浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

ブッシュ家③

2012-09-25 21:49:44 | 資料

ダレス兄弟とブッシュ一族

 

大戦中、ナチス・ドイツとアメリカを結ぶ資金ルートに深く関与していたダレス兄弟。左が弟のアレン・ダレス(CIA長官)で、右が兄のジョン・フォスター・ダレス(国務長官)。

 冷戦初期にダレス兄弟は、イランやグアテマラの反米民族主義政権を「親ソ派」と決めつけて転覆させ、軍事独裁政権を支援した。戦前にアメリカが「反共の砦」として、強いドイツ、ヒトラーのナチズムを支援したのと同じ発想で、戦後の《反共の闘士たち》はアメリカの意に沿う者であれば、独裁者であろうと元ナチスの戦犯であろうと構わずに援助の手を差しのべた。

ナチスをOSSにリクルートした人間は、アレン・ダレス長官である。ナチスのアメリカ亡命はCIAだけでなく、NASAやマンハッタン・プロジェクトまで多方面に渡った。例の悪魔的合理主義というやつだ。

原爆研究はドイツも日本も進めていた。またナチスの残党を救出したのは、バチカンとCIAの協同組織だったのである。CIAはこの他にも国家反逆罪の行為を繰り返した。共産主義大統領Fルーズベルトの指示を受けて原爆の設計図がオッペンハイマーからCIA、CIAからソ連に渡ったのである。

CFRのハリー・ホプキンズは、1100万ドルの武器貸与援助金、精製ウラン輸出、核爆弾の設計図などのロシアへの提供を進言した。また、戦後になって、ロシア人亡命者を貨車に積み込んでスターリンの粛清が待つロシアに強制送還したのは、アメリカ軍だった。

このような面妖な反逆行為は、両建て戦略による冷戦構造の捏造に過ぎない。ナチスの思想がアメリカの民主主義に溶け込む筈もないという常識が通用しないのが不思議な陰謀の世界なのである。

こうしたアメリカ外交の「伝統」は、ダレス兄弟からブッシュ一族に確実に引き継がれ、冷戦中期には「イラン・コントラ工作」というアメリカ政治史上最悪の醜聞の一つを生むことになった。ブッシュやケーシー傘下の米情報機関は、反ソ工作のためには麻薬マフィアや武器商人とも手を結び、不正・腐敗にも目をつぶった。

また「ベトナム戦争以来最大の秘密工作」と呼ばれたアフガン「聖戦」では、ソ連をアフガンの泥沼に引きずり込むことに成功した一方で、麻薬ビジネスを繁栄させ、巨大な無国籍犯罪銀行の膨張を助け、世界中のイスラム急進派に殺人と破壊の最高技術を身につけさせ、遂には反米テロリストを生み出すという「負の遺産」も築いた。現在アフガンは世界一のアヘン生産国である。

ダレスたちが進めた初期の秘密工作は、冷戦をエスカレートさせる結果に終わったが、ブッシュたちの秘密工作は、確かにソ連を弱体化させ、冷戦の終結に貢献したという見方をすることもできる。しかし、その代償はとてつもなく高くついた。CIAの手段を選ばぬ工作は、麻薬の氾濫、犯罪銀行の膨張、イスラム・テロリストの増長という莫大な「負の遺産」を残し、それが冷戦後に、ブーメランのようにアメリカ自身に襲いかかってきたからである。

21世紀の初頭、アメリカはこの冷戦時代の「負の遺産」を清算することを余儀なくされる。そしてその歴史的な使命を帯びて大統領に就任したのが、ジョージ・ブッシュの長男ジョージ・W・ブッシュであった。ジョージ・W・ブッシュは、祖父プレスコットがダレス兄弟等と共に築き、一族が継承してきた冷戦の遺産を、「清算」するという皮肉な役割を担うことになったのである。

2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた3機のアメリカの旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省に激突し、5000人以上の死者を出すという、前代未聞、史上最悪の自爆テロ事件が発生した。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、容疑者と目されるウサマ・ビン・ラディンとアル・カイダに対し「テロ戦争」を宣言し、彼らをかくまっているとされるタリバン政権支配下のアフガニスタンを攻撃した。

 ブッシュ大統領はビン・ラディンとアメリカ情報機関の過去の関係についていっさい語ることなく、世界を「テロリストに反対する国」と「テロリストを支援する国」に二分化し、後者に対して容赦ない「テロ戦争」を仕掛けると宣言したが、もちろんことはそんなに単純ではない。

 アメリカ政府によって殺害されたと、報道されている、ウサマ・ビン・ラディン。

既報のように、ウサマ・ビン・ラディンは、その実兄サリム・ビン・ラディンと共に、石油会社アルブスト・エナジー社を経営してきた経緯があり、その石油会社の「共同経営者」は、アメリカ・前大統領=ジョージ・W・ブッシュ「本人」である。

ブッシュが、「テロとの戦い」と称し、イラク戦争を開始した、その「テロリスト」の本家ウサマ・ビン・ラディンは、ブッシュの「ビジネス・パートナー」であり、親友であり、同志であった。

アメリカ政府が、イラクの石油を支配し、世界最大の麻薬生産地帯アフガニスタンの麻薬の利益を支配し、戦争を起こし、アメリカの軍事産業の景気を回復させ、アメリカ経済を活性化させるためには、「どうしても、テロとの戦い」という、戦争が必要であった。

そのためブッシュ一族は、「親友=ウサマ・ビン・ラディンと、協力し、戦争の原因を作り上げる必要があった」。

イラクのサダム・フセインは、CIAの中東エージェントであり、父ブッシュのCIA時代の同僚・同志・盟友であった。



現在、CIA本部は、ジョージ・ブッシュ・センターと呼ばれているが、前ブッシュ大統領の「ビジネスパートナー」=ウサマ・ビン・ラディンも、サダム・フセイン同様、CIAエージェントである。

オバマ政権は、国務長官という実働部隊をヒラリー・クリントンが握り、オバマ政権の「目玉商品」=環境保護政策をクリントン政権の副大統領アル・ゴアが握っている。

オバマ政権は、「隠れ、クリントン政権」であり、このクリントン大統領の大統領選挙資金資金集め「責任者・参謀」であったパメラ・ハリマンは、ハリマン銀行社長エイブリル・ハリマンの妻であった。

このハリマン銀行の経営者は、ブッシュ一族である。

民主党クリントン政権の資金源は、ブッシュ一族と「同一」のものである。

民主党、共和党、「どちらが勝利しても、支配者は同一人物」である。

「人気の無くなった」オバマ大統領が、次期・大統領選挙に勝利するためには、「この支配者に頼み込み」、アフガニスタン戦争に勝利した、ウサマ・ビン・ラディンは死んだ、と報道する必要が、「どうしてもある」。

パキスタンの自宅前を家族と散歩するビンラディン

そこで、ウサマ・ビン・ラディンは、肩を叩かれ、「悪いが、死んだ事にしてくれ」と頼まれ、莫大なCIAの退職金と共に、名前を変える「偽名」の手続きを済ませ、タヒチ等、南洋の避暑地に別荘を与えられ、余生を豊かに、静かに暮らす事になる。



「処刑された」とされている、サダム・フセインが、南洋の避暑地に別荘を与えられ、現在、豊かな余生を送っている事と同様の、「手続き」が開始された。

なお、ウサマ・ビン・ラディンの、CIAの諜報員・エージェントとしての、暗号名・コードネームは、「ティム・オサマ」である。CIA諜報員は死ぬまでCIA諜報員である。

オバマ政権の外交政策最高顧問ブレジンスキーとビンラディン。


 「テロリスト=ウサマ・ビン・ラディン」と、その実兄=サリム・ビン・ラディンは、
前ブッシュ大統領と共に、石油会社アルブスト・エナジー社を、「共同経営」する、ビジネス・パートナーであった。

ブッシュは、この会社の創立資金を、パキスタンの銀行家カーリド・ビン・マフーズから「供与」されていた。会社の創立資金を、「タダで、供与してくれる、ずいぶん、気前の良い」銀行家である。
このカーリド・ビン・マフーズの、実の妹は、ウサマ・ビン・ラディンの「妻」である。

「テロとの戦い」を実行したブッシュは、テロリストの「代表者」=ウサマ・ビン・ラディンの義理の兄の資金で会社を経営し、「メシを食べてきた」。
ブッシュの銀行口座に、会社の創業資金を送金した、送金元のカーリド・ビン・マフーズ名義の口座からは、ウサマ・ビン・ラディンの、「テロ組織」アルカイダに、多額の現金が送金されていた。

ウサマ・ビン・ラディンと、前ブッシュ大統領は、「同じ釜の飯を食べた、仲間」である

911事件の発生時、既に糖尿病を患っていたビンラディンは、UAEの病院に入院しており、そこに、ご丁寧にCIA要員がお見舞いに訪れていたことが、暴かれている。そして同時に、ビンラディンの一族は、その時米国に居たが、緊急航空規制が引かれる中、米政府の計らいにより米国を脱出している。

これは、どういう事か?

 アメリカ-サウジ間には、「ブッシュ家-CIA-サウジ情報機関-BCCI-サウジ財界」というビジネス・諜報サークルのネットワークが存在し、ここにビン・ラディン家も一枚噛んでいた。

ビン・ラディン家が保有するサウジ・ビン・ラディン・グループは、イスラム世界最大の建設会社を傘下に持つグローバル企業で、ロンドンとジュネーブにもオフィスを構えている。

ビン・ラディン家は1950年代からサウド王家に取り入り、国家レベルの建設プロジェクトを受注して拡大した。1960年代後半には前述のサレムが当主となり、ビン・ラディン・グループの近代化に努めた。

イギリスで教育を受けたサレムは英米との関係強化に尽力し、CIAの秘密工作にも積極的に協力した。1980年代に「ブッシュ-ケーシー・チーム」がサウジ経由でニカラグアのコントラ支援を行なったときも、サレムがサウジ政府を代表してこの工作に協力したのである。

サレムはまたアメリカの経済エスタブリッシュメントとの関係も強化すべく、いくつものアメリカの大手企業に投資をしている。その代表が投資会社のカーライル・グループであろう。カーライルはフランク・カールーチ元国防長官が会長を務める大手の投資グループで、ジェームズ・ベーカー元国務長官を含む共和党の元閣僚がズラリと役員に収まっている。

ジョージ・ブッシュ元大統領も同社の顧問を務めており、カーライル自体はサウジ政府の財政顧問をやっている。ビン・ラディンのカーライルへの投資とはつまり、アメリカ-サウジの協力関係を象徴するような取引だったのである。

ビン・ラディンはまた、元国務長官ジョージ・シュルツが取締役を務める投資会社フレモント・グループや名門メリル・リンチ、ゴールドマン・サックスにも投資をしており、ゼネラル・エレクトリック杜のビジネス・パートナーにもなっている。

ビン・ラディン家はこのように、ブッシュ一族を中心とする米政財界のエスタブリッシュメントとの関係を深め、CIAが冷戦時代に進めた秘密工作にも積極的に協力して、アメリカ-サウジ関係の強化に務めていたのである。

ウサマ・ビン・ラディンも、1980年代のアフガン聖戦までは、この《アメリカ-サウジ協力》ラインでCIAの工作に参加していた。ウサマは、世界中のイスラム急進派を集めてソ連にぶつけるという作戦で、民間としては最大級の徴募機関を立ち上げて「聖戦」の戦士たちをかき集めた。

またパキスタンやアフガンには「イスラム急進派の大学」をいくつも設立して彼らに軍事訓練を施し、世界中のイスラムの同志たちと強い絆で結ばれていった。

◆2003年ブッシュが仲介した中東和平ロードマップは、やはり三日坊主で挫折した。過激派ハマスをシャロンが掃討すると宣言したことで、再び泥沼のテロ合戦になった。

パレスチナの問題は、第一次大戦のバルフォア宣言まで原因の根が遡れる。当時の英国政府の二枚舌外交により、アラブ支持のみせかけで実はシオニストの国家を約束していた。

戦争に米国を巻き込むために、アメリカのシオニズムを利用したり、映画「アラビアのロレンス」で有名なMI6エージェント・ロレンス大佐をアラブに潜入させ、対オスマントルコ戦争を煽動した。アラブはパレスチナを英国に約束されたと信じて、ロレンスとともにトルコ軍を撃破したのである。その当時、パレスチナの地にはユダヤ人はほとんど住んでいなかった。

ところが、ユダヤ教改宗カザール人がロシアやポーランドから、約束の地イスラエルを目指してシオニズム運動を起こし、ロスチャイルドの手先ハウス大佐らが工作して、時の外相バルフォアに約束させたのである。

その時のロスチャイルド宛の書簡が、バルフォア宣言と呼ばれているが、けして表立って世界に宣言された訳ではなく、国際連盟の委任統治国の命令、第23条にいつのまにか盛り込まれたのだ。

この内容は当然アラブの知るところではなく、完全に裏切り行為だった。パレスチナ住民に何の断りもなく、また国際連盟が採択した内容でも無かったのである。つまり、英国政府の策謀による、世界を欺く姑息な抜け駆けだった。この露骨かつ陰湿な二枚舌外交は、当時でも議会や正統派ユダヤ教から批判が絶えなかった。

しかし、大戦にアメリカを巻き込むために、ウイルソン大統領の抱き込みが成功したため、事態は闇の勢力のシナリオ通りに展開することになり、とうとう第二次大戦後、イスラエル国家が誕生したのである。

これによって、すべてがアラブ系だったパレスチナの大地に世界からユダヤ人たちが「帰還」を始め、原住民を追い出したのである。以後の展開は数え切れない中東戦争が際限なく継続することになり、現在に至る。

そもそも、約束の地への帰還とは、正統派ユダヤ教では、その大前提がメシアの復活にあり、いまだメシアの復活が見られない約束の地に、前もって行くのはおかしいという指摘がある。しかし、シオニストにとっては、このような要件を満たすことは、政治的に無意味なことなのだろう。なぜなら、イスラエルという国家が、ロスチャイルドの策謀で作られた歴史的な経緯が窺えるからである。

したがって、ハマスという過激派を掃討したとしても、この怨念の戦いは永遠に続くだろう。

 アラビアのロレンスことT・E・ロレンスは、オートバイ事故で死んだが、道路を横切る一本のワイヤーで転倒し即死だった。これは明らかに暗殺だった。謀殺の理由は、ロレンスが知りすぎていたからである。

イギリスがアラブに約束した領土保全の誓約は、あっさりと反古にされたので、真相を知るロレンスの存在がシオニストにとっては邪魔であり、パレスチナの土地を買い占める計画が困難になるからであった。

パレスチナの土地の評価や売買の法律は、当時もローマ帝国時代の慣習がまだ有効だったので、戦後も長い時間をかけて土地の非合法的な取得が続いた。

買主を装ったアラブ人が、買ったあとユダヤ人に転売する方法で入植地を増やていき、シャロンやキッシンジャー、それにベネチアの黒い貴族が関与して、其処へロシア系アシュケナジーを「強制移住」させた。

効果的なのは、テロ事件を起こして住めないようにし、自主的に引っ越しさせることだった。国際法や、国連の認識では、国家独立宣言はあきらかに違法だったが、彼らはおかまいなしに移住の計画を何十年も進めたのである。アメリカのキリスト教原理主義は、シオニズムの煽動役が主な存在理由であり、シオニストがテレビ伝道師としてアメリカ国民を洗脳し、帰還の計画を後押ししたのである。

アリエル・シャロンは、1953年キビア村虐殺を命令した司令官だった。この虐殺でパレスチナ人75名が死んだ。また、1982年には難民キャンプにおいて2750人のパレスチナ人がシャロン将軍指揮のキリスト教民兵ファランジストによって虐殺された。この事件は、イスラエル高等裁判所が任命した調査委員会によって責任を問われたが、シャロンは罪を免れた。

シャロンはソ連と秘密裏に交渉して、120万人のカザール人ユダヤを強制移住させる策謀を進め、1989年~2010年の間に西岸地区へ移住する計画に合意したのである。

アイゼンハワー大統領は、イスラエル独立を承認したが、キリスト教原理主義が議会に圧力をかけたために可能になったのだ。現在のアメリカ政府も相変わらずの構図である。シャロンの計画とは、パレスチナ人を完全に追い出すというものであり、その為にユダヤ人入植地を拡大していったのである。

目的の為なら戦争も辞さずという覚悟だったので、積極的に攻撃態勢をとったのであった。現在の血で血を洗うテロ合戦が、両者の破滅的な行く末を暗示しているのも、このような経緯があるからであり、正義と公正の視点から、いずれ天の裁きが下されるときがやってくるであろう。しかし、第三次大戦を誘発する火種となるのは必定である。

◆ カナンの末裔フェニキア人やベネチア人たちの本業は、奴隷と麻薬だった。自由貿易とは麻薬貿易のことであり、東インド会社の経営の柱であった。

イエズス会は麻薬貿易の隠れ蓑として布教の根拠地を東インド会社に置いた。麻薬貿易による巨利により、黒い貴族は英国を乗っ取り、ロスチャイルドはフランス革命やロシア革命の軍資金を作った。

18世紀後半には、東インド会社は英国国家機構が引き継ぎ、現在ではMI6の手下CIAがその機能を果たしている。
麻薬は当然、税関を通過できないので、軍隊が堂々と運搬・密輸しているのが実情である。

アヘン戦争で暴利を得たのは英国王室である。二世紀以上中国と麻薬貿易を行い、李一族と組んで中国経済を実質的に支配した。ロスチャイルドの一族サスーン家は、香港上海銀行を拠点に世界最大規模の麻薬資金洗浄を行っている。

ちなみに、オーストラリアのヌーガン・ハンド銀行は、タイ・ラオス・ミャンマーの黄金の三角地帯で生産された麻薬のマネー・ロンダリング銀行である。

ミャンマーのアウンサン・スーチーの夫マイケル・アリス氏は、MI6のエージェントでミャンマーの麻薬密輸工作員であった。、世間でいわれるようにスーチー女史が自由の戦士というのは、はなはだ誤解であろう。しばしば拘束されるのは、当然の話なのである。妻が自宅軟禁されてから、再三ビルマ入国を求めたが、軍政府に拒否される。前立腺ガンだった夫は、妻との再会を果たせぬまま息をひきとっている。

最近では、麻薬はロックフェラー系の新薬として薬局でも売られており、注意が必要である。薬という偽装による巧妙な麻薬の販売が、着々と実施されているのである。このような人類反逆の利権を英国王室や国際金融資本が手放さないのは、それだけ旨みのある金儲けの財源だからだ。

ビートルズやローリング・ストーンの結成は、世界的な麻薬の拡散を目的として利用された。その意図に気づいたジョン・レノンは反攻したため暗殺された。

精神医学を創始したとされるフロイトは、メスメルの催眠術を応用して、麻薬を投与した人間の潜在意識に働きかけることにより、洗脳が可能とした。

人間の存在価値を生殖器と肛門に還元したこの無神論的似非科学は、タヴィストック研究所の理論的根拠となり、ヒッピー文化やニューエイジ運動の虚構を捏造した。

そして、悪質きわまりないのは、闇の勢力に反攻する人間を精神病院にぶち込み廃人にしたり、暗殺組織のKNN(KaNaaN=カナンの末裔)により抹殺した。KNNとは、MI6の別働隊であり、モサドのアサシン・グループである。

 現在、MI6がコントロールしCIAが麻薬取引の実働部隊であることは公然の秘密であり、麻薬取締機関はそのサポーターである。ゆえに、真犯人はけして逮捕されることはなく、捕まるのは組織外の下っ端かノリエガのような勘違いしたやくざだけである。

本丸の貴族階級に司直が及ぶことは100%無い。司直そのものが配下であり、末端警察にまでフリーメーソンが浸透しているからだ。つまり、麻薬貿易とその裏取引は、世界貿易のコアであり、カナンの末裔達による似非自由貿易の実体なのである。

◆米国に大量に麻薬が流入し始めた70年代、コロンビアからの麻薬密輸業者でありマネーロンダリング(麻薬資金洗浄)の草分け的存在でもあった伝説の人物、アイザック・カッタンは銀行デューク・ベレラの全米支店を利用し、麻薬密売の代金を回収していた。ベレラ社は麻薬資金と知りながら、カッタンに協力し続けていた。

ベレラ社の創立者ニコラス・デュークはCIAの創立者の一人であり、デュークは第二次大戦中、児玉誉士夫と共に中国でアヘン売買を行っていた。アヘン密売業者がCIAを創立し、米国の麻薬の黎明期、麻薬密売代金を回収して来たのもCIA創立者の銀行だった。

  デュークは同時に世界最大の産金業者、南アフリカのニューモント・マイニング社の創立者であり、ブッシュ一族の経営するハリマン銀行は、ニューモント・マイニング社の傘下企業である。

 父ブッシュは、麻薬商人ベレラのニューモント・マイニング社のカナダ支部バリック・ゴールド社の取締役である。

 ブッシュの大統領補佐官ブレント・スコウクロフトは、ニューモント・マイニング社の取締役であると同時に、ブッシュの経営する軍事産業投資会社カーライルの取締役である。

 スコウクロフトは、ライブドアの親会社リーマン・ブラザース(〓ゴールドマン・サックス)の取締役でもあり、次期大統領候補コンドリーザ・ライスの恩師・先生である。つまり全員、麻薬業者、CIA創立者の傘下に居る事になる。

 70年代から30年間に渡り、ゴールデン・トライアングルから麻薬を米国に運んでいたのは、CIAの輸送会社エア・アメリカだった。この会社は、ブッシュの部下オリバー・ノースが経営していた。
 父ブッシュは90年代、大統領命令でベネズエラから1トンもの大量のコカインを米国に輸入し、街頭で販売していた。

 エア・アメリカで運び込まれる麻薬は、CIAの銀行BCCIで支払いが決済されていた。この銀行を使い、CIAは世界に米国製武器を密売し、麻薬資金を回収し、テロリスト、ウサマ・ビン・ラディンに資金を提供していた。

 現在、インターネット上でのやり取り、電話の会話を盗聴している軍事衛星エシェロンに使用されているバックドア付き(盗聴システム付き)の軍用ソフト、プロミスも、この銀行を通じ、ブッシュとCIAにより世界中に販売されて来た。

 ブッシュとCIA、BCCIの武器密売が明るみに出たのが、89年のイラン・コントラ事件だった。

 ブッシュとCIAは敵国イランとニカラグアに武器を売り、代金を受け取っていた。代金は一部現金でBCCIに振り込まれ、特にイランからは麻薬の形で代金が支払われた。イランから支払われた麻薬は、ブッシュとCIAにより米国の街頭で若者に販売された。

 ブッシュとCIAの下部組織として麻薬を街頭で販売しているのが、イタリア・マフィア、コーサ・ノストラである。

 第二次大戦中、イタリアのムッソリーニと戦う米軍のイタリア系兵士が、祖国イタリアに忠誠を誓い、米軍の軍事情報をムッソリーニに横流する事態が横行した。困った米軍はCIAに依頼し、イタリア・マフィアにイタリア系兵士多数の身辺監視を依頼した。それ以後、CIAとコーサ・ノストラは一体化する事になる。

 互いの利益は麻薬販売という点で一致した。コーサ・ノストラは、麻薬の利益をCIA銀行BCCIから本国イタリアのアンブロシアーノ銀行に送金し続けた。

 銀行を支配する持ち株会社インター・アルファ・グループの中に、アンブロシアーノ銀行とブッシュのハリマン銀行はあり、この2つの銀行は同一組織の手足である。

  世界最大の麻薬販売企業はCIAである。アフガン戦争は、麻薬生産を拒否するタリバン政権を倒し、米国内の麻薬不足、CIAの裏金不足解消も目的の1つだった。

1975年、ジェラルド・フォード大統領は「国家安全保障メモランダム314号」に署名をした。合衆国がキッシンジャーのMSSN-200を導入するということである。 

1976年、合衆国はスペシャル・ウィルス計画の「進捗報告13号」を発行した。 
この報告書はアメリカが、ロシア人やドイツ人、イギリス人やフランス人、 カナダ人および日本人などと様々な国際合意を結んでいることを明らかにしている。 

黒人を殺すという計画は広範な国際的賛同を得ているのだ。 
この年の3月には、スペシャル・ウィルス計画はAIDSウィルスの生産を始め、 1977年の6月までにこのプログラムは15,000ガロンのAIDS病原を生産した。 
ジミー・カーター大統領は、この黒人を間引くという秘密計画の続行を承認した。 

 1977年、ロバート・ギャロ博士とソビエトの最高の科学者たちが会合を持ち、15,000ガロンのAIDS病原の拡散について論議した。彼らはアフリカ向けの天然痘ワクチンの補充物として、また、マンハッタン向けの「実験的な」B型肝炎ワクチンにもAIDS病原を添加した。ジューン・グッドフィールド(June Goodfield)およびアラン・キャントウェル(Alan Cantwell)の2人の著者によれば、バッチ・ナンバー♯751(のワクチン)は何千人もの何も知らないニューヨークの市民に使用された。 

政府はこの社会的強姦、恥辱、そして非道な偏見のために、日常においてHIV/AIDSに向き合わなければならない人々に対して、決して贖い切ることはできないだろう。 

エイズが生物化学兵器として人工的に創作されたものということは前述したが、SARSもキメラ・ウイルスの疑いが濃い。

中国政府があれだけ隠蔽したがったのは、やはり生物兵器である傍証であるかもしれない。

エイズの場合は、専門家が過去いろんな指摘をしていた。1987年のロンドン・タイムズの記事「作り出された生物兵器のエイズ」という中で、研究家のWフォレストはハイチやアフリカがエイズの発祥地というのは無理があると指摘している。

ストレッカー博士は、エイズ・ウイルスが二つの動物性レトロウイルスの遺伝子で成り立っていると、エイズのエキスパートが語っていると述べた。この二種のウイルスとは、牛白血病ウイルス・ボーバイン・リューケミアとビスナ・ウイルスであるといわれる。

常識的にはこの二つが結合するのは不可能とされるが、ボーバインウイルスを調べると、エイズウイルスに近似していることがわかったのである。牛の体内での特徴が瓜二つなのである。同性愛者だけの病気というレッテルで、真相を覆い隠そうとしたという指摘もあり、この合成ウイルス説はエボラやSARSの合成説を連想させる。

もしも中国政府が秘密裏にSARSウイルスを開発したとしたら、今回の伝染は事故だったといえるが、そのような生物兵器開発能力がはたして中国にあるかどうか、疑わしい。WHOの動向をみても、確信犯の仕業ではないかという疑念が拭えないのである。

エイズは過去にワクチン疑惑があり、アフリカで流行したのはWHOの汚染ワクチンが原因とみられており、場所も一致しているからである。このような偶然の確率はきわめて小さく、人為的な頒布であることはほぼ間違いない。1000万ドルの国防省細菌戦争部の予算申請は、このような新しい感染ウイルスの「創造」を根拠としており、委員会の議事録にも残っている。

1969年に予算が通り、フォート・デトリック研究所の内部にフレデリック癌研ができ、1972年、この集団のメンバーがT細胞組織を選別破壊するウイルスの生産を始めたのである。そして実際に免疫機能を破壊するウイルスが作られた。

そして同じ年に例のWHOの汚染ワクチン注射をアフリカで実施したのだった。このようなタイミングはやはり偶然というには無理があろう。コンピューターのウイルスが、ワクチンソフト会社の巧妙な餌である可能性が疑われているが、目的は製薬会社の利益かソフト会社の利益かの違いがあるものの、似たような構図が見え隠れしている。

早速SARSに効く薬が、ロックフェラー系の製薬会社から発表されたことをみても、エイズに少しだけ効く薬と同様に、それによって相当な利益を得る勢力があることは事実であろう。

 ◆2006年 英国が未然に「10機の旅客機爆破の大型テロを察知、計画加担者を逮捕した」事件は、奇妙なことに何日経っても被疑者、計画、資料、証拠などの具体的な情報がマスコミに登場しなかった。それに反比例するように、ブッシュやブレアの「対テロ戦争への新たな決意」などが増幅されて伝えられた。

「液体爆弾持ち込みを図った」ということで、米英は自国のみか、諸外国空港でも「例えウイスキー、香水であっても液体の機内持ち込みは厳禁」と談じ込み、日本の成田では「アメリカ政府の指示により(依頼ではない)」と免税店では乗客の酒、香水の購入を拒否する始末だった。

 「風化する9.11」という議論がようやく出はじめたところでのタイミングのよい英国諜報部の成果なのだが、既に欧州主要紙の意見欄では、これを「ブッシュ・ブレアのやらせ」と皮肉るものが出た。

だが、アメリカの新聞はさすがに付和雷同はせず、9.11以来「国土安全保障」に絶対帰依の姿勢を崩さないワシントンポストなどは、「震駭する思い出」などと題する社説で「ここしばらくテロへの恐怖感が弱まっていた折から、この事件は我々を再び、テロの恐怖を認識させてくれる」と、未だにブッシュの対テロ政策絶対帰依姿勢を頑なに守っている。

◆ブッシュ家の闇を知る者達

◇1991年8月10日:BCCIスキャンダル、オクトーバー・サプライズ等(どちらもブッシュ父関連事件)を取材していたジャーナリストのダニー・カサラロ氏(DannyCasalaro)が、バージニア州マーティンズバーグのシェラトンホテルの浴槽で、死体として発見された。手首が10回ほど切られていることから、警察当局は自殺と断定。カサラロ氏はブッシュ父にまつわる暴露本「TheOctopus」を執筆中であったが、自殺時に所有していたはずの調査資料、原稿は全て紛失していた。

◇2000年3月22日:ニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、マーク・ロンバルディ氏(MarkLombardi)が、自宅ロフトで首つり死体として発見された。ロンバルディ氏(享年48)はブッシュ家とビン・ラディン家、サウジ王家、BCCI他の関わる複雑な資金ルートを詳細に調査し、グラフィックアート作品として発表、展覧会を開催して物議を醸した異色のアーティストであった。(作品は書籍「MarkLombardi: Global Networks」として販売されている)

◇2001年7月18日:アーカンソー州スプリングデール郡のホテルの一室で、ジャーナリストのJ.H.ハットフィールド氏(J.H. Hatfield)が死体として発見された。警察当局の検死により、2種類の薬物過剰投与による自殺と断定された。ハットフィールド氏(享年43)は当時大統領候補として注目を集めていたジョージ・W・ブッシュの経歴を綿密に調査し、1972年にブッシュがコカイン使用で逮捕されていた事実をつきとめ、1999年に「Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an AmericanPresident」(初版1999年刊行)(邦訳は「幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実」(青山出版社/2001年4月刊行、現在絶版)として刊行、ベストセラーとなるが、すぐにブッシュ本人の圧力により出版社が同書を回収し大騒動となった。(ブッシュは自らのコカイン使用疑惑について、結局今日まで事実を明確に否定できないまま、ひたすら疑惑への言及を避けており、「Fortunate Son」も出版元を変えて再刊されることになった)死亡直前、ハットフィールド氏はブッシュ家とビン・ラディン家のお金の流れを詳細にわたり調査中であったと見られている。(遺稿となった2001年7月3日の記事もそれを示している)

◇2004年12月10日の、ゲイリー・ウェッブ氏の変死。
氏は80年代のCIAとニカラグアの麻薬組織コントラの癒着をスクープし、米国にコカインが蔓延したのはCIAがコントラの活動に目を瞑ったからだと指摘して全米を騒然とさせた。
ブッシュ父は元CIA長官で、80年代はレーガンの下で麻薬の撲滅運動の責任者を務めていた。

無事で済まないのは何もジャーナリストだけに止まらない。
ブッシュ父の抱える疑惑の一つにオクトーバー・サプライズ疑惑というものがある。

◇1979年、イランのアメリカ大使館がイラン人学生に占拠され、大使館員70名が人質になる事件が起こった。
このとき、時の大統領カーターはデルタフォースを投入して武力解決を図ったが失敗。
これが次の選挙に大きく響き、レーガンを勝たしめたと言われているのだが、この在イラン米大使館人質事件当時に、CIA長官退任後、ロナルド・レーガン政権の副大統領へ転身を企むジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)とレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)は、1980年10月18/19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニ氏他イラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑がある。

この交渉の目的は、カーター大統領の在任中(1977?1981)に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、レーガン大統領就任時に人質解放を実現することで「強いレーガン大統領」を演出することであった。

ブッシュ父が関わった、レーガン政権の2つの疑惑を総称してイラン・コントラ事件と呼ぶ。

ウイリアム・ケイシーはイラン・コントラ事件の証人として喚問を受ける直前、脳腫瘍で病死。('87年)
密かにパリにとんだブッシュ父に同伴しており、後にレーガン大統領の命にって大統領審議委員会を主催、

イラン・コントラ事件を正式に米国政府内スキャンダルと認定したジョン・ハインツ三世は小型飛行機の事故で死亡。('91年)

イラン・コントラ事件を含めたCIAの違法活動の調査のために大統領特別検討委員長に指名されたジョン・タワー議員もまた小型飛行機の事故で死亡。ジョン・ハインツ三世死亡のわずか一日後だった。

さて、やはりジョンという名前を持ち、この疑惑に関わりながらも現在も生存している人物が一人いる。
ブッシュジュニアと大統領選を争ったジョン・ケリーである。
彼は86年当時、後にイラン・コントラ事件、BCCIスキャンダルの調査に発展する小委員会を主催しており、さらにはジョン・ハインツ三世の未亡人とも結婚している。

ブッシュもケリーも共に「スカル&ボーンズ」のメンバーである。

なかなか興味深い事実だ。

 

アメリカの近代史の闇の部分には、殆どと言って良いほどブッシュ一族の名が出てくる。

世界の警察を自認してはいるが、アメリカ合衆国に関わると、ことごとく争乱や国家の危機が訪れる事を見ると、実は世界中をアメリカの利権と収奪のために侵略している様が見えて来るであろう。ところが現実のアメリカ国内というと、最悪の状態の国民の姿しか見えない。

アメリカの起こす世界の争乱で利益を得る者とは、イスラエルの武器商人とロンドンのシティであり、ブッシュ一族はその優秀な駒である。