15日から北京で開催されていた中国共産党第17期四中全会が18日閉幕した。香港メディアなどで取りざたされていた習近平・国家副主席の中央軍事委員会副主席就任の人事は発表されなかった。序列6位、中国指導者次世代のトップとして、5年に一度、次回は2012年秋に開かれる予定の第18次党大会で胡錦濤から最高権力者としての座を引き継ぎ総書記になると見られていた。その前段階としての軍事委副主席就任のはずだったが、何らかの理由で見送られた。
そもそも、胡錦濤は1992年の第14次大会閉会後直ちに開かれる一中全会で初めて「トップ7」の中央政治局常務委員の末席に選ばれ、97年の第15次大会の一中全会で序列5位に上がり、98年に国家副主席となり、99年9月の15期四中全会で中央軍事委副主席となった。つぎの2002年11月の第16次大会で江沢民から最高権力が移譲され、一中全会で総書記に登り詰めた。
習近平も07年の第17次大会後に序列6位になって08年に国家副主席となった。この順番に沿って今回の四中全会で軍事委副主席になるはずだ、というのが香港メディアの見方だった。
香港有力紙「明報」は、この結果が出る前の18日付紙面で、消息筋の話として今回の四中全会で習近平は軍事委副主席に任命されるが、10月1日の建国60周年の軍事パレードまで伏せられ、その後開かれる中央軍事委員会拡大会議で対外的に公表される、と報じた。ただ「明報」は、このようなやり方は、胡錦濤のときのような慣例を破るものだ、と異例との見方を示している。一応18日現在では「アタリ」だ。10月1日が楽しみだが・・・。
また、別の見方として、著名な中国ウオッチャーの劉鋭紹氏は香港メディアに「党内に異なる考え方があるとの反映で、加えて習がまだ政治的に功績を挙げておらず、胡の後継者にするとのコンセンサスを得られなかった」との見方を示した。
なるほど、胡が国家副主席で軍事委副主席になる前の99年5月、コソボ紛争におけるNATO軍(事実上米軍)の空爆でベオグラードの駐ユーゴ中国大使館が誤爆され死者が出て、学生らの反米感情が高まり抗議デモが激化し北京の治安が悪化したことがあった。このとき泥を被るのを恐れ逃げまくっていた江沢民に代わり事態を収拾したのは胡錦濤だった。中国政府を代表してテレビ演説し、学生たちのデモは「愛国的熱情の表れ」と認めた上で「過激な行為をつつしむように」と訴え、学生デモは収束していった。
ひとつ間違えれば「政府のお墨付きをもらった」とデモがさらに激化し、趙紫陽が89年の天安門事件で学生デモを利用し損ない、保守派に追い落とされた二の舞になる可能性もあった。胡錦濤はぎりぎりのところで踏みとどまり、長老らの評価を得て軍事副主席、江沢民後継への道を得た。
それに比べて、習は上海閥の一員として江沢民に推されて今の地位におり、北京五輪の総責任者として大会運営を仕切ったといっても開会式で数々の「やらせ」が発覚、国際的評判を落としたなど、まだ胡のような苦労をしていない、と劉鋭紹氏は言いたいのではないのか。
それでも、今回の四中全会で習は「新形勢下の党建設を強化、改善する若干の重要問題についての中共中央の決定」の討論稿を説明するなど、露出度が極めて高く、胡の後継者候補ナンバー1であることは間違いない。汚職がはびこり少数民族暴動などを的確に処理、指導できない現状を改善するため中国共産党の統治能力を高める決定であり、この問題をどう解決するかが習に課せられた宿題なのかもしれない。