'93.10月から、私たちの生活は一変した。
旦那は、いつ入院の連絡が来てもいいように、会社ではある程度の引継ぎを行ったり、あまり責任のない仕事をおこなうことにした。これまで、娘が寝た頃帰ってきていた旦那は、お陰でずいぶん早い時間に帰宅するようになった。
フリーランスで働いている私の仕事は半年間担当を変更してもらい、どうしてもやらないといけない仕事のみ行う。
お陰で平日も家族3人で団欒の時間を持つことが可能に・・・。
時間に余裕が出来たので、ネットで病気についてそれはもうたくさん調べた。そのころは、blogもそんなになかったから、病院の病気についての説明を見たり、誰かのHPやその書き込みを見ながら勉強していった。
まずは、当時は甲状腺がんだと言われていたので、
甲状腺がんについて、調べる。
と・・・
“胃がんが殺人だとしたら、甲状腺がんは万引きのようなもの”
比較的、進行は遅く治りやすい、予後も良好。・・・というようなこと。
「そっかぁ、甲状腺がんは、進行も遅く、そこまで早く早く!!って焦らなくてもいいのか。」
旦那にも早速伝え、少し安堵した気持ちで過ごした。
また、自分の身の振り方も考えないと・・・。
2歳の娘を連れて病院をウロウロはできない。
博多の母達に来てもらうにしても入院の目処が立たないとお願いできないし、来てもらったとしてもずっと娘と二人で自宅においておくわけにも行かないから、やっぱり私は行き来することになる・・・。
でも首都高を使ってスイスイで1時間半、混んでると3時間の道のりを毎日通うわけにもいかない。(鬼嫁自分の体が大切
)
近くのホテルを探してみたり、家具付き家電付きアパート(レオパレス)を探してみたりした。
娘の一時預かりをしてくれそうな施設も探し、連絡もしてリストアップしたりした。
病院に付き添い者用の施設があったら・・・本当に助かるんだけどなぁ。
入院の連絡が来て入院してから、いつ手術になるのか?その後の回復期間がどのくらいなのか?全く目処が立たないし、予想もつかないから動きようがない。
その辺も改善できるととても介護者は助かる・・・。
とにかくこの頃は、情報収集しながら今か今かと入院連絡を待っていた頃です。