鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

柳沢敦主将卒業志願

2007年12月20日 | Weblog

ミスターアントラーズ柳沢移籍直訴

サヨナラ鹿島…と、なってしまうのか、柳沢
 鹿島の元日本代表FW柳沢敦(30)が、クラブ側に移籍を志願したことが19日、明らかになった。出場機会が減ったことなどが理由で、ミスターアントラーズにとっては苦渋の決断。クラブ側は引き留める方針だが、本人の移籍の意志は固いという。すでに数クラブが獲得に興味を示していることから、今後は争奪戦が繰り広げられる可能性が出てきている。
 ミスターアントラーズが、衝撃の事実を告白した。午前の練習を終えた柳沢は、神妙な面持ちで「鹿島では、プロ選手としてすべてを学んできた。だけど、ここでやれる限界を感じている」と告白した。「いろんなことを考えた結果、苦渋の選択をしなければいけない時が来た」と移籍を決意したことを明かした。

 96年にプロ入りして以来、イタリア・セリエAのサンプドリア、メッシーナに活躍の場を求めた以外は、鹿島一筋でプレーしてきた。奇跡の逆転優勝で悲願の10冠を達成した今季は、選手会長、主将としてチームをけん引した。鹿島への愛着は人一倍強く、人気も群を抜く。それだけに「サポーターのこともあるし、自分としては悲しい」と胸の内を打ち明けた。

 今季後半戦に出場機会が激減したことが引き金となった。序盤は先発出場を続けたが、2得点した4月21日の清水戦で左足第5中足骨(小指)を骨折し、約2カ月、戦列を離脱した。復帰直後は先発出場したものの、その後は田代や興梠ら若手の台頭もあり、徐々に出場機会が減った。

 ただ、質の高い動きは健在で柳沢も「選手としても人間としても、より成長していくことがこの先、大事」と前向きだ。クラブ側は当然、引き留める方針だが「(移籍先の)地域にこだわりはない」と話す本人の移籍の意志は固い。すでに、数チームが獲得に興味を示しており、柳沢の今後の動向が注目される。
[ 2007年12月20日付 紙面記事 ]

柳沢、移籍志願…10冠区切りに鹿島“卒業”
 J1鹿島の元日本代表FW柳沢敦(30)が19日、移籍を志願した。「選手としても人間としてもこの先、成長していくために、とても悲しいことだけれども(移籍を)選択しないといけない。苦渋の決断をしないといけない時が来た」練習後、ニット帽を目深にかぶり、うつむき加減で心の内を明かした。

 「鹿島卒業」の意味合いが強い。96年に入団後、エースとして君臨してきた。03年からセリエAのサンプドリア、メッシーナへ渡ったが、06年3月に復帰。今季は主将、選手会長としてリーグ制覇に貢献した。だが、9シーズンを鹿島で過ごした柳沢は「プロとしてすべてを学ばせてもらった。でも、今はここで成長できる限界を感じている」と10冠を自身の「区切り」としてとらえた。

 今季は4月に左足骨折し約2か月間戦線離脱。その後復帰したが、10月には若手の田代、興梠の台頭で先発落ち。出場も19試合にとどまった。オリヴェイラ監督は来季も世代交代を推し進める方針で「先発が一番成長できる」と考える柳沢は、来季、その場を失うことが濃厚となっている。

 現在、他クラブからのオファーは届いてないが、移籍先は「こだわりはなく、オファーを待ちたい」と話した。来季、アジア・チャンピオンズリーグを控えるチーム側は全力で引き留める意向だが、「鹿島にはすごく感謝しています」と柳沢。ミスターアントラーズの流出危機。10冠を達成したばかりの鹿島に激震が走った。
(2007年12月20日06時03分  スポーツ報知)

衝撃の報せでった。
そして、柳沢敦ほど意志の強い男が移籍を口にしたのである。
これを慰留するのは容易なことでは無かろう。
アジアの戦いの前に陣容を立て直すことになろうとは思いもよらなかった。
とはいえ、ここを乗り切る大仕事がフロントに課せられておる。
鹿島アントラーズが史上初のJ10冠を得、歴史に金字塔を建てた。
ここで一つ前進するときがやって来た考えるべきであろう。
痛み無く成長はあり得ぬ。
継続も変革も共に必要である。
どう進もうとも前進であると信じたい。
今季中に様々な問題を吐き出してしまえば、来季は勝利を重ねるだけとなろう。
過去は歴史となるだけである。
振り返る必要はござらぬ。
想い出となるだけである。
 勘助…
 ワシには見えるらよ、
 勘助の中に咲いてる花が。
 だから…
 勘助は怖くねえら。
最後の最後に無かったことにされた由布姫の存在である。


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