浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

舛添要一とは一体何者なのか

2014-09-14 07:46:49 | 資料

舛添 要一(ますぞえ よういち)1948年11月29日生まれ

福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で生まれる
父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。
舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系

1971年 東京大学法学部政治学科卒業
1979年4月 東京大学教養学部政治学助教授に着任

東京都知事(第19代)
株式会社舛添政治経済研究所所長
社団法人地域経済総合研究所評議員

参議院議員(2期)
参議院自由民主党政策審議会長、厚生労働大臣(第8・9・10代)、新党改革代表(第2代)などを歴任した。

公式ブログ http://www.masuzoe.gr.jp/

(以上Wikipediaより)

◆桝添の父親自慢から飛んでもない事がわかった。彼の言うとおりだと彼の父親は逆賊ではないのか?

舛添知事は韓国国会の鄭義和議長との会談の席で、

「1930年5月に福岡県若松市議会議員に出馬した父親弥次郎氏が広報チラシにハングルの名前を併記し、当時福岡に住んでいた韓国人の人権改善を公約として提示した」と説明して父親の広報チラシ写真を見せ、代を継いだ韓国との親密な関係を強調したと議長室関係者が伝えた。 
(中央SUNDAY第385号)

主張する父親の出馬した1930年という年と、若松市議会議員という場所。 
この時期前後、1926年頃から、若松市やそこを取り巻く、芦屋、遠賀川周辺などは、密入国朝鮮人集団の密入国が頻発し、日本人の住民や警察は地域ぐるみで摘発、犯罪防止、通報に全力を挙げていた時代であるという指摘があります。
皆さん口を揃えて、そのように訴えられました。

その時期に、朝鮮人の人権擁護なんて有り得なく、本当ならば、密入国ブローカーであった疑いをかけられて当然だ という指摘があります。

そのような地元周辺の名士たちの指摘と証言の裏取りをすべく、当時の福岡県の新聞記事を調べました。 
地元民たちの指摘は、新聞記事からも間違い無い事を確認しました。 
1926年頃から、全国的に朝鮮からの密入国が多発しています。 
禿知事出身の福岡県も同じく、全域に朝鮮からの密入国集団が殺到しています。 
正規の入国ルートではないので、当然、国家、警察も摘発と送還に必死であったことを確認しました。

次に今までWEBなどで、そのような主張をしている人がいたかを調べたところ、数人おられました。

これは禿都知事は、公式に説明する必要が出てきたのではないでしょうか。 
おかしいです。朝鮮人の人権擁護などと寝言を言っている場合ではなく、1930年に市議会選挙で朝鮮人の人権擁護なんかやっていたら、住民から総バッシングを受けるのではないでしょうか。

若松市だけを抜き出した新聞記事を紹介します

『廿八名の鮮人若松に密航(若松市)』 福岡日日 1931/8/17 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 
『またも密航鮮人(若松市)』 福岡日日 1933/6/7 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 
『名密航/若松に上陸』 九州日報 1934/12/12 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『若松築港へ密航鮮人(若松)』 門司新報 1934/12/12 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】
『密航鮮人逮捕(若松)』 九州日報 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人十三名を検挙(若松市)』 福岡日日 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人(若松市)』 福岡日日 1937/3/24 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『深夜の若松へ密航鮮人群上陸/水陸より包囲されその儘逃走(若松)』 門司新報 1937/3/31 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航船座礁 半島人六十名を乗せた儘/船長は逸早く逃走(若松)』 九州日報 1938/12/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『五百人を密航させ五千円を捲あぐ/密航船坐礁、船長逃走』 大阪毎日 1939/1/21 朝鮮 〔5/9〕 北九州市若松区・福岡 【渡航】 
『前科六犯を持つ密航ブローカー捕はる/若松市で豪遊中を』 大阪毎日 1939/7/18 北九州 〔5/9〕 若松・福岡 【犯罪】 
『又も密航(若松)』 九州日報 1939/8/1 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

かなりの規模で密航があった。

1923年、そう、関東大震災、
その年の暮れに朝鮮人と共産主義者による
昭和天皇暗殺【当時は摂政】事件です。 
虎の門事件の年、朝鮮人のテロ集団が
大挙して日本に押し寄せたのは
本当だった事が、
新聞記事からもわかります

『ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】 
『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ← 若松の隣 
『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 
・『ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】 
『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 
『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】 
『密航団鮮人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】 
『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】 
『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口 【渡航】 
『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『怪しい鮮人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中』 神戸新聞 1926/5/29 〔8/4〕 門司・福岡 【社会】 
『大里に又密航団/十九名の鮮人(門司市)』 福岡日日 1926/5/29 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 
・『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 
『密航ブロ-カ-鮮人/取押へらる(糸島郡前原町)』 九州日報 1927/4/15 〔1/5〕 前原・福岡 【犯罪】 
『密航鮮人/十余名捕る(田の浦海岸)』 大阪朝日 1927/4/20 朝鮮朝日 〔〕 門司・福岡 【渡航】 
『密航鮮人/蘆屋に上陸/目下取調中』 大阪朝日 1927/5/15 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】 
『検挙された富士丸/三回に亘つて密航/犯行を自白す』 京城日報 1927/5/19 〔4/1〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人が/積み帰さる』 大阪朝日 1927/5/20 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】 
『三鮮人密航/石炭庫にひそんで』 福岡日日 1928/1/25 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 
『密航鮮人難破し西戸崎で救はる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1928/2/19 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『鮮人の密航/対州からが多い』 福岡日日 1928/10/12 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】
『密航支那人失敗して送還/草梁からぬけ出し福岡で上陸禁止』 京城日報 1929/1/30 〔7/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『二十余名の密航鮮人/西唐津で発見』 福岡日日 1929/4/10 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】 
『鮮人二十六名内地密航/西戸崎を徘徊(粕屋郡志賀島村)』 門司新報 1929/5/14 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航 
『姪浜海岸に密航鮮人/十八名上る』 福岡日日 1929/6/29 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 
『密航鮮人廿五名山林に潜伏中を取押へらる(遠賀郡島郷村)』 福岡日日 1929/8/4 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 
"『密航鮮人十四五名捕はる/姪浜海岸で』 九州日報 1929/8/12 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『鮮人十三名密航して捕はる』 福岡日日 1929/8/12 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】" 
"『密航鮮人十数名取押へらる(門司市)』 福岡日日 1929/12/25 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航上陸の十三鮮人/それゞゝに斡旋(門司)』 門司新報 1929/12/26 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航鮮人十九名西戸崎に上陸し寒さにふるふ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1929/12/27 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】" 

禿知事の父親が出馬した1930年

『寒風にふるえて鮮人の密航団/叉もブローカーに騙される/発動船で玄海横断(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/1/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『内地渡航を望む鮮人を食物にする不正船員/叉も密航団十二名下関に現る/怪発動船の行方を厳重捜索』 福岡日日 1930/1/8 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 
『西戸崎に密航鮮人/子供を混つて十数名』 九州日報 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航鮮人団十三名を発見(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航鮮人八十八名を逮捕/遠賀郡岡垣村に上陸/炭坑方面に潜入(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1930/3/5 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航 
】 
『又も鮮人密航/けさ、西公園へ三名』 九州日報 1930/3/19 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『多数の密航鮮人/西公園付近から上陸し三十名は検挙さる』 福岡日日 1930/3/19 夕 〔1/4〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も西戸崎鮮人密航(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『姪浜にも密航鮮人(早良郡姪浜町)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 
『雑魚寝の密航鮮人/六名門司老松公園に』 九州日報 1930/5/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

翌1931年

『丗名の密航者又朝鮮から/花見酒宴中の騒ぎ(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/3/31 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】 
『密航の朝鮮女に鮮人土工連が暴行/説得する親方等を負傷さす/女房にすると頑張て』 福岡日日 1931/4/10 〔1/3〕 ・佐賀 【社会】 
『丗六名の密航鮮人糸島の北崎海岸に上陸/前原署で取調の上送還(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/5/17 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航 
『西戸崎に密航鮮人(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1931/6/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航朝鮮人領事館へ自首(在神戸)』 大阪朝日 1931/7/4 神版 〔9/7〕 神戸・兵庫 【密入国】

『密航鮮人二十三名発見さる(早良郡藤島村)』 福岡日日 1931/7/7 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『廿八名の鮮人若松に密航(若松市)』 福岡日日 1931/8/17 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『夫恋ひしさに鮮人密航(糸島郡北崎村)』 九州日報 1931/8/18 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】

『鮮人の密航』 福岡日日 1931/8/20 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】" 
"『三日不飲不食の密航二人鮮人(門司)』 門司新報 1931/11/22 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『朝鮮人二十三名密航/糸島へ上陸(糸島郡芥屋村)』 九州日報 1931/12/4 〔1/7〕 糸島郡・福岡 【渡航】"

『五十余名の密航鮮人/北崎と志賀島に』 福岡日日 1932/3/29 夕 〔1/2〕 糸島郡、福岡・福岡 【渡航】

『朝鮮から十四名発動船で密航/小倉海岸に上陸す(門司)』 門司新報 1932/3/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人二十五名小戸海岸に上陸/九名は行方不明』 福岡日日 1932/4/3 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も廿二名の鮮人密航団(門司市)』 福岡日日 1932/4/8 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『鮮人密航者十五名/門司駅で捕はる(門司)』 門司新報 1932/4/9 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】" 
『又も戸畑に鮮人の密航/内三名を門司水上署で逮捕(門司)』 門司新報 1932/4/26 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『最近非常に多い鮮人の内地密航/発見護送された者の外潜入した者もかなり多数(門司市)』 福岡日日 1932/5/13 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『発動船で密航の鮮人十九名/門司市大久保に上陸(門司)』 門司新報 1932/5/13 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『取締上厄介千万な朝鮮人の内地密航/内鮮協力して研究/池田総督府警務局長語る』 福岡日日 1932/5/14 〔1/4〕 下関・山口 【渡航】

『密航鮮人四十名/豊浦郡へ上陸』 門司新報 1932/5/15 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 
『四十名の密航鮮人』 福岡日日 1932/5/16 〔1/3〕 ・山口 【渡航】
『またも密航鮮人/不逞の徒の潜入を警戒し福岡県警察部大緊張(糸島郡福吉村)』 福岡日日 1932/5/25 〔1/3〕 ・福岡 【渡航】

『八十五名の密航鮮人/門司水陸両署大活動開始(門司)』 門司新報 1932/5/25 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】" 
『又も密航鮮人十一名神ノ湊海岸に上陸 東郷署に連行取調べ 首謀者二名も逮捕(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1932/6/4 夕 〔1/2〕 宗像・福岡 【渡航】

『五人連の鮮人/丗余名の密航一味と判る(門司市)』 福岡日日 1932/6/5 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】"

禿知事の親は、彼が言っている事が事実なら、密入国ブローカーやその一味であると見られて当然だという指摘が地元名士の面々から出ています。 
いずれも明治時代から富国強兵、殖産興業で貢献してきた組織や家の子孫からです。

『又々九名の密航鮮人(糸島郡野北村)』 福岡日日 1932/6/14 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】 
『鮮人密航団又も姿を現はす/昨日門司日野海岸に(門司)』 九州日報 1932/8/30 〔1/4〕 北九州・福岡 【渡航】

『鮮人の密航者/時節柄門水署大活動(門司)』 門司新報 1932/8/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 
『下関方面に続々鮮人密航す/陸軍大演習を前に/愈よ警戒を固む』 福岡日日 1932/11/1 〔1/3〕 下関・山口 【警備】

『大演習を機に鮮人不穏計画/発動機船で密航下関署に挙らる』 九州日報 1932/11/5 〔1/7〕 下関・山口 【警備】

『密航鮮人取押表彰(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1932/11/13 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】

516 :可愛い奥様@\(^o^)/:2014/08/23(土) 01:15:28.17 ID:z6rNIth00.net 
『労働者の/内地密航/を企て一味検挙さる』 大阪朝日 1933/1/20 南鮮 〔〕 馬山・朝鮮 【渡航】 
『証明書を偽造/鮮人の密航』 門司新報 1933/2/3 〔1/5〕 下関・福岡 【渡航】 
『大規模な内地密航/釜山で捕はる』 大阪毎日 1933/2/5 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『密航鮮人三名発見送還さる/他の一味を捜査中』 福岡日日 1933/2/10 夕 〔1/2〕 下関・福岡 【渡航】 
『密航鮮人の方割れ捕はる/門司水上署員に(門司)』 門司新報 1933/2/10 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 
『十六名の密航鮮人/五名発見送還される(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/2/21 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】 
『神ノ湊に密航鮮人/十九名上陸(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1933/3/16 〔1/3〕 宗像郡・福岡 【渡航】 
『夜雨を衝いて密航鮮人/大捕物の幕』 福岡日日 1933/3/28 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 
『密航鮮人三十名/又も糸島へ上陸(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/3/29 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】 
『密航鮮人送還(糸島郡前原町)』 九州日報 1933/3/30 〔1/7〕 前原・福岡 【犯罪】 
『密航者満載の/怪船捕はる/僅か十五トンの小舟に/密航者六十六名潜伏(福岡へ)』 大阪朝日 1933/4/5 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『密航を企て難破す』 大阪毎日 1933/4/9 朝鮮 〔5/5〕 浦項・朝鮮 【渡航】 
『警戒網を潜る密航鮮人/門司水上署手配(門司市)』 福岡日日 1933/4/10 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 
『密航鮮人逮捕』 福岡日日 1933/4/12 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

517 :可愛い奥様@\(^o^)/:2014/08/23(土) 01:16:41.25 ID:z6rNIth00.net 
『密航鮮人(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1933/4/22 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】 
『八名の密航/釜山で逮捕』 大阪毎日 1933/4/30 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『密航鮮人十二名』 福岡日日 1933/4/30 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 
『密航鮮人/十一名中一名逮捕』 福岡日日 1933/5/10 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 
『廿三名の密航鮮人逮捕』 福岡日日 1933/5/13 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 
『またも密航鮮人/けさ西戸崎にて十五名取押へらる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/5/24 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 
『又復密航鮮人』 福岡日日 1933/5/31 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 
『またも密航鮮人(若松市)』 福岡日日 1933/6/7 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 
『四十余名の大密航/釜山で検挙』 大阪毎日 1933/6/10 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『密航鮮人四名/吉隈坑で逮捕』 大阪毎日 1933/6/11 西部 〔6/6〕 嘉穂郡桂川町・ 【渡航】 
『鮮人十七名またも密航』 福岡日日 1933/7/11 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 
『鮮人の密航』 門司新報 1933/7/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 
『六百円を盗んで靴の下にかくして密航』 福岡日日 1933/7/16 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 
『密航ブローカー二名検挙さる』 大阪毎日 1933/8/27 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 
『赤の密航、新潟港で監視』 社会運動通信 1933/9/16 〔2/5〕 新潟・新潟 【治安】 
『十数名の鮮人密航』 福岡日日 1933/10/4 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

都知事は、親が1930年に若松市議会選挙に出馬した時、
「朝鮮人の人権擁護をやった」と公式に言っていますね。 
となると、上記、まだまだ記事は続くのですが これだけの福岡、山口などへの密入国朝鮮人集団の問題が地域住民の安全や治安に重大な影響と恐怖を与えていた時期に どうなのでしょうかね?

そもそも都知事の発言自体にも疑惑が浮上したと思いませんか? 
1930年という年に、朝鮮人の人権擁護なんていう活動そのものが、信憑性すら疑わしいということです。 
何故ならば、1923年から始まり、年々、朝鮮からの密入国集団殺到で、若松や周辺行政区、福岡全体が住民の恐怖と不安に包まれ、警察なども必死に検挙していた時代だからです。

もし本当に朝鮮人の人権擁護活動をしていたなら、天皇陛下暗殺目的の共産主義者であるなら理屈に合うと 
政治活動としてやっていたならばですね

『朝鮮を本拠に密航の周旋/不正の戸籍謄本を所持した男の口から暴露す』 神戸新聞 1931/6/22 〔7/5〕 神戸・兵庫 【社会】 
『全鮮に網を張る密航の大周旋団/内地居住朝鮮人の謄本を盗用/本拠を仁川に置く』 大阪朝日 1931/6/22 神版 〔9/6〕 神戸・兵庫 【密入国】 
『他人の戸籍謄本を用ゐて密航/鮮人渡来の裏面に怪しい事情の者が多い』 福岡日日 1935/8/24 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

http://www.news-us.jp/article/404681661.html

鬼女は怒らせると怖い。以上から比べれば数々のスキャンダルなどすっ飛んで仕舞うかも

◆【唖然! 舛添(ますぞえ)都知事の暴言録】 (女性自身より)

こんな奴を、東京都民は都知事にした! 
《 創価学会・女性部よ、恥を知れ!》

「基本的に女性は男性よりも劣っているから、女性の政治家にはろくなのがいない」

「歴史的な例外であって、だから女ごときが出てこれる。 だけど、オバタリアンは全部 “あがった” 人ばかりなんでしょう」 (マドンナ・ブームと呼ばれる女性議員の当選について)

「女は生理の時はノーマルじゃない。 異常です。 そんな時に国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されたらたまらない」

「やっぱり、成蹊(せいけい)大学だとか学習院大学なんかの出身が国のトップを担うのは無理があるっていうことだ」 (安倍政権が退陣したとき、第1次安倍首相と麻生元総理の学歴を引き合いに出して)

「厚生労働省の役人なんて、本当にバカばっかりだ。 そもそも、郵政省、厚生省なんて人間が行くところじゃない。 俺たちが白人だとすれば、あいつらは黒人だ。 スレイブ(奴隷)だ!」  (厚生労働大臣の時の発言)

「老人福祉の手当ては撤廃」

「子供や孫が『なんだ、じいちゃん、ばあちゃん。あんたが長生きするから私の保険料が増えるじゃない』と、反乱が起こる」

「生活保護受給者は基本的に怠け者たち。 母子加算の廃止も妥当」

実の姉が生活保護を受給して当然と言い放った 舛添要一。
(※ 元妻の片山さつき(自民党)は、お笑い芸人の母親の生活保護問題を国会で大げさに取り上げ、正義面をした!)
選挙で「介護」を前面に出した実母も死ぬ前は生活保護の受給者であり、実母が死んだことすら知らなかった冷血漢が 舛添要一 東京都知事。
片山さつきと結婚している最中に浮気して産ませた子供が障害児。この子の養育費の支払いを当初拒否しただけでなく、今では減額訴訟までしているのは、厚生大臣を看板にした『福祉政策のスペシャリスト』 舛添要一 東京都知事。

厚生労働大臣の時の最大の実績は、副作用が強く海外では使用禁止が増えていた「子宮頸がんワクチン」を積極的に日本に導入し、たくさんのおいしい思いをしただけでなく、女性たちを大いに苦しめたことであろう。
このワクチンは、子供を作りづらくする副作用が広く出ると言われている。
なおかつ海外とは異なり、日本では、子宮頸がんになった女性の内ワクチンが効くウイルスの罹患率は、わずか数%しかない。

こいつが、田母神としお の福祉政策をパクッてもっともらしく語ったら、東京都民が「彼しかいない!」などと票を入れたのである。
強力にバックアップしたのは、マスコミや芸能界を黙らせるまでに力をつけた『創価学会』と、偏向報道を繰り返したテレビ朝日&朝日新聞である事実を東京都民は知っていなくてはいけない!

山本太郎の時といい、こんな輩(やから)を圧勝させるなどとは、東京都民はどこまでバカでお人よしなのであろうか???

・外国人参政権推進 

・「新党改革」の記者会見で国旗に対して「邪魔だから」と発言、 取り除かせた 

・朝まで生テレビで自分は在日朝鮮人の家の子だとカミングアウトした 

もし本当なら、江戸時代から続く庄屋の家系だけに、背乗りの疑いが出てくる。彼の著書には母親を「オモニ」と呼んでいたとある。ならば母親は小池家の娘というのは疑わしくなる。一体何が本当なんだ?

・彼は反小沢ではなくて親小沢。自由党時代ブレーンのひとりだった 

・安倍首相の決断による衛藤晟一氏(参議院比例区 真正保守・反日教組の急先鋒)の自民党復党について感想を求められて「百害あって一利なし」と発言

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/98186/88217/78620765

・「たとえ何を言われようとも、日本人は耐えるべきであり、耐えることこそ日本の美徳である」と言うのに自分への批判には直ぐ脊髄反射で言い訳をぐだぐだ言い始め、あげくにメディアに圧力をかける。

・「ジジイ・ババアは、金持ってんですよ!消費税上げたらあの年寄りからも取れるんだよ!」
http://www.youtube.com/watch?v=VPxGLFEdY5A

・「都民の9割以上は韓国が好きだ」と発言

◆舛添要一都知事を望まない女たちの会
舛添要一とんでも発言集

http://masuzoe.wordpress.com/2014/02/04/words/

◆舛添都知事が今年4月に中国に行った際、唐家から印鑑を授けられた

中国が発行する人民中国8月号に載ってました。中国では、臣下に対して印章を授けることによって官職の証とした制度がありました。いわゆる印綬です。漢委奴国の金印が有名です。

こういった歴史的背景があるにもかかわらず、天皇陛下が訪中した際、江沢民は、お土産に陛下に印章を渡そうとしました。しかし、お付のものが気づいて事なきを得ています。

http://www.nikaidou.com/archives/48114

◆政党助成金で借金返済 舛添氏の「新党改革」 政党支部→資金団体と迂回

 新党改革の政治資金収支報告書(2010~12年分)によると、2010年に銀行から2億5000万円を借り入れ、10年に1億5000万円、11年に5200万円、12年に4800万円をそれぞれ返済し、完済しています。

 同党の毎年の収入は平均1億5000万円ほど。この8割にあたる約1億2000万円が国民の税金である政党助成金です。

 政党助成法では、政党助成金を借金の返済に使うことを禁じています。

立法事務費も

 同党に、国会議員の数に応じて各会派に支給される「立法事務費」が毎年1560万円支給されています。立法事務費は「国会議員の立法に関する調査研究の推進に資するため必要な経費」としており、借金返済に充てることは目的外使用です。

 政党助成金や立法事務費を除く同党の収入は、11年が2570万円ほど、12年が1500万円ほどにすぎません。3年間で2億5000万円の借金を返済するのは不可能です。

個人献金還流

 また、舛添氏は1015万円(10~12年)、荒井氏は940万円(同)の個人献金を同党に行っていますが、両氏は同党から「組織対策費」として、12年にそれぞれ800万円を個人で受け取っています。党収入の8割が政党助成金であり、両氏の個人献金もほとんどが政党助成金を還流させたものといえます。

新党改革平成22年度
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/111130/0000500049.pdf 

政治資金管理団体  荒井ひろゆき後援会
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/121130/1110100031.pdf

グローバルネットワーク研究会
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/121130/1147400022.pdf

一旦党の政党交付金を資金管理団体に移し替えて、 政党交付金をためこんで、また、新党改革に移し替えて借金返済 

http://www.nikaidou.com/archives/43456

舛添要一の正体

http://www.nikaidou.com/archives/43078#more-43078

http://www.nikaidou.com/archives/43053

 ◆「俺はその政党に投票してないから責任は無い。」と言っても良いけど意味が無い。

よくネット上で「桝添を都知事に選んだ東京都民は責任取れ」という声に反論して、「俺は桝添には投票していない。都民を一括りに言うのは許せない。」と反論するのを見かける。

正論

「俺はその政党に投票してないから責任は無い。」と言っても良いけど意味が無い。全員が投票結果に縛られるし、結果的に責任が返ってくる。望むと望まないとに関わらず。恐ろしいと思わない?だから政治に関心を持ち話し投票に行こう。
民主主義の国では、投票結果に国民全員が責任を持つんだよね。なので前回も含め一回も民主党に投票した事ないのが誇りのオイラも民主党政権の政策の結果に責任を持つというか、持たされるんだよ。それは自民党時代でも同じ事。
現政権の政策を批判しても良いし、デモしても良いし、合法ならば何をしても良い。自分で立候補するのも良いだろう。でも自分は〇〇党に投票してないから関係ない」という論理は通らない。じゃーどうするかって?政治に関心を持つ、周りとも話す、投票に行く。結果の責任は国民に戻ってくる。これが民主主義なんだよ。自分が自分の国に責任を持つ。
「誰かを非難して責任を押し付ける」これは民主主義ではないのよ。自分が日本の行く末を決める、これが民主主義。面倒くさいけど、他の政治体制よりもマシと言われている。

http://shinjihi.tumblr.com/post/39235348017

「俺はその法案には反対だから、そんな法律は守らない。」と言っても、決まってしまえば違反すればその法律で罰せられる。それと同じ事。反対なら反対する議員を増やして廃案に追い込むしか道はない。結局選挙で自分の声を反映する議員に投票することが重要になる。投票に行くしか道は無いんじゃないか。都民が選挙に行かず結果的に桝添が当選した。そう言うことだろう?


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