日常

寿福増長

2015-06-07 10:43:52 | 考え

能楽の大成者、世阿弥を学べば学ぶほど世阿弥が好きになるので、能楽の稽古をちゃんとしようと思う。
あたまではなくからだで学びたい。数年かけて能楽を稽古しにいくことにした。

日本の芸能には、からだやこころの智慧がすべて凝縮されている。それを医ではなく、美の世界にまで昇華させていった歴史がある。

お会いして、能楽師 井上和幸先生の放つ存在感は素晴らしかった。
頂いた紙に記してあった世阿弥の言葉にも、しびれた。






世阿弥『風姿花伝』第五 奥儀に云う
「そもそも、芸能とは、諸人の心を和らげて、
上下の感をなさんこと、寿福増長の基、
遐齢延年(かれいえんねん)の法なるべし。
きはめきはめては、諸道ことごとく
寿福延長ならんとなり」




「寿福増長」とは素晴らしい言葉。

世阿弥は、花伝、秘すれば花、ふくめ、花のメタファーで世界観を表現していて、ここにこそ奥深いものを感じる。
ひとのなかにある、植物世界、そして、花を咲かせる。

マインドフルネスでも、怒りがあってもその種に水をやらなければ怒りは増長しないとする。そこにも植物世界のメタファーがある。


ひとの中にも自然があり、光があり、土があり、風がある。
種があり、水を適切に与えれば、根が張り、葉が育ち、花は健やかに育つ。
根が浅いものは、見た目がどんなに華やかでも、すぐに倒れる。
根が深く張れば、常に柔軟で、常に強靭で、土壌を介して融通無碍にすべてとつながることができる。

根は表面では見えないが、根を深く強く張っていくことを怠ってはいけない。


<参考>
「時分の花」と「まことの花」(2014-02-21)
能(2009-04-13←かなり古い)

2 コメント

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なるほど (n.)
2015-07-02 21:06:03
知らない世界ですが、好きは楽しいですね。命には続きがあるを読んでいて、好き繋がりで、童話作家ミヒャエルエンデを思い出しました。新作を楽しみにしていた小学校時代、後日ミヒャエルエンデの葬儀に参列した女性達にミヒャエルエンデの病室での話や葬儀で配られた写真を見せて貰ったり、生前に会いたかったな、好きってそんな感じかなと想像しました。因みにエンデの奥さんは日本女性、不思議ですね。
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Unknown (いなば)
2015-07-13 10:39:46
>n.さん
好きこそものの上手なれ、とか言いますし、基本的に好きなことをし続けていると疲れもないですね。からだが喜んでいるのかな、と思います。

ミヒャエルエンデの病室の写真・・そんなプライベートな写真までご覧になっているとはすばらしいですね。うらやましいです。
エンデは父で画家であるエドガーエンデの影響をつよく受けていると思いますが、画家エドガーエンデももっと広く認知されるといいなぁ、とよく思います。
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