エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

デキる人間とダメな子

2008-03-03 | ちょっと考えた事

俺は自分自身を「ダメな子では無いぞ」という位の自負はありますが、かといって特別「デキる人間」でもないし、そんなたいしたもんでもない。と自己分析してます。
「デキる人間」か「ダメな子」か?なんて分類は極端すぎるし、「どちらとも言えない」場合だって多いと思うけど(そもそも「デキる人間」や「ダメな子」って言う判断そのものが相対的なもので、あやふやなものでもありますが)、今回は話を分かりやすくするために、敢えて「デキる人間」と「ダメな子」という極論を用いて書いてみます。

仕事に限らず、勉強でも、その他あらゆる場面において「デキる人間」と「ダメな子」の差ってのはどの辺にあるのか?というのをちょっと考えてみました。なんとなく。

結局は、何か物事を成すのに必要な要素は極端な話

インプットとアウトプット

に集約されるような気がします。例外もあるかもしれないけど、大体の場合に於いて。
生きていくという行動は、自ら勉強して知識を蓄えたり様々な経験したり、他人から教わったり、話を聞いたり(インプット)して、それを活用して仕事をこなしたり、学生であればテストや、部活動の大会、他にも日常生活で何か物事を判断して行動する(アウトプット)という形式で成り立っている部分って多いと思います。

インプット自体は簡単な行為である

俺が思うに、インプットという行為それ自体はそんなに難しい事じゃないと思います。
「インプットが出来るか出来ないか」なんて部分では「デキる子」と「ダメな子」にそれほど差がつくとは思えないんですよね。
インプットとは、要するに「覚えること」だから、覚えるべき事柄(基本やマニュアルや経験したこと等)を覚えれば良いんだから、それを覚えると言う行為自体は単純作業です。
その記憶を長く自分の中で保存できるかどうか(覚えていられるか)とか、記憶する為に要する時間等に個人差は当然あるでしょうが、それ自体は「インプットそのもの」とはまた別な話で、「覚えるべき事」さえ覚えていれば、どこにその知識があるのかをしっかりと把握しておいて、必要な時にそこから取り出すという手法でも代用が可能ですし。
まあ、テストや試験ではそうは行きませんけど、人生においては大体は参考書でもネットでも何でも必要に応じて使って問題ないようにできてますからね。仕事などでは結果を出すためには参考書でも何でも、利用出来るものは、むしろ積極的に利用すべきですしね。
覚えることが多すぎて覚えきれない・・インプットが難しいとすればこの一点位のものじゃないかな?
「とは言っても、意味が分からなくて覚えづらいこともあるぞ?」という人もいるかも知れませんが、それは基本では無く、大概応用している事柄であったりするので、アウトプットが絡んでる場合が殆どだと思われます。
ただ、面倒だとか、他の感心事に興味を奪われて、必要とする知識を、そもそも得ようとしないために「物事が分からない」ってんなら、これはインプットが出来る出来ない以前に「ダメな子」だと思いますが。

差がでるのはアウトプット

なので、難しいのは結局アウトプットだと思うんです。
ただ、そのアウトプットにも2種類というか、2段階あって
第1段階(以降便宜上アウトプットA)として

その時の状況の把握・分析・判断

という行為と、第2段階(以降アウトプットB)として

アウトプットAでの結果を基にインプットした知識技能を活用する

という行為があると思ってます。
で、単に「アウトプットが難しい」と一括りにするのではなくて、俺はアウトプットの中でも、特に難しくて、「デキる人間」と「ダメな子」の差が出てくるのも、このアウトプットAの能力の差かな?とか思います。
アウトプットBは、実はこれも簡単な事なんです。アウトプットAさえしっかり出来ていれば、そこで必要とされている知識・能力を使用(発揮)するだけですから。
使用すべき知識・能力が何であるか分かっているのに、知識・能力そのものが足りないと言うのであれば、それはインプットの段階の問題で、「しっかり覚えておきなさい」「しっかり練習(訓練)しておきなさい」の話で、問題解決の方法は分かっている事だし、後は覚える・練習(訓練)するという行為をするだけ。
若しくは、それをしたかしないかという差だけ。

で、問題になるのがアウトプットA。
ある問題αに遭遇したとして、実はその解決方法βという知識を既に持っていたとします。
でも、難しいのはそのβという知識が、その場面でαの解決方法であると、瞬時にそこで分析・判断が出来るかどうか?ということなんですよね。
そこでちょっと戸惑っちゃって、パニクっちゃって、結局先輩に助けられて・・・で、後になってみて解決方法を聞いてみたら「あ、な~んだ、この場合の問題ってそういうことだったんだ。俺でも出来たのに」という経験、誰しも一度位はあるんじゃないでしょうか?無いかな?俺はありますよ(笑)

「あいつは勉強は出来るけど・・・」とか言われている人は、インプットもアウトプットBも凄いものがあるけど、このアウトプットAが苦手な人って事なんでしょうね。
「あいつ、頭は良いのに」・・・でも、実際に仕事や、日常生活等でも「頭が良い、キレる」と言われる人々は、どちらかというとインプットがずば抜けている人よりも、このアウトプットAの能力に長けている人のような気がします。
で、結局「出来る人間」と「ダメな子」の差はそこにあるのかな?と。

でも、インプットの能力は努力に比例して上がっていくだろうけど、このアウトプットAの能力の場合は、どうなんだろ?どうやって磨けば良いんだろう?経験がやっぱり大きいと思うけど、

日頃から如何に実戦に即した物事の考え方が出来るかどうか?

ということなんでしょうかね?
インプットと違って、単純に「こうしたら能力が上がります」という方法が無いから難しいし、だからこそそこで、「如何にしたらアウトプットAの能力を伸ばせるか?」というものに、自分なりに気づけた人が「デキる人間」なのかなあ・・・とか思ったりしました。

と、冒頭で最初に断りを入れたとおり、ちょっと極論で話を進めてきました。極論だというのは自分自身自覚してますので、「おいおい、あまりにもそれは極論ってもんだろ?」という意見も当然あると思いますが、「最初から極論だ」という視点で見てもらえれば幸いです(笑)

俺もそりゃあ、できるなら「デキる人間」になれたら嬉しいので、頑張ろうとは思ってます。色々と(笑)



2 コメント

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ダメな子・・・ (kokiyu)
2008-03-04 09:53:55
ウチの子供の2学期の期末テストの時、
ニガテな分数の計算をなんとかしてやろうと、
他の教科はあきらめて、親子で何時間も勉強しました。
でも戻って来たテストを見たら、肝心の分数の計算は白紙・・・
「あれだけやったのに、どうして出来なかったのよ!」と激怒した私。
あらためて子供に解かせてみたら、簡単に出来るじゃないの
今日の卯月さんの記事を読んで、まさにインプットは出来てても、アウトプットが出来ない子なんだな~と実感・・・
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コメントありがとうございます (卯月 蒼)
2008-03-04 10:20:43
>kokiyu
ははは(笑)
まさに、αの問題について、解決策βを知ってはいたんだけれど、それを使用すれば良いという判断に迷ったんでしょうね。

学校の勉強なんかは、特に「インプット」が重視されてそうな印象がありますね。
でも、俺は今回話題にされている数学(分数の計算ってことは算数でしょうか?)の分野については、特にアウトプットが大切だと思いますね、学生を卒業してる今になって、改めて考えてみると。
覚えた事をそのまま答える問題、だから「1+1=□」なんて問題は、インプットとアウトプットBがそのまま反映されるんでしょうけど、捻った問題になってくると、「この問題では何の公式を当てはめて、どうやって計算してやれば良いのか?何を求めればいいのか?」という、計算そのものよりも、むしろその判断、アウトプットAの能力が問われているように感じますね。

あ、この返信コメント書いてる時点で、新たに記事に出来そうなネタが浮かびました(笑)
今度機会を見て、記事書きたいと思います。ありがとうございました。

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