金持ち日記

金持ちなるまで続く男の日記

「私」とは何者かⅠ

2008年09月19日 16時26分48秒 | Weblog
 金持ちは「私」とは何者か悩む。

 姜尚中(カン・サンジュン)氏の『悩む力』を読んだ。非常に面白かったので、私も第一章にある「私」とは何者かという問いに向き合ってみたい。

 「私とは何者か?」「社会から必要とされているのだろうか?」「私の存在意義とはなんだろうか?」・・・・・・そんなことを考えてことのある人も多いだろう。そもそもどうして自我に悩むのだろうか?姜尚中氏はこの悩みの原因は近代合理主義にあるという。

 その背景には、近代科学や合理主義の急速な発展があります。それ以前は「自我」というが概念が存在しても、人と人とは、宗教、伝統や習慣、文化、地縁的血縁的結合などによって、自動的に社会の中でしっかりと結び合わされていました。ところが、科学と合理的思考によって、それらは「ナンセンス」として次々に剥ぎ取られていったのです。ウェーバーはこれを「脱魔術化」と呼んでいます。
その結果、「われわれ」だったものは一つ一つ切り離されて、「私」という単体になってしまいました。こうして、「個人の自由」をベースとした、いわゆる「個人主義」の時代が全盛になるわけです。(P36)


 確かに我々は自由を手に入れた。 何を信じるか、何を信じないかは自由になった。幼稚園の時にはイエス様にお祈りしていたのに、小5の夏には野球の神様にお祈りしていた。これは私が何を信じるか自由だからこそできたのである。いまだにUFO信じているし・・・・・。しかし、自由は「私」というものさえも自由にしたのである。その自由に苦しんでいるのが現代の我々の姿なのである。では今を生きる我々はいかに自我を確立すればよいのだろうか。


つづく 

余談Ⅷ

2008年07月26日 13時24分40秒 | Weblog
 少年Dがブログを始めた。これで5回目だ。またいつ終わるのかは分からないが、温かく見守ってあげたい。

 D君の夢は自分のBarを出すこと。バーテンダーのアルバイトに没頭しすぎて学校にも来なくなったほど力の入れようはすごい。

 私も300万ほど出資できるように、お金を貯めておこうと思う。そのかわりバーの名前は「いない いない Bar」にしてもらうつもりだ。

 店を出すからには会計の知識が必要だと知り、簿記の勉強も必死なようだ。資本論でも読みなさいと説教したら、「俺、アダム・スミスより、マダム・スミスが好きだから」とかわけの分からないことを言っている彼だが、将来輝ける人物になっていることを願う。ちなみに資本論を書いたのはアダム・スミスじゃなくてマルクスである。

 それでは紹介しよう。

人生ノ時価

勘違い力

2008年07月04日 15時05分27秒 | Weblog
 金持ちは「勘違い力」に注目する。

 人には様々な能力がある。腕力、洞察力、記憶力・・・・・。そんな中に「勘違い力」というものが存在するのかもしれない。今日は異常なほどの「勘違い力」を持つ少年、K君の話をしたい。

 先日K君からメールが来た。「今、学校にいる?」という内容であった。家でお昼寝していた私はメールに気がつかず無視。3時間たっても返信が来なくなって不安に思ったのか、K君から2通目のメールが来た。全文を以下に記載しよう。

弁解の余地あり

君の気持ちはわかった!テスト期間が終わるまで徹底的に俺をシカトするきだな!このシカトっぷりは愛の鞭なんだな!少しでも俺の卒業の可能性を広げたくて気を使ってくれちょんのやな!うっ・・・・・涙が・・・・・ち、ちげーよ、目から汗がでただけだバカヤロー!まぁそこまで俺の事考えてくれるなら俺も頑張って卒業するよ!きっと・・・・・お前のことだから・・・・俺のことを思って卒業までシカトなんだろ?辛いけど・・・・・お前も辛いんだな!俺のために・・・・・うっ、・・・・ば、ばーか!だから汗だっつってんだろ!お前の覚悟は伝わった!卒業したら・・・・たくさん・・・・語ろうぜ。


 私の行いが「愛の鞭」なのかは分からないが、彼の行いは「ただの無知」ということは間違いなさそうだ。「昼寝してたからメールを無視した」という事実を勘違いし、「愛の鞭でメールを無視した」と思っているのだ。ただ、そんな勘違いが悪いことかといわれれば正直よく分からない。真理をしって落ち込むより、勘違いして楽しく生きることもまたありなのではと思う。

 有史以来、人は心理を追い求めてきた。しかし、真理にはどれほどの価値があるのだろうか。人は真理を追い求めることよりも大切なものはないのだろうか。井の中で一番になったと達成感を感じられるならば、大海に出て鮫に食べられるよりも良いのではないだろうか。

 うまく言葉にできないが、K君の勘違いは何か大切事を示唆している気がしてならない。

富豪刑事

2008年06月18日 17時03分57秒 | Weblog
 金持ちは富豪刑事に注目する。

 『富豪刑事』とは、大富豪の孫娘である神戸美和子が浮世離れした感覚で次々と難事件を解決するドラマ。数億円の捜査費用をポケットマネーから出す豪快ぶり、真理を追究するあくなき姿勢、そしてあまりの空気の読めなさ。どれをとっても一流といわざるを得ない。彼女ほどのレベルになると、庶民とは流れている空気が違う。空気が読めないといわれるのは仕方ないことなのかもしれない。

 そういえば1週間ほど前、D君のお父様が横浜からいらっしゃった。挨拶を兼ねて一緒に飲みに行った。2杯目の生ビールを飲んでいるとD君がお父様に向かって私の話しを始めた。

D君「こいつとは1年の頃から仲良くてさ。でもめっちゃ冷たいヤツでさ、人をバサバサ切っていくし、優しさがないんだよね。」

私「おい、それ以上言うな。印象悪くなるから、ちゃんと俺のすごいところも紹介してよ」

D君「あ~、ごめん、ごめん。いろいろ変な事ばかり言ったけど、やっぱりこいつはすごいんだよね。・・・・・すごいくらい空気が読めない」

私「え~!!!!!!!!!!」

 あの瞬間、となりで深くうなずくK君の横顔が忘れられない。

 ふと気づいたのだが、私と富豪刑事は似ている。両者とも「空気がよめない」「空気がよめない」「英語がよめない」としばしば言われる。確かに英語は読めない。ただ、流れている空気が違うのだから、庶民の空気が読めないのは仕方のないことなのに。そもそも「たった数億円ぽっちのために空気を読むなんて・・・・・」

 ちなみに言っとくが、22年生きてきたが一度もアメリカ大統領から「空気よめない」といわれたことはない。私には生まれつき上流階級の空気がながれているのかもしれない。

 富豪刑事は、私を流れる上流階級の空気の存在に気づかせてくれた。空気が読めないからとて、心配することはない。これからも、夢にときめき、明日にきらめく・・・・・そんな人生を歩んで生きたい。ありがとう「富豪刑事」!!!!!!

進化

2008年06月06日 17時40分12秒 | Weblog
 金持ちは進化する。

 この5月から再び家庭教師が始まった。肝心の生徒はさておき、2人の妹とは相変わらずポケモン勝負で盛り上がっている。そんなある日、2人の妹にも進化の瞬間がやってきたのだ。

 いつも原付で家庭教師宅に向かう。到着するとすぐに妹たちが駆け寄り「よ~し、今日はポケモンカードで勝負だ~!!!!」と叫ぶ。

 先日も、原付で家庭教師宅に向かった。到着するとすぐに妹たちが駆け寄り「よ~し、今日は百人一首で勝負だ~!!!」と叫んだ。姉妹が進化する記念すべき瞬間であった。

Mちゃん「お兄ちゃんは、百人一首で何か知っている歌ある?」

私「ないな~」

Mちゃん「それじゃぁ、だめだな。」

私「まさか、Mちゃんは知っているの?」

Mちゃん「知っているよ。言っちゃろ~か~」

そしてMちゃんが詠い始めた。

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
(こんなうららかな春の光の中、どうして桜は次々と散ってゆくのだろう)

 Mちゃんが輝いて見えた。静けさの中に舞い散る桜から、どことなく哀しさが感じられる大人びた歌である。それをポケモンごっこをしていた少女が詠んだのである。

 「コナン」って呼び捨てにしたら「コナン君でしょ」と怒るMちゃん。ポケモンのカードゲームで「あ~、死んじゃった」と言えば、「気絶したといいなさい」と怒るMちゃん。お店屋さんごっこで「じゃ~、俺はその店で万引きする役」といったら殴ってくるMちゃん。・・・・・・そんな子供じみたMちゃんの面影はそこになかった。

 妹たちも着実に進化している。私も負けていられないなと感じた日になった。

 ちなみに肝心の中学3年生の生徒の話だが、「生活」を「なまかつ」と読んだり「this」の意味をおぼえていなし・・・・。終いには日本史の年号暗記に用いたゴロが「鳴くよウグイス、ホーホケキョ」。彼の中で、いったい平安京はいつできたんだ?

 とりあえず進化するまでもう少し時間がかかるようだ。


不良と日本社会Ⅱ

2008年05月25日 12時54分53秒 | Weblog
 「なぜ頭の悪い不良が社会で活躍できるのか?」こんな質問をすると「不良は根性があるから」とかすぐに精神論になってしまう。では、いったいその精神力はどのように鍛えられたのだろうか。不良を一括りにはできないだろうが、私の地元不良の歩む中学生活を振り返って、その問いを明らかにしたい。

①就職試験
 先輩から不良候補に選ばれた不良エリート予備軍は、小6の冬に勧誘を受ける。不良の本当の怖さが分からないバカな不良エリート予備軍は喜んで不良になると誓う。不良は女の子にモテるという事実だけは知っているからだ。これは、一流企業はチヤホヤされると考えて就職する大学生となんら変わらない。

②年功序列
 4月、不良予備軍にも春が訪れる。「最初が肝心」と気合を入れて入学式へ!!!先輩からの温かな祝福を期待して行くも、連れて行かれた場所はなぜか山奥。理由なき暴行がエンドレスに続く。不安と希望を抱いて登校するも、下校時には中学生活に不安と不安を抱くことになる。一見意味のない暴行のようだが、これは年功序列という制度を身にしみて感じることができるイベントとなる。

③終身雇用
 1年生の頃は不良のルールを徹底的に覚えさせられる。挨拶の仕方、未成年にタバコを売ってくれる店、違反制服の販売店などなど。挨拶に関しては特に厳しかった。少しでも手を抜いたヤツはボコボコになる運命であったから、皆必死で先輩には挨拶をした。どんなに挨拶が下手なヤツでも、どんなにルールを破るやつでも決して不良からはずされることはなかった。一度不良になった仲間は、最後まで仲間であるとの決意は固かった。これは日本企業に見られる終身雇用制度と似ている。

④ノルマ
 不良になると中2までは日々のカツアゲに苦しめられる。2時間目の休み時間に3年生の先輩が来て「放課後までに3千円な」との命令が出る。もちろん中学生に3千円が毎日作れるわけがない。そこで金持ちの友人を必死で口説くのである。集まらなければ、死ぬかもしれないという恐怖感からか、彼等の営業力はすごかった。決まり文句は決まっている。「お願い、お金かして。俺が3年生になったら絶対返すから」。この発言は、年功序列(3年生になったらお金が取れるようになる)と終身雇用(3年生になっても不良でいられる)という不良文化を象徴している言葉である。

⑤退職金制度
 苦しい2年間を耐え抜いたら、晴れて3年生。後輩からは好きなだけお金を取れる。挨拶のできない後輩は、死ぬ一歩手前まで殴る蹴る。好きなだけ自由にできるのである。これは、若い間に必死に苦労して働いた結果、年取って大して働きもしないのに高い給料をもらい、高い退職金をもらっていく日本企業の姿とダブる。

<結論>
 「なぜ頭の悪い不良が社会で活躍できるのか?」それは不良という組織で、先輩への礼儀、営業力、強靭な忍耐力、暴力に耐え得る体、空気の読み方・・・・・あらゆるものが吸収できるからである。

 今こうして振り返ってみると、不良とは日本の縮図であるような気がしてならない。

不良と日本社会Ⅰ

2008年05月21日 02時31分39秒 | Weblog
 金持ちは不良と日本社会に注目する。

 先日K君とバーに行った。そこのマスターがK君の同級生であったことから話はずいぶん盛り上がった。優れた会話術に丁寧な接客と、すでに一人前の社会人であった。私たちが帰る際には深々と頭を下げていた。その姿を見てK君が言った。

K君「あいつが頭を下げるなんて考えられない。」

私「どうして?めっちゃいい人でしょ」

K君「お前はあいつの中学時代を知らないからそんなことが言えるんだ。あいつは不良の中の不良で、さわるもの皆傷つけた過去がある。ジャックナイフとよばれて、根っからの不良だったんだよ」

 このマスターのように、ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれても、社会を上手に生き抜く不良は少なくない。元不良である私の友人も、今では本気で社長を目指している。頭も悪く、ガラも悪い彼等がどのようにして社会で生き抜く術を見につけたのだろうか。少し考えてみたい。

つづく

占い

2008年05月15日 00時04分54秒 | Weblog
 金持ちは占いに注目する。

少女A「私占いできるんで~。お兄ちゃんも占なっちゃろーかー?」

私「うん。俺の将来は完璧だと思うけど、どうかな?」

少女A「じゃ~、総合運で占なうね」


 ・・・・・・・・・・3分後・・・・・・・・・

少女A「結果でたよ」

私「どうだった?」

少女A「調子の乗りすぎに注意してだって」

私「・・・・・・・あっ・・・・・はい」

 所詮占いだ。うん。でも、なぜか結果が胸に突き刺さる。少しは反省しようと思う。やっぱりいろんな人と話して思うのは、私はあまりに自信過剰であるということだ。

 とりあえず雨がやんだ大地に向かって「雨降って地固まれ」とか意味の分からない命令をすることからやめようと思う。

論語

2008年04月30日 00時49分58秒 | Weblog
 金持ちは論語に注目する。

 私はこれからどう生きてゆけばよいのだろうか。一つの羅針盤となればと思い、于丹(著)孔健(監訳)『論語力』を読んだ。複雑になった現代も、本当に大切なものは昔と同じだったりするものだ。そこで孔子の教えに耳を傾けてみた。

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

 22の私が意識しなければならないのは「三十にして立つ」というところであろうか。于丹の解釈によると「この段階で必要とされている状態は、あなた自身が曇りのない内省の心、穏やかな心の持ち主であるかどうか。そして、あなたがこれから成し遂げようとしている理想について、自分なりの信念、確固たる意思があるかどうか」とある。

 とりあえず高校生の時に決めた目標だから金持ちを目指す。ただ、お金によって穏やかな心を乱されるわけにはいかない。 死生命あり、富貴天にあり。一生懸命働いてみるが、金持ちになれるかは天に任せようと思う。穏やかな心は、お金よりもずっと価値があるものだと思うから。

大人と子供

2008年04月27日 12時32分24秒 | Weblog
 以前、友人とドライブをしていた際の話である。「大人と子供の違いは何だと思う?」と尋ねたら、予想外にも真面目に答えてくれたので紹介しよう。

 人には3段階あり、3段目にたどり着いた人が大人であると彼は言う。では3つの段階を見てみよう。

①独断的
 子供を見ていると何でも「自分が」という世界である。この時期は独断的にしか行動できない。

②客観的
 少し大きくなると社会を客観的にとらえられるようになる。ただ「どうせ世間は・・・」というニヒリズムに陥りがち。この段階はまだ大人ではない。

③客観的な視点で独断的に生きる
 真の大人とは社会を客観的にとらえ、その中でニヒリズムに陥らず、自分がどう生きるかを知っている人。


 以上が友人の考える「大人と子供の違い」である。彼の考えはヘーゲルの弁証法に通ずるものがあると感じた。

 弁証法とは、あるもの(正)があると必ずそれと矛盾し・否定するもの(反)が生まれ、その対立・矛盾・否定を通してより高いものに総合される(合)、この正・反・合がくり返されて事物が発展していくとする考え方である。

 彼の考えと照らし合わせてみると以下のようになる。
「正=独断的」
「反=客観的」
「合=客観的な視点で独断的に生きる」

 これが正解なのかはさっぱり分からないが、純粋におもしろい考えだと思った。慣れない運転をしながら、これだけの発言ができるのは大したものだと思った。ただ、自分で設定したカーナビの「100M先、左折です」の声に、「機械のクセに俺に命令するな。なんなら電源ボタンでお前を消してもいいんだぜ」と叫ぶ彼は、どう見ても子供のようだった。 

どう生きるか なぜ生きるか

2008年04月25日 14時16分34秒 | Weblog
 金持ちは「生き方」に注目する。

 人生とは山登りであると思う。「登る道違えど、目指す頂は一つ」ではないだろうか。一流の経営者、一流の野球選手、一流の画家・・・・・彼等は違う道を歩いたが、たどり着いた頂点から見る景色は皆同じであると思う。具体的に言うと、どんな経験をしてきたかは十人十色であるが、その中で身につく人生哲学は1つしかないと思っている。京セラ、KDDIを立ち上げ、日本を代表する経営者、稲盛和夫も山の頂上に達した一人であると思う。彼が頂上から見る景色が少しでも知りたくて、稲盛和夫氏の『どう生きるか なぜ生きるか』を読んだ。

 この本で感銘を受けたのは以下の2つ。

①人生は諸行無常であることを知る

②何事にも感謝する心を持つ

 ①人生は諸行無常であることを知る
 お釈迦様が良いこと悪いことが織り成している人生を観て、人生とはなんと厳しいものよ、「諸行無常」と言われたそうだ。ちなみに諸行無常とは「万物は常に変化して少しの間もとどまらないということ(広辞苑)」である。仕事のミス、人との別れ、重い病気・・・・人生には辛いことや悲しいことがたくさん訪れる。これを不幸だと嘆くのではく、これが人生であるということをしることで少しは心が軽くなる気がする。

 ②何事にも感謝する心を持つ
 諸行無常の人生において大切なのは「よいことに出会おうとも、わるいことに出会おうとも、どんな運命に出会っても、出会った運命に感謝する心で対応する」ことだという。とはいえ、凡人が災難にあった際に災難を心から感謝することはそうそうできることではない。稲盛氏は、感謝することを「理性で覚えて、理性で入れておき、理性でもって使うということが必要になる」とアドバイスする。

 この話を読んで「もしかしたら私はすでに悟りを開いているかも」と驚いてしまった。私が高校2年生の時の話であるが、テストで211番中、211番を取ったことがある。私は211番であることに感謝した。その理由は、将来「211番だったけど、努力してこんなに成功できたよ」と言うことができるから。その言葉で、どれだけの頭の悪い生徒が夢や希望を持ってくれるのかと想像したものだ。帰りの道のりは、一人でニヤつきながら帰った。

 お釈迦様が説かれた修行に六波羅蜜(ろくはらみつ)というものがある。「六波羅蜜とは、これらの修行をすることによって人間の心が浄化され、純化され、そして最終的な悟りの境地に行き着くという修行」であるが、その中に「精進」がある。精進とは誰にも負けない努力をすることだという。その話まで読んでしまうと、高校2年生の時の悟りは勘違いであったことが分かった。せっかく悟りの境地にいると期待したのに・・・・・。

あ~、人生は諸行無常なり。

ごくせん

2008年04月23日 20時10分02秒 | Weblog
 金持ちはごくせんに注目する。

 先日ごくせんを見た。不良だからという理由でひったくりの犯人扱いされる生徒を必死で守る教師の姿に心を打たれた。心から生徒に向き合い、生徒を守り、生徒を叱る、それが真の教師というものなのだろうか。

 そういえば私もよく犯人扱いされたものだ。校内にあるタバコの吸殻や廊下にエロ本が落ちていた時もそうだった。中でも忘れられないのが小学生の時のセロハンテープ事件。先生のセロハンテープが、教室の窓から投げ捨てられていた事件である。その日の帰りの会は犯人探しになった。なぜか私一人、教室の前に出される。ちなみに本当に犯人ではなかった。

先生「お前が投げたのか?」

私「投げてません」

先生「本当のことを言え」

私「本当です」

先生「お前は野球部だよな。あそこまで投げられるのは野球部のお前だろ」

私「いやいや、あそこまでって、5メートルくらしかないですけど」

 先生がクラス全員に言った。

先生「今日は犯人見つかるまで帰さないからな」

 その後も執拗に私に問い詰めてきた。疲れた私はとうとうウソをつくことになった。

私「はい、私がやりました」

先生「ほら見ろ。お前のせいでどれだけの時間が無駄になったと思ってるんだ」

 純粋無垢であった私の心には大きな傷ができた。一方的に攻められ、無実の罪で裁かれる苦しみを、何も小4の私にさせなくてもと未だに思う。生徒を信じることすらできない態度は、ヤンクミとは大違いであった。

 今の日本に、生徒に心から向き合う教師はどれくらいいるだろうか。やっぱり私のような人が教師となるべきか・・・・・・ふとそんなことを考える。

アウトサイダー

2008年04月21日 09時00分36秒 | Weblog
 金持ちはアウトサイダーに注目する。

 城繁幸氏の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか アウトサイダーの時代』を読んだ。所々反論したくなる箇所もあったが、「価値観が多様化した現在、レールから外れることを恐れるな」との主張には大賛成であった。

 先日、友人と二人で飲みに行った。彼もアウトサイダーと呼べる人物であろう。大学2年生の頃に始めたバーのアルバイトにハマリ、大学には来なくなった。4年生になり、危機を感じたのかアルバイトを辞やめ授業に行くことにしたという。そんな彼が日本酒を片手に、尋ねてきた。

友人「自分の人生について悩んだことある?」

私「・・・・・そりゃ、たまにはあるよ」

友人「・・・・・・・・俺は、今がその時なんだよね」

 声のトーンからおそらく相当悩んでいるように思えた。そういえば、この本の筆者がバーに行った際の出来事がおもしろかったので、一部抜粋しよう。

 ・・・時計の針が零時を回ると、店内の客も、一人二人と家路につく。2時を過ぎた頃には、いつの間にかマスターと二人きりになっていた。
「最後に何か、おススメのシングルモルトを頼むよ」
 ボトルの棚の奥から引っ張り出すついでに、彼はスコッチの話をしてくれた。スコッチは蒸留所のポットスティル(蒸留釜)の中で生まれた後、様々な種類の樽、色々な場所で熟成されることで、千差万別の味わいを見せる。たとえばアイラモルトなら、厳しい潮風にさらされる海辺で年を経るうち、スモーキーなピート香をその身にまとうことになる。その後はバーボンやジェリーなど、風合いの異なる樽に詰め替えられることで、個性を出していくわけだ。
「この仕事をしていると、いろいろな人に出会いますよ」
ラフロイグ15年を注ぎながら、彼は言う。
「そういう意味では、スコッチに似ているかもしれない。回り道や畑違いの経験を積み重ねることで、後から風味がでる、そん気がします」
 ずっとボトルの中だけで過ごしていては、何年経っても味なんて出るわけがない。もし、人生において自分だけの風味を出したいのであれば、大切なのは潮風にあたることだ。・・・。


 彼のアルバイトした期間はきれいなボトルで過ごした時間ではなかった。見た目は薄汚い樽の中だったのかもしれない。ただ、決して無駄な時間ではなかったはずだ。アルバイトが終わる夜中の3時に私を電話で起こし、その日の出来事を目を輝かせながら話したり、誰よりも早く出勤し、一人でシェイカーを振る日々。そして何よりバーで知りえたお客様や働く仲間から得たものは何事にも変えがたいものではないだろうか。

 私が彼に対して思うのは「レールから外れ、潮風に当たった日々を後悔して欲しくない」ということだ。人生80年勝負。潮風に当たってきたこの月日が、将来彼だけにしかない味を作り出してくのだと信じている。

インテリジェンス

2008年04月19日 16時35分54秒 | Weblog
 金持ちはインテリジェンス(諜報)に注目する。

 先日、佐藤優氏の『野蛮人のテーブルマナー』を読んだ。佐藤優氏によると「インテリジェンスは、基本的には国家の機能であるが、その技法は企業や個人にも応用可能である。ビジネスパーソンがインテリジェンスの技法を身につけていれば、情報収集や人脈構築でライバルを出し抜くことができる。また、いい異性をものにしようとする場合にもインテリジェンスの技法は応用可能だ。あるいは浮気がばれかけたときの言い逃れにもこの技法を援用できる」という。TOEFLよりも役に立ちそうなので、その具体的なテクニックを以下に記す。

 まずインテリジェンスの世界でよく行われるのが食事工作。 佐藤優氏によると食事工作の基本は「私は危険な人物ではないということを深層心理に徐々に刷り込んでいく」ことであるそうだ。同一人物と3ヶ月に3回以上、食事をすると、アルコールを伴わなくても、一応の信頼関係はできるという。

 ターゲットを食事に誘う際、人物調査を徹底的にすることから始まる。インテリジェンスの世界では誰にも「値札」がついていると考える。プロはこの値札を正確の読み取り、相応なランクのレストランで食事をするという。佐藤優氏によると「値札が2万円のターゲットをファミレスやマクドナルドに連れて行ってはならない。逆に値札が1000円のターゲットを高級レストランに連れて行ってはならない」という。

 では1回目の食事を、2回目、3回目の接触へとつなげるにはどうすればよいのだろうか。佐藤優氏によると、相手が断れないような小さな物を「貸してくれ」と頼み2回目の接触を作り出すという。借りる際に「あなたにあげる」と言われても「そんなことはできない」と遠慮する振りをすることが大切なのだそうだ。本当は遠慮しているのではく、借りた物を返すという口実で3回目の接触が可能となるからだ。

 インテリジェンスのプロはこのようなテクニックを駆使して、人脈を構築し、必要な情報を正確に得るのだ。インテリジェンス業界では、秘密情報の95%~98%は公開情報の中にあるという。違法活動をしなくとも、誠実に公開情報を分析し、人脈を作ることによって有利な情報を手にできるのである。ちなみにインテリジェンスの中でも非合法な部分をスパイ活動と言うらしいが、私の得意分野であった。

 小学6年生の頃、情報屋として活躍したことがある。メンバーは4人。6時間目が終わると、教室の後ろの窓の鍵をこっそり開け、カーテンで隠すのである。野球部が終わり、夕方の7時頃に仕掛けた窓から侵入。昼休みの練習の成果か、どの教室にも侵入できる技を習得。おもしろい情報が手に入ることもしばしばであった。

 私も、もう大人である。今さら非合法なことはしたくない。インテリジェンスの合法なテクニックを駆使して、金持ちになろうと思う。

温故知新

2008年04月17日 11時06分15秒 | Weblog
 金持ちは大人の見識を持たねばならない。

 阿川弘之氏の『大人の見識』を読んだ。おもしろかったのは「温故知新」という言葉についてであった。

 温故知新とは「故(ふる)キヲ温(たず)ネテ新(あたら)シキヲ知(し)ル」という孔子の言葉である。なぜ孔子は「尋ねる=タズネル」ではなく「温=タズネル」にしたのだろうか?

 阿川氏は他の学者の解釈を引用しながら以下のような説明をしている。

 孔子が言いたかったのは、ただ尋ねるのではなく「アタタメタズネル」ということだ。「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以って新シキヲ知ル」

 知識そのものに価値はない。その蓄えた知識(材料)を温め、知恵(スープ)にしていかなければならないのである。孔子はそう言いたかったのだろう。

 先日高校時代の友人と飲みに行った。彼はゲームや漫画に熱中する生活を送ってきたらしいが、そんな生活をすこし後悔しているように感じ取れた。確かに漫画の主人公の名前やゲームのストーリなんて無駄な知識かもしれない。ただ、そんな無駄だと思われている知識から、彼がどんなスープを作り出すのか正直楽しみである。ハチャメチャな彼なら、何かやってくれるのではと陰ながら期待している。