19年バリに住んでて今年が一番たくさん柿を食べています。
バリ島の柿、白い粉をまぶされて収穫してから、いったいどれだけの日数がたったのだろうか?と思われる外観
いや、もしかしたら数か月???とは考えたくない代物。
だけど今、1キロ70円って激安でつい食べてしまう。
中身は熟れていないあっさりした甘味。触感はコリコリ。
これは市場で予定外に買ったのだけど、今回市場で19年目に感じた事が印象的過ぎて記録。
市場では野菜を買うのに立ち止って値段を聞いたり、交渉したりしていたら、大きな竹のささくれだった籠を頭に乗せたおばさんから
「荷物もつよ!」と声をかけられます。
「少しだけだから要らないよ。」といつもは確実に断るのだけど、先日は小学生ぐらいの女の子に声をかけられ、断るも「学校に行く時にお小遣いが要る。いくらでもいいから!」と半ば強引な押し売り。
ここで、息子が学校付近でバザーの食券を友達と販売して歩いた時の話を思い出し、思わず心揺らいだのでした。
なんでも、イスラムのお母さんで2枚分買ってくれた上、その食券は受け取らなかったとか。
たぶん、学生が汗水流して少しの利益を目当てに努力している姿に、寄付してくれたんだねって、息子本人も自分も困っている人がいたら助けたいと思おう様に意識したと感動して驚いていました。
旦那も、どこかえ行くと物売りに取り巻かれ、必要のないお土産を1ダース毎まるまる大人買いしてくるタイプ。
駐車料金も20円の所50円払ったり、何処へ行っても1円単位まできちんと計算する日本人の方が細かくてケチなのかもと思う事しばしば。
だから人に仕事を与えるのも、助けになるのだろうけど、だからと言って小さな子供に重いものを持たせて、身軽に歩く方が心が痛い気がして本当に(荷物は持って)要らないから、これどうぞ!って少しお金を差し出したら、頑固として受け取らない!
店員さんが「ほら、くれるって言ってるんだからもらえば?」と即しても黙って首を降るだけ。
しかも、買った商品を籠に入れてしまうので、根気負けして持ってもらいました。
その後はハキハキと「次は何?」「それはこっちよ」とちょこちょこと良く動く子。財布から出したお金を奥にいる店員さんに渡してくれたり、そこいらのオバサン荷物持ちなんかより感心。
でも、買い忘れた肉の為に長い距離を引き返すのを躊躇ったり、買い物全然楽しめないのが事実。
やっぱり断ればよかったと思いつつも後の祭り。
OKしたんだから諦めてもう切り上げよう!と駐車場まで行き、「いくら欲しい?」と聞いたら又無言。
100円程差し出してみたら、焦ってお礼も言わずそそくさと立ち去ったから、予想外だったのかは定かでないけど、気疲れした市場。
これなら涼しいスーパーで少し高くても定価の商品をじっくり選んで買う方が、どんなに気が楽か!
しかも、手間賃で結局同じ!
という事を感じてしまった午後でもありました。
観光客の方、あまり値切りすぎないであげてほしい。
ぼられていると思い込んで、感じ悪く値切リ過ぎたり、後味悪いより、スーパーの方が確実にで時間と体力の節約かもですよ。
と昔の私にも言いたい。
時に薄々ぼられたかなと気がついても、そこは自分が納得した金額なら忘れて楽しい思い出のみ脳に記憶している気がするし。
この環境が当たり前で育っていないせいもあるだろうけど、何事も勉強かな。
毎日普通に過ごせていることが奇跡。
有りがたいことだらけの毎日だと思うのでした。
買うのを辞めた肉のせいで朝食が野菜だけになり、「えーこれだけーーー!」って息子に文句言われたけど、仕方ない・・・。笑)人生色々あるのよ。