留所は中でも最古。1779年の創業である。スモーキーで潮の香りがする独特の味わいのシングルモルト・ウイスキーは世界中に愛好者がいるほどの人気なのだ。

ボウモア蒸留所は昔ながらの製造法を守ってきたが、激変する現代から取り残されつつあった。運営資金難に苦しみだした1989年に、サントリーは30%出資している。1994年には100%出資し、ボウモアの親会社となった。

 

(上左:K.SAJIのサインが入った蒸留樽。当時のサントリーの社長。上右:昔ながらのモルティング作業が今も行われている。下左:痛飲したシングルモルト。ここにはブラックボウモアはなかった。下右:蒸留釜。ボウモアは意外に小さい)

 

私が取材でアイラ島を訪れたのはサントリーがオーナーとなった後(95年)。グラスゴーから小さな飛行機(20人乗りくらい)でアイラに降り立った。乗客は5人ほど。もちろん日本人はたった一人。飛行場の位置の関係で、他にある三つの蒸留所を先に取材して、その日の最後にボウモア蒸留所を訪れた。宿泊するホテルもボウモアの街の中にあった。

アイラ島の中でも最古の蒸留所はそれらしい雰囲気だった。昔ながらのモルティングなどの写真を撮り、インタビューとなった。広報の担当者と一緒にいたのは恰幅の良いスコットランド人。その男性がいきなり「また会ったね」と言った。たしかにどこかで会った記憶があるが、思い出せない。「今朝の飛行機の中だよ」。ようやく分かった。グラスゴーからの飛行機の中の乗客の一人だった。「日本人がウイスキー取材で来ると言う話を聞いていたから、きっと君だと思っていたよ」と言う。どうやら私は島に着いた時からマークされていたようだ。彼は営業担当であった。

取材が終わると、かの男性が「これからどこかに行くのか」と聞く。「いや、今日はホテルに帰るだけ、ボウモアに泊まる」と答えると。「じゃ、飲もう」と言う。「いや、車の運転があるから」と断ると、「ホテルまで歩いても五分。車は蒸留所の駐車場に置いてけばいい」。そのまま宴会となった。午後3時ころからスタートして7時ころようやく終わった。軽いつまみがあったが、ほとんどストレート(水はあった)のシングルモルトの連続。かなりの酩酊状態となった。アイラ島の春は日が長い。まだ太陽がある街中をカメラバックを抱えてふらつきながらホテルへ。チェックインを済ませてそのままベッドイン。食事どころの話でない。

ウトウトと眠りかけた時、ドアをノックする音。朦朧とした頭で出てみると、フロントの女性がたっている。「支配人が呼んでます。一緒に来てください」。連れていかれたのが地下にあるバー。そこで支配人が待っていた。「取材に日本から来たらしいね。このバーも本で紹介してくれないか」と言う。たしかにこのバーは有名であった。400種以上のシングルモルトがあり、マニアには垂涎の場所。写真は撮るつもりであったが、二泊の予定であったから明日でもとは思っていた。ところが翌日は土曜日でたくさんの客があるらしい。写真にするなら今日だと言う。

よろめく足で部屋に戻り、三脚にカメラを持って再びバーへ。何とか写真は撮った。撮影が終わると支配人が「ここにあるウイスキーのうち、好きなものを飲んでいいよ。おごるよ」と言う。普通なら大喜びであるが、その時は完全な酩酊状態。一滴も飲める状況ではなかった。「サンキュー」と礼は言ったが、カメラを片付けるふりをして、そのまま部屋へ。そして朝まで。しかし、これがあとあと大きな後悔を呼ぶことになるとは思いもよらなかった。

 

(上左:アイラ島の70%を覆っているピート原野(泥炭)。上右:美しい海岸線が広がるアイラ島。下左:ボウモアの街。正面に見えるのが有名な円形型の教会。下右:宿泊したホテルの外観。この地下に有名なバーがある)

 

翌日は島の北側の取材とジュラ島への取材を終え、ホテルに戻ったのはやはり7時ころ。旅の疲れと前日の痛飲の疲れで、食事もそこそこにベッドへ。翌朝早く、グラスゴーへ向かった。

その十日後、スペイサイドで友人のバーテンダーと合流した。彼はウイスキーの買い付けでスコットランドに来ていた。私より一週間ほど遅れてアイラ島に入っていた。アイラのホテルは同じであった。彼が「あのホテルのバーはよかった」と感想を言っていた。「びっくりしたよ、あそこにブラックボウモアもあったし」。

「エッ!」である。

 

ブラックボウモア。1964年に新しい蒸留釜を導入した11月5日を記念し、その日に蒸留。シェリー樽の熟成で黒に近い液色からブラックボウモアと命名されている。過去三回しか発売されていない幻のモルトである。

 

あのホテルの支配人の言葉を思い出した。「好きなウイスキーを飲んでいいよ」。彼はお礼と言いながら、私を試していた。どこまでウイスキーを知っていて、貴重な品をどこまで見破れるかを。まさに後の祭り。私は千載一遇のチャンスを逃していた。

 

その後、私は五回ほどスコットランドに出かけている。だが、縁を絶ち切られたのだろうか、アイラを訪れるチャンスはなかった。もちろんブラックボウモアを味わうことも未だ、ない。

 

アイラ島のボウモアに残した心も、またそのままなのである。11月5日が過ぎるたび、苦い思い出がよぎる。

 

*参考までに現在のブラックボウモアの市場価格は、1瓶59万円。90万円台の時もあった。ちなみに山崎18年は2万円、白州25年は10万円が、サントリーの小売り希望価格である。山崎は飲んだことがあるが、白州はまだ未経験。やはりあの価格では。心残りの火ははまだ燻ぶっている。

 

(海際に建つボウモア蒸留所の全景。潮の香りがここでつけられる)

*巻頭の写真は蒸留所の象徴とも言えるキルン。ピートを燃やす煙はここからでる。


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2 コメント

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知らなかったなぁ・・ (numapy)
2012-11-16 12:38:03
ウィスキーはやはり、男のダンディズムですね。
それもストレートで飲るのがいい。ただ、ここんところウィスキーを殆ど飲んでないし、飲む機会もありません。
山崎を飲んだのは何時だったっけ?白州は飲んだことないなぁ…。ボウモアは話だけ聞いたことあるけど、はて…。
甲類焼酎はある意味、酒文化を忘れさせますね。
それにしてもボウモア、そんなに貴重な酒だったんですね。
知らなかったなぁ…。一度舐めてみたいですね、死ぬまでに。

日本でも売ってます。 (genyajin)
2012-11-16 13:17:52
10年物ならたしか4千円くらいで手に入ります。アイラのモルトはいずれもスモーキーで特徴的です。ですが、私の一番のアイラウイスキーはラフロイグです。これはじつに男性的。はまると抜け出せないくらいです。
スペイサイドではやはりマッカラン。北の蒸留所ではグレンモーレンジ。これがベスト3。ボウモアは私にとっては4番目くらいかな。ブラックボウモアを除けば。何しろ飲んだことがないので。

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