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憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているかー日本共産党・不破哲三さんの講演(大要・その2)-

2008-08-15 01:25:24 | 国内政治
憲法対決の全体像をつかもう
――憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか
不破哲三社研所長の講演(大要)

“靖国派”で固めた安倍内閣
 
 憲法改定が、世界からきびしく見られているもう一つの理由は、“靖国派”が政権をにぎり、憲法改定の動きの中心にすわった、という問題にあります。

 はじめに“靖国派”のことを言いましたが、中身には触れませんでした。ここで中身の解説をしておきましょう。

 “靖国派”というのは、日本が過去にやったアジア侵略の戦争を、すばらしい正義の戦争だった、「自存自衛」と「アジア解放」の戦争だったと思い込んでいる人たちのことです。この“正義の戦争”論の最大の発信地が靖国神社であり、靖国神社の参拝を自分たちの信念の証(あかし)としていることから、“靖国派”と呼ばれるのです。

 こういう潮流は、前から自民党のなかには根強くありました。しかし、この潮流があらためてその力を結集し、いろいろな画策をはじめたのは、九〇年代の中ごろからです。日本の戦争についての国内国際の議論が広がるなかで、一九九三年、「従軍慰安婦」問題で過去の行為への反省の態度を明らかにした河野官房長官談話が発表され、一九九五年、日本が侵略と植民地支配の誤った国策をとったことを確認し謝罪した村山首相談話が発表されました。この二つの談話は、不十分な点はあっても、日本の政府として、日本がやった戦争は間違いだった、朝鮮や中国、東南アジアにたいする植民地支配はまちがいだったということを、はじめて公式に認めたものとして、大きな意義をもちました。ところが、“靖国派”にとっては、この二つの談話はがまんできないものでした。これをひっくりかえせ、取り消させろと、そこから“靖国派”総結集の動きが始まったのです。

 この動きはいろいろな形で進みましたが、九七年に、“靖国派”の二つの重要な組織が生まれました。一つは、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」です。それから十年、当時の“若手”も十年たてば“中年”化しますから(笑い)、あとで「若手」の言葉はとりましたが、こういう会をつくって、日本の戦争は間違っていたという考えを子どもたちに教えるのはけしからん、教育を立て直せ、こんな運動を猛烈に始めたのです。

 同じ年に、「日本会議」という組織とその国会版である「日本会議国会議員懇談会」(「日本会議」議連)とができました。この「日本会議」は、歴史教育の問題をはじめ、各分野にできていた“靖国派”諸団体のいわば総元締めとなる組織です。靖国神社の戦争博物館・遊就館で戦争賛美のビデオを映写していますが、その製作者にも「日本会議」がくわわっています。そういうことまでやる正真正銘の“靖国派”の組織なのです。

 安倍内閣には、“靖国派”の運動の中心をになって、政治をその方向に推し進めてきた人たち、しかも、“靖国派”の若手で、いちばん行動的で、推進役となってきた人たちが集団をなして入っています。

 調べてみますと、十八人の大臣のうち、“靖国派”運動の総元締めである「日本会議」議連のメンバーが十二人、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーが七人、それ以外の大臣も、多くは“靖国派”団体のなにかに入っていて、この種の組織と関係がないのは、三人だけです(そのうち二人は、公明党出身の大臣と非議員の大臣)。

 この内閣の“靖国派”との深い関係を見るために、例の「歴史教育」うんぬんの「会」の創立時の名簿を調べてみました。この会で「代表」という名の会長役をやっていたのは、現在の自民党政調会長の中川昭一氏です。「事務局長」が安倍晋三首相、「副代表」の一人が、高い“水”を飲んでいることで有名になった松岡利勝農水相、「幹事長代理」のなかには、女性大臣の高市早苗さんがいますし、「委員」には、菅義偉総務相、長勢甚遠法相、渡辺喜美行革担当相が名をつらね、塩崎恭久官房長官もオブザーバーとして参加していました。これらの人たちはみな「日本会議」のメンバーでもあり、いわば筋金入りの“靖国派”というところでしょうか。

“戦前・戦時の「国柄」(国体)にもどりたい”
 安倍首相をはじめこれだけ“靖国派”で固めた内閣が生まれたのは、日本の政治のうえではじめてのことでしょう。この“靖国派”内閣が憲法改定運動の中心にすわったのです。

 この人たちは、もちろん憲法改定のもっとも熱烈な推進派です。とくに平和条項である九条にたいして、激しい敵意をもっています。

 安倍首相に言わせると、いまの憲法は連合国にたいする「詫(わ)び証文」だとのことですが、この人たちの目には、前文にうたわれた日本の戦争にたいする反省の言葉――「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」との国民的決意の表明や、その反省をふまえ、世界にさきがけて戦争の放棄と戦力の不保持を宣言した第九条などは、真っ先に破り捨てるべき「詫び証文」の最悪の部分として映るのでしょう。だから、“靖国派”が、憲法九条の問題でも、もっとも極端な改定派であることは疑いありません。

 しかし、“靖国派”の憲法論には、九条の問題にはとどまらない大問題があります。

 この人たちは、日本が過去にやった戦争を“すばらしい戦争”と思い込んでいると同時に、あの戦争をやった日本の国家と社会を「美しい国」だったと思い込んで、これをあこがれの対象にしているのです。

 天皇を頂点にいただき、子どもたちと一般国民は「教育勅語」で、軍人・兵隊は「軍人勅諭」で統一され、国全体が一致団結していた、社会的には職場も家庭も「オトコ社会」の秩序できちんと統制されていた、それが日本という国の美しい伝統だった、こういう思い込みとあこがれが“靖国派”の発表したあらゆる文章からあふれ出ています。彼らによれば、いまの憲法の罪は、九条の平和条項だけではなく、民主主義の体制をもちこんで戦前・戦時の美しい社会秩序を過去のものとしてしまった、ここに大きな罪があるのです。

 「日本会議」が、自分たちの運動目標をしめしたものに、「日本会議のめざすもの」という文書があります。その冒頭にあるのは、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」という章で、日本の「国柄」を、「私たち日本人は、皇室を中心に民族の一体感をいだき国づくりにいそしんで」きたと説明しています。次の章「新しい時代にふさわしい新憲法を」では、その「国柄」論を受けて、「歴史的に形成された国柄を反映」するのが国の基本法・憲法だと強調しています。「国柄」というのは、「日本会議」の好きな言葉で、安倍首相もよく使いますが、これは何かというと、戦前・戦時の「国体」の言い換えなのです。戦争終結のときには、日本の支配層にとって「国体護持」が大問題でしたが、「国体護持」はならず、いまの憲法は、明治憲法による天皇主権(主権在君)の「国体」を、国民主権(主権在民)の政体に根本的な転換をさせました。“靖国派”は、これが気に入らないのです。伝統的な国柄(国体)、戦前・戦時の国家と社会にもどりたい、これこそ“靖国派”を支配している願望です。

 安倍首相は、自分の政権の目標として「美しい国、日本」という言葉をかかげました。この源(みなもと)が「日本会議」の「美しい伝統の国柄」という言葉にあることは、もうお分かりでしょう。安倍首相が、「戦後レジームの打破」、「戦後体制からの脱却」などのスローガンを連発しているのも、戦前・戦時の体制へのこの願望を表したものです。

 ここに、“靖国派”の憲法改定論の本音があります。

 戦争への反省の取り消し、軍隊と交戦権の復活、戦前・戦時の体制の回帰を結びつければ、“靖国派”の「美しい国、日本」路線のゆきつくところは、あの軍国主義日本の復活そのものではありませんか。

“靖国派”の「正義の戦争」論は世界が許さない
 
 “靖国派”のこういう考えや動きを、世界はどう見ているでしょうか。

 実は、一昨年、小泉内閣のもとで、靖国参拝問題が深刻な外交問題となったとき、世界は、その根底に、日本の戦争にたいする評価の見直しという大問題があることには、ほとんど気づいていませんでした。中国・韓国と日本のあいだの特殊な外交問題といった扱いをされることが多かったのです。同様な状況は、日本の国内でもかなり広くありました。

 私たちは、日本の外交をゆきづまらせているこの危機を解決するためには、この状態を放置しておくわけにはゆかない、と考えました。そこで一昨年五月、日本共産党の新しい会館を会場にして、公開の時局報告会をひらき、靖国問題で日本はなにを問われているかの解明をすることにしたのです。報告会には、東京にいる外国の特派員や各国の大使館も広く招待しました。そこで、私が報告者になって、靖国参拝問題の本質は、過去の日本の戦争の名誉回復という“靖国派”の野望にあること、靖国神社そのものが遊就館という付属の戦争博物館を持っていて、ここが「正義の戦争」宣伝の最大の拠点となっていることなどを、事実をもって明らかにしました。

 私たちは、この会のあと、そこでおこなった報告を、自民党の有力議員をはじめ、日本の各界にも広く届けて読んでもらう努力をしました。英訳の冊子もつくって、各国の大使館の方々やジャーナリストのみなさんにも読んでもらいました。外国の方々の反響の大きさ、強さには、私たちが驚くほどのものがありました。だいたい、それ以後、遊就館への外国の訪問者がぐんと多くなって、あそこがにぎやかになった、と聞きました(笑い)。外国の記者さんたちが現場へ出かけはじめた(笑い)。外国特派員協会の方から聞いたことですが、ある記者は「私たちはいままで遊就館を見ないで、靖国問題の記事を書いていた。これは恥ずかしいことだった。見てはじめてことの真相がわかった」と語っていたとのことです。

 このころから、靖国問題についての世界のマスコミの論調には、大きな変化が現れました。私たちが“靖国派”独特の歴史観、戦争観を“靖国史観”という言葉で呼ぶことにしましたら、この言葉がそのままアメリカや中国の新聞でも使われるようになりました。世界の平和秩序の立場からいっても、日本でのこの“靖国史観”の横行をほうっておくわけにはゆかない、ということが、世界政治の重要な問題の一つとなり、アメリカの議会でも、この問題がくりかえし取り上げられるようになりました。

 だいたい、戦後の世界は、日本・ドイツ・イタリアの三国がアジアとヨーロッパでおこなった空前の侵略戦争への告発と、その誤りを二度とくりかえさせないという反省のうえに成り立っています。その教訓にもとづいて平和な秩序をつくろうということで、国連憲章が定められ、国連という国際組織の活動も始まったのです。“靖国派”のように、この結論をくつがえす立場を日本がもしとるとしたら、それは、現在の世界秩序の外へ身をおくのと同じことなのです。

 反響といえば、自民党の内部からも、「共感を禁じえない」「“靖国派”の人びとの手で憲法改定がやられたら、日本はどんなことになるのか怖くなった」など、思わぬ反響が続々と寄せられ、“自民党という政党も、決して一枚岩ではないのだな”ということを実感する(笑い)など、心強い思いをしたものです。

“靖国派”内閣の成立は新たな国際的亀裂を生みだす可能性がある
 
 安倍首相は、首相になる前には、村山談話や河野談話を攻撃する急先鋒(せんぽう)となってきた一人でした。しかし、この問題で日本外交が窮地に追い込まれた最中に首相に就任したわけですから、その危機を解決しないと内閣が成り立ちません。そういう状況のなかで、この問題については、自分の立場に一定の訂正をしなければなりませんでした。ですから、就任直後の国会で、日本共産党の志位委員長の質問にこたえて、村山談話についても河野談話についても、「その立場を引き継ぐ」ことを明確に公約しました。また、その公約を前提にして、中国および韓国との首脳会談を再開し、この二つの国との政治交流に道を開くことができました。私たちは、安倍首相のこの態度表明を歓迎するとともに、その態度を行動で表し、内閣としてこの表明と矛盾する言動はおこなわないことを強く要求してきました。

 ただ、安倍首相のこの態度表明は、内心の問題というか、本音の問題まで解決したものではありません。だから、過去の戦争や植民地支配への評価にかかわる問題でも、本音の部分がつい表に出たりします。「従軍慰安婦」の問題で、安倍首相が「軍による強制連行はなかった」などと、歴史の事実にも河野談話にも反する言明をしたのは、その典型的な事例でした。これには、アジアの国ぐにだけでなく、アメリカが強烈な反応をしました。

 安倍首相は、訪米のさいに、いろいろ言い訳をしたようですが、“靖国派”の言動にたいしては、以前とは違って、世界はその実態を知ってきびしい目で見るようになっています。その“靖国派”が日本の政治の主導権をにぎり、憲法改定の中心にすわったいま、そのことが国際的な舞台でさまざまな矛盾や亀裂を生みだす可能性があります。このことは、これからよく注意して見てゆく必要のある問題です。

「戦後レジームの打破」論にアメリカの言論界から批判が
 先日、「東京新聞」(四月八日付)に――みなさんがご覧になっている「中日新聞」と社が同じですから、同じものがそこにも出ていたと思いますが――、ジェラルド・カーティスというコロンビア大学教授が、「安倍訪米と歴史問題」という文章を書いていました。私は、この文章を非常に印象深く読みました。

 大事な点は、二つありました。

 一つは、「従軍慰安婦」の問題で、安倍首相に、自分の発言がアメリカの世論に大きな怒りを呼び起こしていることを軽視するな、と警告していることです。カーティス氏は、安倍首相は、いったい安倍は「日本の戦時責任」についてどう考えているのかという問いを、自分の発言によって「米国人の意識の前面に押し出したのである」と強い言葉で語っています。そして言葉を重ねて言います。「アメリカの現状はもっと厳しい。日本軍が女性たちを『性の奴隷』にしたとの非難に対して、安倍首相が日本軍の弁護をしようとしたようにみえることが、『左』の人々のみならず広範囲な米国人の横断的な怒りを招いている」。

 もう一つは、カーティス氏が、安倍首相の「戦後体制」打破論にたいして、きびしい批判の論を展開していることです。「首相は『戦後レジームの脱却』を掲げているが、民主主義国のリーダーが自分の国のレジーム・チェンジ(体制変革)を求める意味は理解しにくい」。安倍はいったい、戦後日本につくられた民主主義の体制を否定するつもりなのか。「安倍首相が捨てたがっている戦後レジームの何がそんなにひどいのか、ぜひ説明してほしい」。ここまで書いています。

 私は、憲法改定につながるこの問題について、アメリカの、日本の政治・社会状況をよく知っている知識人が、これだけ痛烈な批判の声をあげたということには、たいへん深い意味があると思って、この文章を読みました。

 アメリカは、全体として言えば、九条改定論の原動力とも最大の推進力ともなってきた国です。しかし、そのアメリカの側から見ても、まだ一人の知識人の声であるとはいえ、戦前・戦時の社会と国家をほめたたえ、そこに戻りたいという願望を政治の大きな指針としている現政権の動きにたいしては、非常に敏感な警告の反応が返ってくる。ここには、さきほど述べた、“靖国派”の登場がもたらす国際的な亀裂への一つの予告があるといってよいでしょう。

 いくつかの面から、日本の憲法改定の動きへの世界の見方を紹介してきました。結論的にいえば、アメリカの先制攻撃戦争に武力をもって参加しようという企てだという点でも、戦争をやった戦前・戦時のあの日本にもどりたいという反動的な願望の現れだという点でも、憲法改定派の動きは、まさに二重の意味で日本を世界から孤立させる道にほかなりません。このことを深くつかんで、憲法をまもる私たちの運動をすすめてゆきたいのであります。(拍手)(つづく)

(出所:日本共産党HP 2007年5月9日(水)「しんぶん赤旗」)
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