海に浮かぶ硝子 vietri sul mare

気ままな飼い主の日常と甘ったれ黒プーアンジェロのマイペースな日々

今年もありがとうございました。

2011年12月31日 | 日々の生活
☆父☆
今年は父が亡くなりました。
とにかく元気で健康がとりえだった父が、震災後玉手箱をあけた浦島太郎のように見る見る間に老衰でなくなりました。
でも、父は最期まで好きなことをやっていたし、最後の夜に好きなものを食べ、好きなテレビを見てあとに亡くなりましたので、幸せでした。
ちょっと鈍い父でしたが、自分の好きなことを楽しみ、自由にストレスためず満足して、最後は母に一声かけて逝ったそうです。
亡くなってわかることもたくさんありますね。
もっと色々連れて行ってあげればよかったな、とその点は後悔しています。

☆中国語☆
あと少しで中国語を習い始めて2年です。
実際2年というと、かたことが精一杯。実際旅行に行っても通じたり通じなかったり。

発音の苦手さは相変わらず克服すべき努力の日々ですが、それで落ち込んでいたら、
個人レッスンの先生に「○○さん、語学において1年半なんてやっと入口にたっとところです。これからいくらでも直せますから、頑張りましょう」と。
まだまだ入り口なんですよね。

台湾に行った時、叔父が普通にホテルの人と中国語と話していているのを見たとき、独学で耳で聞いて話して覚えた中国語はとてもナチュラルで、難しい言葉は使っておらずちゃんと通じている。
私は相手がまだまだ(この人は日本人だから、何を言うんだろう?)って一生懸命聞こうとしてくれている。
簡単でいいから相手が苦労しないでも聞き取ってもらえる中国語を話せるようになるのが目標です。
勉強しているとついつい難しい言葉も面白くそちらに目がいってしまいましたが、簡単な言葉を確実に発音しわかってもらえる。来年の目標です。

1年はあっという間。自分に残されている時間もあまりありません。というと誤解されてしまいますが、そうではなくて、命の長さは年齢に関係ないものではないかと最近思っています。
日々楽しく過ごすのとはとても大切ですが、楽しいだけでなんとなく過ぎていくのはしたくない。
中国語でも絵付けでもっと自分の中に充実感を残せる努力をしていきたい思うのこの頃です。

ま、こういうのもだらだら毎日過ごしがちの私なので、自分にカツいれるためです(笑)

中国=チャイナ=陶器。
陶器は英語でチャイナといいます。
これも何かの縁ではないかと思っています。

☆アンちゃん☆



アンちゃんも元気です。事務所の仕事納めにもトリミング後参加。
一見全然変わらないのですが、年をとったなぁ、と思うことも多いです。
まずわがままになった。帰ってきても、クレートで寝ていて気がつかない。
でも相変わらず、オヤツ命のヒンヒン小僧です。
来年も楽しく過ごそうね。

「一陽来復」
どんなにひどいことも永遠に続くわけではなくて必ずまた希望を感じられる日が来る、という意味の言葉です。
松下幸之助さんの言葉です。

皆様良いお年をお迎え下さい。

台湾のおみやげ☆

2011年12月26日 | 旅行


観光の後は母をホテルまでつれて帰り休ませて、次の約束までの1時間ちょっとの間に
地下鉄に乗って、チェックしていたお店でお買い物。

西門町にあるチャイナ靴屋さん、「xiaogege」では靴を二足。
一足はベロアに刺繍入りのペタンコ靴。家の近所ではいたり、旅行とかにちょっと外にも履いていける室内履きとしてもいいかも。

もう一足はデニム地にチャイナ風の刺繍がしてあるミュール。これは夏に良いですね。
ぺたんこは1100円くらい。ミュールは1600円くらい。
ホテルに帰って母に見せたら母も気に入って、翌日タクシーでいって母も兄の奥さんや、孫のchomoちゃんに買いました。
安いけれど、結構良いですよ!



最後、松山空港で見つけたスタバのデミタスカップ。
10月に成都に行った時に見つけて、成都版は買ったので、見つけた台湾版も購入。
これから旅行先であったら買ってみようと思います。
昔、ヨーロッパはカフェ協会(?)みたいなところが強くて、スタバが入ってこられないって聞いたことがあるのですがそれもかなり昔の話だったんですね。
ネットでフランス版を見たらモンサンミッシェルとエッフェル塔でした。欲しい~
小学校の同級生がアイルランドの人と結婚してアイルランドに住んでいるのですが、
アイルランドバージョンがあったよ~欲しいなら送るよ!と言われたのですが、
やはり現地に行って買ってこそ!ですよね。



あとは台湾といえば、カラスミ!
さすがお安かったです。とはいうものの、日本でカラスミ買ったことないくせに(笑)
でも楽天で調べたら確かに半額以下でした。
たくさん使ってパスタを作りました。
そのまま食べるなら大根としそを添えて食べるといいらしいです。
そのままなら、日本酒か焼酎がぴったり。

これ以外にもチャイナ生地を使った雑貨屋さんに行ったり、大好きなパイナップルケーキを買ったり、こまごまお土産買いました。
今回ホテルが台北駅のすぐ横で中心地まで地下鉄ですぐだったので短い時間でも買い物を楽しめました。ホテルの横には三越もあったし、日本とほとんど変わりませんでした。



やっと一安心

2011年12月15日 | 中国語
今日の午後、中国語検定の発表がHPでありました。
無事に、合格していました。あ~良かった。
自己採点では大丈夫かな・・・と思っていましたが、安心できませんからね。

今回台湾旅行でも使いましたが、やはり台湾独特の言い方もありました。
もちろんまだまだ通じず勉強は必要ですが、ちょっと使うとやはり楽しいものです。
そして通じた時は嬉しいですよね。

中国語だと、部屋の番号とか携帯とか「1」は「yao」と発音しますが
台湾ではそのまま「yi」というらしい・・・
でも、台湾の中国語は鷹揚がさほどなく、日本語のような感じ。

母曰く、今回一緒に行った叔父と、別便で来た叔父は中国語が出来る!といっておりましたが、、同行した叔父は仕事で行っていたので常に通訳がついていたのでどちらかというとカタコト。
もう一人の叔父は、とても流暢な中国語でびっくりしました。

本人曰く、耳から聞いて覚えたので、漢字は殆どわからないそうです。
だからこそなのか、とてもナチュラルな中国語でした。
これくらい話せるようになりたいなぁ~。

なんか今回の旅行で叔父たちともよくメールをしたので、それも楽しかったです。

母と台北へ2

2011年12月15日 | 旅行
2日目の楽しい再会の余韻を残しつつ、今度は前に祖父のお店があった場所と、住んでいた場所を探すた旅へ。

まずは有名な龍山寺へ。パワースポットらしいですよ!
確かに日曜の朝だったからか人が多く、真剣のお供え物を備えて祈る現地の人がたくさんいました。小さいお寺ですが、パワーに満ちています(言われたからか?)。
こちらには月下老人と呼ばれる恋愛成就の神様がいらっしゃるので、婚活中の方はどうでしょうか??





ここは地下鉄の龍山寺駅が最寄り駅ですが、こちらから近い「万華駅」という鉄道の駅のすぐ横辺りに住んでいたと言うのでそちらまで行ってみました。

そして、たいした距離ではありませんが、母の卒業した小学校「西門小学校」昔は「壽小学校」と言って台北で一番良い小学校で、日本人がたくさん通っていました。
現在も、良い大学、高校に入れるためにはこちらに入れるそうです。



日曜日で誰もいなかったら入れないのは覚悟で行ったのですが、幸い日曜日で工事が入っていたため門が開いていました。もし、何か言われたら、説明すればいいよね、、、って思い母と叔父夫婦で校庭に。工事の人も少々この人たち誰??ってきょとんとしてましたが・・・。

「こんなに校庭狭かったかしら・・??」と母は言いますが、みんなそう言いますよね(笑)自分が大きくなっていますから。
当時ではここだけしかプールがなかったそうです。
ここから、母が祖父のお店のあった場所へ記憶をたどり移動・・・。
当時は隣が映画館でしたが、もちろん今はありません。
多分ここだ!っていうところを見つけ、叔父と母と記念写真を撮りました。

これで今回の旅行すべてのミッションが完了です!
母も喜び、赤ちゃんで日本で帰った叔父も初めて台湾に来れて満足そうでした。

私は台湾は2度目ですが、今回思ったのは、台湾の人は優しいです。
色々な歴史的背景もあり親日家なのでしょうが、特に若い人の優しさびっくりしました。
私たちが町で地図を広げているとき、何人かの若い学生の子が英語でも、日本語でも「何か困っていますか?」話しかけてくれ、助けてくれました。
殆どタクシー移動でしたが、少しの距離を地下鉄で移動する時も母を見るとすぐさま席を譲ってくれたり、母をささえてくれたりと、親日家っていうだけではなくて穏やかな国民性に私も叔父も驚きました。

3泊4日の旅行でしたが、叔父夫婦はまだ若いので、一緒に母のアテンドをしてくれたり、随分助かりました。
また来年連れて行ってあげようかなと思っています。

☆追録☆









寿小学校の画像を追加します。昔の写真も見ましたが、多分立て替えられて敷地が狭くなったと思います。

母と台北へ

2011年12月14日 | 旅行
先週、母と叔父夫婦と台湾に行ってきました。
もう、かなり昔、戦争が始まる前に台湾にはたくさんの日本人が住んでいました。
祖父も、台北の西門町という繁華街で、お菓子を作ったり、色々と商売をしていて、
母もそこで生まれ、戦争が終わって日本に帰ってきました。

当時のお店には台湾の人もたくさん働いていましたがその中で、一番祖父母に可愛がられており、年下の母も、お姉さんのように仲の良かった台湾女性を今回は訪ねる旅です。
その方も毎年のように日本にはお嬢さんと観光に遊びに来ていたのでその都度会っては
いましたが、母もその方ももう高齢・・・早いうちに母を連れて行ってあげたかったので、今回急でしたが連れて行ってあげました。

叔父も台湾生まれで、小さい頃引き上げてきたので記憶がなく、尋ねたい、ということで一緒に行きました。

初日は、別便で台湾人のお友達のところに遊びに来た別の叔父とホテルのロビーで待ち合わせして、皆で台湾料理を食べに行きました。



台湾と言ったら、ビーフンでしょう!新竹(地名)というところのビーフンは日本で食べるのより細く、味付けも美味しい。あっさりしていて、どのお料理も日本人の口にあいます。こちらは、南京東路にある「兄弟飯店」というホテルの2階に入っているレストランで、飲茶のレストランともに有名らしいです。

こういう場合、台湾人の叔父の友人がご馳走してくれるのですが、何しろあちらの人のもてなしは、半端でなく、次から次へとお料理が出てきて食べ切れません!

そして、翌日は、午前は故宮博物院へ。
有名な、白菜等を見て、私とは母を叔父夫婦と別れ、台北一の伝統のあるホテル圓山大飯店へ。
このホテルは小高い丘の上に建っており、移動の時にすぐ目に付きます。
このあたりは動物園があって(今はありません)、母の遠足コースだったそうです。



大きなツリーが飾られていました。丸い赤い大きな柱が有名です。
ゆっくりコーヒーを飲みました。

ホテルのドアボーイも足の悪い母に心配りしてくれて、さすがのサービスと思うところがありました。ネットで見たらサービスはイマイチとか書いてありましたがそんなことなかったです。
母も高齢ですし、ゆっくり急ぐこともないので、ホテルに帰り、お昼ね。
途中私は買い物に行ったりしましたが。

3時に今回お尋ねするお家の家族の方がホテルまで来るまで迎えに来てくれました。
今は、その方のお子さんも大学の先生や、会社経営、公務員などと、良いお子さんたちに恵まれて、マンションの3部屋にに分かれて住み、メイドさんまでいてゆったりとした暮らし向きです。
そして、母と対面(実際日本であっているので7年ぶりですが・・・)。
電話でお話したときはもう、日本語もかなり忘れていてご様子でしたが、実際会って話すと困ることなく、話していました。



多分ビションフリーゼだと思うのですが、こちらの可愛い3匹の他に二匹。
計5匹もワンちゃんがいました。
ワンちゃんは全国共通、、メイドさんが持っているジャーキーの袋にみんな真剣に見入っていましたよ。あと、うちのアンちゃんみたいにお客さんのほうばかり行きたがる。
とっても可愛かったです。

そして、私たち日本から来た4人を含めて総勢14名でレストランへ食事へ・・・。
お孫さんの彼女までいました~(笑)

郊外の総て個室のレストランで、皆で会食。
またここでもすごい量のご馳走が・・・

 

 

 



デザートももっとたくさん出てきました。
途中から、これは残さないと破裂すると思いましたので途中からセーブしたけれど、それでもとにかく苦しい~~~。

中国では、とにかく料理をたくさん出してもてなしてくれます。
それを残しても全然無作法ではありません。むしろ全部食べるほうが無作法です。
あまるくらいたくさんもてなした、というのがポイントなのです。
全部食べると、たりなかった、と思われるので残しても良いとはいうものの、
すごかった。。。

台湾人のおばあさん以外は日本語はできないので、どうなるかと思いましたが、私のへっぽこな中国語をまじえつつ、なごやかに会食は終了。

でも、こちらでお別れなので、会っているときは楽しくても 別れる時は二人とも高齢なので淋しかったと思います。