僕が思うに。

28歳一児の父

環境が気になる人へ

2006-05-30 00:42:49 | Weblog
環境問題。

避けては通れない、大問題。

個人的にいろいろがんばっている方も結構いるのではないでしょうか。

・買い物籠を持参する、ビニールはもらわない。
・ペットボトル、牛乳パックをしっかり洗ってリサイクル。

できることから、エコロジー。
これは、これで大切だと思います。

だけど、その方法で環境問題が解決されるのか、根本的に疑問を持ってらっしゃる方も大勢いませんか?

やらないよりは、ましだけど、本当のところ全く解決方法になっていないのが事実のようです。

うすうす気がついているけど根本的な解決に向けて何をやっていいか分からない方、挙手願います。

そんな方に、お知らせです。

11月19日に、ある環境問題のシンポジウムが開催されます。
現在のパネリストは、大井玄、小澤徳太郎、岡野守也の三名です。

今までにない、本気で、環境問題に取り組むシンポジウムです。

現在の問題の深刻さの、正確な把握。
具体的な、方針の提案。
なんとなく、がんばりましょう的なものでは有りません。

以下、三名の合意点をコピーします(ソースは岡野氏のブログ)。
興味がある方、レスポンスください。色々情報提供します。

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①エネルギーの無制限な消費を続けることは地球環境そのものの限界からして不可能である(しかしエネルギーの浪費をしなくても、環境・福祉・経済のバランスを取ることが可能であることはスウェーデンで実証されつつある)。

②(スウェーデンが典型的であるように)環境問題の根本的な解決には政治・政府主導の方向付けが必要である。

③本当に環境・福祉・経済のバランスの取れた〈緑の福祉国家〉を実現するには、それを可能にする国民の文化、指導者の資質という心の問題を視野に入れることが不可欠である。

 まず、夢のエネルギー技術ができたら、無限にエネルギー消費を続けるような経済の拡大もそのままできる、ということは、廃熱―熱汚染ということを考えるとまったく不可能です。

 そのことに気づいていない、技術によって環境問題がすべて解決できるかのような主張に対しては、ここではっきりノーを言った上で、しかし、環境・福祉・経済のバランスの取れた社会の質的成長は可能であることをスウェーデンは実証しつつあることの事実認識を共有していきたいと思います。

 それから、環境問題という大きな問題は、個々人ができることからすることによっては解決できません。

 一国の経済システムそのものの方向転換は、政治・政府の強力な方向づけなしには実現しないでしょう。逆に言うと、スウェーデンは、政府の方向づけがあれば実現しそうな実例です。

 日本人もここで政治アレルギーを克服して、持続可能な社会を構築できる、政権担当能力のある政治勢力を創出する必要があると思われます。

 そういう政治勢力を創出するには、そういうヴィジョンと能力のある政治的指導者が必要です。

 その指導者は、権力そのものを自己目的としてしまうことのないような、高い人間的資質を持っている必要があります。

 そして、そういう指導者が生まれ選出されるには、そういう質の高い国民文化が必要です。
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明日、また上記文をもっと分かりやすく僕なりの表現で書き直します。

↓環境問題は、子育てのその他人生のバックボーン!一番大事ですよ!
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ひ孫 MEETS ひい婆

2006-05-27 21:10:35 | Weblog
数日更新していませんでした。

能登半島にいるひい婆様にひ孫をあわせに行ってきました(奥様のおばあ様)。


実は、ひい婆様はもうそろそろお迎えが来る時期のようです。

なんとか、今生のうちにひ孫を見せることができてよかったです。


親子四代の写真も撮ってきました。

たぶん、息子さんがこの写真を見るときには、ひい婆様はこの世にはいないでしょう。

だけど、息子さんが大きくなったときにきっとこの写真は彼の宝物になることでしょう。


脈々と続く命。これもまた、命の本質の一つの側面。


↓生死は忌み嫌うのもではないと思うが、やっぱり親しい人との別れはとっても切なく悲しい。
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妻に夜中、ベシッ!ってやられた・・・。

2006-05-23 01:27:33 | Weblog
今、親子三人川の字に寝ています。

もちろん真ん中は、息子さん。

そんな中私は、ちょっと寝相が悪いです。

うっかりすると、息子さん腕を轢いていることがあります。

息子さんは、文字通り「大の字」で寝るので、ちょっと僕がそこへごろりとすると思いっきり轢いてしまう。

昨晩もそんな状態になりました。

そしたら、運の悪いことに、深夜の授乳のタイミングだったらしく、自分で気づく前に奥様に、その現場を発見されてしまいました。

そしたら、

奥さんに無言で

ベシッ!

と、払いのけられました。

あ~れ~。夢うつつの僕は反論もできないまま、強制的に寝返りを打たされ、そのまま夢の世界に突入しました。

ちょっと悲しい瞬間でしたが、漫画のような動きで面白かったから良しとします。

さて、今夜は気をつけよう・・・。

↓こんなことで怒ってちゃ、人間まだまだだな。ベシッ!ってされて何ぼだ。
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命の本質

2006-05-21 00:56:03 | Weblog
とても大事なことの思索をば。

普通「命」と言うと、「私の命」が命だと思う。

しかし、私の命とはどういうものかを突き詰めて考えると、新しい発見をする。


まず、私と言う存在。

私は、私と思っているが、実は常に「私」という存在は変化している。


例えば、水を飲む。

水は私でないが、飲んで胃に入り、腸から吸収され体をめぐる。

さっきまで、水だったものが、一部は私の血液となり、脳に行き、私の思考になる。

そして、さっきまで私だった水分が汗や尿として外にでる。

自分のおしっこは私ではない、しかしさっきまで体中を巡っていた。


人間の構成原子の70%は酸素Oである。

酸素は呼吸をとおして常に交換されている。

息を吸わないと苦しくなる。


なぜ、私たちは、水を飲まないと死に、息を吸わないと苦しくなるのか。

答えはシンプルである。

私の命は、常に新鮮でいなければならないからだ。

5秒と同じ自分でいられない。これは、事実だ。


人間の命は川に似ている。

私たちは、そこに川があると思うが、よく考えてみると水の絶え間ない流れを川と読んでいるのだ。

川そのものが、そのものだけで存在しているのではない。

「私」も同じである。常に絶え間なく、命は代謝をしているのだ。

実は、その代謝を命と呼んでいるのだ。

代謝と言うと、冷たい感じがするので表現を変えよう。


命とは、私と世界とのつながりそのものことである。

私の命は、それだけでは存在するのもではない。

これは、客観的事実である。

常に、変化している私の命。これが真実である。


しかし、私の意識、記憶は常に続いている。

私の体が、秒単位で変化しているのにも関わらず、心は常に「私は昨日の私と同じ」と思っている。

寝て起きても、私の名前を忘れることはない。

私は私。と当たり前のごとく思ってしまう。

それ故、私の命はあたかもそれそのもので存在しているかのごとく錯覚してしまうのだろう。

しかし、確認したが、事実は違う。


絶え間ない流れの中の私。これが命の本質の一つの側面だ。


↓こういう思索は、子育てのバックボーンとても重要だと思っております。ワンクリックプリーズ。
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自立支援法ひどすぎ2

2006-05-20 01:54:47 | Weblog
本当に、この法律は弱者に厳しい法律だ。

利用者さんの負担金額を眺めていたら、この法律のひどい理念が見えてきた。

「障害のある子を生んだら、親の責任だ。親が面倒見ろ。」

と言っているように感じる。ひどい表現だが、本当のところだろう。


国は「サービスを選べる制度」と言い、

「応益負担」つまり、サービスを受ける者(=受益者)がお金を払うのは当然と主張する。

我々の社会=資本主義で考えると、サービスに対して対価を支払うのは当然と思えるが、根本的にこのレトリックには落とし穴がある。

はたして、障害者が支援を受けるのは、サービスなのだろうか?
ご飯を食べ、排泄するのは「受益」なのか?
障害のある子どもを育てるためにかかる費用の支払いが、旅行に行くお金と同じ位置づけでいいのか?

国がそういう位置づけをするなら、こんな国で子どもを生むことが怖くなる。

そう思っても当然ではなかろうか。

国民が、子どもを生みたくない国。

亡国だよ、これじゃ。


障害のある子どもが生まれてきたら貧乏くじ。
健常の子が生まれてきたら、ラッキー。
こういう風に、放置していいのか、日本は。

環境が間違いなく関係していると思われるが、健常で生まれるパーセンテージが下がっているデータがはっきりある。つまり、障害の割合が増えているとうことだ。
そんな中でこの制度。

小さい政府、資本主義の毒の部分がここにあるよ。
大きい視点、複合的な視点を持たないと、すぐつぶれるぜ日本。

ちなみに、こう言うことを改善する唯一の手段が政治ですね。
私たちが持っている、参政権が唯一の方法。
非常に非力と思えるが、実は間違いなく変えられる手段。

今流行のNPOの力、地域の力などは、対処療法。
根本療法は、実は政治なんです。
そういう風に、この国の法律はなっているんです。

一見政治は悪い権力のように思えますが、それは使い方次第。

僕は、あきらめてません。

↓このメッセージをより広く伝えたいので、ワンクリックプリーズ。
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自立支援法ひどすぎ

2006-05-19 02:03:02 | Weblog
本日は、朝から午前一時までお仕事。

僕は障害福祉サービスの事業所をやっているのだが、

自立支援法という法律をご存知でしょうか?

簡単に言えば、障害者の支援に関する包括的な法律で、

介護保険の障害バージョンと言ってもいい法律です。

しかし、これが、実際かなりえぐい。

何が、えぐいかといえば、お金である。

4月より法律施行され、今回その法律にのっとり初めて請求を事務をしたのだが

サービスの受け手の負担がものすごい。

特に障害のあるお子さんのいる家庭の負担がものすごい。

例えば、母子家庭で給料手取り10数万円のところに

自己負担額が二万三千円である。

生活できるんですか、これ。

こういう家庭が結構あるんです。

今日の仕事で、全利用者さんの負担額を並べてみたのだが

この法律の裏の趣旨が、パソコン画面から見える気がした。


この国は、やばいよ。

これ、また書きますね。非常にやばいですよ。みんな関係なくないからね。

↓子育てブログで障害あるのお子さんをお見かけしますが、本当がんばってるよ。さぁ、皆さん生活ブログに飛んで、そんなお母さんたちを応援だ。
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何故か最近夫婦良い感じ

2006-05-18 01:39:48 | Weblog
昨日休みだったのだが、争いごとが一つもなかった。

よしよし。

当たり前なんだけど、いい感じ。

いやー、夫婦関係とは育てるものだと思います、はい。


昨日は、神奈川県の教育委員会に行ってきた。

ずーっと、ほったらかしにしてあった

高校の地理歴史の教員免許の申請に行ってきた。

大学4年の時に、「教員免許取れるだけ取っておこう」と積極的な留年をした。

しかし、履修登録の間違いにより、4年で卒業しても、5年で卒業しても資格的には何にも変わらないと言う、なかなか貴重なピンチ体験をしたっけ。(まぁ、そのおかげですばらしい先生に会えたわけですが)

5年間で単位をいっぱい取ったなぁ。

208単位ぐらいじゃないかな。5年間で。(卒業は132単位ぐらいでできる)

毎年フル単を5年、我ながら要領よかったんだな。

で、卒業をして

通信教育を申し込み

一年間ボケッとしてたら、試験受けるのを忘れて。

二年目に、試験を受けようとおもったら、ワンチャンスしかなかったり、

そんなこんなで、たった3単位を2年もかけてとったわけです。現役学生時代の208単位のペースはどこへ!?

年間1.5単位、現役時年間42単位 その差 28倍。

現役のころ、時速20キロで走ってたとすると、現在時速0.7キロ。

おお、人間からクワガタのスピードにダウンだよ。へへ。

まぁ、そういうことがありまして。単位を取得したんです。

で、単位を取得してから、また申請まで一年の空白があり(その空白期間に、結婚をし、子が生まれたわけです)

やっとこさ昨日、すべての書類教育委員会に提出したんです。

おお、この、地歴の免許を取ろうと思ってから4年も経ってたんだ。

せっかくだから、この資格を生かしてもう一度教壇に立ちたいもんです。

さて、一ヵ月後到着の予定。

↓団塊の世代の退職ラッシュで、教員採用のチャンスらしい。わお!
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好きなことには、嫌な事もついてくる

2006-05-16 01:31:20 | Weblog
先日、修士課程の友人と、教育の話をちょっとした。

その中で印象的だった彼の言葉が

「好きなことには、嫌な事もついてくるんだってことを教えてやらなくちゃいけないよね」

と。

なるほど!

「君の好きなようにしていいんだよ、それが個性さ」
と言うのが、最近のスタンダードのようだが、
それには、大きな違和感を感じる。

特に小学校で「個性、個性」と言っている雰囲気には、オエーッ!!である。

まだ、人生の右も左もわかっていない子どもに
「好きなことしていいんだよ」は
超危険である。

ちゃんと、教えてあげないと
「嫌いなことはしなくていい」と勘違いした
人間ができてしまう。

人生で、嫌いなことをしなくていい、なんてルールはどこにもない。
実際の人生では、嫌な事の方がおおい時もある。

それを、受容できない人間は不幸だ。

だから、子どもにはしっかりと教えてやらんといかん。


好きなことと嫌いなことはワンセット。それが人生。
嫌いなことをいっぱいするってことは、好きなことをいっぱいするってことだ。



僕自身勉強になる。
やっぱ、努力って必要だ!

↓努力はしたくないけど、やっぱり努力無しには人生面白くない。納得の方、ワンクリックプリーズ。
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バックキャストとフォアキャスト

2006-05-14 23:00:17 | Weblog
まず、達成すべき目標を設定する。
そして、達成のため何をすべきかを考える。
これが、バックキャスト。

できることを考え目標に近づくように努力する。
これがフォアキャスト。

どちらが、目標を達成する方法か。

それは、間違いなくバックキャスト。

今の自分に、何が出来るかを考えてしまうと
今の自分が出来ることしかできない。

30年後の自分がどうなりたいかを、真っ先に想像する。
その自分になるために、血反吐を吐く努力をする。
役作りをする。

今のままの自分では、一生を考えるのは、小学生が老後を描くようなものだ。

自分はどうしたいのか、ラストシーンをまず描こう。

大丈夫、僕らならできる。

今、環境問題についての行動を起こそうとしています。
結構気づかないふりをしがちですが、間違いなく現在の自然環境はやばいことになっています。
秋にシンポジウムを開催する予定です。
国立環境研究所の前所長の大井玄先生の呼びかけで開催します。
環境問題に真剣に取り組みたい方、アクセスお願いします。

このシンポジウムは、
「出来ることから、エコ」
なんてのんきなものではないようです。
本気、真剣な、命かけた企画です。


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不戦勝

2006-05-14 01:07:26 | Weblog
昨日の続きです。

不動産屋さんに電話をかけた。

事情を話すと

「あー、何か言われました?ええ。そうですか。言っちゃ悪いことなんですけど、あの方ボケがちょっと入っているんですよ。だから気にしなくていいですよ~。」

これは、不動産屋さんの機転を利かせた方便なのか、はたまた、馬鹿大家はただの呆け大家だったのか?

たぶん、両方だろう。不動産屋さんは非常にすばらしい方だ、さすが社長。僕の心のもやもやを一発で消す、一言である。

なので、今回の一件は不戦勝と言うことにします。勝ち星は社長に送ります。
ありがとう、社長。


しかし、呆けてもああはなりたくねぇ。安心して、平和な呆け老人に僕はなりたい。

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