浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

江沢民

2011-12-23 09:30:05 | 資料

江沢民 チアン・ツォーミン

1926年8月17日生まれ

小平引退後の中華人民共和国の最高指導者

江沢民の実父江世俊は、日本軍占領下の江蘇省で日本の特務機関に協力をしていた。

叔父の江世侯(上青)は中国共産党の幹部であったが、嫡男を得ないまま1939年に日中戦争に地元匪賊に殺害された。江沢民は、公式にはこの江世侯の養子ということになっているが、本家の次男である江沢民が、祖父からみて第6子にあたる叔父江世侯の養子となるのは、中国の家族慣行では異例であり、「漢奸の息子」という出自を隠すためと考えられている。

1946年4月、中国共産党に入党

彼は日本語を学び日本語を話すが、公には秘密にされている。

上海交通大学卒業後、上海市で食品工場や石鹸工場のエンジニアとして働く。

1966年に発動された文化大革命では実権派として攻撃されたものの、「革命烈士の子弟」とされたため、被害は少なかった。

1985年、上海市の実力者で、かつて江沢民を第一機械工業部に引き上げた汪道涵の推挙により、上海市長に転出。

1989年4月、胡耀邦(1987年、保守派により党総書記を解任)が死去したことを契機に民主化運動が高まっていった。しかし、最高指導者の小平は民主化運動を「動乱」と規定した。

民主化運動に理解を示していた趙紫陽が第13期4中全会において、全職務を解任されて失脚した代わりに、江沢民は小平によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢された。

さらに同年11月の第13期5中全会において、小平から党中央軍事委員会主席の地位を継承し、翌1990年3月には国家中央軍事委員会主席に就任する。

江沢民が1993年3月に国家主席に就任して以来、最高指導者が総書記・国家主席・党中央軍事委員会主席を兼任して権力を一元化するようになった。

2001年11月には中国の世界貿易機関への加盟を実現し、経済開放の加速と国際経済のグローバリゼーション化の動きへの適応を図った。さらには「3つの代表」理論を提唱し、資本家の存在を認め、資本家の共産党入党を認めるなど、中国を実質上資本主義国化させていった。

また、1997年7月には香港、1999年12月には澳門の中国への返還も実現させた。現代中国史の研究者である天児慧は江沢民を「大国化する中国の建設に貢献した」と評する。

江沢民の任期から中華人民共和国は大国意識を剥き出しにした対外強硬路線が目立つようになり、1996年には中華民国総統選挙に圧力をかけるため台湾海峡にミサイルを撃ち込んでアメリカ軍の緊急展開を招くなど情勢を緊迫させた。

他にも同年にCTBT採択直前に駆け込みで核実験を強行し、世界中から非難された。1999年の国慶節では15年ぶりに軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示した。

また江は総書記在任中、上海市長・党委書記時代の部下を次々と中央に引き上げ、枢要な地位に就けて「上海閥」を形成し、その総帥として政界に君臨した。

 しかし事実は中国共産党が、国民党との内戦において勝利を得た後、江沢民は中国共産党に紛れ込み、富貴を求めるために、自分は早年に中国共産党に加入し、後に賊に撃たれて死亡した叔父の江上青の養子となったと偽証し、この関係を利用して、数年間で初級幹部から電子工業部の副部長へと昇進した。江沢民の昇進は、その本領によるものではなく、人間関係において上手く立ち回ったためであることは、明らかである。

 江沢民は上海市委書記在任中、毎年上海で春節を過ごす李先念、陳雲などの党内の元老に対して、媚びへつらうことを極めた。かつて、李先念氏に誕生日祝いのケーキを送るため、上海市委書記たる者が、大雪の積もる中、数時間も恭しく待っていたのである。

 1989年6月4日に起きた“64”天安門事件は、江沢民の生涯におけるもう一つの転機となった。事実を報道しようとする『世界経済導報』を強烈に弾圧し、更に人民代表大会委員長の万里氏を軟禁した。そして、“64”事件への弾圧を支持したことで、中国共産党の総書記まで、のし上がったのである。

  江沢民は“64”事件よりかなり以前に、小平宛に秘密裏の書簡を送り、“断固とした措置”の採用、さもなければ“国及び党も没する”と要望していた。この15年来、江沢民は“安定はすべてを圧倒する”ということを理由にして、異議を唱えたすべての人士、及び独立信仰団体に対して、ほしいままに弾圧虐殺を行って来た。

 中ロ両国が1991年に国境線を定める際、江沢民は、中国により帝政ロシア及び旧ソ連への侵略を全面的に認め、『アイグン条約』をはじめとする、すべての中ロ不平等条約を引き受け、百数十万ヘクタールのも中国領土を譲渡した。

 江沢民の略歴を見渡すと、売国奴の長男であるにも関わらず、烈士の遺児と偽証し、身をもって共産党の“騙し”を実践して来たのである。“64”天安門事件の虐殺を支持し、民主化運動及び信仰の人士を弾圧することで、自ら共産党の“殺し”を実践したのである。

法輪功

 法輪功は“真”を唱道する。これには本当のことを言い、偽りのないことを成す、ということを含んでいる。しかし、中国共産党はその反対に、常に嘘によって洗脳を行ってきた。“嘘を言わなければ偉業は成し遂げないものだ”という手口より、政権を掠め取った後、毎回の運動の中で、累々と血の債務を負っているのである。

 もし人々が本当のことを言うようになれば、民衆は中国共産党が、元来ソ連に頼り、殺人、拉致、逃亡、アヘン栽培、偽の抗日などで、家業を作り上げたということを知るようになる。これは中国共産党にとって正に最期の到来である。

 法輪功は“善”を唱道し、常に他人を考慮し、善を成さなければならない。しかし、共産党は常に“残酷に闘争し、無情な仕打ち”を提唱してきた。中国共産党の模範的英雄である“雷鋒”は、「敵に対しては厳しい冬のように冷酷無情でなければならない」と言っている。

 実際のところは、中国共産党は敵に対してだけでなく、党内部の人に対しても、ほとんど変わらない。中国共産党の開国元老、元帥そして国家主席をも含めてみな、情け容赦もない批判や殴打、残酷刑などを受けていた。“階級の敵”に対する虐殺は、なおさらそれ以上に恐ろしいものである。もし“善”が社会で優勢に立ったら、それらの“悪”を基礎とする群衆の運動は、もう出現できなくなるのである。

 『共産党宣言』の中で、「今日に至っても、すべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と述べている。これは共産党の歴史観及び世界観を代表している。

 法輪功は矛盾が現れてきたら、自分の問題を顧みるように唱道している。この世界観は、内に向かい反省するというものであり、共産党の外へ向けられた闘争哲学とは、きつ然と対立している。

故に江沢民は、法輪功を徹底して弾圧し、虐殺を繰り返すのである。

法輪功の道徳面での高い基準は、中国共産党にとって耐え難いものである。

 法輪功の発展の方式は、人から人へ、心から心へ伝わり、採用される管理方式は、来るも去るも自由であり、非常に緩い管理である。これは中国の厳密組織とは全く異なっている。それにも関わらず、中国共産党の毎週一回、あるいは数回に渡る政治学習、組織生活はまるで形骸化されたものとなっている。党のイデオロギーに対する党員の承認は、ほとんどゼロである。しかし、法輪功学習者らは、自覚を持って“真・善・忍”を実践している。また、法輪功の心身の健康に対する改善は、修煉者数を二乗の速度で増加させ、修煉者は自ら望んで李洪志師の諸著作を学び、自費により法を広めていた。わずか7年間で、法輪功学習者は無から一億人にまで増加した。当時、およそすべての中国の公園で、法輪功を煉功する際の音楽が流れていた。

 共産党は、法輪功が中国共産党と群衆を“争奪”している“宗教”であると流言している。実際のところ、法輪功が人にもたらしたのは、一種の文化と生活様式であり、中国人がすでに遺失してから久しくなった、祖先の文化及び伝統の根である。江沢民及び共産党が、これほどまでに法輪功を恐れているのは、この種の伝統的な道徳が、一度群衆と溶け合って一体となってしまえば、いかなる力もその迅速に拡大する勢いを、阻むことができなくなるからである。こうした生まれついての伝統は、共産党により数十年間断絶され、改ざんされた。

 再び伝統そのものを拾い上げることは、歴史の選択であり、一種の広大な群衆が苦難を経験した後に、自分の選択した帰結である。この種の選択の必然となる結果は、つまり是非を唱え、邪悪を捨て去ることである。つまり共産党に対する根本的な否定及び除去でもある。これは中国共産党にとって死への急所を刺されたようなものである。特に法輪功を修煉する人数が、中国共産党員の人数を超えたときの、中国共産党の内心から発した恐怖と嫉妬は想像に難くない。

  江沢民の生活は、極めて荒んで腐敗していた。豪華な専用機を購入するため9億元をも使い込んだ。国庫から数百億元を取り出しては、息子の商売に使った。姻戚関係を利用して、すべての親族及び腹心を、部級以上の高官に抜擢した。部下の汚職行為を庇護し、すべてにおいて頂点を極めていた。

 概括的にいうと、江沢民の暗い心理、独裁権力への欲望、残虐な人格及び“真・善・忍”に対する恐怖により、江沢民が理由もなく、法輪功の弾圧を起こしたゆえんである。このことは共産党組織と極めて一致しているのである。

 法輪功の問題においては、当時の中国共産党政治局の7人の委員の中で、ただ江沢民だけが弾圧することに固執していた。江沢民の打ち出した口実とは、“党が滅び、国が滅ぶ”ことに関連しているのである。これが中国共産党の最も敏感な神経に触れた。江沢民個人の権力維持と中国共産党の一党独裁維持は、ここで高度な統一が得られたのである。

 1997年の中国共産党十五大会及び2002年の中国共産党十六大会のとき、江沢民は政敵を失脚させたが、彼自身は規定を顧みず、権力を握ったまま退こうとはしなかった。

 1999年7月19日夜、中国共産党高層会議を司会する江沢民は、権力を持って法に代わり、自ら認識を “統一”し、一人で全面的な弾圧の決定を下し、中国政府の名義で全面的に法輪功を取り締まり、世人を騙した。

 1999年7月20日以降の5年間、民間経由で伝えられ明らかになった中で、少なくとも1,128名の法輪功学習者が迫害されて死亡した。迫害致死の事案は、全国30の省、自治区、直轄市に分布している。2004年10月1日現在、死亡案件の発生率の高い地区は、上から黒龍江、吉林、遼寧、河北、山東、四川、湖北などである。その中で最も年少の死亡者は、生後10ヶ月の乳児、最も高齢なる者は72歳である。女性が51.3%を占め、50歳以上の老人が38.86%を占めている。しかし、中国共産党の官員によって、密かに迫害され死亡した法輪功学習者の数は、実際にはこの数字を遙かに超え数十万人と伝えられている。

 そして、法輪功学習者に加えられた各種の残酷刑は、さらに数え切れないほど多い。めった打ち、鞭打ち刑、電撃刑、冷凍刑、縄縛り刑、長時間にわたる手枷と足枷、火あぶり、焼きごてによる焼けど、吊り下げ刑、長時間に渡って佇ませる刑、跪かせる刑、竹串あるいは針で刺す刑、性的虐待、強姦などがある。

2000年10月、遼寧省馬三家労働教養所の看守人員は、18名の女性法輪功学習者たちを裸にして、男性の牢屋に投入し、受刑者らに任意に強姦させ、蹂躙した。これらすべては血の痕跡が点々と付くものであり、文字で伝えることなどとてもできない。

調査の結果、“精神病治療”の手段を持って、法輪功学習者を迫害する事案は、中国23の省、市、自治区に普く分布され、少なくとも百以上の省、市、県、区の精神病院が迫害に参与したことが分かった。事案の数量及び分布範囲から見ても、法輪功学習者への精神薬物の乱用における迫害は、計画され、上から下まで組織的に実施された政策であることが分かる。少なくとも千以上の精神状態が、正常である法輪功学習者らが、強制的に精神病院、薬物乱用者の監禁所へ監禁され、多くの人が強制的に多種の中枢神経を破壊する薬物を注射された。

江沢民は1999年、法輪功弾圧の当初、“三ヶ月”で法輪功問題に決着をつけると企んでいた。しかし、中国共産党は法輪功の力を過小評価し過ぎたと共に、伝統及び信仰の力を軽視したのである。

  2009年12月、アルゼンチン連邦裁判所のラマードリッド裁判官は、中国前国家主席・江沢民と前政法委員会書記・羅幹の両被告に、精神団体法輪功への集団弾圧を主導したことで、ジェノサイド(集団虐殺罪)と拷問の罪で刑事訴訟手続を起動し、逮捕状を発行すると裁定した。同国では「普遍的管轄権」や「引き渡し審理」を行使して人道に反する犯罪を追及する初のケース。

 この案件でもっとも注意すべきなのは、犯罪数量の多さと深刻さを摘発したことであり、犯罪は今もなお発生していることである。

国際逮捕状が出された者

重慶市委書記・元商務部長 薄熙来

前北京市委員会書記長 賈慶林

規律検査部門責任者 呉官正

法輪功を迫害する専門機関「610弁公室」のトップ 羅幹

元国家主席 江沢民

以上の者は「アルゼンチン連邦裁判所」及び「スペイン国家法廷」から逮捕状が出されており、国際引き渡し条約加盟国により逮捕される。

 

 


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