lizardbrain

だらだらぼちぼち

布引ハーブ園

2013年09月23日 11時09分18秒 | 風景光景

例によって、これまた過去記事と化してしまうが、
6月30日(日曜日)午前10時過ぎに、かねてよりの念願だった布引ハーブ園へ。

                    
布引ロープウェイに乗って、山頂駅まで。
足元を見下ろすと歩道がある。
と言うことは、山頂までロープウェイを使わなくても良いと思うのだが、いったんてっぺんまで上って歩いて下りる方が合理的。

          
山頂駅に到着。
気温は22度。
ここから徒歩で下りていく。

          

          

          

                 
中間駅から再びロープウェイに乗っかって、神戸市を見下ろしながら山麓駅まで。
     

山麓駅を降りると、新神戸付近の喧騒が広がる。
乗り場となる山麓駅への案内板はいつも横目にしていたのだが、ロープウェイに乗っかると別の世界が広がっていた。
市街地からこれだけ近いのに、随分と市街地から離れたかと言う気分にさせてくれる場所だった。
午後から、新神戸オリエンタル劇場でのライヴ観戦が控えていたので、カメラ片手に少し急ぎ気味の散策で所要時間は70分ほど。
天気も良かったし、気持ちも良かったし。
つまり、満足。


木曾・信州(The Final) よろずおさまりますように

2013年09月17日 11時33分13秒 | 風景光景

今回、7月のツアーでは木曽エリアを周遊する予定がスケジュール後半の天候に恵まれず、予定を変更して信州エリアに越境して諏訪のオルゴール館、奏鳴館に足を伸ばしたのが7月29日。
休暇が終わる翌30日に帰宅するために、この夜までには可児市に移動しなければならない。

最後に奏鳴館1階のショップコーナーを軽くチェックして、出口に向かう途中、とある石仏にちなんだ商品に目が向いた。
オルゴールというよりも、キーホルダーか何かの類のアクセサリーだったと思う。
「ああ、そうかそうか、あの石仏は長野県のどっかにあったんだっけ。」
「あの石仏」とは、いつかどこかの駅に置かれていた信州のパンフの表紙を飾っていた、どうにもユニークな仏様だった。
機会があればいつかその石仏にお会いしたいもんだと考えてはいたが、その時点では、その石仏が長野県のどこに居るのかと言う情報は全く入力されていなかった(というか入力していたのにワタクシの脳内メモリーから抜け落ちていたと言う方が正確だが)。

奏鳴館を出たのが14:10頃というどうにも中途半端な時刻だったが、早めに可児市のビジホにチェックインして休もうと、奏鳴館の駐車場から発進した。
すると、駐車場を出てほどなくして道路の右側に建っている電柱に
『万治の石仏 春宮交差点右折』
との控えめな案内表示があるではないか。

『万治の石仏』、、、、、、、、
そうそう、そんな名前の仏様だったぞ。
この時点では『万治の石仏』をどう読むのかがわかっていなかったのだが、まだまだ時間もあるので、春宮交差点とやらを目指していくと『諏訪大社 万治の石仏』と大書した駐車場に着いた。
さっきまでいた奏鳴館も諏訪大社の目の前だったが、ここもまた諏訪大社の目の前で、随分と大きな敷地の神社らしい、と感心しながら郵便局の隣にある無料の駐車場にクルマを置いた。

          

いったん諏訪大社の鳥居をくぐって案内に従って左折。
万治の石仏を訪れる人は多いようで、ワタクシの前を何組かのグループが歩いていたのでその人達について行く。



こんな橋を渡ったりして行くと、

          

そろそろ石仏に近づいたようで、お守りやら何なら販売しているし、(あまり趣味の良さそうでない)プラモやフィギュアの幟がはためいている。


         
万治の石仏を訪れる人は多いようで、石仏を撮るために参拝者の姿が途切れるまで随分待ってしまった。

          

仏様を撮るのに、どうにも上から目線になってしまったのが申し訳ない。
言い訳をさせてもらうと、この時、まだ雨は降り続いていて、傘をたたむ事ができなかった。
せめて片膝をついて、仏様に対して平行かできれば下から見上げるように撮りたかったのだが、このあたりの地面は舗装されていない剥き出しの砂利道泥道なので、水溜りがあちこちにあって片膝をつくことができなかったので、傘を片手に立ったまんまの姿勢で撮るしかなかったのだ。



お参りの仕方は、ここに書かれている。
雨降りで足元が良くないので、時計回りに3周するのも眩暈がしそうだったが、頑張ってお参りを果たした。

          

石仏についての説明はここに。
万治3年(1660年)からこの場所にいた石仏だが、昭和の時代、かの岡本太郎氏がこの地を訪れた際にこの石仏を絶賛した事から一気に有名になったそうだ。

ワタクシが以前に観光パンフの写真で見た時、首から上と下の意匠の違いからか、失礼ながらその姿はどことなくのほほんとほんわかした姿に思えたのだが、現地でじっくりと正対してみると厳しい表情を感じた。
今こうして画像を見ていても、また違った表情に見えてくる。

最初から万治の石仏がどこにあるのかしっかりと知っていたらば、もっとまっすぐに目指せたのに、とも思ってみるが、運良く奏鳴館からの帰り道の電柱の案内表示に気がついたのでお目にかかることができた。
ちなみに、
『万治の石仏』は、
『まんじのせきぶつ』
と読むそうだ。

木曾エリアだけを周回する予定が、雨が降ったおかげで諏訪までやって来て、これまた予定に無かった万治の石仏と遭遇できた事になる。



その上、おそらく今までに読んだ事が無かった島崎藤村の文庫本(しかも古本)から『夜明け前』を今現在少しずつ読んでいる。
小説に登場する妻籠、馬籠、木曾福島関所など、現地を実際に目にした後なので実感が沸いてくる、
ただし、これまで軽薄なエッセーの類ばかりを読んできたワタクシには、脚注がたくさんついた島崎藤村の小説は手強い。

この後、可児市のビジホに向かい1泊。
翌7月30日に岐路に着いた。


木曾・信州(12) 奏鳴館 

2013年09月06日 11時00分42秒 | 風景光景

ちょっとばかり昔、『旧中山道』を『いちにちじゅうやまみち』と番組内で読んでしまった某TV局(東京キー局)の女子アナがいたとかいなかったとか、、、、、

とにかく、7月29日は一日中雨。

雨なので屋内で観覧できるイベントは無いかと松本市内で困り果てた後、
13:20頃、諏訪に到着。
諏訪大社のすぐ近くに、前々から機会があれば行ってみたかった、奏鳴館というオルゴール博物館がある。



傘をさしてカメラを構えるのはなかなか難しいなぁ、とボヤきながら、入館する前に外観をパチリ。
ちなみに駐車場は無料。

          



以前に行った、六甲オルゴールミュージアム河口湖オルゴールの森美術館に続き3件目となるオルゴール博物館だが、六甲山や河口湖に比べると面積的にはこじんまりとした建物だった。
2階の展示室では、1時間に1回、解説付きのオルゴール演奏がある。
時間を持て余し気味のワタクシとしては、次の回のオルゴール演奏も聴きたかったが、解説のスタッフの方に尋ねるとほとんで前回と同じ内容らしいので、ちょっとだけ1階のミュージアムショップを冷やかして外に出る。
ここにはほんの30分少々しかいなかった事になるが、どちらかというと展示よりもショップでの販売に力を入れている感触を受けたので、衝動買いを防がなくてはならない。




木曾・信州(11) 雨の日で月曜日

2013年09月04日 15時03分39秒 | 風景光景

7月29日(月)は、朝から雨。

この日に雨が降りそうだと、週間予報で覚悟していたので訪問先を既に1箇所だけは決めていたのだが、1箇所だけでは時間が余ってしまう。
この際、この周辺で、屋外ではないどっか屋内で面白そうな所を探してみたら、あった。
松本市の旧制高等学校記念館で、「北杜夫と松本」という企画展があるらしい。
北杜夫、、、、、ドクトルマンボウか、なるほど面白いかもしれない。
と、松本市内に入る。
目的の旧制高等学校記念館に着くと、何という事だろう、、、、
『休館日』
という無慈悲な文字の入った看板がワタクシを待ち構えていたではないか、、、、、、
そうだった、この日は月曜日だった、、、、、
5月に京都の博物館と美術館2カ所を訪れながら現場で休館に気づいたあの日は月曜日が休日の翌日の火曜日だった、、、、、、
あの日あの時の京都で、一般的にミュージアムは人出が期待できる日曜日にさんざん稼いだ翌日の月曜日に休館するらしいと言う事を痛感しておきながら、このときのワタクシは全く学習能力が働いていなかった。
改めてクルマの中で、『北杜夫と松本』展のチラシをじっくり読んでみたら、申し訳程度の小さい小さい文字で「月曜日休館」と書いているのを見つけてしまい、7月の雨の旧制高等学校記念館の前で愕然とするワタクシであった。

休館しているものは仕方が無い、いつまでも閉ざされた扉を眺めていても意味が無いので、次の行動に移った。
次の行動とは、本を探す事である。

どんな本かというと、

妻籠宿や馬籠宿を散策したりはたまた下調べにガイドブックを開いていると、島崎藤村の名前が何度も出ている。
かすかに、ワタクシは中学生の頃に何がきっかけだったのか『藤村詩集』を読んだ記憶があるのだが、あんまり理解できなかった。
故に、あんまり面白く感じなかったので、藤村の小説を手に取ることなくここまで生きてきてしまった。
だが、これだけの短期間に何度も何度も藤村の名前を目にして、実際に藤村記念館にまで行ってしまうと、無性に藤村が書いた小説を読みたくなってきた。
そのとっかかりとして、まず『夜明け前』と『破戒』の2作を読むべきだという秘かな欲望が頭をもたげてきた。
なので、現在地近辺のブックオフを検索して、まずヒットした松本市内の2箇所のブックオフをまわってみた。
1軒目に入ったブックオフでは4分冊の『夜明け前』第1部(上)と第2部(上)(下)の3冊をゲット。
第1部の下巻がそろわないのはどうにもやり切れないので、松本市内で2軒目のブックオフに進入すると、『夜明け前』第1部(下)を発見した上に『破戒』まで棚に並んでいたので素早くレジに走った。

もしも、ここまでワタクシのこの日の行動を読んで頂いた人がいるならば、おそらくこう考えるだろう。

島崎藤村の文庫本は出版社の絶版リストには入っていないはずなので、
ごく当たり前に書店に行って新品を買えばすぐに手に入るだろうし、
もしもその書店に在庫が無ければすぐに取り寄せしてもらえるはずだ。
その上、
アマゾンで買えばワンクリックで送料無しで自宅から発注できるはずだ。
なのにどうして、
コイツは、
自宅からはるか500キロ離れた雨の松本市で、
しかも、
わざわざブックオフの中古本を買うために、クルマでうろついていたのだろう?

と。


木曾・信州(10) 馬籠宿

2013年09月02日 11時33分41秒 | 風景光景

7月28日、15:06、
宿場シリーズはさらに続き、馬籠宿に到着。



最初に見かけた駐車場を行き過ぎてしまったが、案内に従って坂道の上の少し離れた駐車場に行くと、すぐそばに展望場があった。

今回、奈良井宿妻籠宿、そしてここ馬籠宿と、昔からの風景を保存していると言う3箇所の宿場町を歩くことができた。
それぞれの宿場に違った歴史があり、違った成り立ちがあるはずだが、ワタクシのようなシロートの目には3箇所とも同じような風景に見えてしまう。
ただ、ここ馬籠宿が圧倒的に他の宿場と違う点は、ず~っと続く坂道に沿っている事だ。
カーナビに従って、たまたま到着した場所が坂道の頂上だったらしく、ひたすら坂道を下り続ける事になった。

          

実際に歩いてみると、上の2枚の写真での見た目よりももう少し急な坂道だった。


         
目的地の藤村記念館は、その坂道の途中にあった。

          
      
左は、藤村が少年時代の勉強部屋だったという隠居部屋。



藤村記念館を出て、もう少し坂を下りてみようとしたが、どう見ても、この先もひたすら下り坂が続いているとしか見えない。
坂道を下りて行くと言うことは、どう考えても、帰りはその坂道を上ってこなければならない。
妻籠宿で歩き過ぎたのか、下り坂を見ているだけでどうにも足が重くなってきた。
帰り道を考えると、このときのワタクシにはあんまり先に進む余力が残っていなかった。
藤村記念館の近くでアイスコーヒーを飲みながら、しばし休息。




古くからの町並みを保存していると言う奈良井宿妻籠宿、馬籠宿。
これまで、こういう街道の宿場町を目にした事が無かったので、新鮮な気持ちで歩けた。
やってくる前には、時代劇ドラマ、例えば『木枯らし紋次郎』(例えが古すぎ、、、、、笑)なんかのロケをそのまんまの状態で撮影できるくらいかもと想像していたのだが、実際、ここで生活しているわけだからその痕跡を消すわけにはいかないだろう。
それに、この宿場町に住んでる人が今風の2世帯住宅に建て替えようとしても、そうはいかないんだろうなどと、不便さも少し想像してみた。
へこたれて途中で折り返してしまったワタクシだったが、このまんま馬籠宿の坂道を下りていった終点はどうなっているのだろうか?
とも、少し想像してみた。