大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

雨天の曽爾も良し

2012年05月15日 | 宇陀市・宇陀郡
今日はこれから雨が降るという予報。
先日訪ねた曽爾高原にも、きっと雨が降るんやろなぁ~
私が行った時も雨が降った。
今、新緑が美しい曽爾高原。
雨天の曽爾も神秘的で良かったよなぁ~

@お亀池の大蛇
 大字太良路という村の北に亀山がある。亀の形に似ているので亀山という。ここに池がある。これをお亀が池という。
 むかしお亀という女が、伊勢の国の太良村から太良路村へお嫁に来た。十八才のみずみずしい美人であった。お亀は毎朝、家の裏にある井戸で水鏡をみて化粧した。この井戸は深く水は亀山の池から出て来ていた。しばらくすると、毎晩どこかへ出て行って朝になってから帰る。そして裏口に泥のついた草履がぬいであった。縁先にほしてあるぬれた草履をみて夫があやしむと、お亀が池へ子供が生まれるように水ごりをとりに行っているという。
 夫婦の間に子供が生まれた。お亀は「私の用事は、すんだのでおひまを下さい」と実家へ帰った。ところが子供が夜泣きをするので、そのムコさんが子供をつれて乳をのましてもらいに出かけた。
 「お亀よ、お亀よ」とよびながら池のあたりまで来ると、お亀はむかえに来てくれた。「もう明日から来て下さるな」とお亀は言った。そして実家の方へもどって行った。ところが翌晩も子供が泣いて仕方がないので、また子供をつれて池のあたりまで行った。すると、お亀が池の水がゆれて、池の中から嫁のお亀が姿をあらわした。「もう来るな、といったのに、何故来るか」と忽ち大蛇の姿に化けて大口をあいておそいかかって来た。ムコさんは子供をかかえて一目散に逃げた。今もその場所を字大口という。それから大蛇は真直ぐの姿勢で追うて来たので、そこを「タテホリ」と今もいっている。真直ぐになることを「タテ」とか「タツ」という方言がある。大蛇は疲れたのか休んだ。そこを字ビヨウソク(弊足)という。そこで大蛇は水を飲んだ。そこを字水ノミという。
 命からがら逃げ帰ったムコさんは、それから重い病気にかかって死んだ。お亀池の主といわれる大蛇も野火から山火事になった時、焼けて死んだという。もとこの池は太良路池といっていたが、このお亀の事件があってからお亀池というようになった。このお亀池からスリヌカをほりこむと太良路のところへそのスリヌカが流れて来るという。この池底は沼で深さはいくらあるか判らない。しかし水深は僅か一メートル前後のものである。
 この村ではお亀という名は、それからつけないようになった。また最近になって若い男がこの池の鯉を釣って帰ったところ、病気になったので、池の主のたたりだといって返えしに来たことがあった。
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