2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

ビクトーザ皮下注18mgを使い始めて2ヶ月経過

2018年03月30日 | 日記


私達、2型糖尿病患者は、基本的に病人です。そのために薬剤に頼っています。
 
 世の中では、薬剤開発が進んでいますが、その薬剤開発も、資本主義の欲望が原動力です。世界的な需要が多い、2型糖尿病患者の需要が大きくて、、薬剤開発メーカーは非常に利益があがります。ですから開発費も潤沢で、投資家も多いはずです。2型糖尿病は新しい医薬品開発をして当たればその利潤は莫大なものになります。利益と開発が結びついています。2型糖尿病の研究が盛んで、我々は流行病の患者かもしれません。エイズの特効薬が開発されましたが、南アフリカの貧しい人には行き渡らずに世界的な問題となりましたが、医療は損得勘定で成立しています。

 日本でも、高額医療費は自己負担の大きなものがあります。支払いの能力により、人間の寿命の違いが出てきてます。資本主義の理念で、敗者は相手にされなくなりました。そうしたことが、先進国でも蔓延っています。敗者は消えろ、という考え方です。

 一方、40代にさしかかると、血液検査の一度くらいは行っています。必ず言われるのが、『高脂血症』との宣告、ちょっと太り気味人、太っていない人でも内臓脂肪が多かったりして、悪玉コレステロール値が高いとして、食事制限と、運動を進められて、高脂血症を抑える薬の処方をうけます。そして定期的に診察を受けるようになります。

 この時に、処方される薬に メバロチン[プラバスタチンナトリウム]、リポバス[シンバスタチン]、ローコール[フルバスタチン]、リピトール[アトルバスタチン]、リバロ[ピタバスタチン]、クレストール[ロスバスタチン]など[内はジェネリック医薬品] こうした医薬品を長く飲み続けていませんか。こうした薬を『スタチン系薬』といいますが、年間の売上額が5000億円だそうです。

 悪玉コレステロール(LDLコレステロール)が高いと脳の血管や心臓の血管に溜まって、動脈硬化を起こし、心筋梗塞や、脳梗塞などの危機を言われます。しかし、スタチン系の薬を否定する医師がおられます。コレステロールは人間には必要不可欠な物質です。少々高い数値でも問題はなく、この巨額な薬剤費は、製薬会社のお抱えの権威のある医師のピラミッド型の権力構図で間違いを直せないでいるのではないか、と言われています。

 現在、新しい医薬品の開発に限界が起きて、過去の医薬品を再調査して、他の効き目がないか調べられています。例えばここで述べた、スタチン系の薬が脳梗塞をおこした人の再発予防に効く。糖尿病薬のメトホルミンが癌に効く、とかしらべられています。心臓薬が骨癌を除去したとか医療の現場で効果が出ているものもあるそうです。

 私は、心臓の冠動脈にステントを一カ所留置した経験から、或いは、理化学研究所の人の話などの結果、所謂、脂で血管が詰まるのではなく、免疫異常で、誤作動をおこした浸食免疫細胞が、健康(血管壁には、血管で運ばれるカルシュームなどが、血管に付着してしまう年齢になると石灰化として血管に溜まります)な血管に免疫システムが誤作動をおこします。免疫システムの中の、『T細胞』というのがあります。この、T細胞は、脊椎で創られて、一端、喉のところの『胸腺』という部分に入ります。

 この『胸腺』で、過去の異物などの情報をインプットされて、その情報のレセプターができあがります。しかし、何百万という異物情報を一つの『T細胞』にインプットはできないようで、ランダムに選ばれてインプットされます。その上、少しでも誤作動をしてしまう『T細胞』では生体を維持できないことになります。そこで、この『胸腺』では、『細胞の選別』も行い、僅かなミスも許さずに、なんと『胸腺内部』で、その『T細胞』の95%が処理破棄されて、残りの5パーセントを血液中に放出しているそうです。こうしたことを続ける『胸腺』という臓器は、20歳過ぎると、縮小して機能を失い、痕跡だけが存在する状態になります。

 人間の寿命が、30歳後半から40歳くらいの過去の時期に、14歳くらいで子産み、40歳までに一生を終えるころには、そんな長い期間を免疫が働く必要がなかった、と推測されています。しかし、長生きができるようになった人類、農耕の始まりで、飢えることがなくなったので、人口は増えて、長生きになり、今日に至っています。ですが、免疫の司令塔である『T細胞』が新しく創られない状態のまま長生きをしています。何らかの理由で、免疫システムの元気な人は、癌にもならずに、糖尿病にもならず、元気すごしている人種がいるそうです。

 この免疫の司令塔の『T細胞』が誤作動を起こすと、樹状細胞がとらえてきた物質がT細胞に取り付いて、T細胞が判断して、異物となると、このT細胞がサイトカインの一種を血液中に放出するそうで、そのサイトカインの合図で、侵食細胞が攻撃を始めて異物を除去します。誤作動で起こした侵食細胞は、正常な細胞を攻撃します。この攻撃が心臓の冠動脈で起これば、健康な血管壁を傷つけます。傷がつくと、出血を止めようと血小板があつまります。しかし、侵食細胞はなおも攻撃を続けてしまい、血小板も集まり、その部分の血管にの内側が盛り上がり血液の通り道がせまくなります。心不全から、血液の流れが止めれば心筋梗塞となります。血液の流れが無くなれば、酸素が送られない細胞が壊死します。早い時間的治療が必要になります。

 この『T細胞』を iPs細胞で創れないか研究がされているそうです。


 ここまでは、追記になります。

*******************************************



この注射は、一日一回 注射器のメモリで、0.9 と量的にはかなり多く注射することになります。

 前にも記述があるが、食べ物が胃から十二指腸と小腸に達すると、インクレチンというホルモンが出てきて、膵臓のβ細胞に刺激を与えて、インスリンを出させるGLP-1という物質とGIPという脂肪細胞へのブドウ糖吸収を促す作用があるということです。

 このビクトーザのGLP-1は、胃液の分泌も抑えるなどで、胃の内容物の消化を遅らせる働きがあるそうで、食欲を抑える働きがあるとされています。また、便秘になります。糖尿病性の痒みのある人は、痒みが微妙に続きます。低血糖になりにくくしてあります。しかも、分解酵素のDDP-4に対して、脂肪酸などの利用で回避されています。

 体験的に、胃に重さを感じて、胃液の逆流を感じたこともあります。

 このインクレチンというホルモンが、インスリンを出して消化管から吸収されたブドウ糖を細胞へ吸収するように作用して、人間の生きるためのエネルギーとして使われます。
 1型も2型も糖尿病になると、この血液中のブドウ糖がエネルギーとして使うホルモンが働かないので、自らの身体の脂肪を使って、エネルギーにします。脂肪が無くなると、筋肉もエネルギーに変えて生き続けようとする仕組みがあります。そのために、いくら食べても、ドンドン痩せてゆきます。異常な痩せ方になります。
 こうした時に、血液検査をすると、ケトン体、と言う物質が検出されます。

 ケトン体とは、アセト酢酸、3-ヒドロキシ酪酸(β-ヒドロキシ酪酸)、アセトンの総称のこと。

 そもそも体のエネルギーは糖ですが、糖が不足したときに肝臓では脂肪酸の代謝(分子をあれやこれやして使いやすい状態に変えること)が進み、アセチルCoAという物質が生成されます。このアセチルCoAがエネルギーとして使用されるのですが、実はこのままでは血液中を流れることができないため、一度水溶性のアセト酢酸やβ-ヒドロキシ酪酸、つまりケトン体に姿を変えて、血液によって体の隅々まで運ばれるようになります。(アセト酢酸は呼気中に入ると、アセトンとして揮発して体外に排出されます。)

 エネルギーである糖が不足している脳などの臓器に運ばれたケトン体は再度アセチルCoAに戻り、エネルギーとして利用されます。これが脂肪が燃焼される仕組みです。

 低血糖で、気を失い昏倒するのは、脳のエネルギーはブドウ糖が主役であるので、血液中のブドウ糖の量が一定以下になると、脳が働かなくなり、昏倒します。そのまま誰にも気付かれない状態ですと、『死』にいたります。そのために、最近のインスリン注射以外での糖尿病薬は、低血糖になりにくい作用がほどこしてあります。

 糖尿病以外で入院した場合も、医療現場の看護師不足や、血糖管理が病院側で頻繁に検査できない状態なので、この低血糖に対処するために、血糖値200異常にならないと、インスリンの注射をしてもらえません。長くても1ヶ月の入院期間ですので、退院後に自己コントロールをするか、医師により、患者の自己管理能力に応じて選択できる薬の種類があります。

 高齢者で、自己インスリンが出ている場合は、ジャヌピアとか、私が今、利用しているビクトーザ注謝などを使うようです。低血糖が起こりにくいからでしょう。

 インクレチンホルモンに関する糖尿病薬が、上述したジャヌピアとビクトーザです。ジャヌピアは、このインクレチンが、分泌されると、約5分くらいでDPP-4という酵素で加水分解されます。インクレチンが効き過ぎると低血糖になってしまうので、こうした機能が人間に備わっています。しかし、何らかの働きで、インスリンの効き目が悪くなった身体では、血液中のブドウ糖が取り込めない状態になります。糖尿病の発症になります。そこで、インスリンの効果が出やすい薬や、インスリンが長く出るような働きの薬を使用して血液中のブドウ糖の量をコントロールすることになります。

 高血糖の血液が流れ続けると、あらゆる病気の原因になります。

『先入観』 真実は、自分の生活史が背景にあったりする。

2018年03月18日 | 日記
 私の中学時代に、今で言う、美術の学科で、近隣の河川の写生に出かけることになる。

 東京の下町で、隅田川と荒川の間の運河との交差する部分がすぐ近くに存在する。

 1960年ころで、高度経済成長に入り始めて、激しい公害が出てきてきた時代。

 隅田川は臭いが出てきてドブ川のうに流れ、荒川も子供時代に魚釣りができたが、その時期には魚釣りがもうできない状態になり始めていた。そんな風景を写生することになった。

 私は、絵を描くことにまったくの自信はなく、半分無気力に見たままを描いて終わった。印象にこんな汚い風景をと、いぶかる気分で学校へ帰って次の授業を受けた憶えがあります。

 1週間程して、校庭から校舎に入る入り口の目の前の壁に、見覚えのある絵が貼り付けられていた。私の写生の絵であった。しかし、私の絵の上にもう一枚の絵も張り出されていた。その絵を見た瞬間にだれの絵かすぐに解った。その絵の主は、小学校の頃から絵を描くのが上手く、印象に残る絵を描き、そのうまさも定評があった。その下に張られた私の絵。

 まず対照的であった。私の絵は暗く、どんよりしていて、当時のスモッグが架かった薄暗い風景であり、遠くの景色ほど汚い空気に霞んで見える状況が描かれていた。遠くの景色というのが、江戸時代に最初に架けられた、『千住大橋』の風景であった。脱線するが、日光街道の千住の宿が置かれた時代、徳川家康が亡くなったことで、家康の先人を真似る政治手法、臆病な家康が生き残り天下を納めた理由にいろいろな説があるが、家康の政策にあまり出てこないオリジナリティーがある。

 武田家が滅びると、その『武田家の赤備え』といわれる最強騎馬軍団を配下にして井伊家に管理させてゆく。そうした、家康は、信長の戦法やその失敗を良く熟知して、応用してゆく。秀吉が亡くなった後に、その秀吉の意向で、秀吉は、神になり、神社を作り祭り上げられる遺言をのこす。そうなって、神社が作られる。徳川家康もそれに習う。実に、素直である。良いと思うことは取り入れてドンドン実行する。これが徳川政権の270年の現実であろう。

 この、徳川家康の死後に祭り上げる神社が、日光東照宮である。そのために、日光街道が造られて、その通り道の隅田川に始めての橋を架けて、日光への参拝を繰り返してきたのである。もう少し脱線するが、松尾芭蕉の『奥の細道』の出発点が、この千住からであった。下流域の芭蕉庵から、船で千住に降り立ち、旅だったのである。

 
 本題に戻ります。この千住大橋が、スモッグに霞むように、遠くに見えたので、そのままに霞んだ橋をかいて、近くの川の流れは、そのまま汚い臭いながれとして描いたつもりでったが、その汚さは描きれない状態で時間になってしまったことを憶えている。

 非常に汚い、暗い、色のあまりない風景で、私の暗い性格が良く出ていました。

 しかし、日頃から絵の上手いな奴と思っていた上手い絵と比較されるように貼られている事への羞恥心みたいなものが私の気分を暗くしました。

 しかし、その絵の上手い奴の絵に嘘を多く見つけました。当日は晴れていたのですが、青空は見えませんでした。白い雲も見えませんでした。川の岸に草も花もありませんでした。しかし、その絵の上手い奴の絵は、明るく、青空があり、白い雲が浮かんで、川岸には草や花がえがかれています。とにかく明るい絵です。そして上手く感じるのは、天性の画面のバランスでしょう。私の未完成の絵と違い完成されてました。

 そんなことで、数日すぎる、ある日、美術の先生に廊下でバタリと合い、先生、酷いですね、暗い性格の奴の絵と、明るい性格の奴の絵を比較させることや、上手い絵と下手な絵の比較は、歪んだ表情をして抗議していたと思います。最悪の信条でした。自分の性格の暗さは良く解っていたからです。

 すると、教師は言いました。自分の絵を良く見ろ、あの汚い風景が良く描かれている。そして、あの遠くの橋とその川が、遠くなる風景の遠近感が非常に良く描かれている。普段おまえの絵に決して上手いと思った事が無いが、今回は無心で、何も考えずに描いたのが良かったのだ。おまえは、絵が下手ではない。美術の試験で、自分の手のデッサンを描けというのがあったろう。あのときの自分の絵に、おまえは、学年の10本の指に入るくらいの観察力が感じられた。あの写生画は、立派に描かれている。

 放課後に誰も居ない時間にその二枚の絵をじっくり見て感じたのは、無心で描いた、私の絵に、遠く霞む千住大橋の遠近感が出ていて、なるほどと感じ入った思いをしました。そしてあの汚い川の水の流れを描こうとしていたことを憶えていました。その対比は、ある意味で伝わったようなのです。只、無心にかいた絵でした。

 そして、上に貼られた明るい上手い絵に、違和感を感じて見つめました。なぜ、あんな汚い風景がこんなに明るく描けるのか、不思議な思いを持ちながら、大人に成長しつつある時期に、ふと気がつくことがありました。

 その、絵の上手い奴は、小学校入学まえまで、地方の農村から東京へ出てきたことを知りました。その理由として、彼が、親の信仰している創価学会に所属していて、高校生の終盤ころに、当時、『しゃくふく』(どんな漢字なのか解らない)ということで、会員を増やす行為が、また救われるとして、かなり強引な勧誘活動が行われていました。その彼と議論していて、理屈では負けないので、地域の幹部などを連れてきました。しかし、納得できないので、断りました。彼はこんなことを言って、帰りました。『君は評論家でしかない』

 行動しないで、理論ばかり言う奴に腹が立ったのでしょう。そう言い残して帰りました。そんな時に、地方で育ったことを知り、彼の風景に育った環境の生活史があり、その風景は、青空であり、白い雲が浮かび、川縁では、草木が生えて花も咲いていたのでしょう。彼には風景はそうしたものだったのです。

 我々は、あらゆるものに、自分の心地よいフィルターを掛けてものを見ています。心のフィルターを除くことの難しさを感じます。

 また、脱線しますが、彼が『しゃくふく』としてすすめに来た、創価学会は、日蓮宗に属すと思います。私の近所の細い路地をあるくと、『南無妙法蓮華経』と激しく唱える声がきこえてくることがありました。

 その読経は、30分くらい続くそうです。この読経を一心不乱に30分も唱え続けると、いろいろな悩み事が消えてしまう現象が起きます。頭の中が空っぽになります。

 激しい運動をし続けると、息が上がり、疲れから放心状態になります。頭のなかは空虚になります。そうした状況で、立派と思い込んでいる人から、いろいろな教えを受けると、抵抗なく心の中に入り込みます。こうした、直感的な理解の仕方、或いは、こうした状況の精神状態になると、マインドコントロールが簡単にできます。

 何かの状態で、ある会場に大勢の人を集めて、集団てきに酔わされて、同調して、詐欺的商法にはまったり、韓国系の信仰宗教で、集団結婚式を挙げたりして、そのまま信じ切って、或いは、信じることを辞める怖さから、抜け出せない人も多くいます。

 ですから、本来の仏教的な宗教も、一神教も、その主教には、厳しい理論体系などが存在して、あらゆる宗教の都合の良い部分だけで創る信仰宗教には無い、厳しさがあります。間違わないような知恵の掟や、その知恵に規制が存在します。

 惑い、苦しむ、拘り、執着、人間の生きるエネルギーは欲望です。であるから、その欲望を達成しようと、争い、憎しみ、残虐性まで発揮してしまいます。

 欲望の強い人ほど、上昇志向が強く、権力まで手にしようともがきます。どのみち苦しむことになります。拘りのない、先入観のない、適度に欲望を抑えて、自由に、本当の自由に生きてゆきたいですね。

 ちなみに、日蓮聖人は、仏教で世の中を変えようとした人です。当時の鎌倉時代におは、密教がかなり誤解されて信じられていました。即身成仏。あるいは、その神秘性であるでしょうか。念じれば隣の部屋の閉じられた蝋燭の火も消せる。遠くに存在する人間に意思を伝えられる。などの教えがあります。鎌倉時代の密教や、武士の時代の政治への不信、疫病がはやり、寒冷化で、農作物の不作や社会の混乱のじきでした。

 大乗仏教には、拘らない教え、どんなことからも教えがあるといいます。唯物論や唯神論、あらゆることから学べといいます。自分からの解放が一番の幸せですが、難しいことです。毎日、偏見と欲望に振り回されて苦悩して生き続けています。

政治や官僚の汚職の構図

2018年03月14日 | 日記
 追記します。

 安倍総理は、決して政界では血統が悪い訳ではありません。戦犯で拘置されていて、戦後に総理大臣をした岸信介元総理の孫です。婦人は森永乳業の創業家のお嬢さんです。

 普通に総理大臣をしていれば、悪行三昧の安倍総理と歴史に書かれる事も無かったでしょう。また、憲法の改正がおもな野心であったのであれば、胡散臭い連中との付き合いは辞めればいいのです。

 がしかし、政界の実力者からの紹介などがあり、顔を立てる意味で、汚れた部分との付き合いが必要だったのだと思います。特に極右の成長の家、日本会議の連中との親密な付き合いは御法度です。美味い汁を吸おうとする連中が大勢存在してます。


日本は、明治以来の権力組織が残っている。

 太平洋戦争の敗北で、権力機能をアメリカにより破壊されていく課程で、改めて日本国家の樹立をする上で、ソビエトの満州への侵出や、北の千島列島沿いに進むソビエトに対抗する必要に迫られたアメリカ軍は、対共産主義国の備えをしなければならない状態が急がれた。冷戦の始まりが進んできたのである。

 急ぐアメリカの日本の国家の樹立と共産圏の防波堤が必要になり、天皇制を残す事を決めたり、官僚組織の残すことで、日本国家の形態を早く造ることが急務となった。

 明治以来の官僚組織が温存されて戦後の連合国側(基本的にはアメリカからの)独立が確定してゆく。明治維新では、有能な官僚が各部署でそれぞれ活躍してきたが、日清戦争の勝利を遂げて、日ロ戦争あたりから、長州の陸軍と、その長州の官僚的な情念が狂い始めることになる。

 明治の功労者の多くが下級武士であったので、伊藤博文などの奥さんは、芸者さんでした。勤王志士時代に口の堅い芸者のおき家での勤王の志士達の密会場所になっていたからでしょう。

 下級武士ということで、上級武士の女性や、大名クラスの女性との身分の違いで結婚はできなかったのです。また、身分制度という保守的思考の世界は中々変化は起きにくい。そこで、この下級武士たちの明治の功労者は、イギリスの貴族制度などの真似をして、日本に貴族制度を作ることとする。身分の向上である。

 がしかし、後に自由民権運動家として活躍する、板垣退助がこれに反対をする。板垣退助は土佐藩で少数派である。妥協して、『一代限りの貴族』としてなら認めるとしますが、多くの長州人や薩摩人からは嫌われてしまう。

 結果、伊藤博文の策略に落ちてしまう。板垣に外国への留学を勧める。当時外国への留学は莫大な費用が掛かり、個人では叶わなかったそうです。板垣はこれにのって海外追放のような形にされて、貴族制度が成立して世襲制度まで確立してしまう。この貴族制度は、太平洋戦争が敗北してアメリカに進駐され新しい日本の形ができるまで続く。

 こうして、日本の官僚機構は、戦後の日本の権力の中心に居続けることになる。

 世界的にも、官僚支配は存在しますが、日本の戦後は、公社という形で官僚が経済機構も支配します。現在の各ライフラインの企業は殆どが独占状態にあります。電気。ガス、は民間会社ですがもとの官僚のような存在が現在も続きまます。水道は地方自治体が、国鉄という組織もありました(現在のJR)国鉄の分割民営化は、その労組潰しが目的であったとされます。電信電話公社(現在のNTT東西)その関連会社が多く存在します。こうした公社が沢山あり、この公社から事業が発注されて企業が仕事をする仕組みが、官僚主導です。

 NHKは視聴料を国民から法的に徴収しておきながら、国民がお客様とは思っていない。昔の偉いお役人様式の考え方です。

 
 
 実例を紹介します。

 私の家のエアーコンデショナー、つまりエアコンは、東京ガスが販売していたものを使っていました。古くなり、効率も悪くなってきたので、新しい機器に付け替えました。東京ガスは全てが外注方式で昔から末端ユザーに提供してきました。このあたりが、その昔の公社方式で、役人根性で居られる東京ガスの本社機構です。

 工事は、東京ガスの地域文旦方式で外注が請けます。故障も、販売店も外注が管理しています。外注先の工事担当がきて、新しい機種と交換してゆきました。パロマの製造となっていました。このガス会社のエアコンは冬の暖房は、室外機でガスを燃やして暖気を部屋に送り込みます。電熱機のニクロム線の熱で暖めるよりも効果的で、電気代よりも安くなります。

 しかし、夏に機械の更新を頼んだので、まずは冷房から使い出しました。なつの湿気を除去するので、水がでます。ホースで外に出すようになっていますが、部屋の中に水が飛んでくるようになり、激しさを増しましてきました。東京ガスに連絡(勿論外注先の工事専門部所です)機械的な故障として、機械の交換をしてくれました。しかし、今度も水が激しく飛んできます。もう一度の機械の交換となりました。

 今度は大勢の下請け工事関係者が来ました。彼らが言うに、東京ガスの人が直接監視にきているとのこと、わたしは、自分の家の小さな庭で工事の邪魔にならないような片付けをしてました。東京ガスの本社かどうかは解りませんが、その人の前も遮りながら片付けをしていましたら、私の顔を見ながらも、腕を組んで偉そうに押し黙って、会釈の一つもしない。

 私は、現在、年金暮らしですが、一般の消費者の人を相手に、客の無理難題を処理してきたこともあります。東京ガス、東京電気、NTT東などの職員は、末端ユザーと接したことが無く、公社時代のお役人様的思考で、詫びることすらできない精神構造を持っています。


 
 今回の財務省の忖度かまたは要請がっての書き換えかは解りませんが、安倍政権を守り通した財務官僚が出世をしているので、請託があったようにおもいます。

 

 昔の自民党は、個人献金が許されていたので、公社方式と、財閥と官僚、政治が完全に癒着していましたので、新しい企業が官庁の許認可を受けて仕事の受注は難しい状態にありました。権力機構の中(政官業)で、内輪で良い思いをし続けてきました。底に少しでも割って入るのは難しい部分がありました。

 従って、おらが村の先生に頼もうと地方出身者の企業人は、地元選出の政治家に官僚への口利きをしてもらうことが法的に違反にはなりませんでした。それで、与党自民党の議員は、官僚の元へ業者と共にゆき、業者の許認可を受ける手伝いをして、個人献金をうけていました。しかし、こうしたことで、大きな汚職問題が次々に出てきてしまうことになりました。

 昔は、自民党政権でも、日本社会党や、共産党が野党として機能していましたし、官僚の中にも社会党系の総評という大きな労働組合組織があって、こうしたことから自民党の汚職がバレル機会も多くありました。汚職は、政府の規制を旨くかいくぐり、政官業が美味い汁を吸う役目を果たすことが、権力側に存在してました。今もそうしたことは多く存在が続いています。

 今回のモリカケの問題、スパーコンピューターへの補助金問題と経産省の奨励金みたいなものの、お金を取得した事件でも、通常の事業を進めることでは、民間側も政治家も、うま味がないので、国有地の安い値の売却で、極右思考の人達を優遇することで、選挙を勝ち抜く要素や、政治家にも多くのメリットがあったのではないか。

 国有地の払い下げの金額を安くする、権力者側同士では、こんな露骨な事はしないでしょう。家計の獣医学部設立にも安倍政権の強引な指導が感じられます。従来の首相は、官僚から政治家になる、ということで、国立大学出身者であったりしました。学閥的にも官僚が付き従います。また同類ですのでお互い無理な行為はしなくてもうまく事が運んだようです。

 しかし、安倍総理は国立一期校のは受からずに、アメリカのアリゾナ大学へ留学します。官僚の学閥外の首相です。こうした権力者には、甘い汁を吸おうとして、安倍周辺に集まり、耳障りの良いことを言いながら、利権にありつくことが多いようです。首相も周りに権力者の仲間を多く作りたいようです。日本会議という組織だけの権力者では大きな仕事がしにくいでしょう。

 既存の権力者達の縄張りに入り込むためにも起こる政治的なスキャンダルです。

 

 田中角栄元首相も、元の権力者ではありません。田中は、官僚機構を金で動かしました。そのために金集めが必要で、その金集めで失敗します。

 明治維新から、重宝に使われ続けるやくざ組織がこの時点ではまだ使われていました。稲川会系が幅をきかせていました。所謂暴力団とひと味違うのですが、金銭欲という点では、代が変わるたびに暴力団的になってゆきます。戦後は、在日韓国人系の暴力団が大きくなり、様変わりをしてゆきます。

 こうした、時代背景に田中角栄がローキード社からの請託で5億円賄賂授受を指摘されます。小企業から戦後に大きくなった商社の丸紅が自衛隊の次期戦闘機の売り込みと共に、旅客機の売り込みもおこない、現在の全日空に売り込みの請託をします。この事件で政界を引退をする田中角栄ですが、闇将軍として、陰で自民党を支配します。

 そんな時期に、田名角栄に反旗を翻したのが、竹下登の経世会立ち上げでした。裏切り行為として、自民党からも、うらの社会の稲川会の会長からも圧力があり、稲川会の会長に懇意な東京佐川急便の会長を通じて稲川会の会長につてをつけた自民党の副総裁で当時の自民党のドン的存在の金丸信がまとめていた。この間の稲川会との資金に関与したのが東京佐川急便であった。

 ちょうどこの頃にバブルがはじけ、稲川会系の企業に貸し付けていた資金が崩れ始めて、東京佐川急便は、5200億円もの債務保証がされていて、稲川組会長に多額資金で倒産して本社のさがわ急便に入る。この事件で金丸信にも5億円のヤミ献金があり、立憲されることになり、自民党は分裂して、羽田内閣が誕生する。

 日本の支配階級側は無理をしなくても成立するが、外から権力を握り、その権力を謳歌するために策略をするが、旨く機能しない部分があり、大きな不正は長くは続かない。戦後のおおきな疑獄事件はこうした権力の争いの中から生じる破綻である。

自分の姿

2018年03月01日 | 日記
 size="4">私はいろいろな部分で解ったようなことを述べてきました。

 宇宙物理学の世界、病気の世界、人類学みたいな世界、しかし、学者ではありませんし、どちらかというと頭脳の回転も記憶力も悪いほうです。

 もっと沢山の本も読みこなしたいという欲望がありますが、自らの読解力のなさに、なぜ、もっと頭の良い人間に生まれてこなかったか、嘆き苦悶した時期もありました。

 実例を挙げますと、ロシア文学で、ドストエフスキーの書いた小説を読みました。例えば、『カラマゾフの兄弟』という小説があります。もの凄く長い小説です。ご存じの方も多いでしょう。1時間くらいの物語が、文庫本で100ページくらいに書かれています。また、翻訳文というのは、読みにくい部分もあります。

 この小説『カラマゾフの兄弟』を4回読んで、やっと何とか理解したのかな、と不安が残る状態です。勿論、キリスト教、ロシアですと、東ローマ帝国ですので、東方正教会で、『ロシア正教』となりますが、この1神教の文化の解らない部分があり、完全に理解は不能です。ちなみにギリシャも『ギリシャ正教』というそうです。

 読むスピードも遅く、理解力も無いので、何回も読み続けます。こうした能力のなさに、理解力のなさに、もどかしい人生を送ってきました。

 私は、金儲けができない、というか、世間一般の人と同じように損得や、儲けて贅沢をすることに、挑もうとしたこともあります。しかし、述べてように、多くのことで、理解力が弱く、知識の習得も遅く、高校進学の時に挫折をしています。

 小学校から、中学生になって、いろいろな科目で、理解ができなくて、何故? 何故?が沢山に現れてきてあらゆる科目で理解不能になりました。しかし、その何故?を質問させてくれない教育環境がありました。義務教育では、基本中の基本であるので、丸暗記をしろということです。また、1950年代から60年代にかけては、教育理念もコロコロ変わりました。戦前の反省から、自我を持たせる教育なるものもでてきたことがあります。日本人の御上に従順なのが無謀な戦争へ進んだとすることで、自分の意見を主張する教育をすると。しかし、自我の目覚めは、当時のアメリカ支配に抵抗する左翼勢力の反アメリカの運動で、マッカーサー大統領【間違いましたアイゼンハワー大統領でした】の訪日が延期されたりしまして、その自我の教育はいつのまにか消えました。

 また、カタカナの教育が小学校3年生できっちりと教えるとしていましたが、教育方針が換わり、小学校の3年生ではなく2年生の時におしえるとなり、大ざっぱなことしか教えられず、自然と憶え使っています。

 その他に印象があるのは、当時はジェット戦闘機がどんどん進化していて、F104という、音速を超えるジェット戦闘機が、中学校の校庭の上で、音速を超えるときの衝撃波が、ドンドンと二度にわたって響き、驚きを感じたことでしょうか。




 アメリカのNASAが発表した音速を超える際の画像。8年くらい前の写真



 中学教師も、当時『デモしか先生』といわれ、大学を出ても就職先が見つからずに教師でもなろうかという軽い気持ちで教壇に立っている人が多く、熱心な教師には出会いませんでした。

 数学で、放物線のグラフが書けるとします。やっとその方程式になじんできたころに、次に進んでしまいます。思いあまって、このグラフが書けることで、何で憶える必要があるのかと問うと、もうその部分は終わっている。只、憶えろ、と言われます。後に社会人になって、電波や光をグラフに表す機器をしり、あのときのグラフを書く数学的な方法はここまで進んで、実用化されている、と、しります。

 社会科の歴史では、大きな戦争の年代の暗記をさせられます。しかし、その戦争の歴史で、その時代の何に大きな影響がでたのかは、質問しても教えてもらえません。暗記しろと言われます。

 大人になってから、大学を出ても、また、教師として、その授業に立っても、教師個人に興味がなければ、教育指導要領に基づいてその範囲で進める授業でしか知識の無い教師が生徒の前に立っていたのだ。そうした現実を良くしることになります。

 しかし、馬鹿な私は、解らないことが解決しないと中々先に進めない不器用な部分があり、中学では、成績が相当悪い状態で終了して高校進学となりますが、母子家庭で貧乏でしたので、親が就職の安定している工業高校へ進められます。数学ができないのに、何でかと? 結局、退学して、他の兄弟からの圧迫もあり、定時制高校の普通科に編入します。兄弟は全て定時制高校でした。

 世間的には、全くの落ちこぼれの少年時代です。しかし、中学生のころより、夏目漱石や、志賀直哉、などの小説を、本が破れてしまうような状態になるまで何回も読み続けました。理解したいという欲望からでしょう。

 何事にも才能の無い私が、大人の世界の小説を読むこと自体が悪いのですが、父親が太平洋戦争で戦死しているので、酷い貧乏ぐらしでした。母親も貧乏な家庭で育ち、身の回りに童話などがありませんでした。酷く皮肉れた大人びた子供として育ち、小学校のときから、大人の中に入って、野球などをして遊んでいました。

 そうした、ことで、貧乏でしたが、そのことで、逆に、金銭感覚が弱く、損得に疎く、社会人になっても、得をしようとする周辺の人々に利用されたり、騙されたりと、してきました。

 ある人に言われました。人は損得、欲得ずくで生きている、君の存在は迷惑だ。と言われました。私が、そうした意識に弱い思考と精神なので、相手をしていて、違和感を感じて、私の反撃がないのにイライラしたらしいことを、後に知りました。

 要するに頭の回転が悪く、対応能力が弱いので、いつも孤独でした。仲間には、なれなかったのです。4人兄弟の末ですが、すぐ上の兄とは、4歳離れていました。母親は働きの出て、他の姉や兄はそれぞれ学校へゆき、記憶では、常に一人でポツーンとして過ごしていました。刺激の無い環境です。

 今回、こうして生い立ちを含めて書いたのは、こうした能力の無い私が、このブログを書いてきて、甚だ、後ろめたい思いが無くらないので、懺悔の意味です。

 ですが、書くことで、頭の整理や精神的な自分が現れていて、反省やら恥じたり、いろいろな意味で、自分を確かめる作業になっています。

 このブログを続けてゆこうと改めて思います。今年の5月で、74歳になります。自分探しは永遠に続きます。