浮世風呂

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暴かれた河野洋平の大罪

2014-06-22 20:58:53 | 資料

暴かれた河野洋平の大罪…南鮮大統領の検閲発覚

2014/06/21 ブログ「東アジア黙示録」

合作を示唆するレベルではなかった。遂に発表された河野談話の検証報告書には南鮮大統領が文面をチェックし、最終的にゴーサインを出していた経緯までも明記。国賊の大嘘が暴かれた。

「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」

河野談話はラスト近くでいきなり、そう訴える。一貫して歴史事実に反する主観で構成された談話ではあるが、余りにも唐突な主張だ。これを受け、さらに河野談話は、ある決意を固める。

「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」

河野洋平が「確証」を得たのは、自称慰安婦の証言だったという。証言内容を聞いた僅か4日後に「教科書に書き込め」と強制することは異様で、これまでも談話の不可解な部分として疑問視されてきた。

▼河野談話発表の会見H5年8月4日(FNN)

なぜ、河野洋平が捏造慰安婦の教科書記述にこだわったのか…6月20日に公表された政府検証チームの報告書で真相が明らかになった。実は、南鮮側が談話発表前に示した4条件に沿ったものだったのだ。

「第一に強制性の認定、第二に全体像解明のための最大の努力、第三に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明、第四に歴史の教訓にするとの意思表明である」(報告書3-9)

談話発表の約1ヵ月前にあたる1993年6月末、ソウルで開かれた日南外相会議で、当時の外務部長・韓昇洲(ハン・スンジュ)は、そう述べた。南鮮側は、この4条件が円満解決に不可欠と脅したのである。

▼4条件提示した韓昇洲(世界新聞網)

さらに河野洋平は、「歴史の教訓にする意思表明」に加え、教科書記述のススメを談話に盛り込んだ。その結果、翌年からほぼ全ての歴史教科書に捏造慰安婦の嘘物語が登場することになる…

河野洋平が犯した罪は、これまで想像していた以上の大きさと深さだった。談話発表の「決め手」になったと明言した自称慰安婦の聞き取り調査も、完全なヤラセであったことが暴かれた。

【原案は発表6日前に完成】

「聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた」(報告書4-7)

政府検証チームは、そう結論付けた。この一文だけでも、ヒヤリングが「決め手」になったとする河野洋平の嘘を簡単に覆す。談話の原案が完成した後、儀式的に行われたに過ぎなかったのだ。
▼会見する検証チーム座長ら6月20日(時事)

「日本側の誠意を示すためにも、全ての慰安婦とは言わないまでも、その一部より話を聞くべき」「日本政府が最善を尽くしたことが韓国人に伝わることが重要である」(報告書4-1)

南鮮側は繰り返し、そう日本側に要請していたことが判った。検証報告書は「1992年7月~12月にかけて累次」と明記している。聞き取り調査は、主に朝鮮人向けのパフォーマンスだったのだ。
▼聞き取り調査の舞台(朝鮮日報)

そして翌93年7月26日から30日の4日間、ソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」で聞き取り調査が実施された。今や常識だが、この遺族会は、朝日新聞の植村隆の義母が代表を務める団体である。

「韓国側は『反日運動をやっていた人や、バイアスのかかった人は排除して、真実を語る人を選ぶ』ということだった。その前提で韓国を信頼する形で聞き取り調査を行った」(石原証言2月)

談話作成の事務方トップだった石原信雄元官房副長官は今年2月、そう証言した。しかし、実際に接触できたのは、当時の反日運動の急先鋒だった植村ママの配下の自称女だったのである。
▼反日デモ率いる植村ママ(JNN)

「韓国政府側からは、聞き取り調査の各日の冒頭部分のみ、韓国外務部の部員が状況視察に訪れた」(報告書4-6)

南鮮当局は、表向き聞き取り調査には無関係だったという立場を取るが、今回の検証報告書で、連日チェックをしていた事実が明らかになった。実質的な日南共同調査。しかもヤラセだ。

「談話の原案は、聞き取り調査(1993年7月26日~30日) の終了前の遅くとも1993年7月29日までに、それまでに日本政府が行った関連文書の調査結果等を踏まえて既に起案されていた」(報告書5-3)
▼公表された河野談話検証報告書(JNN)

報告書は繰り返し、調査前に原案が完成していた事実を指摘する。そして、日本政府スタッフが帰国した直後から、南鮮側の談話文言添削が行われる。談話合作の最もスリリングな4日間の始まりだ。

【東京-ソウルの“往復書簡”】

「談話の文言の調整は、談話発表の前日となる8月3日までの間、外務省と在日本韓国大使館、在韓国日本大使館と韓国外務部との間で集中的に実施され、遅くとも7月31日には韓国側から最初のコメントがあったことが確認された」(報告書5-3)

検証報告書は、ハッキリとそう記す。産経新聞の元日スクープでは、同年8月2日に「韓国閣僚」に案文が伝えられた事実を暴き出したが、それだけではなかったのだ。

我が国の外務当局は、駐日大使・孔魯明(コン・ノミョン)や外務部長・韓昇洲と詰めの調整を続けていた…それらの作業は、共同コミニュケの作成と同じである。
▼知日派とされる孔魯明(file)

「韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れらられないものは拒否する姿勢で、談話の文言について韓国政府側と調整した」(報告書5-3)

この集中的な合作協議で、南鮮側が添削した部分は、「軍の要請」への修正合意や「反省の気持ち」追加など産経スクープの通りだった。更に報告書は「強制性」を巡って激しい応酬があったと指摘する。

「慰安婦募集に際しての『強制性』について、どのような表現・文言で織り込むかが韓国側とのやりとりの核心であった」(報告書5-3)
▼会見する検証チーム座長ら(時事)

不可解である。日本側が土壇場で踏ん張ったのは、政府調査団が聞き取り調査で「強制性」に強い疑問を抱いた為かも知れない。それは、自称女の証言が決め手になったという河野洋平の説明とは全く逆だ。

「8月2日夜までやりとりが続けられ(略)全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとの趣旨で『甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して』という文言で最終的に調整された」(報告書5-3)

ここにある「総じて」という表現が今に続く大きな問題となった。自発的な慰安婦も多かったという史実を捩じ曲げ、全員を“性奴隷”に変えてしまったのだ。そこで暗躍したのが河野洋平である。
▼河野洋平と仲良しの2人

 

「引用した“総じて”のくだりは、事務官僚ではなく官房長官自身の判断で付け加えられたことがわかる」(秦郁彦著『戦場の性』250頁)

河野談話は内閣外政審議室がまとめた「調査リポート」の圧縮版とも言えるが、「総じて」という表現は、リポートに登場しない。この誤差に違和感を持った秦郁彦氏は、やはり慧眼だ。

そして、河野洋平が「総じて」を捩じ込んだ翌8月3日、添削済みの談話修正案を受け取った意外な人物が明かされた。事前に、南鮮大統領がチェックしていたのだ。衝撃の事実である。

【南鮮大統領の“フラゲ”判明】

「この交渉過程で、日本側は宮澤総理、韓国側は金泳三大統領まで案文を上げて最終了解を取った」(報告書5-3)

今回の検証報告書が掘り起こした“決定打”が、ここにある。事前報道からは「日韓の間で一定のやり取り」といった抽象表現に留まる可能性もあったが、蓋を開けると予想を凌ぐ大暴露劇となった。
▼検証報告受ける衆院予算委理事ら6月20日(日経)

外交当局者が事務レベルで擦り合わせをしただけではなかったのだ。河野談話は日本国民に発表される前、こっそり南鮮大統領に全容が通知され、ゴーサインを受けていた…

「最終的に8月3日夜、在日本韓国大使館から外務省に対し、本国の訓令に基づくとし、金泳三大統領は日本側の現(最終)案を評価しており、韓国政府としては同案文で結構である旨連絡があり、河野談話の文言について最終的に意見の一致をみた」(報告書5-3)
▼事前検閲していた金泳三元大統領(聯合)

河野洋平は平成9年の朝日新聞紙上で「談話の発表は、事前に韓国外務省に通告したかもしれない」と語っていたが、真っ赤な嘘だった。通告したのではなく、発表の最終許可を大統領から頂戴したのである。

これまで南鮮政府が、事前調整について口を濁してきた原因が、この金泳三大領領ゴーサインの事実だ。パク政権は、事務方の調整どころか、当時の大統領までがダイレクトに絡んでいたことを知っていた。
▼南鮮外交部の腰砕け抗議6月20日(FNN)

そして報告書は、両国の綿密な調整が表に出ないようメディア工作でも一致していた事実を暴き出す。またしても完全なヤラセだ。南鮮側のセリフまで事前に決まっていたのである。

「発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取った」(報告書5-4)

河野洋平と朝日新聞のコラボ嘘は、こうしたフェイク・ストーリーに沿ったものであることが判る。問題は合作の裏経緯だけではない。談話発表後も河野洋平が日本国民を欺き続けたことだ。
▼河野洋平が媚びる相手は…

「今回の検証チームの報告が出たことで、新たに付け加えることもなければ、差し引くこともない」

検証結果を受け、河野洋平は6月21日夜、短いコメントを発表した。そこでこの国賊は「日韓関係の厳しい環境が続く中」両国指導者の大局的判断が必要だと逆説教する。

河野談話によって関係が悪化し、捏造慰安婦の嘘が世界に拡散しているという当事者意識がまったく無い。安倍首相の「見直しせず」発言に胡坐をかいているのか…
▼中共新年会に現れた河野2月(NNN)

釈明の機会といった甘いものではなく、21年間も国民を騙してきたことに対し、公式謝罪する場が必要だ。このまま逃げ隠れすることは絶対に許されない。

http://dogma.at.webry.info/201406/article_6.html

◆韓国、河野談話すり合わせ認める 日本政府高官から要請

2014.06.17 zakzak

 慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野洋平官房長官談話」について、作成当時、韓国政府の当事者だった人物が、日韓間ですり合わせがあったことを認めた。河野氏はこれを否定してきたが、日本と日本人の名誉を傷付ける談話を発表しておきながら、国民をウソで欺こうとした可能性が高まってきた。

 証言したのは、当時、駐日韓国大使館で歴史問題を担当していた趙世暎(チョ・セヨン)元韓国外務省東北アジア局長(現・東西大特任教授)。17日までに、ソウル市内で産経新聞のインタビューに答えた。

 趙氏によると、韓国政府は当時、日本側が出す慰安婦問題に関する談話について「核心は強制性であり、強制性(の認定)は必要」としながらも、中身は「日本側が自らの判断で発表すべきだ」との立場だった。

 ところが、趙氏が立ち会った場で日本政府高官から「日本側で決めてほしいという気持ちは分かる。後ですり合わせをしていたことが明らかになれば、世論から批判される恐れがあると心配するのも分かるが、内々に相談に乗ってほしい」と要請があったという。

 また、談話発表直前には、日本側から「こういう表現だがどうだろうか」と案文の提示があったことも明かした。

 河野氏は97年3月31日付の朝日新聞インタビューで「(河野談話は)韓国とすり合わせるような性格のものではありません」と語っているが、趙氏の証言は、これを完全に否定するものだ。

 国会の証人喚問で、河野氏に説明責任を果たさせるべきではないか。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140617/frn1406171207006-n1.htm

◆首相官邸HP6月20日『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~』(PDF)

http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/06/20/20140620houkokusho_2.pdf

◆日韓の綿密なすり合わせ明記 検討チーム報告書

2014.6.20  産経ニュース

 政府は20日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の作成過程について、有識者による検討チームの報告書を公表した。報告書では、当時の日韓両政府が談話の文言を原案段階から入念にすり合わせていた経緯を明らかにしており、談話が事実上、日韓の合作であったことが証明された。

 衆院予算委員会からの検証要請を受け、加藤勝信官房副長官が同日の予算委理事会に報告書を提出した。菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は記者会見で、韓国側へ報告書の概要を伝えたことを明らかにした上で、「談話を見直さないという政府の立場に何ら変わりはない」と述べた。

 報告書によると、談話作成に関し、5年7月の日韓外相会談で、武藤嘉文外相(当時)が「文言は内々に事前に相談したい」と申し入れたことを受け、事務レベルで文言調整が始まった。慰安所設置や慰安婦募集の際の軍の関与について、韓国側が「軍の指示」と表現するよう要求し、最終的に「軍の要請を受けた業者があたった」と修文するなど、文言のすり合わせが詳細に行われた。

 談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査をめぐっては、韓国政府が反日団体である「太平洋戦争犠牲者遺族会」と「挺身(ていしん)隊問題対策協議会」に協力を打診していたと指摘。談話の原案は聞き取り調査が終了する前に作成済みで、裏付け調査も行っておらず、談話の直接的な根拠ではなかったことも明らかにした。

 政府は、談話の発表直前、日韓両政府のすり合わせについて「マスコミに一切出すべきではない」と提案し、韓国側も了承した。

 報告書には、河野氏が談話発表の記者会見で「強制連行の事実があったという認識なのか」と質問され、「そういう事実があった」と発言したことも明記。「一連の調査で強制連行は確認できない」としていた政府の認識と矛盾する発言だったことを強調した。

 元慰安婦に「償い金」を支給したアジア女性基金に関し、事業終了までに韓国の元慰安婦61人に1人あたり「償い金」200万円を支給したことも明示した。

■河野談話 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。閣議決定はしていない。慰安婦募集に関し、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062016230011-n1.htm

◆後輩官僚にさえ嘘、河野談話にこそ潜む「上から目線」

2014.6.19  産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野洋平官房長官談話の問題点は枚挙にいとまがない。中でも談話が国民不在の密室でつくられ、発表後は慰安婦問題で対外折衝をしなければならない政府内の担当者らにすら作成経緯や実態が秘匿されてきたことは、弊害が大きい。

 本来は引き継がれるべき情報を、河野談話作成に直接関わった少数の関係者が囲い込み、密封してきたのだ。その結果、後進は談話の事実関係や発表に至る事情も分からないまま、談話に縛られてきた。

 ある外務省幹部との会話で以前、こんなことがあった。産経新聞がこれまで取材してきた河野談話をめぐる日韓両国政府のすり合わせの実情が話題になると、こう求められたのだ。

 「一度きちんと中身を教えてほしい。われわれも(関係文書を)見せてもらえないんです」

 河野談話発表から2年後の7年8月に内閣外政審議室長となった平林博氏も今年3月、同僚記者の取材に対し、驚くべきことを語った。談話のほとんど唯一の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査結果について、こう明かしたのである。

 「慰安婦の証言は、実は見ていない。あれは『秘』だというのです。『マル秘』なんだと」

 河野談話の原案は、前任の内閣外政審議室長である谷野作太郎氏が「言葉遣いも含めて中心になって作成した」(元同室関係者)とされる。にもかかわらず、後任の平林氏は見る機会がなかったというのだ。

 内閣外政審議室は、平林氏のさらに後任の登誠一郎室長時代の10年3月には、わざわざ谷野氏らOBを呼んで懇談し、慰安婦問題に関する政府調査や河野談話の作成過程などについていろいろ問いただしている。

 これも、文書その他できちんと引き継ぎがなされていれば、必要がなかったはずである。この場で谷野氏が、河野談話をめぐる日韓のすり合わせについて「根も葉もない噂」と事実と異なる話をしたことは17日付本紙で書いたとおりだ。

 慰安婦問題で韓国の団体などが仕掛ける宣伝戦に対し、外務省の反論は及び腰で弱々しく見えるが、そもそも反撃するための具体的材料を与えられていないという部分もある。

 このように国民にも後の担当者らにも事実関係を伝えず、もちろん学識経験者の検証も受けないまま、河野談話は左派・リベラル勢力に神格化されてきた。そして河野氏自身は談話を自賛し続けて今日に至る。

 「(安倍晋三首相は)議員に上から目線で接していることが少なくない。議員の背後にいる国民に著しく礼を失している」

 「批判に耳を傾ける謙虚さも自分を抑制する姿勢も見られない」

 河野氏は月刊誌「世界」5月号のインタビューで、こう安倍首相を厳しく批判していた。だが、国民は事実を知る必要はないとばかりに「上から目線」で河野談話をつくり、世界に「性奴隷の国」とのイメージを広めたことへの批判にも、一切耳を傾けようとしてこなかったのは誰だろうか。

 河野氏に国民に対する「心からのお詫(わ)びと反省の気持ち」(河野談話)を求めても、もはや無駄だろう。せめてもう少し自分を抑制し、これ以上、日本の足を引っ張らないでいてほしい。(政治部編集委員)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140619/plc14061913570014-n1.htm

◆新事実が明らかに…「河野談話」検証結果報告

テレビ朝日系(ANN) 6月20日(金)18時4分配信

 「河野談話」に関する新事実が明らかになりました。

 従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野談話の作成過程を検証する有識者チームが、国会に報告書を提出しました。談話の作成にあたって、韓国側は日本政府に対し、慰安所の設置や慰安婦の募集を軍が「指示した」と表現するよう求めましたが、日本側が拒否したことが明らかになりました。また、アジア女性基金から、これまで61人の元慰安婦が1人あたり500万円を受け取っていたことも明らかにされました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20140620-00000034-ann-pol
 
◆河野洋平氏講演にテキサス親父「敵を間違えてはならない…」 慰安婦めぐり隣の会場で火花

2014.6.21 産経ニュース

 平成5年に慰安婦に関する官房長官談話を出した河野洋平元官房長官が21日、山口市の山口市民会館で講演し、「日韓関係を良好にするために談話を出した。日本は反省しなければならないと感じた」などと釈明した。隣の会場では、インターネットを通じて保守的で辛らつな批評活動を続けるテキサス親父ことトニー・マラーノ氏が「韓国人は日本人が苦しむのが好きなのさ。俺たちは敵を間違えてはいけない」と、慰安婦問題をめぐり日本批判を続ける韓国を批判した。直接バトルこそなかったが、両会場の参加者までも火花を散らすにらみ合いが続き、朝日新聞の報道に端を発した慰安婦問題の根深さをうかがわせた。

 ■表現の自由脅かす

 「慰安婦人形を持って世界中で記念写真をとろう。こうなったら徹底的に茶化してやろうぜ」

 テキサス親父ことトニー・マラーノ氏は、壁一枚隔てた隣の会場で河野洋平元官房長官が講演していることを知り、さっそく慰安婦問題に踏み込んだ。

 「俺がワシントンの国立公文書館から手に入れた米軍の報告書には『慰安婦は高級売春婦で醜いモノ』と書かれているんだ。俺が言ったんじゃない。軍がそう言っているんだぜ!だから俺は米グランデール市の慰安婦像に紙袋をかぶせてやったのさ。日本兵もきちんと扱われていなかったんだな。ハッハッハッ…」

 冒頭からバッサリと切り捨てたマラーノ氏は、講演が進むにつれてますますヒートアップした。

 「韓国人は日本人が苦しむのが大好きなのさ。だったら楽しんでやろうじゃないか。みんなでミニチュアの慰安婦像を持って世界中で写真を撮ってやろう。徹底的に茶化すことが韓国にとっては何よりの屈辱なんだ。そうだ。慰安婦像と一緒に撮った記念写真のコンテストも開催しよう」

 韓国政府は、マラーノ氏が作成したユーチューブの映像を「有害指定動画」として放映を禁じた。これについてマラーノ氏は「韓国はどれだけ政権が不安定なんだ。まともな政権なら表現の自由を脅かしたりしないだろう?」と怒り心頭。これまでに韓国などから500通の「殺害予告」メールが送られたことも明かした上で「こうしたメールを送ってくるのは高校生が多かった。韓国では学校の教師がメールを送るよう指導しているようだ。一体どんな教育なんだろうな?」と語り、こう呼びかけた。

 「でも日本はこんな国と対峙しないといけない。河野談話を非難するだけではダメだよ。当時、河野さんは『韓国にだまされるのが正しい』と政治判断をしたのだろう。俺たちは敵を間違えてはいけない。指をさすのは河野さんではなく、韓国じゃないか。日本人が一致団結して敵に対してまとまっていると見せつけてやろうぜ」

 会場は約200人が詰めかけ、立ち見が出るほど。マラーノ氏が身振り手振りを交えながら一喝する度に大きな拍手が沸いた。

 この講演会は「歴史認識を糺す実行委員会」(加治満正代表)が主催した。河野氏の講演会が開催されることを知り、同委員会は、河野氏側に公開討論会を申し入れたが、回答はなかったという。

 会場横では、慰安婦に関するパネル展も開かれた。慰安婦が現在の貨幣価値に換算すると家を数軒買えるほどの高給を得ていたことや、軍による強制性を否定するパネルなどが並び、グレンデール市の慰安婦像のコピーも展示された。

 ■抗議の電話殺到

 河野洋平元官房長官が講演したのは、地域情報紙が、市民向け生涯学習活動として続けている「山口市民文化大学」の講座だった。

 同大は平成23年度より講演活動を続け、最近は弁護士の住田裕子氏や、古美術鑑定家の中島誠之助氏らが講演。ジャーナリストの櫻井よしこ氏や自民党の石破茂幹事長も政調会長時代に登壇している。

 ところが、河野氏の招へいを発表した直後から、同大事務局は抗議の電話が鳴りっぱなし。5月に入るとホームページを一時閉鎖する事態に陥った。

 会場となった山口市民会館(山口市中央)前では、河野談話撤回を要求する団体がデモ活動を行い、正面玄関前で警備員と一時揉み合いになった。事務局の男性は「まさかこんな騒ぎになるとは思いませんでした。詳しい取材は受けられませんので失礼します」と足早に立ち去った。

 河野氏の演題は「昨今の政治・外交について思うこと」。河野氏は前半、自らの政治人生を振り返り、山口県出身の政治家との関わりなどに触れた。

 講演には聴衆約800人が参加したが、事前に受講を申し込んだ人だけだったため、やじやトラブルは一切なし。静かに1時間が経過した頃、河野氏は神妙な面持ちでこう語り始めた。

 「幸いにして現政権は、不肖ですが、私の名前がついている河野談話を歴代内閣と同じく継承すると認められました。内閣が認めた以上、日本の正式な談話は、村山談話であり、河野談話です。それを国際社会にはっきり言わねばなりません」

 河野氏は語気を強めてこう続けた。

 「『昔はどこの国でも(慰安婦は)いたんだよ』と発言するのは卑怯です。スピード違反で捕まった人が、『ほかの人もやっているじゃないか』と自分の罪を認めず、開き直る態度に似ている」

 「私が日本をおとしめるわけがないじゃないですか。当時官房長官ですよ。日韓関係を将来にわたって尊敬し合える間柄にする。考えてもみてください。河野談話以降の日韓関係は非常に良好だったじゃないですか」

 その後、平成10年の小渕恵三首相(当時)と金大中大統領(同)との日韓パートナーシップや、日本での韓流ブーム、平成14年の日韓ワールドカップ共催-など日韓友好の歴史を手柄のようにあげ、最後にこう言い切った。

 「昨晩、検証報告書を全文読みました。足すべきことも引くべきこともありません。まったく正しい」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140621/plc14062121480030-n1.htm