風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

風塵社的2017総括

2017年12月28日 | 出版
年末までの課題として、次の新刊『ブハーリン裁判』の仕上げと、社内の片付けおよび決算に向けての書類の整理までを目標としていたのだけれど、金欠病でウダーと引っくり返っていたら、とてもじゃないがそこまでは終わりそうにない。『ブハーリン裁判』はようやくDTP作業に入れる直前にはたどり着いたのだけれど、組んでからもう一度校正しないといけないので、さらに数日かかりそうだ。それでもDTP作業までは終わらせたい。それもこれも、金欠病が悪いのである。
年が明ければ明けたで、4月までに『ブハーリン裁判』以外に3冊新刊を出さねばならない。それと、3・11に向けて某雑誌の仕事が回ってくるだろうから、これまた大忙しということになる。ああ、年明け早々には、定例の「救援」も入稿しないといけないのであった。会社が年を越すのは結構なことではあるけれど、その先もハードだなあと考えるとお節気分になど浸れそうにもない。しかし、この状態はありがたいことである。感謝感謝。
そこで、2018年に向けて、本年の風塵社の総括をまとめてみよう。ただし、こういうことは本来ならば会社の場合、仮のものでもいいから決算書を作成し、その数字を見ながら検討すべきものである。ところが決算書なんてまだ作っているわけもなく、小生の主観と印象に基づいた総括となることは否定できない。そして、もう一つ問題がある。多くの出版社は委託という形で商品を書店に卸している。つまり、売れ残りは返品されて出版社に戻ってくるというわけだ。そのため決算書を作ってみても、右側の負債の部はわりと固定されているけれど、左側の資産の部の流動資産に当たる売掛金やら在庫評価額なんて現実を反映しているものとは到底言いがたい面がある。したがって、決算書なんてまったく意味がないということを述べているわけではないけれど、他の出版社の社長は自社の経営分析をするうえで決算書をどのように読んでいるのだろうか。
そういえば昔、ある信用金庫の営業担当の方がご来社されたので、弊社の直近の決算書を見せたところ、彼は小生の顔をマジマジと見上げて「社長、素晴らしい決算内容ですねえ」などとしきりに感嘆しているから、こちらは笑い出しそうになったものである。じゃあ、プロパーでお金貸せよってなもんだ。そのとき、弊社の決算内容がよかったからくりなんて単純なことである。たまたまヒット作が出ていたからだ。これは出版社に限らないだろうが、特に中小零細の場合(受注産業はのぞく)、新商品の売れ行きがよければ決算内容なんてすぐによくなるし、悪ければ悪いに決まっている。その結果というものはまさに天命であり、開発側の人智を超えたものである。たったそれだけの単純なことが、金融系の方にはなかなか理解されないというわけだ。
いかん。本日も話がそれてしまった。要するに、出版社の場合、決算書の数字が本当にその社の実態を表わしているものなのかどうかがはなはだ怪しいということを書こうと思っただけで、それゆえに、他社はどうされているのだろうかという疑問を表明してみたかっただけである。
そこで、風塵社の2017年はどうなのであったのかという問題に立ち返ると、インフラ整備がそれなりに進み、少しは進歩改善となったのではなかろうか、というのが小生の大雑把な総括である。インフラ整備とはどういうことなのかは社内的な話なのでオープンにはしないけれど、某さんには大変お世話になったことだけは記しておきたい。そしてまた、某所との話もいい形で落ち着き、それが今後どの程度の売上増となるのかは不明であるにせよ、小生としては満足している。一方、別の某所との交渉はまだまだ長引きそうであり、こちらは隠忍自重の日々が続くのだろう。
そして、こうした話はすべて中長期的な視点でのものであり、短期的には厳しい資金繰りが続くのはわかりきっている。その原因の一つは、7月から新刊を定期的に刊行し始め、いまだその委託精算期を迎えていないところにある。ちょうど端境期にあたり、一番苦しいところなのだ。3月末からその精算分の支払が始まる予定となっているので、とにかく3月まで辛抱すれば、いまより少しばかりは楽な資金繰りとなるのではなかろうかと期待している。そして、来月の見通しがようやく立ったところなので、そのあとをなんとかすれば来年の6月までは生きていられる見通しはつきそうだ。となると残りは、4月中に決算処理をしっかり片付けるという課題だけとなる。
こうして本年を総括してみると、われながらなかなか優秀ではないかと自分をほめておこう。いろんな制作作業に追われ、金欠病のゆえ鬱に陥りながらも、地道にジワジワと会社の底上げを実現している。そして、今後の新刊予定も組み上げているわけである。問題は2018年の魔の6月をいかに乗り切るかと、7月以降の新刊ラインナップということになる。つまりはこれからも、良書(悪書?)をどのように作るべきかという根底的な問題に、この先も向き合う覚悟があるのかないのかを迫られているという年の瀬であるということなのだろう。

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