松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

エコナ問題で思うこと

2009-09-28 03:14:07 | Weblog
 時間がなく、非常に粗い原稿をすっ飛ばして書いている、という前提で、お読みください。とても長いです。

 さて。
 エコナの問題は、二つの事柄がごちゃごちゃになって語られていて、混乱を来しているように思うのだ。

(1)発がん物質への対応

 食品中に含まれていて、これまでも普通に食べていた数々の物質の中に、体内で発がん性に変わる可能性のあるものがあった。それが、今回の場合はグリシドール脂肪酸エステル。食品中の物質は、調べようと意図して測定してみてはじめて、その物質が存在するかどうか、どのくらい含まれているかどうかが分かる。これまでは、だれも調べていなかったけれど、ドイツでの研究によって食用油中に存在することが確認された。今でも、定量法は確立していないし、体内で発がん性があるとされるグリシドールにどれくらいの割合でなるか、発がん性はどれくらいの強さなのか、よくわかっていない。

 こういうことはよくある。アクリルアミドと同じパターン。アクリルアミドも、これまでも人類はずっと食べ続けていて、ちゃんと調べ始めたらフライドポテトにも、ビスケットにも、ということになった。発がん性の強さは、今でも検討中だ。
 食品中に発がん物質があることなど、当たり前のことでもある。これでじたばたしていたら、世の中の食品全部食べられなくなる。例えば、野菜には、発がん物質が含まれていることははっきりしているし、体内で発がん物質になりうる未知の物質もうじゃうじゃ入っているはず。
 したがって、新たに発現した問題であるグリシドール脂肪酸エステルについても、定量法の確立、体内での変換確率、発がん性の強さの研究など、粛々と進め、対策を講じてゆくしかない。

(2)新開発食品の安全性評価、どうしたらいい?
 しかし。
 エコナは、特定保健用食品として、厚労省の認可を受けていた。しかも、特殊な製法のせいでどうも、一般の食用油の約100倍のグリシドール脂肪酸エステルが含まれているようだ。
 
 これまで、主成分であるDAGについての検討は手厚く、ラットやイヌなどを使って急性毒性試験や亜急性毒性、慢性毒性試験、発がん性試験などを実施。DAGはどうも懸念する必要はなさそうだ、というところに落ち着きつつある。
 製品自体の安全性評価試験でも、「問題なし」という結論だった。これの前提にあるのは、主成分ではない物質についてなにか問題があれば、動物への長期投与試験などで異常が出てくるはず、という考え方。

 繰り返しになるが、物質は調べようとしないと、その物質が食品中に存在するかしないかなど分からない。食品中に含まれる物質は多岐にわたるから、なにが含まれているか、いちいち調べることなどしないし、できない。
 したがって、安全性評価はやっぱり、製品を長期に経口投与する試験に頼らざるを得ない。エコナは、この試験で問題は出ていない。だから、花王は「安全性に問題なし」と主張している。

 でも、ドイツの研究の進捗という“偶然”があり、グリシドール脂肪酸エステルを調べてみたら、とんでもない量が含まれていることが分かったのだ。
 誤解を恐れずに言えば、花王は運が悪い。分かっていて、グリシドール脂肪酸エステルが大量に含まれている食用油を作っていたわけではないのだから。でも、問題が発現した以上は、対応しなければならない。

 ただし、製品自体を高用量、動物に長期に経口投与する試験において、問題が出ていない以上、それほど大きな発がん性があるとは考えにくいということも、やっぱりしっかりと押さえておきたい。

 さて、ここから導きだされるのは、こうした問題はグリシドールだけに限らない、ということだ。また、エコナだけの問題でもない、ということだ。
 エコナに、グルシドール脂肪酸エステルのような発がん性に結びつくような物質がほかにも、非意図的生成物として含まれている可能性を否定できない。特殊な製法をとる以上、別の物質も非意図的生成物として、ほかの食用油に比べてはるかに多い量あるかも。もしかしたら、未知の物質もいっぱい増えているかも。

 そして、製法や加工法がこれまでとかなり大きく違う新開発食品も、同じ危険をはらんでいる。発がん物質や体内で発がん物質に変わりうる既知の物質、未知の物質が、爆発的に増えているかもしれない。
 ちまたにあふれる健康食品。機能性のある物質を抽出した、みたいなものはたくさんあるけれど、製造、加工の段階で、エコナと同じようなことが起きているかもしれない。ほかの特保、○○茶みたいなものでだって、同様の現象はあるかも。
 でも、現状では、増やした機能性成分に特化した安全性評価試験をして、製品自体の投与試験も行って、というエコナと同じ方法しか、とることができない。

 う-ん、新開発食品ってなんだろう。どう安全性を評価したらいいのだろう? でも、人類は新しい製法、加工法を次々に生み出して「食」の質を上げていったのも事実だし…。

……………………………………………………………………

 以上2点が、私が主に考えたこと。なので、消費者団体が拳を振り上げる感じに違和感を感じる。なんだか、後出しじゃんけんで、勝った勝ったと言っている感じ。
 ともかく、エコナをこれまで食べていたからといって、大きな不安を感じる必要はないのではないか。もし仮に、体内でグリシドールにかなりの量変わっていたとしても、エコナよりもはるかに発がん性が高い食品を、私たちはおそらくいっぱい、食べてますよ。
 私はエコナを一度も買ったことがないし、自分が料理をする時に使ったことも一度もないけれど(私は、特保もいわゆる健康食品も食べない)、どこかで食べていることだろう。

 さらに二つ、補足したい。
 一つは、「中西準子先生の見通しが、やっぱり当たったなあ」ということ。
 中西先生は、アカネ色素に対する厚労省や食品安全委員会の対応を批判していた。アカネ色素は、遺伝毒性のある発がん物質であり、同委員会はリスクの定量的な評価をせず、厚労省は添加物リストから外した。事実上の禁止措置である。
 しかし、アカネ色素の発がん性は非常に弱く、しかも摂取量は少ない。中西先生は「厚労省や食品安全委員会は、ゼロリスクを求めている。一方で、BSEや微生物の管理などについては、『ゼロリスク』はあり得ないと言う。食品安全行政は、ダブルスタンダードに陥っている。このままでは、破綻する」と主張していた。

今年4月の農林水産技術会議で先生が情報提供された時の資料の最後の方に、アカネ色素に関するスライドがある。

 今回のエコナの問題でも、「発がん性があるかないかではなく、リスクの大きさを考えて判断します」からスタートしていれば、「製品の投与試験では、発がん性は確認されていない」という重要な事実を、議論の根底に据えることができた。「製品としては大丈夫そうだけれど、これからリスクをしっかりと定量しましょう」ということだ。
 でもこれまで、添加物など食品に人為的に追加する物質については「遺伝毒性のある発がん物質ならば、即刻禁止」にしてきたから、今回のエコナについても、「加工の過程でできる不純物、つまり人為的に追加する物質が、体内で遺伝毒性のある発がん物質に変わりうるのだから、即刻禁止だ」と言えなくもない。実際に、消費者団体はそういう趣旨の主張をしている。
 
 じゃあ、ほかの食用油に含まれるグリシドール脂肪酸エステルをどうする? これは、人為的に追加する物質か、食品成分か? 話がどんどんややこしくなる。
 中西先生の言う通り、遺伝毒性のある発がん物質についても、リスク評価と管理に転じてゆくべきなのだろう、と私は思う。

 最後にもう一つ。花王は、販売自粛の発表を、組閣の日にぶつけた。これは明らかに意図的なものだと思う。組閣であれば、新聞もテレビも花王のニュースを小さくしか扱えない。問題の本質的な重大性とはまったく関係がなく、マスメディアは初動で盛り上がらなければ後は尻すぼみになりがち、という特性をよく知っている。
 あとは、花王が広告収入減に悩むマスメディアにとって非常に大きなスポンサーだ、という事実も重要ですね。

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22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
予防原則 (上々)
2009-09-28 10:43:21
またまた「予防原則」が跋扈しそうな情勢ですね。
今ある物も決して万全ではなく、中には相当危ないものもあるのに、新しいものには完全を求めるあほらしさ。

製品全体として基準に当てはめて問題なければそれで何が悪いのでしょうか。
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Unknown (co)
2009-09-29 01:32:14
ふらっとたまたま見つけさせていただきました。
coと申します。

興味深いジャンルと高いご見識、面白いです。

私は広告の世界にたずさわることが多く、花王さんの広告圧力というのを感じる場面が多くありました。
ブランドを維持する苦労も理解できる反面、疑問に思うところも多々あり。

エコナはCMを見ませんね。リセッタは良く見ます。
課題と検証の繰り返しが消費者の為と考えてくれることを祈りたいです。
-
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花王自体は好きじゃない (ピーチ)
2009-09-29 01:44:13
花王のエコナを大々的に宣伝したのは、あのオゾマシイ「あるある大辞典」の大口スポンサーであったから。「あるある大辞典」での嘘、嘘、嘘で視聴者にエコナのコマーシャルを見せつけ、売りつけるしたたかさはすごい。
今回、これだけ科学的にきれいに見解が出せる能力があるのになぜあんな番組を抱えていたのか?何もスポンサーからの指摘はなかっただけでなく、ある意味意図的なものも感じる。
トクホだって意味全くないものをよく国も認めている。トクホと無添加は私にとっては同義語。
リスクとは違ってはいるけど、自業自得じゃないの?
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花王の体質 (匿名)
2009-09-29 21:30:10
花王の企業体質だが、後藤が生産部門のすべてを牛耳っており、有無も言わさず決済、否決する権限を有している、昔も花王はこじんまりとした町工場的企業だったが、今やその面影は無く、独裁的な後藤が支配する大企業と化している。この様に生産部門の一切(人事、設備、金)を集中させている花王の体質改善がなされない限り、再び同類の問題が発生するだろう、最近発売されてアタックNEOの同様である、環境負荷を低減するPRだが、果たして?本当なのか?疑問である。また、高濃度茶カテキン飲料「ヘルシア」も、海外では、高濃度カテキン摂取は内臓疾患が発生する、との記事もある。後藤集中権力の独裁が改善され花王の企業体質が変化しない限り、難しいと考える。
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なし (nori)
2009-09-30 11:34:03
この問題は、この食品の危険性の問題ではないのですよね。
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リスク管理はわかりにくいのでしょう (まいまい)
2009-09-30 15:21:47
口から摂ると、マウス・ラットの喉のがんをわずかに引き起こすことがある「グリシドール」。くだんのグルシドール脂肪酸エステルは、これに「体内で」変わる可能性があるとされています。
人間は反芻動物ではないので、エコナを食べて胃腸でグリシドールを作ってから、それを喉まで戻すことなどありません。

ちょっと考えればわかることでも、「発がん性の疑い」「海外では規制の動きも」の文字が躍れば大騒ぎして、ニュースになれば鬼の首でもとったように嬉々として他者を糾弾する姿は異様です。

また、グリシドールそのものも、かつては注射液の腐敗防止用に添加されているものでした。その注射によって発がん性が高まったというデータはありませんし、製造工場においては室内空気から検出されているのに従業員に特定のがんは観られていません。
http://monographs.iarc.fr/ENG/Monographs/vol77/mono77-19.pdf

ここでのコメントにも「・・という情報もある」のが許せない人もいるのですから、リスク管理はまだまだわかりにくいのでしょう。
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Unknown (うえる米)
2009-09-30 22:34:18
前半はいいが、最後の部分は全くの推量でしょう。前半のいいところも推量に思えてきますのが、とても残念です。組閣の日にぶつかったのは、新内閣が出来たタイミングに合わせて主婦連が消費者省に陳情したから。こういった感情的なクレームはタイミングを外すと別の問題にすり替わってしまうという事は、花王も知っているので急いで販売自粛を発表したという訳さ。と思うけど、これも推量。
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これはあんまりだ (Unknown)
2009-09-30 22:36:26
私も有機だの無農薬だの無添加だの、ついでに健康食品に特保なんて似非科学の詐術以外の何ものでもないと考える。 そのうえで、
グリシドールのラット、マウスへの経口投与実験はIrwin et al. (1990)、Irwin et al. (1996)のそれぞれ1件が知られるのみであるが、いずれにおいても喉の病変を報告していないはずである。 なお、報告されている病変のうちで、「わずかに」と形容されているのは雌マウスの子宮内膜腺がんである。
また、ネット検索により、グリシドールがかつて注射液の腐敗防止に使用されたという記事は確認できなかった。 なお、医薬品(種類不明)の殺菌剤、マグネシア乳剤(緩下剤?)の殺菌への用例(いずれも用法不明)があるらしいことがわかった。
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2チャンネルからきました。 (ウォッチャー)
2009-09-30 23:20:14
ちゃんと読んでみましたが、なにもおかしな事は書いてないと思います。
全体の文章を理解せずに、一部に脊髄反応を起す”花王の工作員”(笑)がコメントにも来ているようですね。
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特保 (Unknown)
2009-09-30 23:41:02
特保ができてもう20年近いのだから、なんらかの制度の効果を報告すべきだろう・ちょうど政権が代わったこともあるのだから。
部品が増えると故障の確立は増大するものである。 
どんな食品にも必ず有害な成分は含まれているものだ・それを量や食べ方でうまく飼いならしてきたのが人類の食の歴史であったはずである。
そうであるなら、これから飼いならさなければならないものをこれ以上作り出す必要があるのだろうか。 人類はそんな余力を保有しているのだろうか?
基礎栄養としての意義も医薬品の効果も絶対に持ち得ないものの開発・生産を可能にするさまざまな負荷が、その社会的メリットに引き合うものなのか落ち着いて考えてみるべきではないか。
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