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だらだらぼちぼち

四万十川へ (10) 平賀源内記念館

2016年05月30日 22時43分20秒 | 風景光景
4月16日、
          
今回の四国訪問の最終日は、香川県さぬき市の平賀源内記念館へ。
ここは以前、JAFの会員誌に載っていたので機会があれば是非にとブックマークしていたのだ。
館内の展示を読んでいると、

『宝暦10年紀州海岸で貝採集』
との記述があったので少々ビックリ。
あの平賀源内がワタクシの居住地である紀伊半島で貝採集をしていたとは、初めて聞いた話である。
さらに
『湯浅深専寺でホルトノキを見つける』(湯浅とは和歌山県中部、現在の湯浅町である)
との記述もあり、いよいよ親近感をおぼえてしまった。


記念館から徒歩で平賀源内の生家へ。

          

          
平賀源内といえばまず思い浮かぶのはエレキテルなのだが、エレキテルの他にもたくさんの業績を残した人である事は、この記念館で知る事ができる。
ただ、その業績の分野が現在の感覚でいうと多岐に渡り過ぎて、少々つかみどころが無いようにも感じた。


さぬき市では、『げんないくん』というキャラクターまで作っているのを知って驚いたのだが、人々が感じている平賀源内に対する尊敬の念を薄めてしまうのでは、と懸念しているのはワタクシだけだろうか?
ま、門外漢のが口出しするべき事ではないだろうが。

平賀源内記念館を出て、徳島港に向かうと、ちょうど13:20のフェリーにすべりこみ乗船できた。
こうして、今回の四万十川周遊の2泊3日の旅は、好天のうちに無事に終了。
予想ではもう少し四万十川そのものに接近できるつもりだったのだが、やはり川に接近するためには、レンタルのサイクリングやら川下りツアーやらを体験するべきだろうと、少々反省。
高知に2泊しておきながら、初日はガスト、2日目は丸亀製麺、と日常生活とほとんど変わらない夕食になってしまったのが、さらなる反省点だ。

次の四国探検は、観音寺市の豊稔池堰堤にしようかな?


四万十川へ (9) 道の駅四万十とおわ

2016年05月29日 09時56分46秒 | 風景光景
4月15日

ついさっき道の駅を後にしたと思ったらば、
14:20、道の駅四万十とおわで再び休憩。
これだけ道の駅が集中しているのはなぜだろう。

          

          

15時ごろまでここでノンビリして

          
このままR381をクルージングしながら、ゆっくりと高知まで帰る。

四万十川へ (8) 道の駅よって西土佐

2016年05月28日 19時08分30秒 | 風景光景
13:54、


この日の目的は、ともかく四万十川。
急ぐ旅ではないので、今度は道の駅で休憩。
確かにこの辺りには道の駅が多い。
国道がもう少し四万十川に接近している箇所が多いんだろうと思い込んで来たのだが、ず~っと川と国道が併走しているわけではない。

          
2Fのテラス風のカフェのテーブルでは、前夜の地震とその余震の話題が飛び交っていた。




四万十川へ (7) 四万十茶屋あたり

2016年05月27日 11時15分36秒 | 風景光景

ここまでは適度のコーナリングを楽しみながらの走行だったが、ついに恐れていた事が現実になった。
急に道幅が狭くなったのだ、、、、、、、、、、、、、、、


ついさっきまで道路の真ん中に存在していた、センターラインが無い。
路肩に余裕があるかどうかにもよるが、運が悪ければ軽自動車でも対行してくると行き違う事が困難だ。
事実、この直後にその路肩の狭い運の悪い場所で対向車とすれ違えなくなった。
一目見ればあきらかにすれ違えないというのに、相手の対向車はどんどんこちらに前進してくる。
この道に慣れた地元のドライバーに違いない。
クルマの左側ギリギリに迫ったガードレールを気にしながら、行き違いできるところまでバックして、再度発進。
この時、ワタクシの後ろについていたレクサスに道を譲って、先に行ってもらう。
このレクサスの後をついて行こうという企みだったのだが、これまた地元のドライバーらしく、この見通しの悪い狭い道をけっこうなスピードでぶっ飛ばしていくので、すぐに見えなくなってしまった。

狭小あるいは急勾配あるいは断崖絶壁の地に存在する国道を口の悪い人(ワタクシの事ではない)は、『酷道』、
それが県道であれば『険道』と呼ぶらしい。
ワタクシの居住地である紀伊半島にも『酷道』『険道』は存在するが、地元であるからには、その狭小急勾配絶壁区間がどれくらいの距離の間続いていて、あと何分走行すればそこを抜け出せるのかがわかっている事が多い。
なので、狭小急勾配絶壁区間はできるだけ避けたいのだがそこしかルートが無い場合は仕方が無いし、この先の状況が体験的に予測できるならば走行にはさほどの緊張感は必要無い。
だが、悲しい事には、この地では、ワタクシは異邦人あるいはストレンジャーである。
全くこの先の見通しが予測できない道路を走行するには、それなりの緊張感を強いられるので、できる事ならばUターンして家に帰りたくなるが、ここまできて家に帰るのもかえって大仕事になってしまう。
つまり、ひたすらこのまま走行を続けるのが最善策なのだ。

センターラインの無い狭小区間が、距離にしてどんくらい続いたのだろうか?
随分と長かったような記憶がある。
この狭い道路なのに、意外と交通量が多かったのもプレッシャーになった。


13:42頃、ようやくセンターラインのある道路になったので、ホッとする。


狭い道を走り疲れたので、『四万十茶屋』で休憩。


地名は不明だが、先ほどとは別の沈下橋が見えた。


四万十川へ (6) 勝間沈下橋あたり

2016年05月25日 13時51分59秒 | 風景光景
4月15日、永年の懸案だった四万十川に向かう。
幸運にも天気は上々。
上流に向かうルートは1本だけではないので、地図を確認しながらできるだけ川沿いに走行するように心がけるが、気が付くと予定には無かったはずのR439を走行している。
分岐地点まで引き返して、R441を進む。


気が付けば13時を過ぎていた。
そろそろ昼食の時間だ。
道の駅あぐり窪川で買ったパンを食そうと、自販機のある場所に駐車する。
勝間沈下橋の表示がある。
ここは川下りの(あるいは川上り?)のポイントらしい。
あぐり窪川で買った『豚パン』とやらの中身は豚まんの具らしい。
だから『豚パン』というのかと、ようやく納得する。
豚まんの具が入ってるのなら、やはり熱々のうちに食せば良かった。        

          
トイレに立ち寄って出てくると、こんなバスが停まっていた。
レトロなルックスに惹かれて撮影してしまう。

         
さらに少し進んだところで川の様子を眺める。

四万十川へ (5) 道の駅あぐり窪川

2016年05月16日 09時36分20秒 | 風景光景
翌4月15日、いよいよ四万十川に向かう。
ところが、ワタクシのナビが指示するICを行き過ぎてしまった。
次のインターで降りて引き返すつもりでいたら、ナビのデータが古くて、高速道路が延伸している事に気づいてそのまま突き進んでみると正解。



          
10:30頃、道の駅あぐり窪川で休憩する。
パン屋が出店していたので、この先の昼食として初めて買った豚パンというのともう一つ別のパンを購入。
クルマの中でハンバーガーみたいな匂いが充満をはじめる。
どうやら豚パンとやらが発する匂いのようだ。

四万十川へ (4) 高知駅

2016年05月15日 08時10分17秒 | 風景光景
4月14日。

やはり、予定よりもペースが早過ぎたか。
17時過ぎにホテルにチェックイン。


クルマを置いて高知駅周辺を散策。

前々回に書いた、いちばん最初に高知にやってきたのは確か2000年の夏。
駅前にアーケード街があった気がするが、それらしきものが見当たらない。
どっか他所の駅前と間違ってたんだろうか?
記憶力には自信があったあの頃に戻りたくなった。
ともあれ高知駅周辺は、あの時とは随分印象が違っている。



駅前のブックオフをチェックしたが、めぼしい物が見つからない。
そのまま散策してみたが、駅前には気をそそる飲食店が見つからないので、マップ頼りにガストまで歩く。
高知まで来てガストというのも味気ないのやら風情があるのやら、、、、、、

夜になって、ビジホの部屋にいると突然に眩暈感に襲われた。
立ちくらみ程度ならごくたまにあるのだが、今回は体の揺れ具合が大きく感じて視線を回すと、壁にかかったハンガーが揺れていた。
iPhoneを開くと、熊本で震度7の地震が発生したとの事。
津波が来るのかどうかの情報がなかなか画面に出てこない。
もし津波が来たらどうだろうかと考えてみた。
クルマは敷地内の駐車場に置いてるのでダメになるかもしれないが、泊まっている部屋は4階なので、とりあえず大丈夫なような気がして避難行動に移れない。
後で考えてみたら、ホテルの4階の高さくらいなら決して安全なはずが無い。
しかも、ワタクシの部屋はフロアの端っこで、部屋を出てすぐ右側に非常出口の扉があったのに、すばやく荷物をまとめて上階に避難する心構えが全く無かった事を反省している。
幸い、津波の恐れは無かった。

四万十川へ (3) 室戸岬

2016年05月14日 19時43分38秒 | 風景光景
4月14日、
14:30頃、室戸岬を通過。

          
いつもと違って、クルマを止めて途中の風景をカメラにおさめることはしない。
のんびり走るだけなので、ペースが早く感じる。

気のせいか、このあたりの道路では、ブッ飛ばすクルマはあんまり見かけない。
だからワタクシも制限速度プラス10kmくらいでクルージング。
開けたサイドウィンドウから入る風が心地良い。




四万十川へ (2)宍喰

2016年05月13日 11時12分44秒 | 風景光景
4月14日。
空はそこそこに晴れている。
エアコンは使わず、窓ガラスの開け具合で車内温度を調整しながらR55を南下する。
今まで、この国道はずっと海沿いを走っていると思い込んでいたが、牟岐町あたりまではどちらかというと山の中を抜けている事に気づく。
山の中といっても、すぐそばに海を感じながら、13:30、宍喰海岸で休憩。




海に浮かぶ点々はサーファー達。

四万十川へ (1) 道の駅なかがわ

2016年05月09日 11時57分06秒 | 風景光景
ちょっと前置きを。

かれこれ15年ほど前になるが、母親が病んだため、期限を切って、仕事を休んで介護の真似事をした時期があった。
少しずつ様子が変わっていく母親の姿に呆然としつつ、時間の経過だけはやけに早く、復職しなければならない期限がどんどん迫ってくる。
新聞を読んでも、介護を苦にした自殺とか親を殺してしまったという事件ばかりに目がいってしまった。
そうならないための方策など、どこにも見つからなかった。

世間では5年待ちだとか10年待ちだとかの噂が漂っていたが、とりあえず申し込んでおかなれば順番は回ってこないので、何箇所かの老人福祉施設に申し込みだけはしていたのだが、いつ入所できるのかは全くあてにできない状況だった。
このままでは復職できそうにも無い展望に絶望感すら漂い始めた時、申し込んでおいた老人福祉施設から連絡があった。
「4月から空きができるので、入所できますよ」と。
申し込んでから、ホンの2週間ほどの出来事だった。

当時は介護保険制度が始まった年度の移り変わりの時期で、介護保険開始後の費用負担を危惧した一人の入所者の方が急遽退所したらしい。
少し、いやかなり、母親に申し訳なさを感じつつ、その施設にお世話になる事にした。
どうしても負い目を感じてしまうので、母親の面会にはできるだけこまめに行きつつ、ようやく自分の時間を持てるようになった。

復職後の夏、気分転換にクルマで旅行することにした。

行き先は四国大陸。

バイクで淡路島に渡った事はあったが、クルマでフェリーに乗るのは初めて。
高知のビジホと坂出のかんぽセンターに2泊した。
カーナビは付けていたが、まだCD-ROMの物で、走行距離と所要時間を自力で計算しながらルートを決めた。
ワタクシが住んでいる紀伊半島のチマチマとした風景とは明らかに違う、大らかな海岸線と平野にウキウキしてドライヴしたもんだった。
特に感動的だったのが、坂出のかんぽセンターの客室から臨んだ夕焼けの瀬戸大橋。
まだPCもデジカメもカメラ付きケータイ(今はこんな呼び方は死語だなぁ、笑)も持っていなくて写真に残せなかった事は後悔しているが、今でもワタクシの脳内メモリーにしっかりと焼き付けている。
まだネットの使い方も知らないために、電話帳片手に(ネット価格でなく定価で)たまたま予約した宿だったが、よくもまああんな景色にめぐりあえたもんだと思う。

以来、四国大陸はワタクシのお気に入りスポットとなった。

で、ここから本編に移る。

今年4月14日、かねてからの念願だった四万十川に向かった。
念願ではあったがスケジュール的に1泊2日では厳しくて、なかなか機会を作れなかったのだが、2泊3日の休暇が舞い込んできたので去年行った天狗高原以来の四国大陸上陸となった。

いつもならば30分前に乗船待ちのクルマの列に並んでいるはずなのだが、この日は家を出るのが遅かったのだろう、和歌山港の切符売り場に着いたのがフェリーの出航時刻10分前というギリギリになってしまった。
少々焦り気味に窓口に行くと、
「まだ充分時間はありますよ。」
との優しいお言葉をいただいて、滑り込むように乗船を果たして、ホッ。

          
2時間あまりフェリーでゴロゴロしていると、徳島港に到着。
11:30、那珂川の道の駅で休憩。


なぜか目を惹く、アザラシのモニュメント。
ナカちゃんという名前を聞いて思い出した、
1頭のアゴヒゲアザラシが突然、那珂川に現れたのが2005年11月。
大変な人気者になったのだが、翌年8月に死んでしまった。
そうか、ここに居たのか君は。


その近くでこれまた目を惹く、サイのモニュメント。
こちらの名前は開示されていなかった。

ドライカレーの昼食後、道の駅の中を散策。

四国の観光スポットを紹介するポスターが何枚か貼ってあったのだが、この風景が気にいってしまった。
いかにも古そうなダムではないか。
観音寺市の豊稔池堰堤だという。
次回の目的地にしようかなぁ、、、、、、。


熱帯 JAZZ 楽団

2016年05月04日 19時12分14秒 | 音楽

          


久々の熱帯ジャズ楽団。
4/21 BL大阪 1st.ステージを観戦した。

ホールであってもライヴハウスであっても、開場してから開演までの時間が一番わくわくするもので、
この日もカジュアルエリアのカウンター席に座って、アンケートを記入したり、バッグに放り込んできた文庫本を読もうかとパラパラめくっていると、まだ開演20分前だというのにステージに照明が点った。

マイクを手にした女性が登場する。
失礼ながら名前は忘れてしまったが、FMcocoloのパーソナリティーだという。
念のためにHPを調べてみたら名前が判明した、そうそう、『キヨミ』さんという方だった。
キヨミさんがステージにカルロス菅野を呼び込んで、開演前のトークショーが始まった。
カルロス菅野氏は、つい最近、肩の腱板断裂の手術をしたばかりで、リハビリのためまだ通院しているところだという。
「五十肩がなかなか治らない人は、一度病院で診てもらった方が良い」
との事。




これまでのホールライヴで体感したよりも、これまでになくリズム隊の近くで観戦できたわけで、
高橋ゲタ夫の足さばきとベースさばきに、うんとノリノリにさせられた一夜だった。



横尾忠則現代美術館 わたしのポップと戦争

2016年05月01日 16時58分30秒 | 風景光景

4月21日、小雨降る中、横尾忠則現代美術館へ。



          

入り口の傘立てのナンバーキーのセットにもたもたしているワタクシの姿がよほどアヤシイ人物に映ったのだろうか
館内からこちらに近づいてくる人の気配がした。
ミュージアムショップの人が出てきてくれて、傘立ての3桁のナンバーキーの設定方法を教えてくれた。
教えてもらっても良くわかんなかったが、この傘立てはなかなか手強かった。
そういえば、ここには何度か来ているが、雨の日は初めてかもしれない。
傘立ての鍵は、温泉の脱衣室のロッカーみたいなシンプルな物がベストだと思った。