淡々片々日記

鳥取にある日常のささいなこと。プロサッカーチーム・ガイナーレ鳥取のことなどなどを折々に、そろりと語ります。

「こだわる」って? 何に?

2016-06-30 21:57:23 | 日記
 好きなラーメンなどの、いろいろな料理店を訪ね食べていると、
 妙に気になるセリフというか、枕ことばのようなものに接することが多い。

 たとえば「こだわりの・・・」とか「超」とか「ここだけ」というもの。
 とある店に行ってメニューを広げてみると「こだわりの」に続く品が8品ある。
 100品を揃えたうち8品は、その店がとりわけ特別に仕込んだ
 自信をもって提供するメニューということなら、それも、そうかな、とは思う。
 ところがドリンクも含めて30品しか品揃えがない。
 いまごろ「こだわりの」などのフレーズが、とてもありふれた、
 それこそ、こだわりのない枕になってしまったように感じてしまう。

 「こだわる」とは、どんなことを言っているのだろうか。
 辞書でみると「ちょっとしたことにとらわれる。拘泥する」(岩波 国語辞典・第三版)という意、がある。
 同じ岩波の広辞苑(第三版)には「さわる。さしさわる。さまたげとなる」が①で、②に「気にしなくてもよいような
 些細なことにとらわれる。拘泥する」。③に「故障を言い立てる。なんくせをつける」とある。
 ちなみに、吉川弘文館が明治40年発行の「言海」には「カカヅラフ。カカハル」と記していますが、その前に
 「拘」の字を囲みで表記している。「こだわる」は過去から、そういう意味合いで使われていた。

 だいぶん前のことですが、鳥取で詩人の谷川俊太郎さんがお話をされていて、
 そのときに、好きなことばと好きじゃないことばのニュアンスを問われた谷川さんは
 好まない、いや好みづらいことばの一つに「『こだわり』・・・」を挙げたことがある。

 「こだわる」ことって、それほど「超」大事なことなのでしょうか。
 こだわった挙げ句、こだわらないことも、もしかするとあるかもしれません。
 もっと外の、いっぱい大事にしたいことを若い世代には見つけていただきたいと思っています。

 
 

三つの「T」。

2016-06-27 21:25:52 | 日記
 「3T」を、想うことが多くなった。
 三つの「T」というのは①タイミング ②(相手と自分がとる相応の)態度 ③(それについて自分がとる)対応。

 自分が知ろうと、知らずとも、人はけっこう自分が置かれる大切な局面で、自分の判断や言動にソト(外)側から
 大きな光が差し込まれるものだと思います。
 ハンマー投げの室伏選手しかり。メッシが局面でのPKを外してサッカー・アルゼンチン代表の引退を滲ませたのも、
 そうだったのではないか・・・。
 それを当事者が自ら判断して語る言葉には重みがともないます。だれもが、その実績を知っているから。
 こんなことを書くと、それは大家の世界で、市井の私たちにはあまり関係ないと感じる人がいるかもしれない。けれど、
 たとえサッカーのメッシも、ベースボールのイチローだって市井の人に変わりはない、と、
 彼ら自身すらそう思っているはずに違いないのです。

 ただ、三つの「T」は、ネットや書物でヒントを探せたとしても、それが自分にとって全うなものかどうかは、
 まっとうにはわからない。

 他人に偽っても、自分に偽っても、①②③は進まないでしょう。とくに③は大きいメスでもあればオスにもなる。
 主義、主張はご立派でも、ご自身の当面の行ないや豊富な知識を駆使した場当たりの処世のすべも、
 上辺のつくろいは、所詮うつろになっていくのでしょう。
 先日、辞任した(辞任に追い込まれた)前東京都知事を参考にするまでもない。
 恥も含めて歴史に残りますね。だれもです。
 
 「3T」は、自分の写し鏡にも似て開かれるものなのでしょう。
 サッカーにも似ていますね。


 ガイナーレ鳥取、次戦、ものにしてください。オーレ! 鳥取!

 

 
 
 

EU離脱と、yoko ono/imagine

2016-06-25 23:12:07 | 日記
「大勢」というほどでもない「僅差」で決まってしまった。
 イギリスのEU残留か離脱かの国民投票。

 これをビッグ・ベンの振り子でたとえるなら、大きく左右に振れてはいないけれど、
 微妙に振れ幅を残したというところなのか。ところが世界は大揺れで、市場が騒いでいる。
 左右が均等のように、どちらも等数の投票結果が、かりにもしあった場合、
 振り子は止まる。ただ、かろうじて振り子は動いていく重力を手にしたと観るのか、
 そうではないのか。ビッグ・ベンは動く限り、時を刻んでいく。

 国民投票に私はかつてこの方、かかわったことはありませんが、住民投票には1票を
 投じたことがあります。それは鳥取市で起こった市庁舎の改修か移転新築かの二者択一を問うものでした。
 
 それは、小さい自治体での「住民投票」でしたが、いずれ私たちは「国民投票」を問われるときが、
 必ず、きっとくるでしょう。その最初はおそらく日本国憲法の改正のときになると思います。
 となると、私たちは現憲法の前文や一条文でも、触れて読んでおくことが大切になってきます。
 どのように解釈し、どのように自身に届けるかは個々人の思いのそれぞれに委ねられます。

 イギリスのビッグ・ベンは、小さくとも振れた。よかったと見るべきか、悪夢を呼び込むか。
 振れ幅のその小ささにもかかわらず、世界は大きく揺れている。

 ずっと言われてきたきたじゃありませんか。ジョン・レノンの「今人」ではなく「イマジン(imagine)」。
 なぜレノンがアメリカに行ってしまったのだろう。なぜ、そこで打たれたのだろうか。
 レノンはなぜヨーコを愛し、ヨーコは彼の想いを行動に写し続けるのだろう。
 私にはわからない。
 でも、通じるものが必ずあると思う。




参議院選挙、それぞれの1票にかかる。

2016-06-22 20:09:41 | 日記
 第24回参議院選挙が公示され、18日間の選挙戦がスタートしました。

 各政党、各立候補者は、それぞれ掲げる政策や理念を訴えていくことになりますが、
 通りいっぺん、それらの主張に耳を傾けても通じることや通じにくいことが多々あるかもしれません。
 今選挙から18歳、19歳の人に選挙権が与えられ行使できます。この新たに加わった約240万人の有権者には、
 政治のことはよくわからないという人も多いことでしょうけれど、
 投票するしないの判断が投票率として数字に現れることにもなります。
 まずは自分の生活やおかれている状況、家族のことや身近な周囲・地域のことに関心をもって、
 そこから考えてみてはいかがでしょうか。

 “約束”だった消費税率の引き上げをまたも先送りする決断をした総理に対して、麻生財務大臣が、
 その信を問うなら解散総選挙の必要性について滲ませたことが印象に残っています。
 少しずつ見えてくるのは、今回の選挙の争点は、まさに「アベノミクス」への評価ではないかと思うこと。
 憲法改正については、とてもじゃないけれど与野党ともに議論のテーブルが整っている状況ではないと感じます。
 
 まじめに働いても働いても収入は上がらない人たちがたくさんいて、その一方で富める者はますますぬくぬく・・・
 という実際があれば、努力の、勤勉の見方すら変調してくるでしょう。こころ、どこへいく。
 巨額の国債を買い取る日銀のバズーカやマイナス金利政策。これらの劇薬にも、そろそろ有効期限が迫っているのかどうか。
 判断はみんなの、それぞれの1票にかかるのでしょう。
  

喜多方ラーメンの珍事。

2016-06-18 22:31:59 | 日記
こんなことは初めて知った。

18日午後3時すぎ、福島県のJR会津若松駅で、列車の発車時刻などを案内する
電光掲示板の列車名が表示されるところに、なんと「喜多方ラーメン」と表示されたという。
鉄道マニアでも「そんな列車、あったかな?」と疑問に思うころだろう。
事前の設定では「サヨナラ485系」だったそうです。
この誤掲示は約30分ほど続いたそう。なにがあったのでしょうか。

システムのトラブルが考えにくいとすれば、まあ、誰かがそのように操作していたのでしょう。
悪意だったのか、思い込んでか、悪ふざけか、はわからないけれど、
喜多方ラーメンにとっては大ブレイク。JRとしては、お困りごとの発生で笑ったり悩んだりの有様が
見えてきそうなのです。

大のラーメン好きの私も、喜多方ラーメンを現地・本場の福島で食べたことがあります。
今ではいろいろなアレンジの喜多方ラーメンがあるかもしれませんが、
私の印象に残っているのは、ひたすら素朴な醤油味の中華そばという感じでした。
余計な飾りはなく、でもそっと小さい付け合わせがトッピングされていて、それが嫌味なく、
押し付けがましくもなく、するするとハシでつまんではすすり味わせられる。
日常的に気軽に、いつでも食べて、ちょっとした満腹感も添えてくれるありがたみ。
ブラジルでは飲み物のコーヒーが、それに匹敵するでしょう。
日常にある食べ物にしても飲み物にしても、それがふつうにあって食してきたことの記憶というのは、
のちのちいのちの源にもなりましょう。

地元の大切な“食”や“味”を弄ばない。なんでも、どこでも手に入ると思っていたら大間違い。
そう伝えたかったのが「サヨナラ485系」だったのではないのでしょうか。