鹿島本山、水腎症乗り越えV獲った/J1
後半、ドリブルで攻め込む本山
<J1:鹿島1-0札幌>◇第34節◇6日◇札幌ド
2連覇を告げる試合終了の笛が鳴り響くと、MF本山雅志(29)は野沢とゆっくり抱き合った。今季の苦しみ、この瞬間の歓喜をかみしめながら、「うれしい。ホッとしたのが一番。みんなが体を張って1年間やってきたことが出たと思う」と柔らかく笑った。
前半14分に好パスで好機を演出するなど、序盤から持ち前の技術で攻めの中心となりながら、ハーフタイムにオリベイラ監督の怒りに触れた。「野沢と本山が守備に戻らない、と言われた」。後半は交代する29分まで、守備でも献身的に走り回った。
実はピッチ外で「病魔」という難敵と闘い抜いたシーズンでもあった。開幕前から背中に痛みを覚え、持病のヘルニアだと思っていたが、6月の中断期間に激痛が走った。慌てて病院に行くと、水腎症と診断され「腎臓が動いていないと医者に言われた」。
症状の悪化を防ぐために水分の摂取量に細心の注意を払い、大好きな酒も控えた。「練習に支障があったけど、うまく乗り越えられた」と話したものの、体調が戻らず試合中の動きに悪影響を及ぼしたのは事実。ベテランとしての責任感が体を突き動かしていた。
「今、(手術を)やらないと取り返しがつかなくなる」。トップレベルで活躍し続けるため、精密検査を経て来年にも手術を受ける予定。「今年は周囲が成長した。おれは退化したけど」と苦笑い。常勝軍団を支える背番号10は来季に向け、まずは自らの体に癒やしの時を与えるつもりだ。【菅家大輔】
[2008年12月7日9時41分 紙面から]
選手会長・本山は腎臓疾患とも闘っていた
<札幌・鹿島>祝勝会で、優勝杯の横で乾杯の音頭を取る本山雅志
Photo By スポニチ
鹿島が最終節で札幌を1―0で下し、リーグ連覇を達成した。チーム一筋のベテランMF本山雅志(29)は、今春に腎臓に水がたまる「水腎症(すいじんしょう)」であることが判明。激しい痛みに見舞われながらも、MF小笠原満男(29)、DF中田浩二(29)らが相次いで離脱したチームを、32試合に出場してけん引した。引退覚悟で奮闘した選手会長が、チームに勇気を与えた。
このときばかりは痛みも吹っ飛んだ。長いシーズンの終了を告げるホイッスルが鳴る。後半29分にピッチを退き、その瞬間をベンチで見届けた本山はガッツポーズの後に誰彼となく抱き合った。「苦しんだ分、一生に残る優勝になった」。連覇の喜びをかみ締める言葉に特別な重みがあった。
異変を感じたのは、シーズンが幕開けした直後だった。持病のヘルニアとは違う痛みが腰に走った。病院に駆け込むと、信じられない結果が待っていた。「水腎症」。痛みは排尿が悪く、腎臓の中に水がたまることで起こったもの。腎不全を引き起こす恐れもあり、手術が必要になることも少なくない病気だった。
チームはACL出場による過密日程の真っただ中。「どう処置すべきか」と3人のドクターに意見を求めた。悩み抜いた末に「今季はこのまま頑張ろう」と決断した。そんな中、同期入団の大黒柱、MF小笠原が9月20日に左ひざ前十字じん帯と半月板を負傷、古傷の右ひざが完治していなかったDF中田も10月末に手術で離脱した。その上に自分がチームを離れるわけにはいかない。繊細で人一倍に責任感の強い本山は、引退を覚悟してピッチに立ち続けた。
オリヴェイラ監督も早めの交代で対処したが、医者から水分摂取を制限されたこともあり、疲労が回復しない日々が続いた。「本当につらい」。激痛のあまり、練習後のロッカー室で床にうずくまったこともあったという。それでも弱音を吐かずに走り続けた。オフに手術を先延ばししたのも連覇のため。この日も前半43分に相手スローインに猛ダッシュしてボールを奪うなど、力の限り、ピッチを駆け回った。
「みんなに支えてもらった」。夫人には食事面で全面サポートしてもらった。体重を戻すために食事を増やすと痛みが出ることもあったが、苦痛を乗り越えて歴代最多タイの通算5度目のリーグ優勝をつかんだ。選手会長としてチームを引っ張った激動のシーズン。栄光の10番を背負う男にとって、12月6日は生涯忘れられない日となった。
[ 2008年12月07日 ]
選手会長の本山がこのような大病を患っておったとは気が付かなんだ。
今季、好調でも途中交代しておったのも、このためであろう。
連覇は本山あっての偉業である。
病魔を克服してピッチに還ってくることを心から望む。
後半、ドリブルで攻め込む本山
<J1:鹿島1-0札幌>◇第34節◇6日◇札幌ド
2連覇を告げる試合終了の笛が鳴り響くと、MF本山雅志(29)は野沢とゆっくり抱き合った。今季の苦しみ、この瞬間の歓喜をかみしめながら、「うれしい。ホッとしたのが一番。みんなが体を張って1年間やってきたことが出たと思う」と柔らかく笑った。
前半14分に好パスで好機を演出するなど、序盤から持ち前の技術で攻めの中心となりながら、ハーフタイムにオリベイラ監督の怒りに触れた。「野沢と本山が守備に戻らない、と言われた」。後半は交代する29分まで、守備でも献身的に走り回った。
実はピッチ外で「病魔」という難敵と闘い抜いたシーズンでもあった。開幕前から背中に痛みを覚え、持病のヘルニアだと思っていたが、6月の中断期間に激痛が走った。慌てて病院に行くと、水腎症と診断され「腎臓が動いていないと医者に言われた」。
症状の悪化を防ぐために水分の摂取量に細心の注意を払い、大好きな酒も控えた。「練習に支障があったけど、うまく乗り越えられた」と話したものの、体調が戻らず試合中の動きに悪影響を及ぼしたのは事実。ベテランとしての責任感が体を突き動かしていた。
「今、(手術を)やらないと取り返しがつかなくなる」。トップレベルで活躍し続けるため、精密検査を経て来年にも手術を受ける予定。「今年は周囲が成長した。おれは退化したけど」と苦笑い。常勝軍団を支える背番号10は来季に向け、まずは自らの体に癒やしの時を与えるつもりだ。【菅家大輔】
[2008年12月7日9時41分 紙面から]
選手会長・本山は腎臓疾患とも闘っていた
<札幌・鹿島>祝勝会で、優勝杯の横で乾杯の音頭を取る本山雅志
Photo By スポニチ
鹿島が最終節で札幌を1―0で下し、リーグ連覇を達成した。チーム一筋のベテランMF本山雅志(29)は、今春に腎臓に水がたまる「水腎症(すいじんしょう)」であることが判明。激しい痛みに見舞われながらも、MF小笠原満男(29)、DF中田浩二(29)らが相次いで離脱したチームを、32試合に出場してけん引した。引退覚悟で奮闘した選手会長が、チームに勇気を与えた。
このときばかりは痛みも吹っ飛んだ。長いシーズンの終了を告げるホイッスルが鳴る。後半29分にピッチを退き、その瞬間をベンチで見届けた本山はガッツポーズの後に誰彼となく抱き合った。「苦しんだ分、一生に残る優勝になった」。連覇の喜びをかみ締める言葉に特別な重みがあった。
異変を感じたのは、シーズンが幕開けした直後だった。持病のヘルニアとは違う痛みが腰に走った。病院に駆け込むと、信じられない結果が待っていた。「水腎症」。痛みは排尿が悪く、腎臓の中に水がたまることで起こったもの。腎不全を引き起こす恐れもあり、手術が必要になることも少なくない病気だった。
チームはACL出場による過密日程の真っただ中。「どう処置すべきか」と3人のドクターに意見を求めた。悩み抜いた末に「今季はこのまま頑張ろう」と決断した。そんな中、同期入団の大黒柱、MF小笠原が9月20日に左ひざ前十字じん帯と半月板を負傷、古傷の右ひざが完治していなかったDF中田も10月末に手術で離脱した。その上に自分がチームを離れるわけにはいかない。繊細で人一倍に責任感の強い本山は、引退を覚悟してピッチに立ち続けた。
オリヴェイラ監督も早めの交代で対処したが、医者から水分摂取を制限されたこともあり、疲労が回復しない日々が続いた。「本当につらい」。激痛のあまり、練習後のロッカー室で床にうずくまったこともあったという。それでも弱音を吐かずに走り続けた。オフに手術を先延ばししたのも連覇のため。この日も前半43分に相手スローインに猛ダッシュしてボールを奪うなど、力の限り、ピッチを駆け回った。
「みんなに支えてもらった」。夫人には食事面で全面サポートしてもらった。体重を戻すために食事を増やすと痛みが出ることもあったが、苦痛を乗り越えて歴代最多タイの通算5度目のリーグ優勝をつかんだ。選手会長としてチームを引っ張った激動のシーズン。栄光の10番を背負う男にとって、12月6日は生涯忘れられない日となった。
[ 2008年12月07日 ]
選手会長の本山がこのような大病を患っておったとは気が付かなんだ。
今季、好調でも途中交代しておったのも、このためであろう。
連覇は本山あっての偉業である。
病魔を克服してピッチに還ってくることを心から望む。
息子が鹿島アントラーズの大ファンです。
今年8月の試合で、息子は
本山のエスコートキッズをしました。
そのとき
「おかあさん!本山の手ってすべすべさらさらだったよ!」
と驚いていました。
夏だしアップもしてるだろうし、
選手の手は、きっとベタベタだろうと予想していたのに、
「試合前で緊張してたんちゃう?」
と話していたのですが。。。
水分摂取を制限していたとのこと
すべて納得できた気持ちです。
しんどかっただろうに。
気付いてあげられなくてごめんなさい。
ありがとう!本山!!
でも声援が心の支えになったと思いますよ。
まだまだ頑張ってもらいますので、早く戻ってきて欲しいですね!