エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

人間失格 1

2009-02-20 | てきとうなもの・雑記

まずは今までこのブログを読んでくれていた皆さん、本当にありがとうございました。
今まで様々なコメントやらトラックバックやらを頂きましたが、俺の書いた記事、このブログでは要するに俺の主張とか価値観とかそんなのが多かったわけですが、それへの色々な意見、感想等本当に嬉しかったです。また、直接コメントやトラックバックと言った反応で現れなくても、いつも見に来てくれている方々が居るという訪問者数を見るだけでもすごく励みになりました。
これからこのブログ最後の記事を書いていきたいと思います。
このブログを締める理由は、様々な要因が重なり合った結果であって、なにか一つの大きな理由により辞めるというわけでは無いのですが、そういった理由の中の一つとして「本当に言いたいことを言いたい」っていうのもあったのも事実です。
最初は、ブログであるからこそ好きなことを、好きなように、言いたいことを言っちゃおうというつもりで書いていたんだけど、続ける内に、そして読んでくれる方々が少しづつでも増えてきてからは、やっぱりどこか本心を隠している部分は、事実有りました。

最初にここで言っておきます。
今回最後ということで、これから書こうと思う記事は、おそらく多くの人に受け入れられない事だと思われます。むしろ不快感を感じる人の方が多いかもしれません。
でも、そうであっても、それが俺の本心なので仕方ないというしかないのですが、最後の最後にそれをちょっと書いてみようかなと。
あくまで個人的な価値観の問題です。当然自分の価値観が正解だという奢った考えは全くありませんし、別に分かって貰えなくても良いです。そして、おしつけるつもりもまったくありません。
で、タイトルは「人間失格」・・・うん、まさにこれがピッタリかな?ということで、太宰治の名作のタイトルをそのまま、俺も使わせて貰うことにしました。
最後にふさわしいですね(笑)
と言っても、人間失格はかなり前に読んだ作品だし、何度か読み返しているし、別につい最近これを読んだから、その影響でブログを辞めようとかおもった訳ではありませんので、一応。


最後に書きたい事のテーマは恋愛というよりも、むしろ結婚観というか、結婚後の人生観というか社会人になって結婚して、そこからの人生観について思うことです。
何を持って「正しいのか間違っているのか」「正義なのか悪なのか」という判断をするのかというのは、とても難しいことだと思いますが、大体は「世の中の多くの人がそう感じること」が正しい事で、正義になっている部分って多いような気がします。
そう言う意味では、俺のもつ価値観はまさに「人間失格」と言えるものかなあ・・と。

まず最初に事の発端は、俺が小さい頃・・・いつ頃だろう?多分小学生くらいからだと思いますけど、その頃の漠然とした大人像、要するに自分の将来像ですが、20代後半位になると、結婚して子供も出来て、いわゆる「普通のお父さん」しているんだろうなあ・・・と思っていました。
友達と将来の話をしたときなんかも、なんか20代後半になるともうオッサンだよなあ~みたいな事を話していた記憶があります。
で、そこで言う「普通のお父さん」というのは、平日は朝から晩まで会社で働いて、帰ってくれば疲れてすぐに寝て、週末の休みとなると家族サービスの名の下にクタクタに疲れ果てて、また仕事が始まって・・・・というそんなイメージです。
もちろん、実際にはそんな単純なもんじゃないんですけどね。子供の頃のイメージとしてはそんな感じ。
その時感じたのが「そんなの絶対に嫌だ」という感覚。「それじゃ何のために生きてるのか分からない。自分を犠牲にしてまでそうやって我慢して生きなきゃ行けないの?」と思いました。そして「俺は大人になっても、絶対、いわゆる「普通のお父さん」になんかならないぞ~」って強く思った記憶があります。

今にして思えば、そもそもの事の発端はあのころのその感覚にあったんだろうなあ。
そこから中学、高校と成長して、社会人になり仕事を始め、様々な苦労や成功や恋愛もあり、今はまさにその辺に居るわけですが、子供の頃に思っていた20代後半、まさにその辺の位置にいるんですよね。

成長すれば考え方も自然と変わっていくものだと思っていました。
でも、確かに成長するに従って変わっていた思想や思考も沢山ありましたが、子供の頃に思ったあの思いはついに今まで変わりませんでした。
正直に告白すると、子供が出来たと喜ぶ人の感覚が理解出来ないのです。

俺は逆に、子供が出来ることに対してそれにともなう苦労面の方がはるかに大きく感じられてしょうがありません。特に赤子~小学生位まで、面倒を見たり、世話をしたり、躾をしたり、教育をしたり・・・・もちろんいやらしい話、お金だって子供無しの生活と子供を養うのとではかなりの差があるでしょう。
子供が出来て嬉しいことや楽しいこともあるかもしれません、そして本当に子供が好きなら、子供の世話にかかる苦労そのものが逆に楽しくてしょうがないという人も居るでしょう。
その感覚も、「そんなものだろう、なにしろ自分の子供だしね」という理屈としては分かるんです。でも残念ながら実感として「嬉しい」と感じられる自信も無いし、実際に思い描いてみても嬉しさを感じる実感が全く沸かないのです。
俺の学生時代の同級生や会社の同期などでは、既に結婚して子供がいる人もいます。
出産祝いをあげたり、お祝いのパーティーなんかもしましたし、子供と幸せそうにしているのを、目前で直に見ましたし、生の話も聞きました。苦労も多いけど、幸せだということも。
でも、やっぱりダメなんです。

幸せそうではあって、「夜泣きが大変」とか「子供の面倒見なくちゃならないから、自分の時間はほとんど無い」とか「旅行なんて行けないね」とか、楽しそうな中にもポロっと漏れるそういう事を聞くとなおさら「やっぱりね~」という思いが俺の中で強くなって、実際に幸せとの天秤に掛けると、俺の中では圧倒的に幸せが負けてしまうんです。

「実際に子供が出来ると違う」
「いくら子供が嫌いな人でも、実際に生まれると可愛くてしょうがないよ」
とみんな言います。
実際そうなのかもしれません。
でも、だからといって「だから、絶対に大丈夫。生まれてしまえば可愛くなるから」というのは無責任過ぎるとも思います。
子供を作るというのは、一つの新たな生命を生み出すと言うことであって、欲しい物を買ったり、趣味で模型を作ったりするのとはワケが違います。
そして、同じ生命ですがペットを飼うのもまたワケが違います。
人間の命を生み出すんですよ。生み出してしまったら、もう生半可な覚悟では済まないし、中途半端な子育て等は許されるものではありません。
もう後戻り出来ないのです。
そう考えると、俺のように子供が出来ても可愛がる自信の無い人間が、もし子供を作ったとして、それで実際に考えが変わって「可愛いくて仕方がない」と思えるならいいですが、万が一、いざ子供が出来てもそう思えなかったらどうるんだ?という話です。
赤ちゃんポストやら、生まれたばかりの子供をコインロッカーに置き去りとか、たまに聞きますけど、それこそ、そういう後先考えないバカ親、人間のクズがそうなってしまうんだと思います。
だとすれば、子供を心から愛せる自信が無い人はそもそも子供は作るべきでは無いだろうと俺は考えています。
だから俺みたいな人間は子供は作るべきではないし、つくりたくない・・というのが今の俺の正直なところです。

なんだろう?結局自分が大切なんですね。
そもそも子供の頃に感じた「そんな犠牲を払ってまで何が楽しくて」という感覚が根底にあるんでしょう。
俺は、自分が死んでも子供が意志を継いでくれるとか、死んでも自分の残したものが残るとか、そんなのには何の興味もありません。自分自身が死んでしまったら終わりだろう?と思ってしまいます。大切なのは生きることだと思ってますし。
俺の人生の目標も、最後寿命で死ぬこと。死の間際「楽しかった、充実した人生だった、まだまだ楽しくてしょうがない」と思える人生を送りたい。そう思ってます。
子供が出来た時点で「自分自身の事に一生懸命になるのはもうここでお仕舞い。ここからは自分を犠牲にしてでも子供のために」というのがどうしても、やっぱり俺には受け入れられる自身がありません。
そして、そうまでして子供を好きになれるのか・・・やっぱり自身がありません。

あと俺は会話の成立しないのが苦手です。
会話の成立しないというのは、要するに会話自体はできても意図が通じないということ。
だから、本当に小さくて、世間常識とかがまだ備わっていない小さな子供と会話するのも実は苦手なんです。
俺自身もそんなに頭が言い訳じゃないし、別に天才的な高度な会話をしたいわけでも無いのですが、普通の会話がしたいですね。
そう言う意味もあって、高校生くらいの子供がいきなり出来るんだったら、まあ良いかも・・・・とか、そんな風には思ったりもするんですが、まるっきり現実味の無い馬鹿な話です。

こうやって書くと本当に最低な感じですね。
でも、だからこそ俺はこの考えは人に押しつけちゃいけないし、理解してもらおうと思ってもいけないだろうと思っています。
あくまで俺自身の個人的な感覚であって、これは他人に迷惑を掛けない範囲で自分の内に留めておかないといけないでしょう。
辛いのは、子供が出来て幸せそうにしている知人に、表面上は凄く嬉しそうな顔をして「おめでとう~」と言わなければならないこと。
いや、まあ自分の事じゃないので、自分で苦労を背負うワケじゃないので、半分は本心から「おめでとう」なんだけど、半分は「うわ~、大変だな~」という感じです。それが実は本心だったりします。

この点において、大多数の人が普通に「幸せなこと」と感じる事を、全然そのように感じる事が出来ず、理解することもできません。
あと、こんな例
同年代のAさんとBさん、Aさんは独身、その日は仲間とビアホールでパーッと飲み会。一方Bさんは結婚して子持ち。その日は子供の為に飲み会には行けず。でも、家に帰って子供ら家族と食べる夕食が何より幸せ・・・・

ああ。ダメだ。どう考えてもAさんの立場の方が良い。
Bさん程、悟りが開けません。そのシチュエーションが何よりの幸せだと思えない。
一般の人の感覚が理解できない・・・・この点に関しては、正に人間失格というより他ないですね。
この感覚を一生引きずって生きていくんだと思いますが、果たしてそれでも無理してでも子供を作るべきなのだろうか?
俺みたいな人間は、子供を作らない方が自分のため、そして生まれてくる子供のため、社会の為でもあるような気がしてなりません。

「子育てが面倒なだけだろ?」
確かにそれも正解。
しかし普通、子育ては面倒だけど子供自体は可愛い。と思う親がほとんどだと思います。
だけど俺の場合、深刻なのがそもそも子供を可愛いと思えない、そこまで愛せる自身が無いと言うこと。そちらの方がよほど深刻なんです。
子供を心から愛せるならば、苦しくても子育てを頑張れるんでしょうけど・・・・


3 コメント

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大丈夫だよ。 (ビバ!)
2009-02-25 20:24:51
無理に、考えないでよいと思うよ。
実際、あたしの友達でもいます。女性で。
彼女は、結婚しましたが、子供はいません。
詳しいことは、あんまり突っ込んで聞いてないけれど。
欲しいけど、できないという感じでないです。
あえて、子供をもたない選択。
たぶん、心の底には、卯月さんのような・・・
お金というよりは、子供に対する気持ちがもてないんだと思う。

だから、自分で、そう思うのなら、無理に、周りの価値観に合わせないでよいと思う。
人は人だから・・・

ただ、その彼女も、旦那さんとは話し合った上で大丈夫なようなんだけど・・・
結婚は、2人だけでないから、そおいう、親がらみとか・・・ちょっと大変な感じです。
本人が話さないから、詳しく聞いてないけれど。
きっと、彼女にしたら、子供のいるあたしとかには、分からないかも?という遠慮かもしれないですね。
難しいですね。

子供のことに限らず、理解し合える方と会えば、なんでもないことなのかもしれないけれど・・・
うまく書けなくって、ごめんね。
お久しぶりです (こゆき)
2009-03-09 11:11:09
久しぶりにお邪魔しに来てビックリ!

私(夫も)と似た考えの人がいたんだと・・・

以前、私もブログで子供に関してちょこっと書いたら批判のようなコメントがついたことがあります(気分が悪かったので記事は削除しちゃいました)

その辺りからブログを書くことが楽しくなくなって現在放置中です。

なかなか理解してもらえないんですよね。
こういうことって・・・

周囲は無責任、でも本音でもあるんでしょう。

私の友達も「子供、大嫌い」とハッキリ言ってた人が立派にお母さん業をこなしてますから。

そういえばyahooの知恵袋で私と同じようなことを悩んで相談している人に「鬼!悪魔!」「女として不完全」というような感じのコメントがついていました。

子供好きな人からみるとそう思うんでしょうかね・・・

私は10人いれば10通りの人生があって当然だと思っています。

だから卯月さんも『人間失格』だなんて悲しいこと言わないで・・・

長期放置申し訳ないです (卯月)
2009-07-14 12:57:14
>こゆきさん
かなり遅ればせながらの返信です。
申し訳ないです。
それにしても、こゆきさんも俺に近い価値観を持っていたとは驚きです。
俺はもう、この価値観はズレいるのは俺の方だと割り切ってますから、だから敢えて「人間失格」というタイトルにしました。
これは、「分かってもらおう」と思ってませんし、そう思ってもしょうがないことだと思ってます。
分かってもらおうとも思ってません。
まあ、こゆきさんのように、似たような価値観の人はむりに分かってもらおうと思わなくても、分かってもらえるでしょうしね。

だから、せめてそう言う人間はそう言う人間なりに、周囲、そして生まれてくる子供に迷惑を掛けないように・・・つまり、自分では作らない。
それが、最低限、せめて自分に出来る事じゃないかな?と思っています。