日常

一条真也「世界をつくった八大聖人」

2011-07-12 19:07:38 | 
一条真也さんの「世界をつくった八大聖人 人類の教師たちのメッセージ」PHP新書(2008) を読んだ。

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<内容紹介>
ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子――あらゆる宗教や思想の基盤を築き、多大な影響を与え続ける八大聖人。
生まれた時代も地域も違い、異なる文化を背負いながらも、彼らの教えは「人類を幸福にしたい」という点で根源を同じくする。
「モーセ五書」と『論語』の類似、ブッダとイエスの共通点、宗教編集者としての聖徳太子……。

八人の生涯や人物像、それぞれの相関関係を、先達の文献も踏まえながら考察する。混迷をきわめる現代だからこそ、私たちが学ぶべきことは少なくない。彼らが伝えたメッセージとは何か。優しい口調でわかりやすく述べる。
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一条真也さんは冠婚葬祭の会社の社長をされていて、大の読書家なので、お名前は知っていた。
特に、遺族の方のグリーフケアのために書かれた「愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙」現代書林 (2007/7/4)という本はとても名著だと思う。
(*お知り合いで、もし誰か親しい方を亡くされて悲嘆に暮れている方がいれば、是非この本をお奨めします。死を見ないふりをするのではなくて、自分の中に取り入れて、その上で前へ向かって歩いて行けるとてもいい本です。)


そんな一条さんですが、ブログもすごいんです。
ほぼ毎日書評を書いている。しかも読み込みが深い・・・。すごい。とても尊敬します。



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ところで。

この本はいろんな聖人の言葉を紹介していて、とても勉強になる。
偉大な人の言葉は、言い方が少し違うだけで究極的には同じことを言っているのだと、改めて思った。


論語:「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」
新約聖書 マタイ伝:「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」(ルカ福音書)
とかもそうですよね。幼稚園でも教わるようなシンプルで大事なことです。


マーカス・ボーグ「イエスの言葉 ブッダの言葉」大東出版社 (2001/10)
の中で、紹介されているイエスとブッダの共通点は、
1:思いやりを重んじる倫理的な教え
2:30歳前後に一大転機となる体験をしている。ブッダは苦行、イエスはヨハネの洗礼での天啓。
3:自分が受け継いだ宗教的伝統の中で革新運動を起こした。ブッダはバラモン教、イエスはユダヤ教。
4:ブッダもイエスも、本人は人間としての属性を繰り返し説いたにも関わらず、弟子たちに人間以上の存在に高められた。
というのを挙げているみたいです。

違う時代、違う文化、違う言語・・・そんな違う環境の中で、単に表現方法が違うだけなんだと思う。




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この本の中で特に印象に残ったものを紹介。

■石門心学

江戸時代の思想家、石田梅岩による「心学」。別名、「石門心学」とも呼ばれるらしい。
これは自分にもしっくりくる!と思った。

「心学」の元々は、中国の陸象山という偉いひとが最初で、王陽明(中国の明代の儒学者)の系統の人らしい。

朱子(朱熹)が起こした朱子学は、ばらばらだった儒教(孔子)を、「性即理」(人間の本性は「理」である)と説いて、仏教や道教や禅宗を批判しつつ、道徳を含んだ壮大な思想としての朱子学にまとめた。

それに対して、陸象山は「唯心論」を唱えて、<宇宙の理(ことわり)は「個人の心」である!>と主張。それは「心即理」と呼ばれる。
つまり、「心」を探れば、そこに理が見いだせるという主張。


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そんな中国の「心学」とは、少し変化しながら日本では使われた。
日本での心学は<実践の学>とも言われた。中江藤樹(=江戸時代の陽明学者。近江聖人とも言われた。)、貝原益軒(=江戸時代の本草学者、儒学者)も心学と称していたみたい。


そんな「心」を大事にする「心学」の中で、石田梅岩だけが神道、仏教、儒教という色んな宗教の融合をはかって、人間の本性を探求する人生哲学を打ち立てようとした。
宗教の宗派で対立するのではなくて、共通の大事なところを見つけていきましょうと。

石田梅岩は、学問を庶民化させて商人にも使えるようにしたという意味でも、偉大な人のようです。


心学には、「自分の心を磨く材料であれば何でも使えばいい!」という発想がある。
最初に教義ありきではなく、最初に「こころ」ありきで。

自分の心を磨くことを最重視して、思想と人間の関係を180度ひっくり返した人なのです。



渡部昇一は、「人間の心が銅の鏡であるとすれば、仏教も儒教も神道もそれを磨く磨き砂となる。」「いかなる宗教であれ人間あっての宗教なのである」
と表現しています。

「よりよく生きる!」(ソクラテスの有名な言葉)ために、なんでも使えるものを使いましょう。
そして、自分の「心」を磨きましょう、と。


これは、確かにその通りだと思う。

どんなあやしい本でも、難しい本でも、くだらなそうな本でも・・・・・・
自分の心を磨くためと思えば、どんなものからでも楽しく学べる。
変な偏見とかはいらない。


ちなみに、カントは「啓蒙とは何か」の論文の中で
「敢えて賢かれ(Sapere arude)」というラテン語の意味は「自分の頭で考えて賢くあって、その理のあるところで物事を進めよ」
と言ったとのこと。そうですね。自分の頭で考えないと。



何を信じてもいい。だけど、ほかを否定することはしない。
あらゆる教えの中で理のあることを信じる。というのが石門心学のようです。


これは、自分にもすごくしっくりきた。
自分がやりたいのもこういう学問だし、こういう勉強方法だと思うのです。



ちなみに、松岡正剛さんの千夜千冊でも、石田梅岩『都鄙問答』(岩波文庫1935)が紹介されてる。
・自分の嫌な性格を直すために。自分の層をめくり返していって、自分の嫌なとこがあるとこまでめくる。さらにその奥にある純粋な層の性格にまで自分を掘り起こす。そしてその純粋な層を、一番前に取り出してくる。このことを「手前ヲ埒アケル」と言う。
・「遠くの神」(畏敬すべき存在)を心に設定して、自分の心(「近くの神」)を作りかえる。そして、再度その畏敬すべき存在の「遠くの心」を発見しなおす、という考え方。
・「近くの神」を町人や商人の中にも見出した。自分と他者の関係が「天」や「神」を含めてどう交わりあっているのかを考えて、その関係がねじれていれば、自分の性格がねじれていると証拠だ、と考えたらしい。
いろいろ、考え方が面白いですねぇ。

一番深くにある純粋な性格の層って、つまり「良心」のことなんだろうなぁと個人的に思います。
自分の「良心」を信じること。これは普遍的に大事なことです。




■ソクラテス プラトン

個人的に、ソクラテス、プラトンにすごく興味がわいていたりします。

ソクラテスはプラトンの師匠。
師匠のソクラテスは一冊も本を残さなかったので、プラトンがその教えを本に書いた。
ソクラテスの話芸を残すため、プラトンは「対話方式(ダイアログ)」で本を書いてますね。


ソクラテスの言葉で個人的に好きなのは「無知の知」。
知ったかぶりせずに素直になること。謙虚であること。自分がこの世界の何かしかを分かったと思うなんて傲慢。

そして、ソクラテスが人生の中で究極的に求めたのは「善く生きる」こと。「正しく生きる」こと。とても好きな考えだ。

いかなる仕方でも不正を犯してはならないたとえ不正を加えられても不正の仕返しをしてはならない。
人間を人間であらしめている根本的な特徴は、その「倫理性」にある。と、ソクラテスは考えた。



そして、幸福への道の予行演習は、死への予行演習だと言い、死についても考えた。
魂の不死(「パイドン」)を説いて、ソクラテスは毒杯をためらわずに飲んだ(「ソクラテスの弁明」)。
人間の最も大事なものは何かという問いには、「魂の世話(エピメレイア・テース・プシュケー)」と答えた。
魂は不死である、だから、この現世をしっかりと善く生きなさい、そして自分の魂を磨く努力をしなさい、と。

魂の世話とは、自分の魂が求めるものを大切にすること。それは、知恵を大事にすること。
<フィリア(友愛)>+<ソフィア(知恵)>で、フィロソフィアという言葉ができる。
知恵を友として愛すること。決して人を支配したりだましたりするものではない。

人間を人間であらしめている根本を「倫理性」と考えたソクラテスには、とても敬意を抱く。
そこに倫理がなければ、どんな素晴らしい考えも悪用されてしまうものだから。



■火と水

火と水。
火は文明のシンボル、水は平和や幸福のシンボル。


水が、すべての海で最終的につながるように、こころも奥底でつながる。それは集合的無意識のようなもの。
だから、そういう水の思想を大切にしましょう、と。

「水に流す」という言葉は、相手を「赦す(許す)」ということ。
それは、「思いやり」ということだし、仏教では「慈悲」、儒教では「仁」、キリスト教では「愛」として表現されている。


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いろんな考え方や思想や宗教の「違うところ」を粗探しするよりも、「同じところ」を探して、石田梅岩の「石門心学」のように自分の「心」を磨くための方法として自分のために使いたいものです。

「考え方」というものは、目的ではなく、方法なのだと思います。
宗教も哲学も文学も歴史も・・・それを学ぶこと自体が目的なのではなく、自分が生きるための方法なのだと思う。

その方法をどのように使っていくのか、それこそが大事なのだろう。

自分も、自分の心を磨くためにこそ学問をしたいし、仕事もしたい。
生きるための方法として、働くための方法として古典も読みたい。
だから、こうして仕事の合間にせっせと本を読んでます。笑