福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

俯瞰して さくらと 歴史に 向かい合っています

2012年07月30日 23時42分15秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(?と!)
舞鶴公園の まちまなび。


今 現在、日本史の復習に割いている時間が多く、
さくらのことが 途中で止まってますが、忘れてしまったわけではないのです。よ。うん。


俯瞰して、俯瞰して・・・・います。

椅子に座って、床に置いた資料 いろいろを




どれかに限定して説明することなんてできないんだろうなっていう、あの場所の特徴を 考えています。



日本史の復習をして、あの場所と日本史の関連性に詳しくなることが 私の最終目的・目標じゃないもの。


あの場所を、誰に どう伝えるかっていうことに関して
私なりに整理して、表現できることばと方法をみつけることが 私がやりとげたいことだもの。
子どもが出来たときに、そして その子が このまちを進学なり就職なりで 離れるときに
「あなたの うまれたまちの あの場所は、本当に すごい場所なんだよ」っていいたいんだもの。

日本史的の領域のことでも、戦災復興(平和台)でも、さくらのエピソードでも、
どのまちにもない、どのまちにも負けないエピソードをもっていることを ちゃんと伝えて、そして 送り出したい。


本当に そんな日がくるかどうか定かではないけれど、でも、その時の 準備はしていきたい




ひとまず、近いうちに、色塗りした地図のカラーコピーをしてきます。

いままで さくらの地図づくりで使っていたものより、地図部分は もうちょっと小さいほうがいいなと思ったので






奈良の都の時代の 日本史まんが やっぱり私には 必要です

2012年07月29日 14時32分01秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
これも、28日(土)の 話なんですが。


おっと様から「また しぶい時代を 買ってるねぇ!!」と 言われました。




日本の歴史。奈良時代。


そんなに 渋いです



だって、奈良時代のことわかってないと、いまいち 筑紫館&鴻臚館のこと わかんないんだもーん


後ろのほうに「上級役人と下級役人の食事の違い」というイラストの説明があって、
そこに、農民は これ以上に貧しかったと説明があって。

このイラストを目にして、説明文を読んで初めて、鴻臚館で見つかったトイレの遺構が いろんな意味ですごかったっていうのが わかったんですもーん


このページも 大事です。

「おうちの方へ」。

奈良時代の特徴が 大人向けではあるけれど、比較的わかりやすく書いてあって、いいんです。

最初のうちは「いやいや、すっかり 忘れてます」という現実を認めざるを得なかったんですけどね。


盧舎那仏の考え方があって、真言密教があって、博多の禅宗があって・・という このまちの宗教都市の特徴をわかるためにも、
やっぱり 奈良時代へと さかのぼるのは大事だなぁ!って思いました



よぉし、週明けから また ペタペタいろいろ 貼ろう!


夏空に 誘われて・・・・最近 まぁるくつながった 都市高速 1周してみました

2012年07月29日 13時24分44秒 | まちを知るための学び(2010年~2012年) 
28日(土)の 午後あたりにかけて、ですが。


天気が良かったので・・・・・・
この夏の新鮮な?!タイムリーな?!青空を 楽しもうと思いました!

都市高速、1周!!


いいですよね~。この青空に 白い雲に 福岡タワー!!



それから ちょっと 走りまして。。。。

分岐の看板!


はい!!

まぁるく繋がりました!というのがわかる 〝内回り〟 表記!

わくわく



どきどき

左側の車線に入って、周回に 入ります!


本当に、まぁるく つながったんですねー!!


縮小かけると、わかりくくくなってしまいましたが
こんな風に 西九州道と 都市高速が 先々で 一つになるんだぁ!という感じでした。


満足~


またしばらく走って・・・・分岐にむかいます。




そうして 一度も 一般道に下りることなく・・・・・


荒津大橋へ!


その先の 福岡タワーで・・・一周!でした


いやぁ・・・白い雲と 夏の青空が すごく映えて綺麗な、都市高速1周でした♪
今度は、違うまわり方で 走ったら、また見える風景が違うかな!


都市高速が 一番最初にできたころのことは知らないけど、
一連のこと まとめて 絵本か 何かになったらいいのになぁ~!!

子ども向けに

ええ、子ども向けに


このまちって、秀吉時代から、江戸の 黒田さん時代、明治・大正・昭和(終戦前まで)、終戦後から約20年ちょい、
あと、政令指定都市になってからの 地下鉄建設や、キャナルや天神、博多駅の再開発など・・・と
それぞれの時代で ずっと 都市づくり やってきて、
各時代の思いが いろいろまちなかに点在しているのが、結構楽しいというか・・・おもしろいというか・・・ふところが深いというか!!

本当は、このあたりのことも 突き詰めたら、楽しいのかもしれないですね


舞鶴公園のまちまなび済んだら、そちら方面を おいかけてみたいんですが、ね





海岸線と みなとの変化があるまちの 遺跡と そのまちらしさ・・・・なのかな??

2012年07月27日 23時59分37秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
半夏バテ???
それとも 気温についていけていない??

よくわからないですが、真夏の日差しと 猛暑っぷりに  午後ぐったりでした。


なので(?!)、まちまなびも ちょこっとだけ。




以前探し当てていて、先日見つけた『博多港の「みなと文化」』を 改めて読んでみたら・・・・


ああ、そうかぁ・・・港湾遺跡って言えるんだね、鴻臚館・・・・という発見が。



そうかあ、「港湾遺跡」っていうことも 言ったほうが、
他のまちに住んでる人には、その場所の 当時の在り方って 想像しやすいかも・・・?!。


海があって、海岸線があって、みなとがあって。
だからこそ 出来上がっていった このまちの歴史 イロイロなんですよね?



そうそう。

先週のかなぁ??
サブクリップの 筥崎宮の案内で、
鳥居が4つあるのは、時と共に海が埋め立てられ、次第に鳥居が建てられたと伝えられていますとあって、
へぇ・・・・そうなんだぁ・・・・と。



ということは。
舞鶴公園のまちまなびに限らず。


このまちの 時代ごとでの 海岸線の様子と 時代を経ていくうちの 海岸線の変化がわかれば、
稲作だったり、神社だったり、お寺だったりの このまちなりの特色が 今以上にわかるし、
他の人に このまちの本質を うまく伝えきるようになれるのかな?!なんて思ったりもしています。

稲作も 金印も 神社も 鴻臚館も 鴻臚館も お寺も 元寇防塁も・・・・
このまちならではの みなと文化から派生したもの・・・・なのかもなぁ・・・と しみじみと思ったので



ああ・・・・・・・・・・・・でもでもね。

「時代とともに変化する海岸線と まちの在り方」かぁ。
やっぱり、このまちでも コレ↑も やるんだぁ・・・・
 

えっ・・・・・・でも。。。2000年分、追いかけるの?!

でも、まぁ、追いかけてっても そんな重たい歴史ではないから いいかなぁ!?

長い間 福崎山が果たしていた 役目って なぁに??

2012年07月26日 11時25分25秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
少しだけ、日本史分野から離れたことを 今日は 軽くまちまなびです。


福岡城跡が福崎山だった時のことを考察する時間も いいバランスでとっていかないと
場所の特性というか、ながぁぁぁあい 時の流れで見た場合の 
あの場所の意味を 取り違えてしまいそうで

でも、まだ「そうかあ!」っていう発見までは 至ってないんですけどね。

地域史は 政(まつりごと)の歴史だけではなく、自然史でも 振り返っていかなきゃなんだろうなって思うんだけれど
うーん・・・・・・
そこに至る資料・文献を 探せてない 私がいかんちゃろうなぁ


午後からは 妻仕事一色になるので、午前中の短いすき間時間を まちまなびに使いましたが。


今日、参考にしたのは・・・海辺の生き物の図鑑。

夏っていったら、海ですよね?!
おっと様は、夏山やろ?っていうんですけど、私は海派です!!

海に囲まれた 長崎県出身って感じですか

海辺の生き物の図鑑と、「森は生きている」の本を ちょこちょこと読んで・・・・・

数ページ、イラストを いろいろ見て・・・・・


うーん。

昔、そうねぇ・・・・それこそ筑紫館とか鴻臚館の時代って、
福崎山って、今で いうところの 〝航行目標保安林〟みたいな役目を果たしていたのかなぁ???と。


どうなんでしょう???
他に、〝航行目標保安林〟の役目を果たせたような場所って、どこかにあったのかな??
でも、建物があるそばに山があるって、やっぱり その山って 航行目標になるよねぇ??

むかーしむかしの 土地の形状がわかるような 地図がほしいです


そうそう、万葉集の句。
以前印刷していた『博多港の「みなと文化」』に載っていましたぁぁぁ

なんだー、ちゃんと 見つけてるんじゃん、私ってば!!


よっしゃ、この先 がんばろー