福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

舞鶴公園・さくらごとのまちまなび 全国の桜が植えられた流れを知りました

2012年05月31日 16時52分11秒 | 舞鶴公園・大濠公園の 花と緑を楽しもう
さくらごとのまちまなび、ぼちぼちですが進んでいます。



で~も~~~~

なんか、開始年度とかで、記事の内容、一致してない?!のは どーしてなのかしら
ひとつの新聞社で、同じ団体の 設立年度の記述がわかりにくい(どっちとも読める)のは、どーしてなのかしら
参考として使うけれども、もう一社のデータベースでも 確認しなきゃいけないなと思います。
確実性を あげねば~。


気を取り直していきますか。



今回、「舞鶴公園」「桜」で検索したときに、結構出てきた名称が「福岡さくらの会」でした。

へぇ~~。

そうなんだ~~~。


桜の市長さんとのつながりが深いようですね。
名誉市民になられた時に、1987年(昭和62)年 京都のしだれざくらの苗木 8本を寄贈されたのを機に発足とあって・・・・・・


今回のデータベース検索で拾い上げた記事にあったのは

1989(平成元)年 北海道の 松前桜 50本

1990(平成2)年  京都の  紅八重しだれ桜(樹齢30年) 1本

1992(平成4)年  京都の  しだれ桜(樹齢20年前後)  23本(しだれ桜並木)

でした。

植樹された年がわからなかったけれど記事を参考にすると

1990年4月の前に  岐阜県・根尾村の 淡(うす)墨桜も 植樹されたのかな?と思いました。


桜の市長さんの「舞鶴公園を、全国各地の桜の名木が鑑賞できる 桜の名所にしよう」という呼びかけもあったんですね。

へぇ~~~~。

そうなんだ~~~。



・・・・・・・・・・・今まで、知りませんでした

まちまなび、コツコツすすめては来てたけど、あまり深まってなかったのを 証明した感じですね


す、すいません


今回知ったこと、さくらごとの まちまなびに、ちゃんと反映させます



そうそう、もう一つ、今回知ったことがあって!!!

1990(平成2)年に植樹された、紅八重しだれ桜は『舞鶴しだれ桜』と命名されていたんですね

記事によると、「公園内の ボタンシャクヤク園に植えられた」とあるので

この写真の、真ん中の桜のことでいいのかな??と思ったりです。


公園内には、たぶん、表示されてなかったはずだよねぇ。


今度、機会があったら、確認してみましょう。



本丸跡→軍の施設→国立病院跡・・・・・だったところに桜園が出来たのは1972(昭和47)年だっていうのは
別の資料から わかったんだけれども
昭和32年当時をしめすものには 「戦災復興会」とあった、多聞櫓があるところの桜は
いつ、植えられたものなんだろう???というのが気になってますが、
それは もう一つのデータベースを使って 検索かけたらわかるかなぁ??

細かいこと全部を知り尽くしてしまいたい気もするけれども、
他のこと・・・・・
鴻臚館や平和台や城跡のまちまなびも バランス同じように すすめなきゃって思ってるから、ある程度で切り上げていくのも大事?かな??

迷います。
迷うところではありますが、今度検索をかけたあとに、改めて考えようと思います

さくらごとのまちまなび・・・・・検索!

2012年05月29日 20時25分13秒 | 舞鶴公園・大濠公園の 花と緑を楽しもう
うごくときは 動きの速い わたしです。

(普段から そうあろう!!)



いままでのところ、さくらごとのまちまなびは ここまでが進捗状況なんですが


検索して、調べてきました~


舞鶴公園と 桜・・・・で、気になったこと、とか、イロイロと。

平成元年からの分だけになっちゃいましたが。
違う新聞社のデータベース検索を使うと、もーっと昔から検索できるようなので
また別の機会に ささっと行こうと思います。

ひとまず、手に入れた分で 「これ!」って内容を 貼り付け予定の文章に反映させるのです




この要領で、データベース検索、平和台と鴻臚館も やろーう。
平和台の昭和20年代から30年代にかけての検索は、ちょっと楽しみだわ~♪


さすがに 江戸時代のエピソードのデータベース検索は・・・できないよね

この時代に関しては、読書しかないかなぁ~




舞鶴公園 まとめごと・さくらごと 文章を進ませなければなりません

2012年05月28日 20時42分07秒 | 舞鶴公園・大濠公園の 花と緑を楽しもう
ひとまず、文章、いったん作成。

悩んで悩んで・・・だったので、いい文章が練りあがるかと思いきや、
結局「何で?なんで?なんで 今 そうなの?」と 
友達か マイパパン&ママンか わからないけれど とにかく 誰かを連れてった時に 尋ねられそうなことについて
簡単に まとめただけの文章になってしまったので・・・・

悩んで悩んで・・・の時間が あってもなくっても 一緒だったような気も




まだ仮というか、調べが不十分なところもあるので、調べにいかなきゃいけないと思います。


・・・ここ数日、貴重品 紛失で バタバタしてて 調べに行けていません



あー



まぁ、でも、ひとまず文章 うってみた~。

これをたたき台にして 先に先にと すすめていきましょう。




まちまなび。時に足踏みする理由は・・・「港」と「海」と「藩政時代」で引っかかってる??

2012年05月25日 18時42分56秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(?と!)
前回の日記で、自分の中に「??」がいっぱいになってしまって・・・・・・桜ごとの まちまなびまでも、ストップ中。



なんとかこの状況を変えたくて・・・・・・黙々と 台所作業をしてみました。


え?
何か、関連あるのって???


違う脳を使えば、新たなアイデアが浮かぶっていうから、
それならば。。。と、まちまなびとは違う たべものつくりの脳を 働かせてみました。



そうして、思い出したこと。

そうだ、ごくごく初期にやっていた まちまなびノートをひらいてみよう。


そうそう、私の「??」を説明するのにちょうどいい まちまなびノートでした。



まちまなび、ごくごく最初の時期は「港」と「海」を切り口にして このまちのまちまなびをやってたんですよね。

そこで 気づいていたことを、再確認。



もともと、国際貿易都市だったんですよね、このまちって。

でも、藩政の時代、鎖国になって、長い国際貿易都市の歴史が途絶えてしまったと。



えっと その切り口を 忘れないようにして まちのことを眺めると・・・

なんというか、日本の各地は 藩政だったり、そこから続く、幕末・明治・大正・・・という時代は
地域の起爆剤というか、まちの意味付けというか、まちの成長のもとになったんだけれども、
このまちに関していえば、その方程式(?!)が 当てはまりにくいんですっけ・・・・???????

藩政は、長い国際貿易都市の断絶と、長い時間がかかった復活の まちの歴史のはじまりになっちゃうんですっけ????


うーんっと?????。


藩政の時代の在り方、ほかのまちと比較対象したら、結構大きな藩だし すごいとこなんですよね。

でも、「港」と「海」の、まちの歴史を重視して、通史で見ていくと・・・

うーんっと・・・ええっとぉ


うーん。

でも、日本全体が 藩政の時代は 出島以外、徳川幕府一色・鎖国一色だったんだから、
幕府内の順番・・・って切り口で ほかのまちと比較検討したら、結構すごいってことだから
それはそれで やっぱり「すごいんだ」って 理解してっていいんだよね


うん。うんうん。


藩政時代の歴史ごとのまちまなびの展開、いくつもの切り口で やってく必要があるってことなんでしょうね~。

鴻臚館の時代の、まちまなびごとの展開の切り口は、外向きな「港」と「海」を大事にしてっていいんだろうけど、
当時の海岸線の場所とか、船のこととか、港のこととか、海と外国とを大事に考えていいんだろうけど、

藩政の時代のまちまなびの展開の切り口のメインは、内向きというか、この国の内部での比較検討って考えておけばいいんだよね?



うーん??????。

やっぱり、歴史ごとのまちまなびって、大変かも?!
いやいや、「逃げない」って 宣言したから・・・踏ん張れ、わたし~

ひとまず、桜ごとの まちまなびは・・・立ち止まらないようにしよう

 



「桜」の アンチエイジング・「まち」の アンチエイジング 

2012年05月22日 20時21分30秒 | 舞鶴公園・大濠公園の 花と緑を楽しもう
「桜」にしても「城」にしても、もう「まちまなび」の雑誌は 買わなくてもいいはず・・・なんて書いて すぐ・・・・


普段 そんなには行かない本屋さんで、「桜」のまちまなびの雑誌をみつけてしまいましたよぉぉぉぉぉ~


これは・・・もう・・・運命の出会いってことよね
わたしに「これ、買ってね!」ってことだよね


じゃーん。
女子なつくりの雑誌です!
女子向けの雑誌です。


特集「桜」です。




本屋さんで手に取って「これは、わたし、買わなきゃやろうなぁ・・・」と思ったのは


「桜ことはじめ」の内容と、その右のページ。

弘前城の 桜の話。



弘前城ほどでさえ、藩政の状態を残すなら、桜の木は・・・ということになるんだ!ということと、
でも、明治時代に植えられた桜が綺麗に咲き誇るようになった大正時代から 桜を愛でるようになって、
それがずっと 続いてるんだ!っていうことと。
藩政の時代だけじゃなくて、明治や大正からの時間も 大事にしてるんだぁ・・ってこと。

どこも、歴史と桜の共存って、苦心するんですね。
でも、そのまちごとの郷土愛で そこをなんとか できちゃうんだろうなぁ・・・・


わたしも、まちまなび、歴史と桜の共存で苦労してるけれど・・・・頑張ってみよう
鴻臚館の時代も、江戸の時代も、待っててね!!
もう逃げませぬ。
逃げたくなる時も あるけれど・・・
いや、やっぱり歴女じゃないけんさ、手ごわいとですよ


歴史ごとの まちまなびが 進まない理由のひとつは・・・
今日買った雑誌の表現で「桜もアンチエイジングが必要」とあったんですが・・・ちょっぴり関連性がありまして


このまちは 商都だから、まち自体が、ずっとアンチエイジングというか・・
このまちに 大きく流れる空気感って、「澱む」とか「漂う」とかとは違う、「流れる」「変化する」感じがメインなんかなぁと思ってたんだけども・・・・。

でも、この前買った 「男の隠れ家」の「城」と「城下町」の特集号には
「漂う時間」とか「名城に遺る時間の澱」という表現があって。


「ええ?!漂うとか澱むとか、そんな感覚って、このまちに あったっけ???」って思って。


でも、アンチエイジングって視点で 城跡は考えにくいしなぁ・・・・・

「変わり続ける まち」のなかで、「変わらない場所」の意味を問うって、意外に 難儀です~


でも。。。。頑張るのだ、わたし