"> わたしのブログの中で、111万を超えるアクセスがあるブログがある。
わたしがパソコンを始めた60歳のころ、世間は韓流ブームに沸いていた。
何とかパソコンを操れるようになって、ネット上を見てゆけるようになって、韓国の女優で、キム・テヒという美人に遭遇した。
そして、中学時代を思い出した。小学校時代には、『金』という名の在日韓国人が同じクラスにいた。近所にも在日の韓国人または、北朝鮮の人かは解っていないが、結構、身の回りに多くの朝鮮半島の人達が存在した。それは一見して解る暮らしぶりの違いから判断できた。日本の敗戦で、朝鮮半島の人が、一種の強気な勢いを出して日本に噛みついていた時期と思われる。
今は逆に朝鮮半島の人が目立たない状況にある。東京の山手線の新大久保という駅周辺での韓国系の商店が集まり、韓流ブームが盛んな頃は相当な賑わいであったそうだ。東京在住であるが行ったことがない。韓流ブームが去って、今は、いろいろな外国の人が住んでいるという報道があった。
中学の頃の思い出というのは、この在日韓国人の一家に、凄い美人が存在していたのである。想像であるが、22~23歳と思われるスタイルも抜群で、美人度が、ずば抜けていた。この人の家の仕事は、当時在日韓国人の多くが営む、籐製品の製造であった。籐椅子、テーブルなど作っていた。周囲の日本人より裕福に暮らしていたように思う。
キム・テヒの画像を見て、このときの美人を思い出したのである。初恋ではない。念のため。
何気なく、キム・テヒの画像を集め出して、パソコンが重くなるのではないかと、外付けHDDを知り、購入して使い始めたのである。気づいては保存して、ため込んでいた。右クリックして、「名前を付けて保存」で保存してきたが、だんだんネット上で深く探し始めてゆくと、韓国サイトに入って、保存できない画像もあった。試行錯誤しているうちに、フリーソフトで、そうした画像を取り込むソフトを契約中のサポート会社から教えられて使い出して、だんだん意識的にキム・テヒの画像を探し出しては保存して、同じようにフリーソフトの『Jtrim』の使い方を習得して、画像がパソコンに合うように加工したりして残してきた。
こうしてため込んだ、キム・テヒの画像をブログで公開して、右クリックで『名前を付けて保存』で簡単に取り込めるようにしてブログを作った。2011年であった。
ブログも単純に使うだけならば問題が無いが、使い方をいろいろに工夫してゆくとうまく表示できなかったり、エラーがでたりした。そして、拡張子の違いと画像の容量の違いなどを知った。JPG PNG とかいうものだ。
さて、なぜキム・テヒにこだわったか、映画、テレビに出てくる女優は整形してる場合が日本でも多い。ハリウッド女優のまねから始まったのだろう。韓国の場合はご承知のように、整形美人ばかりが多く、また、その整形が、よほどうまくできた女優は別にして、ほとんどが、整形による顔や頭部を含めてのバランスが悪くなっている現実がある。整形の顔はやはり不自然に感じられる。
のっぺりした顔に高すぎる鼻、無理矢理高くしたので、鼻筋が直線的で、横顔が、鼻だけが異様に目立つ、高すぎるのだ。人の目はどんな美男美女でも微妙に左右のバランスがとれてはいない。そこが良いのだが、整形の大きな目は、左右対称になってしまって非常に不自然である。
東洋人のノッペリした顔には、このアジア地域やシベリア地域に移り住んで狩猟生活をしていた古代人が、ちょうど氷河期にあたり、寒さ対策のために、高い鼻は凍傷になりやすく、大きな目も寒さから守るために、細い目になり、まぶたに脂肪を付けて眼球を守る進化であったとおもわれる。眉間したの凹凸やそのたの顔の凹凸もできるだけ無いほうが、凍傷になりにくいことから、東洋人の顔ができあがってきたと思われる。
今、人為的に温暖化している地球ではあるが、学者によると統計的には、氷河期にむかっているはずと言う説もある。地球環境の変化の原因については色々な説があるらしいが、温暖期、寒冷期、大きな流れの氷河期など、以外にそのサイクルは短いようで、16世紀ころに小氷河期があったらしい。ヨーロッパを中心に小麦の栽培がでいないくらいの寒さが訪れて、アメリカ大陸が発見された後で、アンデスの山の寒冷地のジャガイモがヨーロッパに伝わっていたそうで、家畜の餌にされていたジャガイモが、寒いヨーロッパで育つことから、小麦に変わって人間が食用としてジャガイモの栽培を始めたということだ。今日、ヨーロッパに残る食生活のジャガイモ文化はこの時に、ヨーロッパに広がったということだ。
簡単に美容整形をするようだが、我々東洋人の顔は、来るべき寒冷化した環境に対処できるようになっている。北欧系の白人は色素が無い。北に住むので、冬には日照時間が無い場所もある。日の光を吸収しやすいように色素が無い。一方、日照時間が多く強烈な太陽光線にさらされるアフリカの赤道付近での生活に順応した人達は、肌を黒くして、日光の吸収を抑える色素を得ている。
イギリスなどに住む、アフリカ系の人が、日の光が少ないので、ビタミンDの不足などで身体の調子があまり良くないということだ。またイギリス領であったオーストラリアに住む。白人には、日の光が強くて、皮膚癌が多く発生しているという報道がある。
話はだいぶ逸れてしまったが、キム・テヒは韓国でも天然美人ということで、人気があるようだが、ハングルは読めないし書けもしない。そういうわけで、キム・テヒが、『男優の誰と恋愛して離れて』という噂は一切入ってこないし、入れるつもりはない。
映画やテレビのアイドルというのは、臭いもしないし、肌の温度も感じない、まったく質感が無い状態だから憧れとして存在できる。
韓流ブームで韓国の整形男優を追いかけていた女性も、そこに多くの質感を感じる出来事や人間臭さを感じると、憧れ度がうすれてゆく。また群衆心理として、『みんなが騒ぐから私も』ということもある。
なんで行列してるのか良く解らずに並ぶひとがいる。『みんなが並んでいるから、安心だから』という意識が存在するそうだ。
キム・テヒは、韓国の女優や男優の中では、身長が低い部類に入る。161センチだそうだ。韓国人の価値感として、身長が高くなくてはならないといものもあるそうだ。だからキム・テヒは、いつも10センチ以上の高いハイヒールを履いている。足が痛いだろうにと思うがスターの条件のようだ。
またスタイルはバランスがとれている。全く恵まれた顔、体型をしている。そのキム・テヒが結構その体型の解る衣装で当場する。ミニスカートできれいなな足を見せる衣装。こうした画像に反韓、謙韓に関係なく訪れる男子達、アクセス解析によると女性も多く、衣装や化粧の参考にしてるのかなと思う。
『好きなだけ持ってけ 韓国女優キム・テヒの画像』 これがそのブログのタイトルである。検索すると出てくる。キム・テヒも35歳らしい、肌年齢も落ちてきている。結構太ったり、痩せたりしている。
何が言いたかったのか忘れてしまった。あっ、そうそう、価値感の話であった。韓国の儒教、朱子学、という一つの価値感ではなく、日本には、同じ中国由来の、老子、荘子、仏教という価値感がある。多様な価値観が持てる社会に生きられて幸せだという話をしたかったのだ。
一神教の世界では、神が世界を作り、人間も神によってつくられた。自然界は人間のために存在する。という意識で科学技術の発展をしてきた。しかし日本人の精神には、自然界と人間界の区別をあまり意識してこなかった。むしろ、人間も自然界のなかの一部という意識が強かったように思う。日本人の『曖昧さ』と言われることの理由がここにある。
いつも2元論で対立する世界観とは違い、勝ち負けの基準だけではない世界観があり、何でも取り入れる融通無碍なところがあり、価値感も結構多様性があり、仲間外れを意識して悲しまなければ、存在が許される社会がある。時には、仲間外れを許せない世界があり、強烈な虐めに合う。
仲間を作ることをしようとすると、どうしても虐めの対象を作らなければ気の済まない部分がある。孤独でいることは辛いことだ。しかし、無理をしないで、時に仲間から離れて過ごす工夫も大事だ。一人でいることが寂しい、いけないことだ、という先入観を捨ててみることだ。
ここから、また自然と仲間ができてくる気もする。あまり既成の価値基準の虜にならないようにすべきでは・・・・・・。font>
わたしがパソコンを始めた60歳のころ、世間は韓流ブームに沸いていた。
何とかパソコンを操れるようになって、ネット上を見てゆけるようになって、韓国の女優で、キム・テヒという美人に遭遇した。
そして、中学時代を思い出した。小学校時代には、『金』という名の在日韓国人が同じクラスにいた。近所にも在日の韓国人または、北朝鮮の人かは解っていないが、結構、身の回りに多くの朝鮮半島の人達が存在した。それは一見して解る暮らしぶりの違いから判断できた。日本の敗戦で、朝鮮半島の人が、一種の強気な勢いを出して日本に噛みついていた時期と思われる。
今は逆に朝鮮半島の人が目立たない状況にある。東京の山手線の新大久保という駅周辺での韓国系の商店が集まり、韓流ブームが盛んな頃は相当な賑わいであったそうだ。東京在住であるが行ったことがない。韓流ブームが去って、今は、いろいろな外国の人が住んでいるという報道があった。
中学の頃の思い出というのは、この在日韓国人の一家に、凄い美人が存在していたのである。想像であるが、22~23歳と思われるスタイルも抜群で、美人度が、ずば抜けていた。この人の家の仕事は、当時在日韓国人の多くが営む、籐製品の製造であった。籐椅子、テーブルなど作っていた。周囲の日本人より裕福に暮らしていたように思う。
キム・テヒの画像を見て、このときの美人を思い出したのである。初恋ではない。念のため。
何気なく、キム・テヒの画像を集め出して、パソコンが重くなるのではないかと、外付けHDDを知り、購入して使い始めたのである。気づいては保存して、ため込んでいた。右クリックして、「名前を付けて保存」で保存してきたが、だんだんネット上で深く探し始めてゆくと、韓国サイトに入って、保存できない画像もあった。試行錯誤しているうちに、フリーソフトで、そうした画像を取り込むソフトを契約中のサポート会社から教えられて使い出して、だんだん意識的にキム・テヒの画像を探し出しては保存して、同じようにフリーソフトの『Jtrim』の使い方を習得して、画像がパソコンに合うように加工したりして残してきた。
こうしてため込んだ、キム・テヒの画像をブログで公開して、右クリックで『名前を付けて保存』で簡単に取り込めるようにしてブログを作った。2011年であった。
ブログも単純に使うだけならば問題が無いが、使い方をいろいろに工夫してゆくとうまく表示できなかったり、エラーがでたりした。そして、拡張子の違いと画像の容量の違いなどを知った。JPG PNG とかいうものだ。
さて、なぜキム・テヒにこだわったか、映画、テレビに出てくる女優は整形してる場合が日本でも多い。ハリウッド女優のまねから始まったのだろう。韓国の場合はご承知のように、整形美人ばかりが多く、また、その整形が、よほどうまくできた女優は別にして、ほとんどが、整形による顔や頭部を含めてのバランスが悪くなっている現実がある。整形の顔はやはり不自然に感じられる。
のっぺりした顔に高すぎる鼻、無理矢理高くしたので、鼻筋が直線的で、横顔が、鼻だけが異様に目立つ、高すぎるのだ。人の目はどんな美男美女でも微妙に左右のバランスがとれてはいない。そこが良いのだが、整形の大きな目は、左右対称になってしまって非常に不自然である。
東洋人のノッペリした顔には、このアジア地域やシベリア地域に移り住んで狩猟生活をしていた古代人が、ちょうど氷河期にあたり、寒さ対策のために、高い鼻は凍傷になりやすく、大きな目も寒さから守るために、細い目になり、まぶたに脂肪を付けて眼球を守る進化であったとおもわれる。眉間したの凹凸やそのたの顔の凹凸もできるだけ無いほうが、凍傷になりにくいことから、東洋人の顔ができあがってきたと思われる。
今、人為的に温暖化している地球ではあるが、学者によると統計的には、氷河期にむかっているはずと言う説もある。地球環境の変化の原因については色々な説があるらしいが、温暖期、寒冷期、大きな流れの氷河期など、以外にそのサイクルは短いようで、16世紀ころに小氷河期があったらしい。ヨーロッパを中心に小麦の栽培がでいないくらいの寒さが訪れて、アメリカ大陸が発見された後で、アンデスの山の寒冷地のジャガイモがヨーロッパに伝わっていたそうで、家畜の餌にされていたジャガイモが、寒いヨーロッパで育つことから、小麦に変わって人間が食用としてジャガイモの栽培を始めたということだ。今日、ヨーロッパに残る食生活のジャガイモ文化はこの時に、ヨーロッパに広がったということだ。
簡単に美容整形をするようだが、我々東洋人の顔は、来るべき寒冷化した環境に対処できるようになっている。北欧系の白人は色素が無い。北に住むので、冬には日照時間が無い場所もある。日の光を吸収しやすいように色素が無い。一方、日照時間が多く強烈な太陽光線にさらされるアフリカの赤道付近での生活に順応した人達は、肌を黒くして、日光の吸収を抑える色素を得ている。
イギリスなどに住む、アフリカ系の人が、日の光が少ないので、ビタミンDの不足などで身体の調子があまり良くないということだ。またイギリス領であったオーストラリアに住む。白人には、日の光が強くて、皮膚癌が多く発生しているという報道がある。
話はだいぶ逸れてしまったが、キム・テヒは韓国でも天然美人ということで、人気があるようだが、ハングルは読めないし書けもしない。そういうわけで、キム・テヒが、『男優の誰と恋愛して離れて』という噂は一切入ってこないし、入れるつもりはない。
映画やテレビのアイドルというのは、臭いもしないし、肌の温度も感じない、まったく質感が無い状態だから憧れとして存在できる。
韓流ブームで韓国の整形男優を追いかけていた女性も、そこに多くの質感を感じる出来事や人間臭さを感じると、憧れ度がうすれてゆく。また群衆心理として、『みんなが騒ぐから私も』ということもある。
なんで行列してるのか良く解らずに並ぶひとがいる。『みんなが並んでいるから、安心だから』という意識が存在するそうだ。
キム・テヒは、韓国の女優や男優の中では、身長が低い部類に入る。161センチだそうだ。韓国人の価値感として、身長が高くなくてはならないといものもあるそうだ。だからキム・テヒは、いつも10センチ以上の高いハイヒールを履いている。足が痛いだろうにと思うがスターの条件のようだ。
またスタイルはバランスがとれている。全く恵まれた顔、体型をしている。そのキム・テヒが結構その体型の解る衣装で当場する。ミニスカートできれいなな足を見せる衣装。こうした画像に反韓、謙韓に関係なく訪れる男子達、アクセス解析によると女性も多く、衣装や化粧の参考にしてるのかなと思う。
『好きなだけ持ってけ 韓国女優キム・テヒの画像』 これがそのブログのタイトルである。検索すると出てくる。キム・テヒも35歳らしい、肌年齢も落ちてきている。結構太ったり、痩せたりしている。
何が言いたかったのか忘れてしまった。あっ、そうそう、価値感の話であった。韓国の儒教、朱子学、という一つの価値感ではなく、日本には、同じ中国由来の、老子、荘子、仏教という価値感がある。多様な価値観が持てる社会に生きられて幸せだという話をしたかったのだ。
一神教の世界では、神が世界を作り、人間も神によってつくられた。自然界は人間のために存在する。という意識で科学技術の発展をしてきた。しかし日本人の精神には、自然界と人間界の区別をあまり意識してこなかった。むしろ、人間も自然界のなかの一部という意識が強かったように思う。日本人の『曖昧さ』と言われることの理由がここにある。
いつも2元論で対立する世界観とは違い、勝ち負けの基準だけではない世界観があり、何でも取り入れる融通無碍なところがあり、価値感も結構多様性があり、仲間外れを意識して悲しまなければ、存在が許される社会がある。時には、仲間外れを許せない世界があり、強烈な虐めに合う。
仲間を作ることをしようとすると、どうしても虐めの対象を作らなければ気の済まない部分がある。孤独でいることは辛いことだ。しかし、無理をしないで、時に仲間から離れて過ごす工夫も大事だ。一人でいることが寂しい、いけないことだ、という先入観を捨ててみることだ。
ここから、また自然と仲間ができてくる気もする。あまり既成の価値基準の虜にならないようにすべきでは・・・・・・。font>