高樹のぶ子のSIAブログ
蝶の羽

雨の日が続いています。
渇水を経験した福岡では、でもありがたい雨です。
過ぎたるは・・で、降りすぎないでほしいですが・・
昨日のことです、雨が一休みしたベランダで、折れたアゲハチョウの羽を見つけました。
4センチの長さからすると、結構大きい蝶だったと思いますが、羽の折れた蝶の体は見つからず、どこに消えてしまったものか。
鳥に食べられたのかもしれません。
それならそれで、他の生き物の「役に立った」のだから、よしとしましょう。
カメラでのぞき込んでみると、蝶の羽は本当に芸術ですね。
(カメラの接写が下手で、ごめんなさい)
この蝶は普通のアゲハと思われますが、
モルフォ蝶という南米に生息する蝶の羽は、角度で様々な色に見えます。
それを参考にして、新しい合成繊維も作られました。
夢見るような、ファッショナブルな布地です。
イカの体色変化から液晶が開発されたのですよね。
他にも、沢山の事例があるのでしょう。
自然から学んで、科学技術がそれを再現する。
「これを技術的に、再現できないだろうか」
そういう素朴なトライアルの、根底というか、最初にあるのは、
そこにある自然物を見て、まず「感動」することですよね。
すごい!すてき!という憧れ。
感動が無くては、真似しよう、再現にチャレンジしてみよう、という気持ちも起きません。モチベーションも湧きません。
心を奪われてこそ、努力が生まれる。
「人を恋うることは、恋の成就より大事」
我田引水ですけど、わたしの本音でもあります。
「恋うる気持ちを壊さぬために、あえて成就させぬ恋」
までは、実行できません。
そこまでのストイシズムはありませんので。
つまりは・・成就に向けて突撃し、現実にぶつかり、羽を折る。
折れた羽の、悲しさよ・・
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高樹さんの小説のジャンルを決めているんですね!
折れた羽が先生のベランダに落ちたことで,こうして賞賛され,鳥に啄ばまれた蝶もさぞ悦んでいるでしょう。
成就しても,しなくても恋は美しい。
つい複雑に考えては、思いとしがらみの中で試行錯誤し、でもその過程こそが宝物であり、今の幸せにつながってると思う私とは対極に感じてました。
サイヤさまの前記事への真正直なコメントは、先生への献辞と賛辞だと理解しつつ、あの表現は、おツレ様への背信であり、人格を軽んじていると感じました。
決して、サイヤさまご自身・・・感情や行為を非難しているのではありませんが。
こんなにも愛おしく、恋うる思いが継続するなんて、というのが、結婚の実感です。
私の存在はかけがえのないもの、と信じられるのは、「一緒にいてくれてありがとう」「美しく年を重ねる貴女は僕の誇り」などと、妄想をキープしてくれる言葉と抱擁を、夫が欠かさないからでしょうが、
だからこそ、夫の為に美しく、異性の目にも魅力的でありたい思います。
時に髪振り乱し、思い祈りつつ3人の育児に奮闘した姿の、誰にも勝る生き証人。
五感で交わり、知的好奇心を無限にし、次代を育む結婚生活のの中で愛が深まり、そこにも恋があります。
野暮なこと綴ってすみません。
連載小説の登場人物に、結婚や配偶者に対する敬意がないのが不思議に思えたものですから。
紅子さんの不夜とメールや、小切手での支払いとか、リアリティがありません。(終局への布石なのかもしれませんが)
もっとも、紅子がたどりつける田子坊に、本当のチベット僧が店を構えられるほど、当局が緩いとは思えないのです。
中国政府のチベット弾圧はとても深刻で、同時進行で描くのには、よほどの覚悟が必要でしょう。
当局の弾圧は意外に大したことないと、読者に誤解を与えやしないかと、アジアのサイトだからこそ心配します。
思いのままの長文、失礼しました。
このサイトで触れるには不適切かもしれませんが、河野多恵子さんの『秘事』を想い起こしました。事件らしい事件は冒頭と巻末のみ、ただただ普通に起こりそうな日常を描いてなお、絆の確かさを決して声高にではなく伝えてくれる。香織さまがお住まいのNYも舞台の一つでした。郊外ではなくマンハッタンでしたが。
無意識でか意図的にか。
忘れたいのか、後ろめたいのか。
三島由紀夫。ロールシャッハ。蝶の羽の予測。
ツレの知るところになれば有責配偶者として離縁は必定かもしれない。だが,ツレを失うのは人生の意味を失うほどの大きさがある。だから絶対にバレないようにする。
「四知(天知る,地知る,子知る,我知る)」とか「天網恢恢疎にしてもらさず」とか自分を戒める言葉も知っているつもりだが,仕事では「据え膳食わぬは男の恥」のような状況もあって,今に至る。
松本のように単身赴任で長く家を離れると,そんな場面が多くなる。一度,一線を超えてしまうとそれほどの罪悪感もなくなる。
プラトンの国家にも生殖を終えた男女のフリーセックスを許す記述があったはず。ギリシャにルーツを求めるまでもなく,古来日本では性に対する寛容さがもともとDNAとして存在するのではないか。
だから自分もというのは詭弁だが,世の仕組みとして男と女がいて,配偶者以外で魅かれる異性が現われる確率はそれほど低いものではない。
松本も家に帰れば愛おしい妻の肩を揉んでいるかもしれない。
体調くずされないよう
気を付けて頑張ってください
和泉式部
父親も披露宴で感激したと、僕に報告しましたね。
こんなカップルの恋愛小説は描けないものでしょうか?苦笑
じつは流れから僕はその息子さんの彼女のお蔭で、外構造園の仕事を発注して戴いたようなものでした。
つまり母親はとても好いお嫁さんだから、彼女が数年前キャシュで買い足した土地を使い、上品で落ち着いた家構えにして上げておこう、と発注したのです。
こういう小説が流行ると、景気対策に貢献するなどと冗談は言いませんが、読み方によってはポジティブにも読める、恋愛小説もあるのかなと思います。
読者をある高みに連れていくのも、文学をする人に課せられた仕事のように思います。
ゆったりほんわかした会話やコケティッシュな会話の文章力や、知識の総合力も必要かも、そのカップルは彼女も総合職と聴いています。
是非、とんでもない若い作家の登場を期待します。笑
先生の作品には本当にいろいろな展開がありますから。もちろん、公序良俗に反しない恋愛も書いていらっしゃいます。
恋愛の定義にもよりますが、ほとんどの恋愛は公序良俗の範囲内だと思います。(ほほえましいような)公序良俗を創造してきたように思えます。
むしろ、個人的なことであれば問題ありませんが、恋愛や結婚をしないことを勧めるような活動の方が公序良俗に問題があるように思えます。
生物の発展の中で獲得した有性生殖と文明を発展させてきた先人に感謝と敬意を払いたいと思います。
先人から伝えられた生命と社会は、後世の人々(子供たち)に伝えていくのが自分の責務と感じています。
日本最高の文学・・光源氏は、父親の女に子を産ませ、兄の思い人と姦通し・・けれどそれによって、次の世代が生まれるわけです。生命体として、それを是であると考えれば、源氏物語は、公序良俗の中の話です。公序良俗を世間の規範や道徳ととらえるのではなく、生きもの人間ととらえれば、どこが公序老俗に反しているか・・目からウロコでした・・おもしろい・・
生きものの人間としてとらえれば、今でも一夫多妻など別なルールに基づいた国もなきにしもあらずです。
恋愛を人の生殖まで広げて捉えようとすると、R.ドースキンが唱えた<利己的遺伝子仮説>が興味深い。
人の固体は悠久の遺伝子の乗りものにすぎず、古くなれば打ち捨てられる。つまり死ぬ。
遺伝子には死なない。遺伝子のコピーは新しい乗りものに次々乗り移っていく。
そして、乗りものや乗りものどうしのふるまいを巧みに操作する。
言い換えれば人間はしょせん遺伝子に繰られる動物なのだということ。
だから人間の頭で考えられた思想の産物、規範とか道徳はむしろ遺伝子に対する挑戦であり冒涜だと言っている。
人間の社会システムでも、自然発生した君主制や階級性が優れていて、人間が頭で考えた社会主義などは長持ちするわけはない。
一世紀も経ないで滅亡しているではないかと。
詳細は、竹内久美子<賭博と国家と男と女>をどうぞ。
自分のコメントに対して先生からの感想が寄せられると、それだけで有頂天になってしまう。
ところが、ここ2,3日の先生の投稿については、フルネームを忘れてたり、sae様が疑惑を持つように、一行コメントで本当にこれは先生?と思わせるようなものだったり(私は先生に間違いないと思いましたが・・・)、呂律がまわっていなかったり―「公序老俗」とか。
投稿時間をみると午前1時とかなので、翌々日の原稿を仕上げてナイトキャップをされているのかなあと思ったりする。(とてもカワイイ。)
でもあり得ないことだとは思うけど、なりすましが登場することはないか。
自分が投稿するとき、もし「高樹のぶこ」という名前を記せば、それはリジェクトされるように管理されているのだろうか。
「規約」を読めば当然そのようなことはしてはいけないけど、システム的にもそれができないような担保がなされているのか疑問をもった。
最近の先生の投稿からの感想でした。
夜中に、仕事が全部終わって、ほっとしてこのブログをのぞき、やめとこうと思いながら、つい書いてしまう・・その瞬間は、私もブログ訪問者のワン・オフ・ゼムになっています。ろれつが回らなかったり、変換違いが起きたり、どうもすみません。おまけに、夜中は目がウロウロするし・・
技術的なバックアップをしてくださってきたooyaさんがバトンタッチ中です。技術的管理スタッフがもうじき整います。
このサイトは、通常の管理では難しいところがあります。
どうぞ今後とも、よろしくお願いします。
先生の御本、いくつか拝読していますが、恋愛小説だと思っていた作品、そうではなかったのかしら…と、混乱しています。
ある意味、セキュリティに関することなのですが、こんなに早く誤解がとけて嬉しかったです。
今朝の「母親になったことがないわたしには、母親である黄蓉の本心は解らなかったということか」は香織さまの子育ての話なども微妙な影響があるのでしょうか。
男性には子を授からなかった女性の本当の気持ちはわからないとは思いますが、重いことばだと受け止めました。
また、ブログも内容、参加者(芥川賞審査委員も含めて)、レスポンス等の素晴らしく、いろいろ勉強になります。
関係者の皆様は本当に大変だと思いますが、是非この水準を維持してください。
何か「文化」が生まれる場になる予感が・・・
間抜けなタイミングで恐縮ですが、「なるほど」の高樹先生、
強力な我田引水に、びっくりです。らしくていいな~、です。
でも、言葉の定義変更は混乱させます。公序良俗は、あくまで「公の秩序、善良な風俗」でしょう。
その上で。小説が、公序良俗に反するか否かは、問題ではないと思います。「公の秩序、善良な風俗」なんて、時代や社会や人によって違うのですから、自我や自己に向き合うべき小説は、公序良俗を超越すべきです。
源氏物語が、時の政権から公序良俗に反すると発禁されましたが、やはり、源氏の感情や行為は、背徳でしょう。でも、そこに深い苦悩があるから、文学として価値がある。(教科書的ですみません)。問題は、権力が「公序良俗」をタテに、個人の思想信条を支配することですよね。
堀江氏に触れた記事もありましたが、今さら彼の言動云々より、彼に集中砲火を浴びせてるうちに法改正、ちゃっかり既得権益が守られる仕組みが強まり、ジャーナリズムがその本質に向き合いにくい・・・即ち、世間が「今のマスコミは」と嘆く体質が、改善されにくい環境にしてしまった、そのことの方が問題だと思っています。
夢の中へさまに、同感です。
「自然発生した君主制や階級性が優れてる」そうでしょうか。
人は、そこにとどまらず、憲法を創り、人が意思を持つこと認め合い、皆で社会を築いていく仕組みへと、試行錯誤しながら発展してきたではありませんか。
遺伝子に操られるなんて、思いたくないな。先人や古代社会に因ってしまうのも、せっかく思想の自由を勝ち取ったのに、もったいないな。
民主主義は、決して万全ではないけれど、今、人が考えうる一番いい社会システムだと思うし、少しでも発展させて、次代に繋げたいです。
私は、たまたま時代と社会と運に恵まれて、子どもを産み育てる経験をさせていただきましたが(素晴らしい学びであり、喜びです。感謝感謝です)、次代は社会が育んでいると思っています。紅子さんの納めた税金も、大いに活用されたことでしょう。日々の活動、言動も大いに貢献していますよね。
少しでも良い次代にと、その為に家庭や学校があり、学問があり、芸術、文学があるのだと信じています。
愛する人の体温を感じながら眠りにつく、
眼が覚めて、そこに愛する人を実感できる。
セックスの快感をともに高揚させ、絶頂を共有し、虚脱感を分かち合う。それが、もはやはたせないとなった時には、体温を感じながら死にいたり、同じ永遠の世界にいける可能性を信じ、死を迎える、永遠の愛の為に。
愛する彼女と快感を共有できなくなった時、あらゆる手段で彼女に快感を与え、その快感を自分の精神的な快感と出来ただろうか?
人を恋することは、恋を成就させるより大事 ですか?
「恋の成就」とはなんぞや?
誰が判定する?
紅子さんは恋してる? 愛と恋の違いは?
「恋愛」は恋も愛も含めた広義語?
「恋愛」に悩む紅子さん、遺伝子を残すことが出来なかった紅子さん、京の過去の「愛」を共有し、京を愛し、コンを安心させてやってください。
人間は少なくとも2度結婚すべし、男はDNAを複数のDNAと合体させ、女は複数のDNAを受入れる。
しかし、何らかの形で愛を感じることなく成長した人間は、そのDNAを長期的にわたって、何世代にわたっては守り通す事は出来ない。
このサイトはすばらしい!!
仮想の世界で「恋愛論」を戦わせる、戦わす、戦わす事ができる。
今夜も、妻とのベッドの中で、他の名前をつぶやかないか、ちっと心配。
今日、庭にあきらめかけていた「テッセン」の花を見つけて、微笑む。 初めて母親を連れって行った畑の側で、見つけた百合の花を根こそぎ、もって帰りたいという母のわがままに汗だく。 夕食の後の、アズキのアイスキャンデーがおいしかった。
あえて、精神分裂的コメントでした
でも、「真の民主主義」は、最高のものであると確信しております。
アマーティア・セン教授のご研究のように、民主主義社会になってから、インドでは貧しくても飢餓は発生していません。
また、平和も、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の次は、パクス・?
「?」には、民主主義しかないと思います。
多数支配ではなく、少数者の尊重を前提とした「“最大”多数の“最大”幸福」の追求が、今後の社会発展への人類の英知であると思います。
非常に難しい制度ゆえに、制度維持に向けて、一人ひとりの努力を求められます。
古代ギリシャにおける「哲学」や「演劇(コミュニケーション能力)」の隆盛のように。古代ローマ帝国では、「パン」と「サーカス」。
上記にありました「メディア」、「政治」、「政治家」など現状も、自分の意識と行動の投影と反省しなければならないと思います。
いろんな選挙に直面しているこの頃ですが・・・
読み返したくとも書棚になく。。。心に迫る絆物語でした。思い出すこと三つ。運動会と、飛行機から姿を現した時の二つのシーン(かなわないな~と麻子に敬服)、そして、夫の感想。「主人公の、妻に対する視線が、見下げてる感じなのが気になる」とか。
主人公夫婦は私達の親世代。今は女性の社会進出が広がって、結婚生活においても、対等であること、敬意を言動で伝えあうことが、てらいなくできる時代になりました。
今日はどんなことが書いてあるのか、
ブログの更新をいつも楽しみにしています。
お仕事頑張って下さいね!
昨日、梅雨の晴れ間の青空の下、(兵庫県神戸市の)三宮の神戸市立博物館へ、その後、須磨海岸(護岸にはフジツボも)回ってをドライブしました。
上のお写真の「蝶の羽」の色のグラデーションの美しさの魅かれて、「まぼろしの薩摩切り子展」に行ってきました。
3月に江戸東京博物館で見る予定でしたが、いつもの通り熱心な母が「江戸」のところで時間と体力を使い果たし、「薩摩切り子展」をパスしたので神戸で見ることになってしまいました。
鉄の棒の摩擦で削るという気の遠くなる作業の末の美術品、カットグラスにない緩やかな切り込みが醸し出す微妙なグラデーションの美しさを堪能してまいりました。
(上記投稿より、動的で、美しいお言葉ですね。)
そこにある自然物を見て、まず「感動」することですよね。
すごい!すてき!という憧れ。
感動が無くては、真似しよう、再現にチャレンジしてみよう、という気持ちも起きません。モチベーションも湧きません。
心を奪われてこそ、努力が生まれる。
「人を恋うることは、恋の成就より大事」
正に同感! 器の色合いの変化や輝きから、江戸期の職人の情念が伝わってきました。百数十年を隔てたメッセージ。
私も丁寧に作りこまれた「美術品」や使い込まれた「道具」には、語りかけてこられるような心引かれるものを感じます。
弁芸春秋のあるホテルのコピーが今でも深く印象に残っています。
「シェフの(現役の)包丁。使い込んでいる内にこうなってしまいました。→(細長く、1/3程度に磨耗) 減った部分は、美味しさに変わりました。」
使い込まれた道具は、語りかけてきます。その写真、今も目に焼きついています。
(連載からある程度時間が経過したから発言してもいいかなと思い・・)
そこで、不思議に思う事は、「紅子さんが、薩摩きり子を壊して、尚平然としている心理状態」です。
上海女性の思いを透視してしまうほどの感性豊かな経営者・エステの達人が、心魅かれて手に入れた一品を単に壊しただけという事が理解できません。
壊そうと、頭上に上げた時、「切り子」から、「お願い、壊さないで!」という声が聞こえなかったのか?
壊してしまった後、その行為に苛まれなかったのか?
その後性愛などにいたる気力など萎えてしまわないのか?
私にとっては、不思議、理解できません。
ブログで「紅子ファン」という方は多いようですけど。
私にとって魅力を感じたのは、
最初の「後部座席に身を沈めるわたしは早見紅子」の頃の経営者としてのいきいきとした姿の頃。
最も魅力と期待を抱かされた頃は、「愛がなければ13cmの棒」にしてしまった頃の紅子さん。
まるで数学?トポロジー?どんな切り口で上海社会にアプローチするのかわくわくしていました。
その後はだらだらと崩れていって底這い状態の感。
でもこれは終局に向かっての隠し味的な場面と理解しています。
一人称でも、天動説的でも、唯我論的でもいいですから、紅子さんをして「ああSIA!」と感じられるような(短期間ですが)人間形成(大げさ?)と期待しています。
執筆も、なかなか思うに任せないことでしょうけど。
ご多忙中、くれぐれもご自愛を!
ハネを手に入れたときの期待感
飛んでいる時の喜び
折れる前に、たたんでしまうこともできる
無理して飛ぶと折れてしまいます。
折れるまで飛ぶか!?
ハネがなくとも死にゃしない!!