浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

韓国の現状③

2011-11-17 13:54:39 | 資料

独立記念館 1987年開館

 

見学者減少に歯止めがかからない忠清南道天安市の韓国独立記念館

建設当初から現在まで展示物が変更なくそのままである。

http://www.youtube.com/watch?v=dh9G97HTD64 

独立宣言をする前は、日本に併合された日本人であり同時に日本兵であった。戦った相手は日本ではなく、米軍を中心とする連合軍である。この独立反日記念館を見る限り、朝鮮人が戦った相手はまるで日本軍ということになる。 

そこから疑問を持たず、ただ展示物だけで日本は韓国に酷いことをしたというのは、余りにも不自然と思わなくてはならない。警察や憲兵が日本人としての朝鮮人を捕まえると言う行為は、犯罪者に対しての業務である。

朝鮮半島の警官などは、朝鮮語を話すことから主に朝鮮人が担当した。取り調べも当然同じ朝鮮人の警官や憲兵が行った。詰問課はどこも担当官は朝鮮人である。

 

 

そこから結論付けられることは、犯罪者がまるで英雄という、単なる反日のためのプロパガンダと言わざるを得ない。いわば反日記念館である。

証拠や記録に基づけば、どこが間違いであるかがすぐに分かるはずであるが、それをさせないために時の政権が国民に提供する反日教材というのが結論であろう。

国の独立におけるスタートから走る方向を間違えた為に、それを国民に隠すために何重にも嘘と捏造を繰り返さねばならなくなった可哀想な国家だと言えよう。

 

現在のソウルで本屋に入れば思わぬ光景を目にする。

公共のモラルや常識といったものが、如何に日本とは異なるものであるか、これまでの資料で十分お分かりいただけたものと思う。

大統領が退任して、必ずと言って良いほど時の権力者を逮捕だ死刑だと騒がれ、中には自殺する者もでるという国、権力に有るときには反日を政策に掲げ国民の関心を1点に集め、その裏で権力を欲しいままにしてきたと言っても過言ではない。

パラオの橋の工事を日本から分捕って落札した韓国

KBブリッジ (Koror-Babeldaob Bridge) は、パラオの旧首都コロール島とバベルダオブ島を結ぶ橋。

1977年に韓国の建設会社SOCIOにより建設されたコンクリート製の橋。設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるようになっていた。

建設業者選定入札において、SOCIOが鹿島建設の半額の入札価格を提示し落札した。なおこのSOCIOは、1994年に崩落した韓国の聖水大橋(施工は韓国の東亜建設)にも関わっている。

建設直後から橋の中央部がへこみ始め、20年もしないうちに4フィート(約1.2m)も陥没した。各国の会社による補修、補強工事が何度も行われていたが、1990年にパラオ政府は、イギリスのLouis Berger Internationalと日本の国際協力機構 (JICA) から派遣されたチームによる安全テストを行い、「建設当時並びに現状では安全であるが、このままでは陥没が進行する」という結果が出たため、230万ドルをかけて補強工事を選択した。

1996年9月26日午後5時35分頃、轟音と共に突如中央部から真っ二つに折れて崩落し、2名が死亡、4名以上が負傷した。橋はコロール島から空港へと向かう唯一の道路であり、またバベルダオブ島からコロールへ供給されていた電気、水道、電話などのライフラインが通っていたため首都機能が麻痺し、クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令した。「暗黒の9月事件(Black September)」とも呼ばれている。

2002年1月、日本の政府開発援助 (ODA) によって再建されたエクストラドーズド橋。正式名称は「日本・パラオ友好の橋(通称:日帛友好橋)」という (Japan-Palau Friendship Bridge) 。設計上の耐用年数は50年である。

パラオ政府が財政的な理由から自国の資金による建設を断念したため、1997年に日本の無償援助による橋の再建を決定し鹿島建設によって再建された。

再建には当時のパラオの国家予算1980万ドルを上回る3000万ドルを要した。

旧橋と同じ位置に建設されたが、旧橋のコンクリートが低品質であったので、旧橋残存部の再利用はせずに、一から建て直すことになった。

 

 

三豊百貨店 

1995年6月29日の営業中午後5時52分に突然5階建ての建物の半分(正確には前後の一部分を残し)が崩壊し、死者502人・負傷者937名・行方不明者5名という世界的にも例のない大惨事を起こした。

1990年12月 具永東高速道で進入歩道橋崩壊
1992年 大雨で流された遊覧船が漢江の橋に衝突、橋脚の方が壊れる。
1993年1月 清州ウアム商店街崩壊
1994年10月 漢江・聖水大橋が崩落
1994年11月 ゾンアムドン歩道橋崩壊
1995年6月 三豊デパート倒壊
1995年 ソウル地下鉄2号線の鉄橋に崩壊の危険があり掛け直し
1996年9月 韓国企業が施工したパラオのKB橋が崩壊、首都機能が麻痺。現地では「暗黒の九月事件」と呼ばれている。
1997年 韓国企業が施工したマレーシア・ペトロナスタワー2(ツインタワーの片方)完成直後より傾斜し始めたため、特に上層階にはテナントが入らず。
2000年10月 ビル崩壊
2001年 ソウルで雑居ビルが崩壊
2002年7月 済州ワールドカップスタジアムの屋根が強風にあおられ、7億ウォン余りの被害
2003年ソウル清渓川高架道路の崩壊の危険が指摘され取り壊し。
2004年 崩壊の危機があり「全面的な建て直し」が必要とされた光化門地下歩道を「政治的判断」により補修のみで済ませる。
2004年9月 京畿道・安養市で3階建て旅人宿が崩壊

 

日本の建設会社ハザマがタワー1を、韓国のサムスン物産建設部門がタワー2を、それぞれ建設した。なお、41階と42階の二箇所に設けられた2本のタワーを結ぶ連絡橋(スカイブリッジ)は、フランスの建築会社による施工である。

元々はハザマが受注したのだが、、韓国の建築会社、サムソンの強引なやり方でそれぞれのタワーを建設するという前代未聞の発注となった。

工事の着工が35日も遅れた韓国サムスンが、ハザマよりも一週間も早く完成。

タワー2(韓国側)については、完成直後から手抜き工事が指摘され、最大4.5cm傾くことが予測されていることが、報知新聞2002年2月3日の報道等からわかっている。また建築過程でも日本側のタワー設計図を韓国側が共同工事なのだからと言う理由で勝手に持ち出し勝手にコピーしそれを下図に韓国側の塔を建てた話も伝わっている。それなのに電気の配線の工事がずさんであったためと、テナントがほとんど埋まっていないため、タワー2(韓国側)には電気のついていない部屋が多く、「昼は2本、夜は1本」とも言われた。

日本側はミリ単位の正確さで建設したのだが、韓国サムスンはそれをインチに直し建設したことが後にわかった。日本と同じメーター計測をしたくないというのがどうやら原因らしく、要はセンチの図面をインチで建設したということである。4,5㎝の傾きはそのせいである。

タワー2の電気配線のやり直しは、結局日本側が行った。

 

韓国施行の屋根、完工から僅か1年で崩壊 マレーシア最新式競技場

この競技場は5万席規模であり、崩れた所は東側観客席の屋根だ。誰もいない午前に起こった事故なので幸いに人命被害はなかった。 

1100万ドル規模の屋根工事はマレーシア現地会社が受注し韓国の建設会社のSが参加したことが確認された。

 Sは機械、江構造物分野の建設会社で資本金12億ウォン規模だ。 海外建設業申告なしで工事をしたと発表された。 海外で建設工事をしようとするなら国土部に海外建設業者で登録しなければならないが、Sは登録無しで建設した。




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