【 2016年11月12日 】 TOHOシネマズ二条
アウシュビッツの生き残りが、自分らの家族をガス室に送り、その後身を隠し逃げ惑っているナチの生き残りを追い、復讐をするという、サスペンス仕立ての映画である。
クリストファー・プラマー演じるゼブ・グッドマンは老人ホームで残り少ない余生を送っているが、妻に先立たれ、認知症の症状もひどくなるばかりである。
ある日、同じアウシュビッツの生き残りで入所者のマックス・ザッカーから長い手紙を受け取る。
【 今後の手はずを、すべて手紙に書き記す 】
ザッカーは、自ら《復讐》を実行するほどの体力は、既に残っていないので、認知症を患っているとはいえ、まだ自分より元気なグッドマンに全てを託したのだ。
【 認知症を患う主人公=ゼヴ・グッドマン 】
グッドマンは、眠りから覚めるたびに今は亡き妻の名前を呼ぶ。周りの人に「亡くなったこと」を諭されるのだが、同じことを繰り返す。
ただ、《復讐》を実行することを、妻の死の間際に、ザーッカー共々約束した事はかろうじて覚えている。復習する相手の候補は4人までに絞られた。4人の名前と住所、それに手筈は全て《手紙》に詳細に記されている。
ロードムービー仕立てで、アメリカの各地を訪ね、一人二人と潰していく。3人目までは人違いであった。
この辺の展開は、話の内容も雰囲気も全く違うのであるが、日本映画の『神様のくれた赤ん坊』をつい思い起こしてしまう。【赤ん坊の実の父親捜し】の旅なのであるが、5人の候補のうち4人までは【非該当】となり、最後の5人目に当たるところなど、この映画の展開と似ているから、ついそちらを思い出し、笑えてしまう。
しかしこちらの方は、笑うに笑えない《シリアス》なものだ。
公式サイトのトップ画面に
【ラスト5分の衝撃-全ての謎が解き明かされるとき、あなたの見ていた世界は一転する。】
とあったが、確かに最後の《5分間》は衝撃だ。それまでの《世界の見方》が一変する。
「サスペンス映画」、「推理小説」としては、巧みな構成、びっくりするほどの展開ではあった。しかし【ナチの犯罪追及】の題材が、【知的スリル】の興奮を満たす材料に、効果的に使われたのでは、という印象がどうしてもぬぐえない。
それと、この映画を見てつくづく思ったのだが、
《誰もが簡単に銃を買え、誰でも簡単に【人を殺せる】環境にあるという国はおそろしい》
ということだ。
アトム・エゴヤン監督と言えば、『アララトの聖母』、『白い沈黙』など、印象深いいい作品があった。今回も期待して見に行ったが、どうも《技巧》に溺れてしまったような感じがする。
それと、クリストファー・プラマー、なんかの映画で見た印象が忘れられないが、思い出せない。空港の関税職員で、大麻かか何かを持っていた青年をとがめる役だったと思うが、そのシーンが印象的で、名前だけ憶えていたのだが、出てこない。
『神様のくれた赤ん坊』の方は、実に後味の良い、さわやかで希望の持てる映画だったが、こちらはややもすると【人間不信】に陥り入りそうな、どちらかというと【後味の悪い】ものになってしまった。、
『手紙は憶えている』-公式サイト