Essay-32 7/8/2017 笹みどり、他。
過日、L.A Down Town にある日米劇場で、日本から笹みどり、を含む数人の歌手をよんで、演奏会があった。これはかねてからの懸案であった、武道館をDown Townに建てるためのFound raisingだそうだ。 そのための募金は8割程度がすでに集まっているのとのことで、残り2割の為の公演である。
当日13時半、開演ということで、早めに行き、昼食を取った。まわりを見ると同じ目的ではなかろうかという、日系人をよくみかける。それも年配の方がおおい。この日米劇場はロス近辺に住む人の文化の中心である。
日米劇場で開催される公演には、時々出かけるが、歌手、能、狂言、太鼓、その他といろいろの分野に分かれる。観衆はそれぞれ興味の対象にひかれて、これら公演に集まってくる。ロスを中心に近隣の町に住む日本人駐在員、長くから住んでいる日系人、そして日本に興味を示す、アメリカ人も多くみられる。文化交流の目的のため、ボランティアの主催者の人々には頭が下がる。確かにアメリカでこのような公演をすることの意義は大きい。日本人として誇りをもって、観劇することも少なくない。また、日本ではこの様な公演自体を生に見る機会がなく、当地、ロスで初めて見る人も少なくない。実は私も、日本にいる時TVを通してみたことは有っても、生の公演を見に行くようなことはなかった。その意味で舞台に立つプロの公演を見に来る機会を持てて有りがたい。能、狂言などは日本にいたときはまず見に行かなかった。若い私にはなんとなく荷が勝ちすぎていたのだ。正直いうとそのような物にお金を払うという気持ちがなかった。又、生の公演には、T.V.で見る著名人の隠された部分に触れることができ、面白い。裸の人間にふれ、彼らの人間性の一面に触れるような気がする。たとえばさだまさしが来たとき、残念ながら私は所用で見られなかったが、彼は歌手としては勿論、大スターである。しかしそれ以上に彼のトークが面白いとは周知の事実である。それは一つの芸と言っていいだろう。そんな歌手たちの話を聞くのが面白い。舞台慣れした彼らは、本職の歌で観衆を魅了するだけでなく、トークで観衆を魅了する話芸を持っているのだ。どういう話をすれば受けるかという事を、長い舞台人生をつうじて知っている。そしてその合間合間に彼、彼女の人生観をのぞかせるのだ。
今回は、笹みどり、他数人の歌手とギター演奏、ウクレレ演奏があった。入場時に受け取ったカタログをみると、笹みどり以外の人に記憶はない。入場者も200人前後で、ほとんどが年配の日系人である。座席の空席が目立たない程度にはいっており、まずは一安心。アメリカ人の姿は見えなかった。苦労してこれだけの入場者を集めたと聞いた。
さて笹みどりである。カタログの顔写真をみると、そうだ、わずかに記憶がよみがえった。昭和40年デビューし、翌年(下町育ち)が、ヒットしその年の紅白に出たという。 早速(下町育ち)を歌ったが、なるほど記憶はある。私が中学生の時である。後で調べたが、その時の新人には、青江美奈、加山雄三、マイク眞木、そしてトリは、美空ひばり、三波春夫の面々である。紅白歌合戦も17回目となり、国民的行事になっていた。 我が家も年末は家族で紅白をみる、というスタイルになっていたと思う。加山雄三の(君といつまでも)は、中学生の私にとって思い出深い歌だったと、当時を思い出す。しかし笹みどりは、大変失礼だが他の大勢の一人であった。
彼女の歌だが、紅白に出場した演歌歌手だけあり流石に聞かせてくれる。ド演歌だという雰囲気を感じさせてくれ私には大変心地良かった。数曲歌い終わった後、司会者とのやり取りがあったが、突然彼女が笑いだした。その笑い方に驚いた。なんと言ったいいのだろう。実に変わっている。いや素直な感想を言うと、下品なのだ。 いやまいった。着物姿で着飾った歌手が笑うような、笑い方ではない。おほほほ、というようなイメージとは程遠い。それを何度も何度も繰り返すので、終いにはその笑い声を聞くたびに観衆は笑い出す始末である。それで親近感がぐっと迫ったようだ。彼女曰く、私は若い時に大病を患って、それも2回も、その為結婚しそびれた。 だから今日この場で私を嫁にもらってくれる人がいれば、喜んでいきます、というのだ。それも笑いながら。自虐を兼ねた彼女の笑いネタのひとつだろう。観衆を大いに笑わせてくれた。不幸を逆手に取ったトークで、観衆も明るい雰囲気ななったはずだ。
その後に、Nyc Nyusa,何と読むのかわからないが、60前後の日本人男性が登場した。上から下まで白ずくしの姿である。昔から今にいたるまで、その世界ではなかなか有名とのことであるが、私には勿論初めての人である。活動的に動き回りながら歌うが、その声量をふくめて、ダイナミックだ。トークも上手い。いつも日本のTVでみる、ジャリたれ(?)やグループでその踊りが目立つ歌手たちよりもはるかに聞かせてくれる。話はそれるが、そのグループ歌手たちをおって、ギャーギャー騒いでいる若者の姿を見るにつけ、なんと日本は幸せな国だなと思う。そして日本の将来を憂慮するが、いやいや待てよと自省する。あの騒いでいる若者の中にも将来を背負う若者もいるかもしれないと、強いて思うように努力している。
さて、話は前後するが、Matsuoka Yuji氏のことを書かねばならない。 彼は司会として最初から終わりまで登場した。途中、彼の歌手としてショータイムがあった。もう50歳はとうに過ぎているだろう。彼曰く、一度も流行ったことはないという。そうして歌いだしたがやはりプロだ。上手いのだ。よく歌手が昔を振り返って、私は何年も売れずに下隅生活が長かったという話を聞く。それでも彼らは有名になったのだ。自分の曲がヒットしたのだ。そして彼らの持ち歌を堂々と歌う事が出来る。TVに出て歌う事が出来、プロの歌手として認められるのだ。が、しかしMatsuoka氏は自ら言うように、一度も世間に認められた歌がないという。他人がヒットした歌を歌わなければならない。その曲を自分なりに歌うのだ。そういう人も大勢いるのだろう。これをただ運が悪かった、と言うには寂しすぎる。何十年もそういう生活を続ける事を想像もつかない。厳しい世界なのだ。彼はその短いショータイムに持ち歌を歌いだした。タイトルが(昭和の落ちこぼれ)という。彼自身のことを歌ったと言っていたが、中に(俺は昭和の落ちこぼれ)という歌詞があり、それを特に強調している。何故か地方のキャバレーで歌っているように見えてきて、せつなくなった。彼の人生にも様々な紆余曲折が有ったのだろう。それは一代ドラマであったに違いない。いつかヒットを飛ばすことを期待してやまない。
3人とも自分たちの歴史の一端を語りつつ、いまだプロであり続けている。将来彼らに新しいヒット曲が恵まれるかどうかは判らないが、それなりに全力で舞台に立つのだろう。他人が舞台の下から、彼らのパホーマンスを聞いて想像する世界よりもはるかに充実した世界があるに違いないと思うのである。