浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

支那共産党の言う歴史は、すべて政治上の虚構である

2015-01-21 10:26:14 | 資料

日本の国語教科書に中国人驚がく=「日本人は中国語が読めるの?」「なんでこんなに難しいことを…」―中国ネット

2015年1月18日 レコードチャイナ

2015年1月16日、中国のポータルサイト・百度(バイドゥ)の掲示板に、「日本の国語の教科書を見てビックリした」と題したスレッドが立った。 

スレ主は日本の高校で使用されている古典・漢文の教科書を写真で紹介。唐詩や論語、儒家思想といった内容に「日本の作家はみな漢文を知っている。漢文を知らない作家はいない」と断言した。このスレに対するコメントをいくつか紹介する。 

「日本人って、こんなことまで勉強するの?」 
「オレは大学4年だが、論文を書くのに漢文を読んでいるだけ。日本人はすごいな」 
「かわいそうな日本人。こんな難しいこと勉強するんだ」 

「日本人は中国語が読めるの?」 
「私、これ読めない。意味もわからない」 
「中国人として、なんだかとてもうれしい」 

「私も漢文の教科書を見てみたい」 
「どこで買えるか教えて」 
「漢文は選択科目でなく、必修科目なんだ!」(翻訳・編集/本郷)

http://www.recordchina.co.jp/a100868.html

 日本人の大きな間違いは漢文を通じて支那人を理解したつもりになってしまったことである。
今の支那語と漢文がまったく関係がないということを知らずに支那人を理解することぐらい、馬鹿げた行為はない。

現在の支那の文語体は魯迅が日本留学で日本語を学び、その日本語を基に白話文で「狂人日記」や「阿Q正伝」を完成させたことから始まる。

この狂人日記で魯迅は支那の文体を変え,日本語文脈の白話文学の第一弾を書くのである。これを境に支那語の日本化が決定的になった。このことを支那人は絶対に認めないだろうが紛れもない事実である。

しかも、日本語の単語の多くが現在そのまま引用され使われている。

これと同じく、日本統治下で、朝鮮半島に非常に沢山の学校が整備され、小学校から大学に至るまで教育に重点が置かれた。学校ではハングル語と日本語共に教育され、識字率も20%足らずだったものが80%近くまで向上したのである。

現在の南朝鮮で使われるハングル語の中にも、多くの日本語の単語が現存して活用されている。

◆現在支那で使われている和製漢詞

人民、民族、民生、民權、義務、大陸、領地、解放、革命、共和國、全國、憲法、團體、政治、經濟、社會、自然、科學、開國、國家、自治、司法、改革、交通、共產、主義、大綱、主導、評價、運動、檢討、清算、企業、委員、會員、支援、計畫、預備、復興、歡迎、大綱、行政、制度、對應、顧客、銀行、本部、教育、學生、學校、講師、介護、氛圍、表徵、戰爭、決定、內容、推進、總務、財團、國籍、專門、保險、警察、醫療、電子、報社、支持、日記、英語、行動、公益、財務、法人、法律、被告、被害、警備、彈藥、成立、概要、財政、構造、選舉、政黨、左翼、右翼、既得、權益、發展、內閣、閣員、政權、宗教、改正、會計、事項、廣告、時代、創造、活躍、關連、法案、會長、會議、基本、願望、溫暖、對策、方針、政策、金融、國民、納稅、稅制、憲法、歲出、匹敵、上昇、地方、基礎、知識、實現、更新、勞動、市場、改善、大幅、指導、推進、全體、收益、農業、農地、空間、觀測、視點、理想、幻想、議論、現在、主要、主權、主題、課題、收支、均衡、正規、狀況、派遣、問題、目標、集中、成立、早期、具體、情報、補償、基準、構想、經理、販售、購買、成果、新聞、講義、監督、午前、午後、刷新、期待、消費、金脈、人脈、信、業務、提供、全面、一定、迅速、解決、實施、義務、標準、宣言、方向、概要、今後、安全、補助、監視、周圍、活動、公布、施行、結果、報告、定價、確保、共榮、公式、保稅、詳細、理論、購入、理事、著手、上手、安打、表明、公民、市民、同胞、合併、規模、研究、檢查、考慮、發生、對照、實驗、戀愛、波及、出演、直言、年度、放送、內容、體系、動向、成功、實績、事例、專門、用語、解說、哲學、效率、速度、徹底、現代、健全、誕生、曲解、歷史、必要、準備、組織、分野、潮流、異端、權利、執行、強化、成長、戰略、課程、重點、投入、提案、資金、改善、位置、郵政、民營、宣言、保育、破壞、焦點、公開、事業、太古、進化、民間、反映、創意、工夫、殺害、事件、公共、公正、競爭、製作、透明、元兇、意識、緊張、保障、備忘錄、漫畫、質疑、心理、不思議、傳奇、大事、時代、各界、連絡、審議、修正、原點、決意、特別、廢止、腐敗、武器、軍事、紛爭、肯定、成長、鄰近、現場、到達、環境、腦力、開發、裁判、典型、責任、追究、場面、劇場、思想、遺憾、發揮、達成、分權、路上、方向、個人、感想、擔當、共同、平等、生產、體質、人種、物種、質問、職務、職能、形態、狀態、動物、植物、化學、糖尿病、保護、地區、凍結、保存、建立、遺傳、請願、物價、建設、掌握、所謂、真理、真實、實際、事實、法則、人類、教師、作家、作者、健康、家畜、飼育、設立、以來、以外、脂肪、構築、主食、肉類、食物、適應、教授、經費、色彩、感覺、管理、項目、檢疫、指定、緩和、進度、特集、擴大、對象、意見、陳述、說明、飼養、立場、可愛、異常、疑問、安定、運用、公園、炭燒、食品、特性、單一、福祉、自由、轉換、最新、記事、比較、動畫、震憾、慘劇、錯誤、免罪、試行、依存、投資、混合、展開、資料、圖書、週刊、原作、物品、衛生、先端、先進、存在、淘汰、本能、鬥爭、無能、公眾、合同、領土、地域、海域、項目、一覽、再生、偉大、風景、奔放、電話、住所、登錄、地圖、普遍、生存、確立、訴訟、證明、證言、文化、文藝、愛護、血脈、農場、牧場、連鎖、水準、原則、壓倒、實證、共通、闊步、回復、翻譯、撤回、停止、技術、影響、學科、特區、野外、野生、見習、脊椎、領域、稻穗、信徒、能力、活用、文法、收集、理論、怠慢、認識、感染、宇宙、地球、一般、懸念、男性、女性、親子、協議、會談、懇談、魅力、遺棄、生息、署名、畫像、投稿、腳本、展示、種類、特徵、華麗、募集、圖鑑、維持、哺乳、化妝、簡單、檢索、財產、觀光、方法、集合、診療、規範、實踐、所有、捕獲、接種、旅行、時間、空間、葬儀、季節、言語、配合、印象、一番、綺麗、頂點、確認、記述、寶庫、有名、廢棄、親族、獨特、非難、污染、目的、素材、中心、各地、固體、液體、氣體、死亡、禁止、立體、表現、性格、攝影、機械、高速、低速、系統、都會、行樂、流通、景氣、減速、由來、想像、感想、滿載、時空、外科、內科、快適、生活、醫療、法律、企劃、原稿、版權、氣候、天氣、模型、公開、真空、降雨、行動、教鞭、襲擊、生態、經過、利用、商用、調查、映像、掃除、草原、森林、移動、壯大、網羅、機能、資源、普通、交換、互惠、症狀、原因、家族、自宅、急性、慢性、全身、十分、經驗、勤務、壁紙、商品、失蹤、判斷、觀點、多樣、夜間、日間、軌跡、出版、世界、引渡、魔法、歐洲、亞洲、電話、複合、適當、玩具、工具、電動、時期、作成、作品、差異、正常、異常、完成、自動、完全、家電、衣服、優雅、懸賞、家庭、幹部、當然、當時、當日、最近、騷動、變更、封印、雜誌、逮捕、竊盜、硬派、取締、代表、足跡、普及、笑顔、適切、電磁波、音樂、最愛、試聽、傘型、寄生、不動產、業界、廣義、利害、調整、錄音、債權、有價、證券、履歷、牛乳、計算、模倣、假裝、排他、習性、極力、極端、使用、揶揄、最後、污染、遲滯、國際、巿場、登場、作業、地下室、記錄、雜貨、參加、事故、總額、泡沫、擁護、感謝、通信、正確、污損、構成、合成、前半、後半、多數、少數、專用、隱密、負擔、傷害、關係、酵素、元素、物質、膨大、大量、理由、背後、推理、形式、數學、流動、人口、冷藏、話題、追加、注文、限定、除外、貿易、統計、輸送、全部、體驗、硫黄、育兒、奥義、受信、送信、建設、限度、保全、程度、趣味、分野、電波、信號、配線、性能、回路、基板、根本、現時、注意、危險、少子化、過渡期、出品、平均、中古、終了、刺青、選擇、自體、衛星、強力、鐵道、列車、電器、輻射、設備、機器、部分、同樣、把握、工事、場合、設置、青年、年齡、本體、範圍、全方位、處理、負荷、水平、周波、內藏、行為、攜帶、迷惑、必需、分類、可能、端子、當初、感知、中繼、不要、疑問、容量、體積、記者、發表、發射、重要、表示、命令、排除、不當、廣域、區民、實用、重複、設定、保存、距離、特定、換算、金額、報道、再度、隨筆、簡略、開始、著陸、天體、銀河、太陽、經緯、裝置、固定、通勤、世紀、相當、入手、幅、判定、條件、一覽、演說、適用、半額、全額、制裁、光年、光速、無線、電燈、電報、豪華、殿堂、有限、事態、實情、防衛、高空、明日、今日、本日、本週、本月、今年、年表、退職、防災、補強、補修、耐震、放射、部品、風俗、柔軟、任意、理解、以下、以上、再現、同一、效力、早期、鋼鐵、堅持、希望、連盟、惡化、規則、解約、公庫、輸出、輸入、改正、讓渡、定款、定期、首都、徵收、條例、明確、協會、就業、理事、裁量、住宅、嚴格、判例、犯罪、犯人、犯行、組合、各位、導入、原文、發明、倫理、合憲、參政、承諾、原子、物理、對流、擴充、片面、強行、意味、價值觀、了解、景觀、用途、過程、收入、制定、規定、約定、整備、常備、備考、演奏、樂章、音樂、樂理、智識、滿足、通知、貯蓄、貯金、朗讀、美術、藝術、獨立、工藝、物語、手術、功績、繪畫、積極、要素、動機、矛盾、孤立、真面目、機關、多種、多樣、教室、得意、特色、個人、憎惡、感情、愛情、友情、道、通稱、虛構、虛實、惡魔、天使、女神、家具、苦痛、悲慘、曖昧、日常、宿命、邂逅、機會、概念、鑑賞、精神、神經、書籍、原題、定義、附屬、高等、連綿、課稅、遺產、特權、同化、排斥、執筆、出版社、訂正、正解、階段、連載、轉載、引用、映畫、百科、污名、業者、居住、路線、技法、崇拜、冷靜、推敲、變換、唯一、差別、注目、感動、考察、履歷、近代、近年、象徵、展覽、一番、自己、發言、絶望、高潮、特殊、解釋、相對、絕對、實質、間接、無限、鑑定、消滅、創立、座標、貴重、初期、神話、內容、會話、連續、解剖、壞死、構造、塗料、先驅、自覺、犧牲、臆病、隸屬、依、國語、西洋、東洋、周邊、祭典、固有、要件、著作、領域、豐富、活力、活性、創作、繁榮、多樣化、文獻、表記、參考、表面、操作、書評、前後、收縮、施工、倉庫、活動、許諾、贊成、主張、結婚、離婚、批判、嫌惡、何故、否定、嫉妬、和氣、憐憫、不能、告白、喪失、土石流、放棄、航空、著陸、連續、攻擊、作戰、侵害、住民、奴隷、舞台、藝能、圈外、如何、學習、屬性、透視、 機能、公平、秩序、例外、繼承、最終…

和製漢詞用語法:

~~式、~~感、~~化、~~性、~~派、~~點、~~系、~~流、~~家、~~額、~~率、~~組、~~的、~~長、~~員、~~隊、~~者、~~度、~~品、~~型、~~版、~~館、~~額、~~科、~~力、~~量、~~群、~~機、~~器、~~論、~~用、~~類、~~觀…;

非~~、不~~、每~~、第~~、再~~、超~~、約~~、最~~、有~~、無~~、耐~~、防~~、免~~、多~~、被~~、全~~ ... 

以上都是和製漢語,還有好多好多的名詞和用法,

◆本当の支那人、支那大陸とは何ものか

日本人のほとんどが「支那人といえども我々日本人と同じ人間ではないか、話しあえば分かる、友情を分かち合えることが出来る人たちだ」と思っているだろうが、野生の虎と仲良くすることよりもっと不可能である。

それでは、支那人って、支那って、どんな国なのか?

支那4千年の歴史は戦争に次ぐ戦争で、ほとんどの民衆はいつも飢餓の線上でもがき、生きて行くためには、お互い欺き、騙し合い、いかなる悪徳非道なことでもやってきた。

支配者の残虐な圧制だけでなく毎年飢餓による餓死者を大量に出す支那という国の歴史を果たして日本人は理解出来るのであろうか?

まず基本的に押さえておかねばならないことは、支那大陸には中国という国家もなかったし、中国という概念も、さらに意識もなかった。

支那人はよく4千年の歴史と言いだすが、日本人が憧れた漢民族は三国時代の混乱により都市文化を消し去り、漢民族を絶滅させてしまった。
この三国時代の混乱は隋の文帝が統一するまでなんと400年も続いたのである。

この結果支那の住民はそっくり残虐な騎馬民族の子孫に入れ替わってしまい、漢民族は紀元2世紀で地球上から姿を消した。いわゆる秦や漢時代の支那人は、そのほとんどが大陸からいなくなったということである。つまり隋や唐はこうして侵入してきた遊牧民が作った全く別の支那なのである。

その後も契丹人が建てた遼や,女真人が建てた金や、ついにはモンゴル人の帝国が支那全土を統一した。モンゴル人は復讐を恐れて征服した土地の住民を抹殺することを常としてきた。

14世紀になってやっと明という帝国が建てられるが、それも満州人の清朝に征服されてしまう。

ところが日本人は遣隋使や遣唐使が持ち帰った膨大な漢籍を長年必死で読み込んできた。つまり滅んでしまった漢民族の教養をそっくり受け継いてきたのが日本人なのだ。

日本人なら誰でも論語や漢詩の名句はしっているだろうし、日常用語の中には漢籍起源のものも多く存在する。早い話が滅んでしまった漢民族の教養を受け継いで日本人は人格を高めてきたのである。

しかし常に異民族によってとって変わられてきた支那には、古代から共通支那語というものは一度も存在しなかった。各地方ごとに言語が異なっていた。

だからほとんどの支那人にとって漢文は理解不可能である。漢文は今の支那語と全く関係がない。

現在の共通支那語は文体もボキャブラリーも日本語からの借用である。
日本に留学した魯迅の白話文は日本語を下敷きにしてつくられた。もし魯迅が日本語を覚えなければ、彼らの白話文は生まれなかったのである。恐らく殆どの支那人はそのことを知らない。

魯迅が日本に留学して仰天したのが、図書館だという。そこには世界中の本や文献が揃い、支那では見たこともない日本語で書かれた支那の文献が山のように有った。

彼は図書館で、儒教や孔子、論語・四書五経などを初めて読んだと語っている。

日本の支那専門学者たちは、支那人は儒教や論語に囲まれて育ったと勘違いして、「支那人は道徳的で大人の風格がある」と勝手にイメージして仕舞ったのである。

ところが皮肉なことに知識人である魯迅でさえ支那で論語などの古典を見たことがなかったのである。

現在の支那の文章は漢字に意味がない、発音のための漢字といった方がよいのであろう。

以前麻生元首相が漢字の読み方を間違えたときに、支那人が大喜びしたが、支那の漢字には殆どの場合、一つの発音しか無いためである。日本の漢字に音読み訓読みや多数の意味が有ると言うことを知らないため、なぜ決まった発音を間違えるのだと笑ったのである。

日本の漢文や漢詩の専門家ですら、支那人は今も漢文を常用していると誤解している。

古代のこれら漢文・漢詩を理解できる支那人は、台湾に住む日本の教育を受けた台湾人のみだろう。

教育は国家の礎であり、興亡の行方を左右する最重点政策であるが、偏向教育は国の本来進むべき道を狂わせる。

半島や支那のように、特定国に絞って敵対させる教育は、国際的な立場まで狂って来る。裏返せばそれだけ憧れという潜在意識が有るのかも知れない。早い話が妬みである。

国民全てに妬み嫉みの心を植え付けていることになるわけである。健全な国民を作るという根本の目的が失われているために、当然民度も低く、他人を信じずお互いを疑う国民ばかり生み出してしまう。

それが国をあげてであるから、人格の狂った指導者まで現れる所以だ。権力闘争がエスカレートするのも当然であろう。悠久の4千年というが、その歴史は常に他民族の侵略と占領ばかりの「戦乱」の歴史である。

遣唐使や遣隋使などで教養や知識を与えてくれた民族と、今の大陸に住む民族は、そもそも全く別の民族である。しかも日本が大東亜戦争で戦った相手でも無い。戦った相手は国民党軍である。

彼らが持ち出す領土には、契丹人や女真人が持っていた領土だから漢民族の領土、モンゴル帝国が持っていた領土、満州人が持っていた領土だから漢民族の領土という主張である。

漢民族の領土など存在しない。

 漢民族としての歴史書が支那に残っていない理由は、漢民族としての歴史が支那には無いためである。わずかに残ったものも文化大革命でみずから葬り去った。唯一の正しい歴史書の数々は、日本において日本語に翻訳されたものばかりである。

話す言葉は、親から子に受け継がれるもので、 長い年月をかけてゆっくりと連続的に変化する。

 しかし、書く言葉は、正式な文書や教育の「規範」とされるので、いったん「正しい」と定められた語法が長い間保たれる保守性を示す反面、 政治的な権威や社会的な運動によってごく短時間で急激に変えられることがある。 変化が不連続なのである。 最近では、学校教育とマスコミの主導で書く言葉が急激に変化する現象も稀ではない。 日本でも、敗戦後の数年間で、 話す言葉はほとんど変わらなかったが、 書く言葉は「現代かな遣い」、「当用漢字」を使用した口語文が急速に普及し、 旧かな遣いの文語文が駆逐されるという大変化を経験している。

支那の現代書面語も最近の100年程度の中国近代化の中で急速に形成された新しいものである。

◆東トルキスタンの歴史

東トルキスタンにはウイグル人及び同じくトルコ系言語を使用する諸民族 ― カザフ人、ウズベク人、キルギス人、タタール人、タジク人 - などが住んでいる。

支那の最近の人口調査によると、東トルキスタンの総人口は1925万人。これは、この土地で違法居住している749万人の漢人移民を含む数字である。(1949年以前は、漢人が20万人ほどしかいなかった。しかも、満州(清)の時代やその後の軍閥らとの戦いの時代に東トルキスタンに流れてきた軍人や軍人の家族がその大半を占めており、一般の漢人市民はほとんどいなかった。清の侵略以前は全くいなかった。)総人口の中で、ウイグル人は960万人であり、多数を占める。一方で、ウイグル人固有の資料によれば、ウイグル人の人口は2000万人前後とされている。

東トルキスタンは、地理的に支那の自然辺境(そして本来の辺境)である万里の長城の外側に位置する。歴史や文化の面から見ても、東トルキスタンは中央アジアの一部であり、決して支那の一部ではない。歴史上には、東トルキスタンで暮らして来たのは漢人ではなく、ウイグル人をはじめとする中央アジアのトルコ系民族ばかりだった。

史料によると、東トルキスタンでのウイグル人の歴史は4000年以上に遡ることができる。

http://www.uyghurcongress.org/jp/?cat=27

東トルキスタンやウイグル人などの人権問題を米国や他国が指摘すると、必ず「内政問題に介入するな」と返ってくるが、現在の支那共産党の歴史よりはるか昔から存在した独立国である。その独立国に内政干渉し、挙句の果てに乗っ取り侵略したのは現在の支那共産党自身である。

ウイグル人はパスポートの申請を禁じられている。
支那当局によってウイグル人は「テロリストで、過激なイスラ教徒で分離主義者」と位置づけられている。

支那に圧力をかけられているマレーシア、タイ、ラオス、パキスタン、ベトナム、カンボジア、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタンは脱出したウイグル人を支那に強制送還することをためらわない。
支那に強制送還されたウイグル人がどんな虐待や拷問死をするか誰も関知しない。

◆台湾の国際的地位

平和条約では米国が「主要占領権国」と確定されている。

シスコ条約の第23条に「米国が主な占領権を持つ」と記載してある。これは日本と米国が血を流して、戦争をした事を強調し、シナとは関係ないとし、Limbo Cession 即、曖昧、未確定割譲の台湾に対して米国が台湾領土権の采配を取るという意味である。権利があれば、義務があるのは法理である。義務とは多くの意味がある。

1. マッカーサー将軍は1945年9月2日に、旗艦ミゾリーの甲板で、第一号命令書で、「台湾に駐屯する日本皇軍は同盟軍の代表、シナの蒋介石将軍に降伏せよと通告し、蒋介石は日本皇軍の武装解除を行い、台湾の治安維持に当たるべし」と命令した。

2. くどいが、繰り返し強調する。この後の1952年4月28日のシスコ条約にも、所謂台北条約の日本政府と中華民国亡命政権との条約にも、台湾の主権が中華民国又は中華民国亡命政権に移転、譲渡、割譲された史実は無い。中華人民共和国に対しても同じく、台湾の主権は移転、譲渡又は割譲されていない。

3. 台湾主権の宙ぶらりんの意味は、台湾の母国は日本であるという事実である。1895年の下関条約で、大清帝国は台湾を永久に日本に、平和条約という、国際法に基づいて、割譲したのである。法的に言えば、清は台湾の主権すら整備していなかった。面積的に、台湾の約三分の一を有効管理していたに過ぎない。日本は8年の時間と日本人の命を掛けて台湾の主権を構築せざるを得なかった。清と日本の台湾経営には雲泥の差が有る。

台湾領土が既に日本国土に編入され、日本国土の神聖なる一部と成っている故、万国公法(Low of Nation)の慣例に拠れば、日本は台湾領土に対する「移転不可」(Inalienable)の天賦権利(inherent right)及び天賦義務(natural obligations)がある。 国際法では「国土」は植民地と異なり、売買契約が無い限り割譲はできない。

これは北方領土がソ連によって奪われたが、未だにロシアが日本領土として返還交渉に応じていることと同じ意味を持つ。権利放棄と主権放棄は同じではない。

台湾の法的地位は「日屬米佔」

「台湾獨立聯盟」と「李登輝友の會」の元老達に、ペテン師だ、詐欺師だと、中傷されてきた「国際戦爭法」の専門家、武林志昇氏は、彼の「台湾法的地位」に関する研究結果と今後の台湾の行方について、1月26日、ロスアンゼルスの「千楓TV」と「台湾海外ネット」の取材に対し、次の様に語った。 

「台湾地位の現狀は「日屬米佔」である。その意味は「台湾は日本天皇の皇土であり、米国軍事政府の佔領下にある」ことだ。 これは萬国公法、国際戦爭法、サンフランシスコ和平條約に基づいた100%正確な法理的事実である」と。 

http://www.taiwan.gr/the-true-legal-status-of-taiwan.html

◆「俺は中国から脱出する!」
ある中小企業経営者の中国撤退ゲリラ戦記

2014年7月4日 DIAMOND online

 低コスト生産の魅力が減退する中国。現地に進出する日本企業なら一度は撤退を考えたことはあるだろう。だが、現実を知って愕然とする。「撤退したくとも撤退できない」からだ。

 撤退コストを算盤で弾けばざっと1億円、董事会(取締役会に相当)もなかなか首を縦に振らなければ、手続き関係もややこしい。中国の動画サイトでは、日本人経営者が中国人の工員に吊るし上げられ、土下座して謝っているシーンが流れる。となれば、結論はこうなる。

「じっとしているのが一番だ」―――。

 だが、「ここに居続けていいのだろうか」という思いも払拭できない。中国はもはや低コスト生産の適地でもなければ、ハングリーな労働者が集まる拠点でもなくなった。日本の、とりわけヒト・モノ・カネにも限度がある中小の製造業にとっては、これ以上赤字を垂れ流している場合ではない。では、どうしたらいいのだろうか。

 本連載第147回「中国でのビジネスは“潮時” 引き際でも悶絶する日系企業」を読まれた読者の方から、1通のメールをいただいた。メールの主は撤退に成功した日本人経営者だ。そこにはこう書かれていた。「中国からの撤退には秘策があります」――。筆者は早速、この人物を訪ねた。なお、匿名を希望されているため、ここではA社長と呼ぶことにする。

物は盗む、仕事はしない…
撤退の動機は「我慢の限界」

 首都圏で自動車部品の製造を手掛けるA社長の会社B社が中国に単独出資で進出したのは2001年にことだった。13年前、中国は「世界の工場」として脚光を浴びつつあった。4000万円を投じて、2000坪の土地を購入、そこに工場建屋を建築した。安価な人件費で製品を加工し日本に輸出、そこから欧米に販売するモデルは、この中国沿海部を舞台に急速に発展し、売上もうなぎのぼりに上昇した。

 B社はいわば日本の町工場に過ぎないが、それだけに身軽さがあった。A社長は自ら現地に乗り込み、代表権のある董事長となり、すべての株を掌握する形を取ることでスピーディな事業展開を可能にした。従業員もピーク時には85人を抱え、「このまま行けば長者番付に名前が出るかも」、そんな本気ともつかない冗談すら出るほど、現場は好回転した。

 本社社長室の壁には、中国の地方紙が額に入れられ掲げてあった。よく見るとそこには若いA社長が映っていた。中国で小学校を建設する希望工程への寄付が取り上げられたのだ。「地元密着型の企業を目指す――」、新聞はこの現地法人のそんな前向きな取り組み姿勢を紹介していた。

 A社長にとって、中国の従業員は名実ともに“家族”だった。従業員の個人的なトラブルのみならず、その家族まで面倒をみた。盆暮れの労いや病人の見舞いなども決しておろそかにはしなかった。おかげで十数年も共に働く「老員工」(古株)にも恵まれた。B社は地元が誇る唯一の日本企業でもあった。

 それから12年が経った昨年末、A社長はある大きな決断をした。それは中国からの撤退だった。「我慢の限界」――それがA社長の偽らざる心境だった。

「物は盗む、仕事はしない。(月給が)10元違えばよそに行く」と、農村出身の従業員にはほとほと手を焼いた。10年前はハングリーさと手先の器用さが評価された中国の労働者たちも、昨今は「80后(80年代生まれの若者)は1時間で辞職する」など、質の劣化が進んでいる。日本で採用し一人前に育てたはずの人材も、中国に赴任させれば一人の例外もなく会社の金を使い込んだ。

 人件費、原材料費が上がり出した中国のビジネス環境は、2000年代初期とは明らかに違うものになっていた。ふたを開けてみれば、コストは進出当時と比べ5割も上昇していた。急成長した中国での事業だったが、振り返れば2005年をピークに徐々に成長の鈍化が始まっていたのだ。

 中国に拠点を置く意味は次第に薄れた。むしろ中国からの出荷体制を維持することは、個別の受注に即時対応できないというチャンスロスにもつながった。「気がつけば3割の客を逃していた」とA社長は語る。

「撤退しない限り、赤字を垂れ流すことになる」

 すでにこのとき、A社長を支配していたのはこうした強い危機感だった。「撤退するなら今しかない」と腹をくくった。

 中国から撤退するには、会社自体を解散する清算や破産以外に、合弁パートナーに自社持分の譲渡をするという方法が採られることが多い。いずれのケースも董事会での承認が必要となるが、そもそも中国人役員らにとっては職を失うことにもなりかねず、なかなか彼らは首を振らない。

 中国ではよく台湾人が“夜逃げ”という手段を選ぶが、それにはもっともな理由がある。つまり、撤退を正攻法でやっても埒が明かないのである。

 しかも、「撤退させたくない」のが地元政府の本音だ。「はい、そうですか」とハンコを押してくれるわけがない。前述の本連載第147回でも記したが、撤退は経営者が最後に課される「悶絶の苦しみ」であり、中国脱出のための「最後の闘い」となるのである。

かくなる上はゲリラ戦法
“風林火山”を地で行く

 だが、A社長には“秘策”があった。言ってみれば「ゲリラ戦法」である。その戦術はまさしく、武田信玄の風林火山だった。

「疾(と)きこと風の如く」は「スピード」を、「徐(しず)かなること林の如し」は「隠密裏に行動」、また「侵掠(しんりゃく)すること火の如く」は「勢いを持って団結を解く」、「動かざること山の如し」は「決意を翻さない」というのが、中国撤退のキモなのである。

 A社長はまさにこれを地で実践した。決行日は2014年5月5日。この日に向けて昨年後半から、着々と手を打ち始めた。

 迷ったのは、この計画をまず誰に打ち明けるか、だった。隠密裏に行動しなければならないとはいえ、決行には仲間が必要だ。「金を積まれればなんでもしゃべってしまう連中、そこは警戒した」とA社長、だが意外にも腹心を得ることに成功する。

 力になってくれたのは、皮肉にも地元政府に勤務する5人の友人だった。日頃の腹を割ったつきあいがこのとき活きた。協力的な中国人弁護士も現れた。“中国流ゲリラ戦法”を示唆したのもこの弁護士だった。

 撤退計画の第一歩を踏み出すには、大義名分が必要である。企業が撤退すれば、地元の税収にも雇用にも影響する。基本的に撤退を承諾したがらない地方政府に、いかにしてそれを認めさせるかだ。

 それには「現地法人を存続させる」という前提が必要だ。そこで有効なシナリオは、「A氏は現地法人の董事長を退任するが、後継者がいる、すなわち現地法人はなくならない」という絵図を描くのが理想となる。しかも、退任理由はA社長個人の「体調を壊したので日本で入院する」。これなら地元政府も文句は言えまい。

 A社長はまずは関係当局に出向き、「体調を壊しこれ以上事業が継続できない」と訴え、「自分は退任するが、新しい社長がいる」と伝えた。A社長にとっては事実上の撤退だが、地元政府にとっては“代表者の交代”だと理解させたのだ。しかし、水面下でA社長は、中国人新社長と“工場売却の密約”を取り交わしていた。

 他方、新社長はこれまでとは異なる新事業を立ち上げるため、社名変更と営業許可証の申請が必要となった。この営業許可証の取得は難儀で、たいてい書類はたらい回しにされ時間ばかりが過ぎて行く。これがうまく行かないと、A社長の計画も水泡に帰す。だが、これもA社長の“友人”が裏で手を回し、ものの数時間で許可が下りた。

Xデー目指し一気呵成に決行
「今日から新しい董事長になるCさんです」

「撤退決行Xデー」は5月5日に決めていた。もともと中国では3日間の連休だったが、従業員には連続して6日の長期休暇を与えた。その間、A社長は工場の機材や私物を運び出した。手助けしてくれたのは、地元の“威勢のいいお兄ちゃん”たちだった。彼らはこの休日中に40トントラックを運転し、5人の人足とともに工場にやってきた。

 設備や機械などは分解し、これをトラックに搭載した。エアコンなどの室外機も近所から専門業者を探し出し解体させた。金属なども溶接機で切って鉄くずにし、十把一絡げで投げ売りしたが、それでも手元に100万円が残った。5月4日にはこの工場はすっかり「もぬけの殻」状態になっていた。

 翌日、何も知らされていない従業員はいつも通り出社した。だが、なぜか工場にはカギがかかっている。案の定、「どうしたんだ!どうしたんだ!」と大騒ぎになった。

 A社長はパニックに陥る従業員を一堂に集め、騒然とした空気の中で新社長を紹介した。

「こちらは、今日から新しい董事長になるCさんです」――

 予想どおり、従業員は騒ぎだした。手元の携帯電話で警察を呼ぶ者もいれば、労働局に通報するもいた。即座に組合が結成され、賠償を要求し始めた。事態は一触即発、緊張感が一気に高まるも、すでに目の前の局面の収拾はA社長の手を離れていた。

 A社長はこう言った。

「あなたたちはこの段階で、すでに私から解雇されています。これから先のことはC新社長が引き継ぎます」

 問答無用とばかりに、A社長自ら、過去12年にわたる中国でのものづくりの歴史に幕を引いた。

 従業員にとっては不測の事態だったが、A社長にとっては計算済みだった。こうしたトラブルを予期して、C新社長には「従業員のケアをすべて行ってもらう。もしトラブルに発展したら上海の司法に任せる」という一筆にサインをさせていた。従業員の補償問題はC社長が負うことになったが、これもほどなくして鎮静化した。

 もともと中国では、経済補償金(退職手当)を次のように弾き出す。すなわち、「10年勤続であれば10ヵ月分、5年ならば5ヵ月分(の基本給を支給)」といった法定基準額に、若干の“色づけ”をするのだ。たとえばナイキが江蘇省にある靴の生産ラインを撤退させる時には、「法定基準額+1ヵ月分」という形で処理した。

 B社の場合、労働契約は1月1日~12月31日まで。雇用契約が終了したのは5月なので、残りの7ヵ月分を追加して補償することにしたのだ。10年勤続ならば、「10ヵ月分+7ヵ月分」となり、従業員にとっても悪い話ではない。即、納得という形で収束した。

 撤退関連の費用は50人程度の日系企業でも1億円と言われている。だが、それらのうち大部分は、協力者を動かすための必要経費だともいえよう。それをどれだけ圧縮できるかは経営者本人の手腕にかかっている、というわけだ。

 たとえば、A社長が協力を得たのは5人の役人だった。普通ならばひとり100万元(約1600万円)はかかるだろうが、これを一切ナシで済ませた。A社長は言う。

「撤退がらみで、多少の食事代の出費はしましたが、それを除けば一銭も使いませんでした」

最後に力を貸してくれるのもまた中国人
「平和裏に話し合いで」は通用しない

 A社長にとって最後に残る関門は、どのように利益を中国から運び出すか、であった。これはまさしく進行中であるので、成功を待ってから機会を改めてお伝えしたい。

 さて、この撤退劇は、「スピード」そして「隠密裏に行動」、さらに「勢い」が成功を導いた。これらは、本人が「何としても撤退する」という強い意志を持つことで成就したと言える。「風林火山」はもともと孫子の兵法の一説であり、現代中国のビジネス社会でも有効な戦術。A社長は無意識のままにこれを実践していた、というわけだ。

 日本人はとかく「平和裏に話し合いで」と、相手も自分も傷つかない方法を選びたがるが、ひとたび国境を越えればこんな甘い話は通用しない。「入郷随俗」(郷に入れば郷に従う)は中国に来た日本人が一番初めに刷り込まれる格言だが、このとき日本人は「ここでは日本の常識は通用しない」ことを悟る。これは撤退においても十分に通用する道理であり、強引にでも自分の決めた結論に向けて突進するしかないのである。

 B社の事例は、日本の中小企業が独資で進出した場合の撤退事例であり、すべての日本企業に当てはまるわけではない。それでも他社にとっても教訓になるのは、「最後に協力してくれるのも、やはり中国人」だということだ。

 その協力者を日頃から育てていたのがA社長だった。もちろん当初からこの「撤退劇」を想定していたわけではないが、結果として人脈が生きた形になった。撤退成功のカギは「中国人の仲間」だ。「金銭なしに動いてくれる中国の仲間」さえいれば、脱出作戦は半ば成功したと言えるのではないだろうか。

筆者より:冒頭でも記したとおり、この“撤退奮闘記”は、読者からの情報のご提供により原稿にさせていただく機会を得ました。今回、A社長ご本人からは「私の経験が日本の経営者の方々に少しでもお役に立てれば」とのメッセージも頂戴しています。この場を借り、心からのお礼を申し上げます。

http://diamond.jp/articles/-/55505


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