日常

木村秋則、荒了寛「リンゴの心」

2013-10-20 09:16:34 | 
自分の中で木村さんブームが来ている流れで、木村秋則さんと荒了寛さんの対談本「リンゴの心」を読みました。

小原田泰久「木村さんのリンゴ」(2013-10-01)
木村秋則「すべては宇宙の采配」(2013-09-26)

<木村さんのご友人など>
山崎隆「奇跡のりんごスープ物語」(2013-09-20)
高野誠鮮「ローマ法王に米を食べさせた男」(2013-10-03)

田口ランディ「アルカナシカ」(2011-07-03)


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<内容紹介>
「絶対不可能」と言われたリンゴの完全無農薬栽培を実現した木村秋則氏と、天台宗の大僧正である荒了寛師が対談!
自然と人間が、共に生かし、生かされ、生きていくには――「奇跡のリンゴ」に学ぶ究極の人生訓


<著者について>
木村秋則
「絶対不可能」とされたリンゴの無農薬・無化学肥料栽培法を、10年かけて確立。
その軌跡が2006年にNHK「プロフェッショナル――仕事の流儀」で紹介され一躍時の人に。
現在、(株)木村興農社代表を務めるほか、国内外への農業指導や講演活動も行う。
リンゴ栽培にかけた情熱を描く映画も公開予定。

荒了寛
1928年(昭和3年)、福島県郡山市に生まれる。10歳で仏門に入り、12歳で得度。
大正大学大学院博士課程で天台学を専攻。
仙岳院住職(上野輪王寺門跡)荒眞了大僧正の法を嗣ぎ、清浄光院住職および大福寺住職を経て、1973年に初代の天台宗ハワイ開教総長としてハワイに渡る。
布教活動の拠点として天台宗ハワイ別院を開創するとともに、院内に開設した天台文化教室(のちのハワイ美術院)を通して書道・茶道・華道・日本画など日本文化の普及と継承に努める。
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天台宗の僧侶である荒了寛さんからのラブコールでこの対談は実現したらしい。
対談の量としては少なくて、木村さんのことを知っている人には重複した内容がある。
ただ、荒了寛さんが木村さんを尊敬している心や愛情が伝わってきて幸せな気分になる。
どんなことでも、言うだけとか考えるだけではなく、実際にこの現実世界で実行して実行し続けることは難しいものだ。

「世間」という日本特有の集合意識に押しつぶされることなく、永遠の真理や天命を感じながら行動している人には魅力を感じます。






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「有情(衆生)が発心修行する時、草木もまた発心修行する。」

実際に木村さんが無農薬のリンゴ栽培に精進している時に、リンゴの木もまた華を咲かせようとして精進したのである。
そのように信じて努力を続けるか続けないかが、成功するかしないかの分かれ目でもある。
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→人間とリンゴは呼応する。おそらく、それはリンゴだけではなくすべてのものがそうだろう。
そう思うか思わないか、そこに大きな分岐路があるみたい。




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きっとリンゴの実も彼らの心の表れだと思います。
畑で収穫するキャベツやジャガイモなどの野菜もそうです。

今、自分が目にしている果物や野菜はすべて、いろんな植物たちの心や気持ちが形になったものではないか ‐そんな気がしてならないんですよ。

彼らのいのちから「心」を頂いて暮らしているわけですから、自然に感謝の念が湧いてきます。
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→「こころ」の範囲や定義付けが人によって違う。その定義付け次第で、人間の行動も変わる。
ユングは「こころ」という巨大な世界そのものに、人間も全ての存在物も生も死も生前も死後もすべて含まれていると考えていた。当時としては革命的で過激な考え方だったことだろう。ただ、言葉の定義を変えてみることは認識の次元を変えるきっかけにもなりうる。そういう現象が自分の内部で起こることを観察すると、不思議なものだと思う。

生でも死でも、言葉の定義しだいで認識が変わる。
僕らは無意識的に「言葉」や「概念」に従って世界を認識してしまう癖があるようだ。その癖を自覚することは、自分の盲点を自覚する意味で重要な認識でもある。





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「皆さんの体には米一粒も実らないよね。私の体も同じ。
米一粒もリンゴ一個も実らないの。
もっと稲に感謝しよう。稲はどこに育ちますか。土でしょ。
だから土にもお礼を言おうよ。」
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米農家の人はみんなお米のおかげで生活しているんだから、稲達に感謝して当り前なんだけど、やっぱり恥ずかしいって言う人もいる。
みんな自分の力でお米を作っているように錯覚しているからだと思う。
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→このことを観念的だけではなく理解することが大事だろう。理解には実行を伴うことが望ましい。Realityとは、行動を変え得るものを指す。
「感謝」という言葉が含む世界は広い。「感謝」が指し示すフィールドを100%理解することができれば、人間の生き様を180度転換させうるほどの深く広い意味を含んでいる。数%の理解だけでも、生き方の向きは変わる。




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仏教での「慈悲」の慈とか悲とかは、他者との「一体感」ということです。
共に喜ぶ、共に悲しむ。これが慈悲の基本です。

例えば、千日回峰行では、行者が山を歩いていく中路傍の草木に声をかけていくのです。
そういう修行の中で、自分と山河の境目がなくなって一体化していくのだと思います。
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→日常生活での顕在意識(表面的な浅い意識の層)のことを考える。
顕在意識のブロックや壁が強い人は、その奥にまだ何かがあることをうまく意識してない人が多い。

どんな人にも、顕在意識のブロックが外れた時に、偏りのない情報が様々入ってくるようだ。
私と何かは「違う」という分離意識も、顕在意識(主に自我Egoの働きで作られる)から由来している。
顕在意識や自我の世界は、ある程度柔軟でしなやかであったほうが、生きる上でより自由だと思う。




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彼ら(ケニアから来た留学生)にとっては畑とは、ただ「作物を作るためだけの土地」ではなくて、「聖なる大地」なんですよ。
みんなが彼らのような気持ちになれば、日本の農業は必ず変わると思います。
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→「自然」との関係性を一度分断して、客観的に見つめることで「自然科学」は生まれた。
でも、今はあまりに距離を取りすぎて、関係性が切れてしまっているようだ。
今の時代、あらためて「自然」とどういう関係性を結び直すか、問われていると思う。





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自然界では決して過剰もないし不足もありません。一番調和のとれた世界だと思いました。
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自然の力に任せると言う事は、人間は何もしなくてもいいということではなくて、自然の摂理に適ったお手伝いをするという意味です。
手抜きをして楽をすることではない、と私は思っています。
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リンゴも私たちも互いに活かし合う関係を築くことが大切なんです。
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自然栽培法が広まらない一番の理由は、経済性や生産性の問題じゃなくて、農業と肥料が持つ魔力だと私は思っています。
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→この世の存在物はすべて、宇宙という巨大なジグソーパズルのピースのようなものだと思う。
全てのものが、ある意味では全体にとって必要。ある必然的理由の中で過不足なく存在しているはずだ。理由があるから存在しているし、存在しているものには理由を見出すことが可能だ。




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「不思議なご縁」というのは仏教では大変重要な言葉なんです。
不思議の「思」は思う事、「議」は語る事を意味します。そこに否定を意味する「不」をつけると、思う事も語る事もできないほど深いたくさんのご縁という意味になります。
つまり、数えられないほど多くのご縁で今日ここにあること、いろんなことが寄せ集まって一つのものができてくること、それを不思議なご縁というのです。
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→「不思議なご縁」、「めぐり合わせ」というのは不思議なもの。
確かに、ここ最近いろんな人と話していると「いえいえ、不思議なご縁で・・・」という言葉をよく聞くように思う。

どんな人でも、人や何かとの出会いいには人智を超えたものを直感しているのだろうと思う。
本との出会いも同じようなもの。「不思議なご縁」で読むべき本に出会う。
人との出会いも同じようなもの。「不思議なご縁」で読むべき人に出会う。
そう考えた方が楽しい。


・・・・・
本からは精神的な栄養をいただく。
芸術も精神的な栄養のひとつ。
自分の中で、本は芸術の中に含まれている。言葉の定義は人それぞれだから、そこは自由であっていいと思う。自分にとってよりよい言葉の世界の中で生きていきたい。


本や芸術世界からは、現代栄養学で言う「カロリー」とは違う次元の栄養をいただくのだと思う。
「エネルギー」という概念が比較的近いのかもしれない。「気」でも「元気」でもいいけれど。そういうものが送り手と受け手との間で交換されているようだ。

栄養は、人間を生きる力を高めてくれる。
生まれたときいただき、死ぬときにお返しする。「生命力」という通貨のようなもの。


自分の「生命力」やほかの存在物の「生命力」を感じるためにも、読書や映画やテレビや芸術を味わうことは、やめられませんね。
読書は知識を得ることが本来の目的ではなく、そういう「生命力」の交換をするために行うもののような気がします。これも、考え方次第ですね。

2 コメント

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木村さんとムツゴロウさん (まーこ)
2013-10-20 12:40:58
>人間とリンゴは呼応する。おそらく、それはリンゴだけではなくすべてのものがそうだろう。そう思うか思わないか、そこに大きな分岐路がある

ホントです!だから『今時の子どもは○○力がない』というセリフを聞くとムカムカする。子どもが潜在的に持つ素晴らしい力と呼応できるような人間力を、大人の方が失っているんだと思う。


>読書は知識を得ることが本来の目的ではなく、そういう「生命力」の交換をするために行うもののような気が

激しく同感!

萩尾望都さん(神!)の「ポーの一族」(傑作!)の中で、吸血鬼たちが指先を合わせてお互いの血をゆっくり交流させることにより活力を得る・・・というような場面がありました。人や本や芸術や・・・他者との交流に、いつもこれを連想します。気持ちのよい交流の時には、決まって胸のあたりに涼しい風を感じます。あれは何だろう?

ムツゴロウさんの語録と映像見ました。凄かったーーー!
インタヴュー最高!大爆笑!笑いすぎてイスから転げ落ちました。
記者さんのセンスが素晴らしい。「男気万字固め」っていうサブタイトル(?)も好み!
「ライオンはパーフェクト」「死にかけてもカメラを回してくれ」「激しい=いい」
なんて自由なんだろう。
全部プリントアウトして永久保存したいです。

ムツゴロウさん、こんなに面白い人だったなんて、知らなかった!またまた、好きな人が1人増えた。ありがとうございました!
(ところで、木村秋則さんとムツゴロウさんって、お顔似てません?リミッターが無い人の顔って似るんだろうか・・・)
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マズローの欲求5段階説 (いなば)
2013-10-21 11:36:01
>まーこさん
そうですよね。『今時の子どもは感受性がない、想像力がない』・・・というセリフは、まさに大人に対して向けられるべき言葉ですよね。
大人がそういう社会を作り出してしまったわけで、自由な発想や自由な行動を妨げ、頭がおかしいというように、Negativeな意味づけをした社会を作り続けたからだと思います。


マズローの欲求5段階説ってありますよね。

人間の基本的欲求を低次からあげると

1.生理的欲求(Physiological needs)
2.安全の欲求(Safety needs)
3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求(Esteem)
5.自己実現の欲求(Self-actualization)

という風になるという図。
昔の日本のように<世間>という見えない壁で常識をつくり、秩序をつくるのは、1-3の時代には必要だったと思うのですが、日本のように4(Esteem)から5(Self-actualization)へと社会が進んでいる時代では、従来のようなやり方は通用しないと思いますね。そんな時代に、気合いだ!とか、昔の時代は貧しかったから、うんぬん、で突き通すのは、頭優位の社会(養老先生がいうところの脳化社会)で、さらに頭(脳、言語、概念)で管理していくことになり、身体や心の反逆(というかサボタージュ?)としての心の病が増えていくのはわかる気がします。
そういう風に心や身体に変調をきたしているのは、この現代社会の欠点、盲点、弱点を敏感に感知しているからそういう反応を示していますので、そういう観点で子供という自然そのものの存在を見ていく必要がありますよね。
自然の声が人間に反映されているのが、やはり子供や女性だと思います。より自然に近い存在だと思いますし。 成人男性はどうしても理性や言語有意の脳化社会に傾きがちです。


ムツゴロウさんも、まさにそういう自然としての人間を体現している存在だと思いますね。
頭で心や身体を管理していない。そういう頭(脳)による専制国家は終わりをつげ、心や身体という自然と共生する新しい民主国家が、それぞれの人間の中で新生していく時代になるのだと思います。
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