福山で
シューベルト作曲
ミューラー 作詞
【冬の旅】の 独唱会がありました。
何度も‘冬の旅’を歌った事があるプロでも楽譜を一応開いておく。という
‘冬の旅全24曲’をアマの彼は完全暗譜で歌いました。
まさか、彼がこのような演奏会を開く事になるとは
思っていませんでした。
が
同じように歌を歌っていた私たちは30年の時を経て
集まり、わがことのように喜びあいました
お疲れ様でした
福山で
シューベルト作曲
ミューラー 作詞
【冬の旅】の 独唱会がありました。
何度も‘冬の旅’を歌った事があるプロでも楽譜を一応開いておく。という
‘冬の旅全24曲’をアマの彼は完全暗譜で歌いました。
まさか、彼がこのような演奏会を開く事になるとは
思っていませんでした。
が
同じように歌を歌っていた私たちは30年の時を経て
集まり、わがことのように喜びあいました
お疲れ様でした
どうしても、行かなくてはいけない(違います!どうしても行きたい)
用事があって福山まで行きました。
新幹線で20分ぐらいかかります。
こんなとき 管理人はすごくがんばってしまいます
新幹線の中から 写真を撮りました。
東広島(西条)
お酒が有名で、西条盆地には画像のような
赤いかわらの民家が点在した景色がつづいていて、
いつ見ても、きれいだなぁーと ホッとします。
三原
福山駅のホームからうつした 【福山城】
観光目的ではないので、そそくさと駅を後にして
タクシーに乗り込みました。
つづくかもしれません・・・
管理人は最近、鍼灸へ行っています。
「まぁ~!こんなになるまで、どうして??・・」といわれましたが
検査もしっかり(?)していたし、
ほっておいたわけではないのですが・・結果としてはそういうことに
脊椎の9,10,11番がかなり大きくずれていたらしくって、
とても針を打てる状態ではないようです。
とりあえず、しばらく通う事にします。
これから、どうなっていくのか はまた機会があれば書こうと思います
きょうは、その途中の景色をお見せしたいのです。
大田川放水路をさかのぼっています(車中より)
高架橋を走っているのは新幹線で、右手が広島駅
デルタの上に発展した町なので、どこへ行くにも
川を見たり、川を横切ったり です
夏は花がすぐ枯れて、玄関の花に苦労します。
皆さん、どうしておられますか
我が家で活躍(?)している
造花のアレンジメントを紹介します。
こんな、生花アレンジもありますが・・
コレは、作品的には う~んなのです
端っこのひまわりが内側を向かないとだめーなんです
秋晴れの日が続いて,朝から、むずむずしています。
出かけるべきか?無理か??
そうなんです。きょうは秋晴れの中の秋晴れで、
外は、とっても気持ちよさそう
そういえば・・夏の間一度も平和公園へ行っていなかったなぁ~
秋晴れの写真が撮りたいし・・お買い物もあるし・・
一人で食事もしたいし・・
相生橋の上から、左手が平和公園です。
小さく見える船は宮島へ向かっています。
所要時間;約1時間
思わず、乗りそうな気分が アブナイ!アブナイ!!
【平和の鐘】
鐘の表面には「世界はひとつ」を
象徴する国境の無い世界地図が彫られています。
周囲は、大賀ハスを植えた池になっています
被曝当時、ハスの葉で傷を覆い、やけどの痛みをしのいだ
という、被爆者を慰めたものです
元安橋のたもとにこんなレストランが出来ていました
知らなかったわぁー
と、言うわけで、
のんびりと行きかう人を見ながら昼食にしました。
お買い物も済んで、路面電車で帰ります
無事帰宅
カープの本拠地;市民球場は来年から新球場に移転するので
今年は市民球場最後の年です。
わざわざ帰省する娘も・・
きのうもきょうもチケット完売で、球場は真っ赤に燃えています
試合前に、もう満員(入場者約3万人)
トランペット応援団
余裕のゲーム展開でした
Photo by 娘
なつかしいゲームを見つけました
これ
名前はなんでしょう?
2人、3人でゲームをします。
赤い三角には、赤の駒を並べ、対角線上にある赤の三角へ
出来るだけ早く、駒を移動したほうが勝ち。
私が子どものころ
我が家で大ブレークしたゲームなのです。
私が小学生だった頃ですから、昭和30年代ですね。
両親と私たちは、
今晩は勝つぞー と闘志を燃やしたものです。
父が忙しい日でも 私は父の部屋へ行き
「ピョンピョンしてぇ~」とせがみました。
そうそう、我が家では‘ピョンピョン’と呼んでいました
(ほとんど、ゲーム依存症)
父は朝起きて、
「きのうは、駒が頭にちらついて、なかなか寝付けなかった・・」
と ボソッと口にして、食卓に座りました。
明治生まれで、自分にも人にも厳格で、いつも毅然としていた
父がこんな言葉を口にするとは・・・
子どもごころにも、とても新鮮な出来事でした。
物置のかたづけをしていたら、古いバックに入った
ゲーム系一式を見つけました
そういえば・・
子どもが小さい頃に、コタツでよくトランプをしたものです。
その頃、我が家のお風呂は、薪をたく旧式お風呂で
しかも、たき口は外についていたのです。
薪をくべに行くのは寒くて面倒な仕事でした。
(・・と言っても明治時代の話ではありません。ほんのちょっと
以前のことですから、振り返ってみれば、
わたしたちはすごいスピードで、文明の恩恵(?)を受けて
生活を変化させてきたわけですね。)
話をもとへ戻しますと、
負けた人が『薪をくべに行く事』というのが、
ゲームをするときのルールになっていました。
というわけで、子どもといえども容赦なく&手かげんなし
本気勝負でした。(若かったのね)
こんなことを 毎晩、毎晩 続けて・・
我が家の冬は過ぎていきました。
むすめの学校用バックへ詰め込んだあったゲームは
花札、百人一首、将棋、・・等など