yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

ハノイ-6  もう一つの築地の条

2007-12-29 03:29:53 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 ハノイから帰国して直ぐに国史跡北畠館跡調査指導委員会があった。
 そこでとても興味深い築地跡を見学することができたのでご紹介しておこう。
 もちろん築地塀ではないという意見もあるのであくまで私個人の見解である。

日本の築地塀も面白いねと思ったらよろしくお願いします。


(文献、考古、歴史地理様々な分野の先生方と意見を交わした委員会。とても勉強になりました。)
 北畠氏がこの地にはいるのは14世紀中頃である。神皇正統記で有名な北畠親房の3男北畠顕能が伊勢国司としてこの地-旧美杉村-に霧山城を築いたのが最初だと伝えられる。その後1576年、織田信長によって滅ぼされるまでの230年間この地を拠点にして伊勢支配に当たったのである。

 その館跡が近年発掘調査により明らかとなり、中枢部が国史跡として指定されたことは以前にも記したことがある。毎年1回の委員会がこの時期にあり、昨年も今回の調査地の直ぐ南西側の調査を見学したことがある。


(これが築地の基礎とした石垣の一部ではないかと思われる遺構です。両側に面をもっているのでその間が構築物であることは間違いありません。単なる背の低い石垣とはとても思えません。)
 今回は石を用いた遺構が出ているとのことでとても興味深かった。行ってみてびっくりしたのは基礎を石組みにした築地塀が見事に遺っていたことである。こんな幅の狭い(幅60cm)塀はこれまでにない?と言う意見もあったが、私はこれで十分基礎を石垣にした築地塀でいいと考えた。委員会の後でいろいろ調べてみると、この頃(16世紀の何処かで造ったか)の築地塀なら壁土を積み上げていく近世以降の方法で十分に築地塀はできると思われる。特に瓦がほとんどでないのであるから、恐らく屋根は板葺きであったろう。ならば益々この工法で築地は築造可能である。


(ハノイタンロンの築地塀です。ここでは外周を磚で覆いますから芯は磚や瓦を詰め込んでいます。土や木の文化である日本と磚の文化であるベトナムとの違いをまざまざと感じることができます。)



(これが日本の築地塀です。高麗寺の築地塀はもちろん土壁です。)
 それ以外に方形の石組みや円形の井戸らしき石組み、直径1mはあろうかという巨大な礎石状の石が認められる。かなり立派な石を多用する施設があったのである。ところがこれらの遺構とは趣の異なる余り綺麗に揃わない掘立柱建物の小ピット群があり、何とか建物にすることができるという。さらにこれらの「掘立柱建物」の内部におさまるように炉壁や鉱滓が廃棄された土坑があるという。とてもこれらの石組み遺構とはそぐわない建造物である。
 はっきりはしないのだが、掘立柱建物と石組み遺構との間には検出遺構面に違いがある可能性があり、時期差があるかもしれないのだ。ならば話は理解しやすいのだが、現場はもう既に発掘されてしまっており、その可否を判断する材料がほとんど無いのである。これは少し残念だった。
 こうした発掘調査では、やはり遺構の変遷を確認できるよう、必ず断面ベルトを残しておかなければ、確認のしようがないのである。ちょっとそれが残念だった。
 
 さて、なぜこんな所に石組みを基礎とした立派な塀が設けられたのであろうか。その答えは、この地が多気の北畠館の東西メインストリートに面する場所だからである。この道を真っ直ぐ東へ登ったところに北畠の大事な寺院が建立されているのである。言ってみれば一等地である。面白いことに出土遺物の中に尼さんの存在を示す墨書土器がある。私は文献では知られていない尼寺がこの地一帯に伽藍をもっていたのではないかと考えたいのだがどうだろう。


(これが出てきた炉壁です。鋳型や鉱滓が出ているので鋳造が行われていたことが判明しているんですが、これは壁が真っ直ぐに立っていて、鋳造炉ではないと思われる。鍛冶もやっていたんでしょうね。私は工房→尼寺という変遷を考えてみたのですが・・・。)
 その可否はこれから先調査地の東で行われるであろう発掘調査によって明らかにされるであろうが、私が最も注目したのはベトナムタンロンの11世紀の築地塀と日本中世16世紀の築地塀の構造の大きな相違であった。タンロン王城の16世紀と言えば黎朝期である。これから先同時期の築地塀も明らかになるはずだが、その際、日本中世のこの石垣の資料は、技術の相違を確認する上で極めて貴重な資料になるに違いない。時代も国も異なるのだが、新たな比較資料を入手することができ、とても有り難く思った一日であった。1月には現地説明会もあるらしい。是非たくさんの人々に見に行って欲しい遺跡である。

多気の北畠館も面白いねと思ったらもよろしく
 



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