Essay-24 3/17/2017 OCFC CONCERT
3月12日(日)OCCAのRobert Moore Theater において、OCFC(Orange County Friendship Chorus)の第7回コンサートが開かれ、家内と共に行ってきた。
Orange Coast Collegeの駐車場に車を止め、キャンパス内を歩いて会場に向かったが、どこのアメリカのキャンパスも広くのびのびしている。道々連れになった高齢の日本人が日本の大学は余程のマンモス大学でなければ、こんなに広いキャンパスはありませんよ、と言っていたがそうなのだろう。 私も子供たちの関係でいろいろアメリカのキャンパスを見てきたが、確かに広くのんびりし、そしてアカデミックな雰囲気が漂っている。学生時代は、何ら世間とのしがらみがない大学の敷地内を闊歩して、友人と難しい話をするがよい。無限に広がる可能性を考える貴重な時間なのである。また、なにか甘酸っぱい思いもふっとわいでてくる。若さゆえのことだろう。ゆっくり5分ほどあるいて、キャンパス内のRobert Moore Theater についた
さて、今回7回目のコンサートとのことだが、もともとは7~8年前に日本人によるベートーベン第九合唱のコンサートが、ダウンタウンのWalt Disney Hole で開催されたが、それが契機となって続いているようだ。当時いろんな地区で集まったコーラスの人々(それぞれ40~50名)が、いくつか集まり、最終的には400人近くの大合唱になった。日本人がなぜか年末になるとベートベンの合唱を歌うということも合わせ新聞に載ったものだ。結局このコンサートは大成功をおさめたが、これで解散するのはもったいないということで、その後有志が残り、活動を続けてきたのが、OCFC である。
実は7~8年前の合唱には、家内も参加しており、私も家内の練習ぶりを良ーく覚えている。目標はDisney Hole で合唱する為だということは聞かされていたが、その練習ぶりには正直まいった。晴れたる青空、、という合唱の1節ぐらいしか知らない私は、車に乗るたびに家内の練習用のCDを聞かされていた。ドイツ語でアルトのみの練習曲である。 主旋律はソプラノが歌い、アルトはそのサブ(?)であるということぐらいしか知らない私には、それだけを聞いているとおかしくなってくる。 素人の私には耳に心地よくはないのである。家内はこれを暗記しなければいけないということで、必死に覚えようとしていたが、車の隣に座る私はたまったものではなかった。尤も家内にはそのことは言わなかったが。さて、公演当日、会場に集まってくる人を見てたまげた。なにせ400人近い日本人コーラスが男性はタキシード、女性は上は白のブラウス、下は黒いスカートを着てあつまってくる。観客席は彼らの身内または関係者と思われるに人が会場を席捲しているようだ。そこはまるまる日本人の世界であった。舞台後方にずらーと並ぶコーラスが入場してきたが、よくこれだけの人が集まったものだ。 目を凝らしてよく見ると、家内の緊張した顔が豆粒のようにみえる。おもわず手を振ったが向かうからは見えないだろう。長い長い演奏ののち、ようやくコーラスが始まった。あのドイツ語でよくわかない旋律を歌っていたが、本番では見事に合唱になっており、驚くほど、見事であった。400人近いコーラスが声をそろえて歌い上げるその迫力たるものはひととおりではなく、腹にどーんと響いてくる。終了時の大歓声はおざなりのそれではなく、本当の感激の拍手だった。正直私も精一杯拍手したものだ。コンサートに参加できた、家内の一生一度の晴れ姿に大きな拍手を上げたものだ。あれからもう8年たつ。
さて今日のプログラムをみると、アメリカ人による弦楽四重奏がある。なるほどそれでアメリカ人の観客も多いわけだ。いいことだ。これも小さな日米交流である。 そんなことを思っているとコーラスが始まった。小さなコーラスで始まったが中々大きく響いてこない。なにせ総勢40名弱、迫力がないのだ。メンバーが少ないので致し方ないが、特に男性は6~7名だったので、ソプラノ、アルトに負けて、その役割を果しえなかったと思う。これは文句のいえない当然の結果なのだ。それでは自分が参加して一人でもその歌声を強くするかといわれれば、なまけものである私は、御辞退申し上げる次第。想像するだけで、あのような声は出ない。以前メンバーの一人に参加するよう呼びかけられたが、カラオケ程度、それも酒がかなり入った上での余興としてたまにうたった程度の私、とてもじゃないがとお断りした。
最後に(ふるさと)を歌ったが、これが私には一番響きがよかった。静かなコーラスのハーモニーが心地よい。日本語がゆえに歌の風景が目に浮かび、コーラスと共に自分の想いの世界に入ることができるのである。日本語の歌をもっと歌ってほしいと思うのだが、ここはアメリカ。海外での日本人コーラスはそうもいかないのだろう。
コーラスが終わり、会場出口での知人友人の挨拶が始まった。こういう時、大体私は人の輪から外れて、ぼ~としている。昔なら煙草をふかし時間をつぶしいたが、もう30年来禁煙をしており所作がない。 (園山さん お久しぶりです。M子です。) と突然声をかけられた。思わず家内を探したが、その30代の髪の長い女性は私を見続けている。えーっと思い、どうもと答えていた。その後少し会話をつづけた時点で、ようやく思い出した。そうだ、前の会社でに働いていたM嬢だ。彼女の隣にいたアメリカ人が夫ですと紹介してくれる頃にようやくまともな会話になったと思う。彼女は社内では一番優秀な日本人だった。様子がすっかり変わり綺麗になっていた。わずかな会話だったが、彼女には申し訳思った。もう少し話をしたかったと思ったが、後の祭りである。まあいい。又会う機会もあるだろう。そのときはゆっくり話をしたいものだと思う。これも日本人の集まりに出かけた成果だ、もっと積極的に出歩かなければと思った次第である。
3月12日(日)OCCAのRobert Moore Theater において、OCFC(Orange County Friendship Chorus)の第7回コンサートが開かれ、家内と共に行ってきた。
Orange Coast Collegeの駐車場に車を止め、キャンパス内を歩いて会場に向かったが、どこのアメリカのキャンパスも広くのびのびしている。道々連れになった高齢の日本人が日本の大学は余程のマンモス大学でなければ、こんなに広いキャンパスはありませんよ、と言っていたがそうなのだろう。 私も子供たちの関係でいろいろアメリカのキャンパスを見てきたが、確かに広くのんびりし、そしてアカデミックな雰囲気が漂っている。学生時代は、何ら世間とのしがらみがない大学の敷地内を闊歩して、友人と難しい話をするがよい。無限に広がる可能性を考える貴重な時間なのである。また、なにか甘酸っぱい思いもふっとわいでてくる。若さゆえのことだろう。ゆっくり5分ほどあるいて、キャンパス内のRobert Moore Theater についた
さて、今回7回目のコンサートとのことだが、もともとは7~8年前に日本人によるベートーベン第九合唱のコンサートが、ダウンタウンのWalt Disney Hole で開催されたが、それが契機となって続いているようだ。当時いろんな地区で集まったコーラスの人々(それぞれ40~50名)が、いくつか集まり、最終的には400人近くの大合唱になった。日本人がなぜか年末になるとベートベンの合唱を歌うということも合わせ新聞に載ったものだ。結局このコンサートは大成功をおさめたが、これで解散するのはもったいないということで、その後有志が残り、活動を続けてきたのが、OCFC である。
実は7~8年前の合唱には、家内も参加しており、私も家内の練習ぶりを良ーく覚えている。目標はDisney Hole で合唱する為だということは聞かされていたが、その練習ぶりには正直まいった。晴れたる青空、、という合唱の1節ぐらいしか知らない私は、車に乗るたびに家内の練習用のCDを聞かされていた。ドイツ語でアルトのみの練習曲である。 主旋律はソプラノが歌い、アルトはそのサブ(?)であるということぐらいしか知らない私には、それだけを聞いているとおかしくなってくる。 素人の私には耳に心地よくはないのである。家内はこれを暗記しなければいけないということで、必死に覚えようとしていたが、車の隣に座る私はたまったものではなかった。尤も家内にはそのことは言わなかったが。さて、公演当日、会場に集まってくる人を見てたまげた。なにせ400人近い日本人コーラスが男性はタキシード、女性は上は白のブラウス、下は黒いスカートを着てあつまってくる。観客席は彼らの身内または関係者と思われるに人が会場を席捲しているようだ。そこはまるまる日本人の世界であった。舞台後方にずらーと並ぶコーラスが入場してきたが、よくこれだけの人が集まったものだ。 目を凝らしてよく見ると、家内の緊張した顔が豆粒のようにみえる。おもわず手を振ったが向かうからは見えないだろう。長い長い演奏ののち、ようやくコーラスが始まった。あのドイツ語でよくわかない旋律を歌っていたが、本番では見事に合唱になっており、驚くほど、見事であった。400人近いコーラスが声をそろえて歌い上げるその迫力たるものはひととおりではなく、腹にどーんと響いてくる。終了時の大歓声はおざなりのそれではなく、本当の感激の拍手だった。正直私も精一杯拍手したものだ。コンサートに参加できた、家内の一生一度の晴れ姿に大きな拍手を上げたものだ。あれからもう8年たつ。
さて今日のプログラムをみると、アメリカ人による弦楽四重奏がある。なるほどそれでアメリカ人の観客も多いわけだ。いいことだ。これも小さな日米交流である。 そんなことを思っているとコーラスが始まった。小さなコーラスで始まったが中々大きく響いてこない。なにせ総勢40名弱、迫力がないのだ。メンバーが少ないので致し方ないが、特に男性は6~7名だったので、ソプラノ、アルトに負けて、その役割を果しえなかったと思う。これは文句のいえない当然の結果なのだ。それでは自分が参加して一人でもその歌声を強くするかといわれれば、なまけものである私は、御辞退申し上げる次第。想像するだけで、あのような声は出ない。以前メンバーの一人に参加するよう呼びかけられたが、カラオケ程度、それも酒がかなり入った上での余興としてたまにうたった程度の私、とてもじゃないがとお断りした。
最後に(ふるさと)を歌ったが、これが私には一番響きがよかった。静かなコーラスのハーモニーが心地よい。日本語がゆえに歌の風景が目に浮かび、コーラスと共に自分の想いの世界に入ることができるのである。日本語の歌をもっと歌ってほしいと思うのだが、ここはアメリカ。海外での日本人コーラスはそうもいかないのだろう。
コーラスが終わり、会場出口での知人友人の挨拶が始まった。こういう時、大体私は人の輪から外れて、ぼ~としている。昔なら煙草をふかし時間をつぶしいたが、もう30年来禁煙をしており所作がない。 (園山さん お久しぶりです。M子です。) と突然声をかけられた。思わず家内を探したが、その30代の髪の長い女性は私を見続けている。えーっと思い、どうもと答えていた。その後少し会話をつづけた時点で、ようやく思い出した。そうだ、前の会社でに働いていたM嬢だ。彼女の隣にいたアメリカ人が夫ですと紹介してくれる頃にようやくまともな会話になったと思う。彼女は社内では一番優秀な日本人だった。様子がすっかり変わり綺麗になっていた。わずかな会話だったが、彼女には申し訳思った。もう少し話をしたかったと思ったが、後の祭りである。まあいい。又会う機会もあるだろう。そのときはゆっくり話をしたいものだと思う。これも日本人の集まりに出かけた成果だ、もっと積極的に出歩かなければと思った次第である。