宴乃桜/徒然お箏日記

お箏弾き「宴乃桜」の日記です。

贈る言葉

2012-03-31 01:40:16 | Weblog
私は高校は女子高でした。
もうウン十年前です。

三年生の時の担任は、体育の男の先生で、とても異色の、眼光鋭い風変わりな方でした。およそあの学校では目立っていましたが、女子高ですから、ああいう野生の雰囲気のある男性教員は、外部に対して一人は必要なのかしら、と今にしては思います。怖くはありませんでした。

三年生になってすぐの三者面談で、母に
「この子のひょうきんなのはお母さん譲りなんですね。」
と言い放った先生です。
帰りに母は、なぜわかったのかしらと、どうしても納得出来ない風でした。

さすが教職にある人は人を見抜きますね。

この先生が、私達の卒業の時贈る言葉として言って下さったのが、

「男は身勝手な生き物だ。それを知った上で生きていけ。」

でした。

昭和という時代の女子高です。何ちゅう事を言い出すのやら、と、当時は思いましたが、そうしたインパクトの強い言葉はやっぱり残りますね。今でも何となく覚えています。そんなものだなあ、とも思います。

若い時の事をよく思い出す回顧主義というのか、老化現象ですね。

あの時代の我々の同級生には、びっくりするほどの美女がたくさんいました。今みたいな化粧ベタベタの露出の高い、頭の悪さ丸出しの汚い女子高生は一人もいなかった。素顔が女優みたいにハーフみたいに綺麗な子がたくさんいました。
なぜ今はあんな綺麗な顔の子がいなくなったのでしょう?スタイルは良くなっているのに…

同級生には、噂ではアメリカの海軍兵と結婚したという子もいます。
非常に姿勢の良かった子は、バレエに生きる為、ソ連(当時はソビエト連邦)に渡り、おそらく帰って来てないのでは、と思います。今の、平成の少女のような体型でした。

制服はない学校でしたが、標準服という、色や形のおおまかな規定があり、みんな着るものもスーツできちんとしていました。
ウエストを折ってスカートを上げて、見苦しい大根足を放り出すようなのはいませんでした。足も膝が隠れる長さで、上着のボタンも留めて、髪もクシャクシャはいなかった。常に乱れ髪にならないようにみんな気にしていました。

なんで今の女子高生はミニスカートがいいと思うんでしょうか。私にはその美的感覚の悪さが…世間に迎合するのも私の主義じゃないですし。

私に娘が居たら、絶対制服のスカートをミニ丈なんかにはさせません。小さい時から本当の少女の美しさ、清楚さを植え付けます。言うことも聞くように躾ける。口答えなどさせません。汚い小娘にしたくないから。値打ちが下がる。
私の母がそうでした。

当時あの学校はそんな生徒達でしたから、あの先生は卒業の時あんな事をおっしゃったのかしらとも思います。

今もう女も引退の年になり、世の中も見てきましたが、本当にあの先生の言う通りだな、と、振り返って思います。言わなくてもわかってもらえてると思うのが男性みたいですね。

いいえあなた、そんなばかな事がありますか。口に出して言わないと相手には伝わりません。女は超能力者ではないのです。むしろ口に出して言わないと、逆に取るのが女です。男女のトラブルは、男の説明不足、言葉不足と、女の自信のなさ、ひがみが原因ですね。お互いに相手に自信を与えられない関係は続かないもののようです。

男性も我慢しているのかもしれませんが、女も耐えかねる思いを我慢して我慢して、病気になるほど我慢してるんです。

あの先生はお元気でしょうか。
あの贈る言葉、忘れていません。

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2 コメント

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おはようございます。 (サチ)
2012-03-31 05:03:58
今日の記事には思わずうんうんと頷いてしまいました。
言わなければ判らないこともありますよね。

でも阿吽の呼吸で通じたときはとても嬉しかったり。

幾つになってもみずみずしい感受性を大事にしたいと思うのですが、、
こんばんは。 (宴乃桜)
2012-04-01 02:38:17
サチ様いらっしゃいませ。こんな時間になってしまいました。

男女の仲とは、惹かれ合う間はいいのですが、両方が嫌になり始めたら、元々が異性で分かり合えないものだから、もう歩み寄る事は難しいのかもしれないと思っています。夫婦に限らず恋人同士でも。

夫婦も阿吽の呼吸になるまでには相当の年輪が必要かと思います。

しかし阿吽の呼吸にあぐらをかくのが世のご亭主族かと思ったりもします。
げに難しきは男女の仲ですね。

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