海の泡のつぶやき

病気の夫の体調に一喜一憂し、鬱々としてしまう毎日。
少しでも気を紛らわせたら・・・と日記をつけることに。

願いを感謝に

2018-04-28 19:05:14 | 徒然
テレビで映画を見ていた。
シャロン・ストーン主演の、まあどうでもよいようなラブストーリーだったけど、
映画の中の科白で心に響いたものがあった。
忘れてしまわないように、このブログにメモメモ。

「小さい頃から願い事がたくさんあった。
 次々と願っては叶い、願っては叶い・・・・
 私の願いはおおむね叶った。
 しかし、願い事がある時はいつも心に穴が開いていた。
 願えば願うほどいくつも穴ができた。
 ある時、願いを感謝に変えてみた。
 願う代わりに、アレも感謝、コレも感謝。
 すると不思議なことに心の穴は次々と塞がれていって
 いつの間にか心は満ち足りていた」というような科白だった。

な~るほど!と合点納得した私だった。
クリスチャンの私はいつも神様に感謝している。
何よりも「神、常に我と共に在る」ことへの感謝。
そういう信仰を与えてくださっていることへの感謝。

しかし、それでも私は毎日毎日コレもアレも願い事を山のように神様に祈ってしまう。
「願いを感謝に!」

ウーン、反省しました!

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「待て、そして希望せよ」

2018-04-23 17:36:20 | 娘のこと
通りを隔てた前のお宅からお茶のお誘い。

前の家の奥様は15年以上前にお連れ合いを亡くされて独り暮らしなのだが、二年前に
夫を亡くした私の様子を心配して時々お茶に呼んでくださる。
冷たい、と彼女が嘆く一人息子の話をして、絶縁状態の私の娘の話も時々話題になる。

『そんなにも私を嫌う娘に私の方から近づくことはとてもできない。でもずっと人
憎んで過ごすなんてかなりなストレスだろうし、そんな娘が可哀そうだ。そんな風に
してしまって本当に申し訳ないと思う。』
そう話す私に、彼女は素晴らしい意見をくれた。愚かな私の目から、また鱗が落ちた。

『あなたは物事を決めつけすぎる、あなたの考え方は狭すぎる。もっとおおらかに
物事を見た方が発展的で前向きでよい。娘とのことも、娘から義絶された状態を
認めてしまい、仕方ない、それならそれでよい!と決めつけ納得し(自分を納得させ?)
終わりにしてしまっている。
人生、人間、先に何があるか分からず、明日何が起こるかも分からない。
娘も年を重ねるうちに母親の存在が欲しくなったり、懐かしかったりする可能性もある。
双子の孫も、自分の祖母はどんな人か? お小遣いが欲しいけれど親にはねだれず、
おばあちゃんを訪ねてみようか、と二人で語らって訪れて来る可能性だってあるかも
しれない。
捨てないこと! 自分で展望(考え方)を狭めないこと。希望を持ち続けること。
たとえ娘がどうであれ、母親のあなたはずーっと期待して待つこと。
娘との仲介をしてくれる娘婿の考えにしても、あなたがコレ!と決めつけず、チャンスが
ありそうならそれとなくコンタクトをとるように。すくなくともコンタクトを取ろう、
取ろうと思い続けること。
あなたへの冷たい(?)手紙だって、娘との仲を大切にして、娘に代わって書くの
だから「娘婿は本当はそれほど私を嫌いではないかもしれない」と希望的に考えること。
あなたは自分で決めつけて完了させて、ものの見方が狭まっている』と彼女は言うのだった。

確かに!
前の奥様は楽天的でおおらかで天然なところがあり、自分を力いっぱい肯定している。
対して、私は悲観的、堅苦しく狭く自己完結して(させて)いて自分に自信が持てない。
何よりも傷つくのが怖いため自己防衛本能が物凄い。誰にでもよく思われたいから、
というわけでもないのだが、誰にでも愛想よく気配りする。
私はええかっこしいなのかな~
優等生的なのかな~
後ろ指さされるのが嫌なのかな~

そうかもしれない。
娘のことも、娘が私を憎み嫌悪する本当の理由は分からないが、娘が嫌がるなら「決して、
決して」私からは近づかない、と私が我慢する私が耐えると決めてしまう。
そして、一生母親を憎み続けるなんて、娘が可哀そう、と同情したふうにまた決めつける。

上から目線なのかな~ そんな私のことが娘は嫌いなのかもしれないな~

私は他人から批判されたり、嫌われたり、のけ者にされても、それが理不尽だとか無礼だ
とは思わず(思っても、かな?)怒り狂ったりしない、というかできない。
自分も悪いのかもしれない、まあいいや、しょせん全く正しい人もいなければ悪の塊だけの
人もいない、人間に期待するのはやめた方がよい、と思って自分の傷をなるべく小さくする
ように自己防衛本能を働かせてしまう。高潔な魂に触れた時は感動し涙することはあるものの、
期待を裏切られたからと言って怒ったり深く落ち込んだりしない(したくない)と子供のころ
から決めていた気がする。
これも多分、本当には深くは傷つきたくない自己防衛本能のなせる業だ。
他人とは浅くさりげなくしか付き合えない。
そして娘だからといって私はどっぷりがっぷり密着はできない・・・・・と思う。
だから遠慮して「私を嫌っている、憎んでいる、だから娘には近づけない」と思ってしまう

私の思ってもいない方向で希望を持たせてくれた前の奥様のアドバイスは本当に!嬉しかった。
彼女は言う『あなたのように自分で自分を抑えて後ろ向きに決めつけてしまったら、
娘さんからのアプローチ(接触の兆し)があったとしても見逃してしまうかもよ。
よき訪れを見逃してしまうかもよ。』

『待て、そして希望せよ!』 モンテ・クリスト伯の言葉だ。
よし、決めた!これからはこれで過ごそう! って、また決めるか~? (笑)

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