おおかみの独り言

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松井岩根陸軍大将の訴因と判決文

2005年06月30日 | Weblog
東京裁判判決文解説の五人目は松井岩根陸軍大将です。

松井大将の略歴は、昭和八年大亜細亜協会創立に参加、同十二年中支方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、同十三年内閣軍事参議官というものである。

松井岩根陸軍大将に対する判決文

 松井は、一九三七年十二月十三日に南京市を攻略した。南京が落ちる前に、中国軍は撤退し、占領されたのは無抵抗の都市であった。それに続いて起こったのは、無力の市民に対して、日本の陸軍が犯した最も恐ろしい残虐行為の長期にわたる連続であった。これらの恐ろしい出来事が最高潮にあった十二月十七日に、松井は同市に入城し、五日ないし七日の間滞在した。本裁判所は、何が起こっていたかを松井が知っていたという十分な証拠があると認める。これらの恐ろしい出来事を緩和するために、彼は、何もしなかったか、何かしたにしても、効果のあることは何もしなかった。同市の占領の前に、彼は自分の軍隊に対して、行動を厳正にせよ、という命令を確かに出した。これらの命令はなんの効果もなかった。彼は自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をももっていた。この義務の履行を怠ったことについて、彼は犯罪的責任があると認めなければならない。
 本裁判所は、被告松井を訴因第五十五について有罪、他の訴因について無罪とする。

松井大将が有罪とされた訴因はただ一つ。
以下がその訴因第五十五である。

55.昭和十六年十二月七日から~昭和二十年九月二日までの訴因53にある諸国(アメリカ合衆国、全英連邦おけるフランス共和国、オランダ王国、フィリピン国、中華民国、ポルトガル共和国、ソヴィエト社会主義共和国連邦)の軍隊と数万の捕虜に対する戦争法規違反(違犯行為防止責任、無視による法規違犯)

松井大将は南京攻略戦が行なわれていたときの中支方面軍司令官であったから、所謂南京大虐殺の責任を問われた訳である。
帝国陸軍きっての支那通と言われ、本人も支那をこよなく愛し、死んだら支那の土になりたいとまで言っていた松井大将がよりによって、東京裁判によって明らかにされるその時まで世界中の誰もが知らなかった南京大虐殺という極悪非道な日本軍の所業の責任を問われ、死刑に処せられたのである。

南京大虐殺については現在もその真偽がはっきりしていないのは皆さんご存知の通りである。
ある人は無かったと言い、ある人は数千~数万人程度であったと言い、ある人は三十万人と言う。
いろいろな説があり様々な解説がなされているが、私は南京大虐殺捏造論を支持している。

あったと主張する人達の言う証拠とは東京裁判で証拠として採用されたものの域を出ることはない(つまり、それ以上の証拠は発見されていない)が、木村兵太郎大将の回にも書いたように東京裁判で俘虜虐待等戦争法規違反の証拠として提出され採用された資料は実際に証人が出廷して宣誓したものは全体の5%程度であり、残り95%についてはただ文書のみが証拠として提出され受理されているのである。

検察側提出証拠はその文書を作成した人物が実在しないものや、全くの捏造であってもなんら検証されることなく証拠として全て採用されているのであるが、反対に日本側弁護団提出の証拠は殆どが却下された。
東京裁判には偽証罪が無かったので、どんな証拠文書を作成しようが法廷でどんな証言をしようが罪に問われることは無かった。
このような状況下で証拠として採用されたものに果たしてどれほどの証拠能力があると言えるのだろうか。

米人牧師マギーは2日間にわたって日本軍の犯罪行為を並び立てたが、ブルックス弁護人の反対質問にあって、マギー証人が殺人を目撃したのはたったの一件、それも占領直後日本兵に誰何されて逃げ出した男が撃たれるのを見ただけであり、その他は全て風聞であると証言している。
単なる風聞でありなんら立証されていない事柄でもそれは証拠として採用されているのである。

当時南京には、日本の行動をこころよく思っていない第三国人が常時監視しており、そのほか揚子江には5隻の米英の艦船が停泊していた。
四十名以上の第三国人がこうして監視している中で南京占領は行われ、しかもこの第三国人のうちだれ一人として、何万はおろか、何千もの人間を虐殺しているのを目撃した者はいないのである。
実際に自分は日本軍が無抵抗の南京市民を虐殺しているのを見たという証言は無いのであり、その全ては風聞に基づく証言であり、証拠書類なのである。
再度言うが、東京裁判は裁判の名を騙った復讐劇以外の何ものでもないのである。

このような状況の中で松井大将は死刑を宣告された。
松井大将に対する票決も七対四である。
松井大将もまた、多数派と呼ばれるマッカーサーの七名の判事によって殺されたといって良いだろう。

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