浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

朴槿恵が「歴史と向き合わない国に未来はない」と言う。ならばよろしい①

2014-10-14 21:54:07 | 資料

朝鮮半島古代史

朝鮮南部に日本式古墳がある、半島南部は古代から日本領地なのは世界の常識。朝鮮の前方後円墳は日本人の墓であり日本に存在するものより新しい。

三国史・・・・・・・・・・・朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」 

宋書倭国伝・・・・・・・・・朝鮮半島は倭が支配している 

広開土王碑・・・・・・・・・倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。 

日本書紀・・・・・・・・・「391年 神宮皇后が百済と新羅を日本領土とした。」 

宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を領地にした。 

随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。

◆南朝鮮の歴史とは何か?

 歴史学は歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものであるが、「正しい歴史」なるものが、歴史資料の十分な発掘・収集・検討のないまま一人歩きしている。従って、概説書でなくちょっとした専門書や資料集を読めば、「正しい歴史」に相反する資料が数多く見当たることになる。しかし「正しい歴史」に疑問を呈すると、「おまえは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ」「そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か」と言われたことがある。「正しい歴史」は主観的情緒的な歴史観に基づくもので、実証を軽視したものと言わざるを得ない。この歴史観を有すると、最初から結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料を恣意的にピックアップしていくことになる。それは歴史学とは程遠いものである。

南朝鮮人が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、南朝鮮側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。

、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのである。

歴史の実証的研究では南朝鮮に勝ち目はない。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるから。

民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんである。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

これが南朝鮮の大学の歴史研究者である。
これは南朝鮮の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのだ。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれである。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なのだ。
この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかならない。

実証なき歴史研究―かけ離れる「実証」の意味

南朝鮮や北朝鮮、そして在日活動家に至るまでが、実証のない「正しい歴史」に終始している。これを南朝鮮では「民族史学」と言い、歴史研究の主流となっている。これについて当事者自身から論じているものはないかと探してみたら、姜萬吉「光復30年国史学の反省と方向―“民族史学”論を中心として」という論考があった。そのなかで主なところを紹介する。

解放後30年間の国史学の‥実証的な面の業績は量的にも質的にも相当な水準に達したものと言える。‥‥

解放直後には、いわゆる日帝「植民史学」と「実証史学」的学風の影響のために、「民族史学」が大きくうきぼりにされえなかった。しかし国史学会がおちつくに従って、「植民史学」の毒素をとりのぞく問題、民族主体史観を樹立する問題などと関連して、「民族史学」が国史学界の主流となって行ったのである。
‥‥「実証史学」的学風からの脱皮と「植民史学」の排撃を課題とした解放後の国史学界で、「民族史学」の伝統が強調されてその史観が継承されたのは当然だと思う。
‥‥「民族史学」は、解放前に「実証史学」からは非科学的という批判を受け、「社会経済史学」からは神秘主義、国粋主義的という批判を受けた。しかし解放後の国史学界では民族史学を肯定的に受容しようとする傾向が高まった。それは独立運動の一環としての史学、異民族の侵略のもとで民族精神を鼓吹した史学、植民史学の影響を拒否した主体史学、などと評価されたのである。このような評価は不当なことではない‥‥
歴史学は、どの分野の学問よりも、正しい時代精神をまず把握して、そのための理論を定立することができる時に、その本来の価値が現れるのである。

‥‥近代ナショナリズムがもつこのような意味の変化は、民族の意味にも、また「民族史学」の意味にも適用されて、国民主義的「民族史学」でなく民族主義的「民族史学」へ転換されなければならず、このことこそわが国史学界が当面した最も重要な課題のひとつであり、また方向のひとつだと言えよう。またそのなかから、民族統一のための真正な指導原理が抽出されうるであろう。
(学習院大学東洋文化研究所『調査研究報告№1』1977年3月 1~7頁)

 南朝鮮の「民族史学」は実証主義から離れ、「正しい時代精神」というイデオロギーを主張するものである。彼らにとって「実証」とはイデオロギーを証明するための作業にしか過ぎず、これに反する歴史事実はあってはならないこととなる。彼らの「実証」の意味は、われわれが思うところと余りにもかけ離れている。

日本人がこの「民族史学」に実際に接すると違和感の大きさに驚き、さらに南朝鮮人側の自信に満ちた態度に逡巡するだろう。民族主義を追求する南朝鮮の歴史学と、歴史事実を追求する日本の歴史学との違いはあまりにも大きい。これまで多くの日本人は日韓に波風を立ててはならないと敬して遠ざかり、一部の日本人が日韓の友好のために土下座しつつすり寄った。しかし最近は前節のように真っ向からぶつかろうとする人が出てきている。この方向性はさらに促進・拡大してほしいと願う。

ところで南朝鮮の「民族史学」はこれからどこに向かうのか。実証なき「正しい歴史」研究をいつまでも続けていくのだろうか、実証主義的研究が主流になることはないのだろうか、ひょっとしたら実証のないことでは更に抜きん出た北朝鮮の「革命伝統」という歴史に融合していくのだろうか、‥‥‥興味をもつところである。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai

◆朝鮮人が認められない歴史的事実一覧 

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること 
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること 
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、
 王家の二つが倭人系統であること、
 また始祖の朴赫居世についても倭人説があること 
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと 
・大和朝廷による伽耶地域の支配
 (半島南部における多数の前方後円墳の存在) 
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在) 
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史 
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること 
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと
 (李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている) 
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ) 
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、
 しかもカナより600年遅れて作られたものであること 
・焼肉はモンゴルのパクリで
 焼肉メニューはモンゴル語ばかりであること 
・キムチは秀吉が朝鮮出兵の時に落とした
 唐辛子の種が増殖したのが起源であること 
・テコンドーは日本空手のパクリでそのままだとまずいのでキック特化にしたこと 
・中国の太極図案と五行八卦の中の四卦と陰陽魚が韓国国旗であること 
・大韓民国の国名の民国は中華民国の民国の借用であること 
・大韓民国憲法は、全て1948年に南京で制定された
 中華民国憲法を剽窃したものであること 
・南朝鮮の法律は、台湾の六法全書、
 「憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法」と全く同じであること 
・中国原産の木槿の花を、勝手に改名し、
 無窮花として南朝鮮の国花にしたこと 
・朝鮮という国号は明の永楽帝が下賜したこと 
・南朝鮮国歌「愛国歌」が満州国国歌のパクリであること 
・服も鎧も王権装身具も古墳も宮殿も中国のパクリであること 
・文明も中国のパクリであること(日本は一国一文明の国・朝鮮は中国文明 Samuel Hnatington『文明の衝突』より) 
・古代高句麗人と現代の南朝鮮人は全く違う民族で
 高句麗は古扶余人で東胡の一部であること

127 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:13:38ID:R1tNf2/E [1/1回] 
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 
いわゆる中国領・楽浪郡の
東部地方(日本海沿岸地方)に住んでいたワイ族。 
百済人、高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族

歴史 

朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。 
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。 

一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註 
なお南朝鮮では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。 

しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、 

高句麗・渤海を現在の南朝鮮・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。

129 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:17:42ID:Birnrwuc [2/3回] 
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。 
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、
高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が
中国東北地方にしか版図がなく、
朝鮮半島には存在はしてなかった。 
そして、彼らが滅亡した後は、
ほとんど満州の部族に移行している。
つまり、どう考えても、
高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って
大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。 
朝鮮に日本家屋があることを理由に、
朝鮮人が江戸文明を作ったとか
ぬかすくらいあつかましい主張でしょ。 
何しろ、文明が継承されてないんだもの。 
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど
朝鮮は100年前は土人文明だもの。 
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して
消滅させた異民族の古代国家にすぎない。 
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか 
Why does the Korean tell a lie?

130 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:18:26ID:Birnrwuc [3/3回]

朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、
三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人 
それに対して高句麗(※)も百済も
朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな

広辞苑より 
【扶余】
前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。 
また、その建てた国。ツングース族の一。一~三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。

【高句麗】
紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。

【渤海】
八~一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。

【靺鞨】
(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。

【女真】
中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。 
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。 
なので 
百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族

132 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:20:36ID:rw0+SN6P [2/3回] 
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し
冊封され支配、統治され 
朝鮮人は混血も重ねています
(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年南朝鮮で医学界等の遺伝子や血液の分析で
朝鮮のルーツは北方である事 
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との 
混血である事も徐々に指摘、
新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報

韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人 
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報 
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報 
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、朝鮮人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって 日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、 今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上) 
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056

133 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:21:29ID:rw0+SN6P [3/3回] 
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。

満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、一時期、フヨ族がワイ族を支配化に置いていたこと、くらいです。

では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、この『後金国』が清国へと発展していきます。

134 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:22:50ID:wdg3N4+N [1/3回] 
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。


〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕


見ての通り、高句麗と朝鮮人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは南朝鮮語で「野蛮人」の意味です。南朝鮮人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。

ところが最近の南朝鮮人は、時と場所によって「満州族と南朝鮮人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、南朝鮮人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し歪曲しているのです。 

日本人は倭人の子孫である。
一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。
この2つの民族は最初から別種なのだ。

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1772715.html

南朝鮮人の不都合な真実 南朝鮮人のルーツはエベンキ族だった

http://ameblo.jp/nihon-banzai/entry-11144045806.html

◆現在と過去の南朝鮮を理解するするための資料

【両班】

 本によって貴族階級・地主階級・士大夫階級など表現が様々だが、数々の特権を有していたことは確か。李朝末期1858年の記録には、人口の48.6%に達しており(戸数は70.2%)、従来の特権・権威・秩序は崩壊に向かっていた。

【中人】

 科挙の雑科に合格し「雑職」(通訳・陰陽学(天文地理)・医学・法 律・算学・音楽・絵画等の技術系官職)に従事している官吏とその家族。 主に首都中央部在住で世襲だが、一般に従六品(李朝の品階は正一品から従九品まで 18階級ある)までしか昇進できず、世襲の下級官吏である。 両班の庶子もこの身分に含む。

【胥吏】

 軍校・吏属・衙前とも言う。 科挙など正規の官僚任用法によらない、中央・地方の下級役人(下級官吏)。 行政実務担当者で、地方にあっては両班(貴族・官僚・領主・地主)の手先として、身分は世襲のだが、不正蓄財や権力行使もあった。

【常民】

 良民・良人とも言う。 農民・商人・手工業職人などの一般人民。 科挙受験資格はある。 特に農民は常民の人口の圧倒多数を占める。 大部分が小作農。

【】

 七般公賤・八般私賤と呼ばれる程、多様な職業の総称だが、科挙受験資格はない。

1.〔白丁〕

 ・柳器匠などに従事の被差別民。 一般村落に居住することを制限され、特定の職業に固定されて蔑視にさらされるなど、強い差別を受けた。

2.〔芸人〕

 才人(広大とも言う)やサダン(捨堂・寺党。同性愛の男同士の旅芸人集団で、観客への売春も辞さない。 李朝後期に少年のナムサダン(男寺党)が主流となり、1920年代まで続いた。

3.〔巫覡〕

 シャ−マンのこと。 ム−ダン(巫覡。 巫女のこと)とパクス −(博士、卜師。 男巫のこと)があり、更に降神巫とタンゴル(丹骨。 世襲巫のこと。日本の巫女と職能に共通点も多い)に分かれる。 朝鮮の神道の聖職 者だが、李朝が儒教崇拝主義だったので、仏教同様、に置かれた。

4.〔喪輿軍〕

 葬礼の棺かつぎ、墓掘り人夫。

5.〔僧と尼〕

6.〔妓生〕

 朝鮮の芸妓。 官衙(官庁・役所)に所属し、歌舞音曲や売春等 を仕事とし、針線婢・医女(医者)としても官衙に使役された。李朝末期まで、常に2~3万名は存在し、官婢として県に10~20名、郡に30~40名、府 に70~80名程が常時置かれていた。出自は反逆者、罪人の婦女子なので、お家断絶の名家の娘もいたし、良家から売られた者もおり、キ−センの娘もキ−セ ンを務めるのが原則だった。 黄真伊のように、漢詩や時調(朝鮮の短歌)に優れ教養の高い才妓もおり、李朝の恋愛文化や文学にもよく出てくる。両班の愛 人、妾になりその子供を生むことが、彼女たちの最終的栄華の保証であり、一般庶民には高値の花であった。 李朝滅亡後は、朝鮮総督府の平壌妓生養成所と検 番制度によって、日本敗戦後、南は米軍政庁が、北は朝鮮臨時人民委員会が廃止するまで、公娼制度として続いた。

7.〔〕

 で一番多く、全人口の10~数十%いたと推定される。全時 代を通じて、公とも40~50万人ずつ存在したと言う。戦争捕虜・人身売買・債務・刑罰を契機に生み出された。は中央・地方の官衙に所属し、 は両班など私人の所有であり、売買・譲渡・人質・相続の対象であり貴重な財産だった。無償で使役や売春をさせられる意味では、奴隷と近い。ただ子供 の身分が、法的制限を受けるなど様々な制約があったが、常民との結婚は社会的にも法的にも認知されていたし、職業も住居も固定はされず、一般村落の住民と して常民とそれ程差異のない存在であり、白丁などに比べれば差別・蔑視は少ない方だった。しかし当時の西洋人の著書で見る限り、中世の遺物そのものであ る。

韓国の人々が両班の子孫と誇ること自体、階級差別が消えていない証拠である。

   の多くは勢道政治による売位売官・自贖(自分で身分を買い取ること)・逃亡・戸籍虚偽など様々な手段で常民に上昇し、17世紀からは没落両班から 族譜(系図。同族である身分証明)を高値で買ったり盗んだりして両班になる者もおり、両班自体が急増し、逆に李朝末期には人口が急激に減少した(この 異様な両班人口上昇は、特定名門氏族の人口が全て、血筋を引く正当な子孫ではないことも物語っている)。


★百済、高句麗、新羅の時代を記した「同時代の一次史料」は、南朝鮮には存在していないため、南朝鮮の古代史は、すべて支那と日本の史書からの引用が根拠となっている。ただし、支那の資料の多くは文化大革命で消失している。

この事実さえ理解していない人間は、日韓問わず非常に多い。

◆「朝鮮事情」シャルル・ダレ著、金容権訳(平凡社東洋文庫)

  この本は、1874年に編纂された『朝鮮教会史』の序論部分で、開国以前の朝鮮の姿が書かれている貴重な本。現在の韓国ではなく約140年前の朝鮮を書いた本である。

…略

このような不公平な再婚の禁止は、朝鮮`人’のように恐ろしく情熱的な国民にとって、必然的に重大な良浴紊乱を招く結果となる。両班の若い寡婦は、再婚はしないものの、ほとんどすべて公然と、或いは密かに、自分を養ってくれる者の妾になっている。

のみならず、孤閨を守って貞淑に生きることを固守しようとする女性は、非常な危険にさらされている。ときには飲料水に麻酔薬が入れられ、知らないうちに酔ってしまい、目が醒めると眠っているあいだ自分を凌辱し、貞操を奪った悪党の傍にいることに気付いたり、ときには買収された数人の追いはぎに夜中強姦されることもある。

また、いかなる方法であれ、自分を狙う者からひとたび力ずくででも犯されれば、もはやいかなる救いのすべもない。彼女たちは、法と慣習によって、その者の所有物となる。ときには、若い寡婦が、自分の節操をよりよく証し自分の名声と名誉を保つために、夫の葬式が終わるとすぐに後を追って自殺することさえある。

両班は、いつも声を大にしてこのような模範的な夫人を褒め讃え、彼女たちのあっぱれな行為を長く伝える為に、国王に願い出て、碑石や祠堂のような公けの記念碑〔烈女碑〕を建てる。

二 十年前、まもなく内乱が起こるという漠然とした風潮が国内に満ちたとき、キリスト教徒の未亡人たちがやって来て、もしも武装した群集が家に押し入ってきた なら、そのときは自殺を認めてくれるようにと、宣教師に求めたことがあった。神父は、そのような場合でも、自殺は神に対する忌むべき罪であると論じたが、 彼女らを説き伏せるまでには、かなりの努力が必要であった。

・・・中文略・・・

朝鮮`人’は、男女とも、生まれつき非常に情熱的である。しかし、真の愛情は、この国には全く存在しない。彼らの情熱は純粋に肉体的なものであって、そこには何ら真心がない。彼らは、自分自身を満足させるため、手に届く対象には何にでもやたらと飛びつくあの動物的な欲望、獣的本能以外は知らない。

したがって、風紀の腐敗は想像を絶し、「人々の過半数は、自分たちの真の両親を知らない」と、大胆に断言さえできるのである。異 教徒の男に凌辱されようとした瞬間、キリスト教徒の女性は、しばしば次のように言って彼らを思い止まらせた。「私に近づかないで下さい。私はあなた様の娘 なのです」。すると異教徒は、それが真実ではないとしても、少なくとも非常にありそうな事実だと悟って、退くのである。さらにこの国では、いかなる宗教的 拘束も、情熱を抑制することはできない。

風習と物質生活上の必要のゆえに、貧しい人々、すなわち人口の半分がしばしば貞操観念を忘れるように強いられるこの国では、これ以外にどんな方法があるだろうか?

…中文略…

既 婚者であれ独身であれ、男はみな、甲斐性のあるだけ妾を囲うことができる。女性が村にやって来ると、彼女はとにかく身を落ち着けるところをさがす。その女 性の面倒をみるだけの余裕のある者がいないときは、人々は順番にその女性を自分の家に連れて来ては、何日かのあいだ食物を与える。

一人旅をしている女性が旅宿で夜を過ごしたりしたら、見知らぬ者の餌食になる事は間違いない。ときには男の同伴者がいるときでさえ、男がしっかりと武装していなければ、彼女を十分に守ることはできない。

売春が白昼いたるところで行なわれ、男色やその他の自然に反する犯罪が、かなり頻繁にある。街 道筋では、いたるところの村の入り口に身分の低い娼婦が米焼酎の瓶を手にしており、それを旅人に供する。おおかたの男たちが足を留めて、彼女たちに歌をう たわせたり、一緒にふざけあったりする。仮にある男が彼女たちを無視して通り過ぎようとすれば、彼女たちはためらわずに男の服を掴んで道を塞ぐ。

…以下略

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の統治時代や慰安婦問題などあれこれ言う前に、欧米人から見た昔の自分達の国の姿を冷静に見つめ直す必要があるのではないか。少なくとも日本には、朝鮮史を捏造する必要も嘘を他国に吹聴する必要もまったく無い。


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