海の泡のつぶやき

病気の夫の体調に一喜一憂し、鬱々としてしまう毎日。
少しでも気を紛らわせたら・・・と日記をつけることに。

車の運転

2007-09-22 22:34:34 | その他
医師から運動を禁止されている夫は、毎日ワンコ連れで散歩する。

散歩はOKとは言うものの、あまり負担がかかってもまずいのでは、
と荷物持ち兼ワンコの世話係として私も一緒に行くことにしている。

ラッキーなことに、我が家から車で10~20分位で行ける範囲に公園が
5,6ヶ所ある。 本当に恵まれた事だ。

天候、体力、被写体の情報などを考慮(!)してその日の公園を決め、
ブラブラと2時間くらい歩く。
夫はカメラを持って歩きながら、面白い被写体を見つけると写真を撮ったりする。

最近はワンコの写真をあまり撮らなくなったが、飼い始めから2年位は
あらゆる瞬間をカメラに収めていたものだ。

ところで、公園への車の運転だが、夫は決して私にやらせない。
私の下手な運転では恐ろしくて助手席に座っていられないそうだ。
「肝臓で死ぬ前に交通事故で死ぬのは嫌だから・・・・」だそうだ。(笑)


今年の夏は異常に暑かった。
今日、9月22日の最高気温は33.5度! 異常すぎる。

八月終わりの週の暑さが非常に厳しかったが、その後少しずつでも涼しく
なるならともかく、九月になっても連日30度以上の酷暑が続いている。

他にやるべきことが無いこともあるが、一日一度は外気に触れると体が
シャキッとするという夫は、そんな今年の夏も毎日散歩に出かけた。
出かけるのは夕風が感じられる午後4時過ぎ、家に戻るのは6時過ぎになる。

散歩に出かける以外の時間、夫は家で殆ど横になっている。
それでも今年の夏は心底疲れたようだ。


ここ一週間、公園への車の運転、往復のどちらかを私にさせるようになった!

あまり運転のチャンスが無い私にとってはとても嬉しいことではあるが、
夫の体力はこんな風に徐々に弱って行くのかなぁ・・・と考えると何やら
寂しい気がする。

反面、これくらい徐々にしか弱らないなら、あと十年は大丈夫かなぁ・・・・
と思ったりもする。(笑)

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嬉しい便り

2007-09-16 15:45:05 | その他
9月14日、郵便受けに嬉しい葉書が入っていた。

双子の孫がそれぞれの手形を押して夫と私、二人に送ってくれたものだ。
合計4枚(笑) なにやらクレヨンで絵らしきものも描いてある
「敬老の日」と言う事で保育園で作ったものだろう。

娘の字で宛名と差出人、それに手形にかぶせて「いつまでも元気でいてね」
と書かれていた。
娘達からのアクセスがあった! 嬉しい、良かった!

早速、汽車が好きな孫には汽車の絵葉書、車が好きな孫には車の絵葉書を
用意して、孫それぞれに宛てて返事を書いた。



実は、前日13日、昨年4月に亡くなった夫の母のマンションを掃除した。
このマンションは週に一度は私達も使っているので仏壇が母の居た時のままで
置いてある。

水を替え線香を立てて「おかあさん、分からず屋のアナタの息子の所為で
娘や婿殿、双子の孫も実家には寄り付きません。
娘は私達夫婦を憎んですらいます。何とかしてください、お願いします!」と
半分冗談、半分真剣に頼んでみた。

夫の母は夫の病気と、夫と婿殿の仲を何よりも心配し、気に病んでいたのだ。
何とかしてくれたのかもね・・・・・ありがとう、お母さん! (*^―^*)

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真理は難しくない

2007-09-16 15:16:15 | その他
9月15日(土) 
新宿ヒルトンホテルにて塩沼亮潤大阿闍梨の講演会 

体力気力をギリギリまで使って死力を尽くして数々の荒行をこなし
悟りの境地に至った行者、塩沼大阿闍梨の講演を聴きました。

人間の限界を超えてたどり着いた先に咲いていた悟りの花は
「謙虚、素直、感謝 、生かされている自分」であったそうだ。

欲望や自我で見えず、聞こえず、感じなくなった人間、
その考え方を変えれば物事はなんと単純明快なことか。

全ての人間が物の見方や考え方を変えることは不可能だと私は思う

しかし、自分が得た悟り、人間の生の根源をを多くの人に伝えるのが
行者と言う職業の使命なのだろう。

塩沼大阿闍梨はこれからも「人生生涯小僧の心」を忘れずに、
自分の一生を行と捉え、淡々と生きて、自分の見た美しい花を
より多くの人に伝えたい、と話された。

その存在は、ある意味で人間離れした雰囲気なのだが、あくまでも優しい
たたずまいだった。

深く感銘を受けました。


著書 「大峯千日回峰行 -修験道の荒行ー」
テープ、DVDあり。
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密室の母子

2007-09-12 23:08:31 | 徒然
これまでも頻繁に聞こえていてとても気になっていたのだが、今日はついに
そのアパートのドアの前まで行ってしまった。

我が家の角を曲がって数十メートルのアパート、一階102号、表札は出ていない。

子供の泣き叫ぶ声が続いている。
母親の声は殆ど聞こえない。
ノックしてみようか、何度も躊躇って結局は家に戻った。

「お子さん、おお泣きして、大丈夫ですか? 
 お母さんも大変だけど頑張ってね・・・」
お母さんが出てきたら言うせりふまで考えていたけれど。

何でも無いかもしれない
ちょっと神経質な子供がたまたま、その時間になるとぐずるのかも知れない。

妄想が勝手に膨らんで、緊張して胸が痛くなってくる。

母子二人の密室状態は考えてみると非常に恐ろしい。
圧倒的強者の母親と圧倒的に弱い子供(赤ん坊)・・・・・
母親が一人で一人の子供を育てる状況ってなんと恐ろしいことか。

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食(は)む

2007-09-08 22:04:13 | その他
「あらがえぬ命なりけり
死者の顔撫でしこの手で
夜半に飯(いい)はむ」

南木佳士の患者、信州の田舎のおばあさんが愛する男を失った時に詠んだ
句だそうだ。 (エッセイ「大漁」より)


どんな悲しみに出会っても生きるための行為をする人間
人間は生きるための術として図太さを持っている

人間の心の不思議、暗闇、割り切れなさ、割り切る恐ろしさ。
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姉への返信

2007-09-07 00:21:51 | その他
姉上様

長いお手紙をありがとうございます。
いつも心にかけていただいて本当に嬉しいです。

私もいつの日か、あまり先は無いのでできるなら早めに、大いなるものに全てを
委ねて心安らかに生きて行けたらこれに勝る幸せは無いと思っています。
力まず自然体でそうできる人は最高に幸せだと思います。

私はそれができないので、人間も自然の一現象なのだから動植物と同じように
あるがままに逝けたらなぁ~、と望んでしまいます。
心や自我が無ければどんなに良いだろう・・・と時々人間に生まれたことを
後悔してしまうこともあるくらいです。

実家のお母さんや夫の母のことを思い出すと、一人の人が死んでゆくのは結構
大変なことだと思いますし、老病死についても不安です。

「悟ろう」と特に肩肘を張っているつもりはありません。
私は「衣紋掛け」のようにいかり肩なので、書道の先生にもよく「肩の力を
抜いて!」と言われます。(笑)

姉上が私にコンプレックスを感じるなんて可笑しいです。
姉上こそいつも周囲の人のために心や時間を割いて、実家の家族や私達家族も
お世話になって、心から尊敬しています。
これからも頼りにしています!
私達の歳になったらもう他人にコンプレックスなんて感じなくても、生きて
きただけで充分な気がします。
これって年寄りの独善で、私も頑固な年寄りになりつつあります。(笑)

私が受洗した時、牧師先生は私のレポートを「優秀でよい文」とは言わなかった
と思います。
幼く率直に感想が書かれていて新鮮に見えたのかも知れません。
原稿用紙三、四枚の稚拙な感想文でしたから・・・


さて、明日でお稽古の教室をやめます。
教室のメンバーは殆どやめて、明日は多分私一人だと思います。
先生の体調はジグザグしながらも下降線をたどっています。
昔の話ばかりして、表情も少なくなってきて、私達の最近の話題には
入ってきません。
ご自身は作品を殆ど触らなくなりました。

歳をとるのは悲しいことです。
現実を直視するのも厳しいことです。
自分がこれからたどる道を見据えるのも怖いことです。

私は楽しい、嬉しいをキーワードに生きてきましたがこれからは難しそうです。
それでも、選択可能な範囲内で、好きなこと楽しいことを選んで生きて行きたい
と思っています。



先日、教会の牧師婦人から手紙をいただきました。

宛名は私と兄上との連名だったのですが、手紙の中で「信徒通信」の送付が
不快でしたら止めますので・・・・と書かれていました。
私は「全く不快ではありませんが、率直に申し上げると重荷です。大変申し訳ない
のですが、郵送リストからはずしてください。」とお願いしました。

兄上は「俺は重荷とは書かないけど、もう分かってるからって書いて
お断りする。」と言っていました。

私は、偶々何十年ぶりかにあの町を歩いて、教会はどうなっているのかな、
と本当に気軽に寄っただけですから、牧師婦人のご好意はとても嬉しいのですが、
色々送られたりするのは重荷に感じてしまいます。

教会の一ヶ月の礼拝献金の額が姉上の教会の一週間分と同じ位なのを見たり
すると、信仰云々の前にまず腰が引けてしまいます。
これが気の小さい私の正直な気持ちなのですが、牧師婦人はどう感じられた
でしょうか。

人間や社会にそれ程希望を持てないでちょっと虚無的な私は、大体のことは
どうでもよい、と思っているのに、行動が真面目で一見誠実なので誤解を
招くようです。

牧師婦人が間違って私に期待などしないように!と自意識過剰に反応して、
早めにキッパリお断りして、これもまた私の誠意の一部なのだと思っている
のですが・・・根は芯からいい加減な人間です。

長くなりましたので、今夜はこの辺で。
お手紙、本当にありがとうございました。

ご家族の皆様のご健康を心よりお祈り申します。


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衰える心身

2007-09-06 14:48:41 | その他
夏の暑さは年々厳しくなっているが、今年の暑さもまた格別だった。
特に8月は猛暑と言うより酷暑で、肝臓病の夫の体調は一段と低調だった。

夫の日課は朝、9時半から10時の間に起床して私と一緒に朝食をとる。
その後、また横になる。

午後1時過ぎに起きてトースト、バナナなどの軽い昼食をとる。
また少し眠って、午後3時過ぎからソワソワと散歩の仕度を始める。

夫が散歩の仕度をする間に、私は夕食のお米をしかけたり、洗濯物を取り込んだり、
日焼け防止のファウンデーションを塗ったりする、超早業!(笑)

この夏は、夫婦でTVの気象データを見ては「ア、最高温度は通り過ぎた。
これから夕方の向けて少しは気温が下がっていくね。」などと確認してから、
午後4時過ぎ、5時過ぎに散歩に出かけた。

今年の猛暑の恩恵(?)か、夫の散歩の様子は大分穏やかになって私の望む
パターンに近づいた。

これまで、カメラが趣味の夫は散歩しながらそれなりの被写体を見つけると
その場で暫く留まって写真を撮るのだが、それ以外の時間はずーっと
歩き続けていた。

ヘロヘロしながらついてゆく私とワンコ、夫はスタスタ平気で2時間以上でも
歩き続けた。
頑張れるだけ頑張って、その後ダウンする。
学習する能力の無い夫の行動パターン。

それが今年はすっかり私のパターン。

風の吹き抜ける涼しい木陰でシートを敷いてまず休む。
夫はワンコとボール遊びをするが、最近肥満気味のワンコはよくしたもので、
適当に遊ぶと私達の横でべったり座って動かない。
お陰で私もノンビリ、夫はちょっとイライラしながらも、これまでのようには
動けない体調の所為もあって一緒の座ったり寝転んだりしている。
(生来怠け者の私は「散歩と言えばシートでしょ」なのだ。)

散歩から戻ると夫は撮った写真の画像処理、私は夕食の支度をする。
散歩に出かけるのが遅くなった夏の夕食は7時半から8時の間となる。

夫は写真の撮り方も大分変化してきた。
半年前は被写体を見つけるやいなや撮り始めていたが、今は、のろのろ
カメラを構え設定を確認し、やおらレンズを向ける。
すでに被写体はいない、と言うことがとても多くなった。
ダメになったものだ。

こうして少しずつ徐々に身体能力も頭の能力も弱っていくのだろう。
夫も、私も、お互いにネ!
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