海の泡のつぶやき

病気の夫の体調に一喜一憂し、鬱々としてしまう毎日。
少しでも気を紛らわせたら・・・と日記をつけることに。

Oh, My God!

2009-11-27 13:08:20 | 夫のこと
夫の肝臓癌は無罪放免ではなくやはり執行猶予だった。
11月のCT検査で1.4cmの肝細胞癌が見つかった。

「見つかった」って言ったって、5月にCT検査を受けているのだが
その時はどうだったのだろう。
全く姿かたちが無かったのか、それとも先生は分かっていても
ある程度大きくなるまで待っていたのだろうか?

これまで夫の定期健診にはいつも私も一緒に行って
分からないことをアレコレ先生に質問していた。
6月のワンコ発病以来、ワンコの状態が心配で私は家に残り、病院へは
夫が一人で行くので、肝心なこともそうでないことも殆ど質問せず
(頭に浮かばないんでしょうねぇ)時には言われたこともよく理解せずに
戻るので(笑)分からない事が多くて困る。

12月の初めに前回と同じ「ラジオ波焼灼術」の手術を受けるそうだ。

着替え・洗面道具・食器・その他の雑貨(スリッパ、洗面器、サンダル等)を
せっせと夫は準備している。
連れ合いが自立心旺盛で私は助かるともいえるが、夫のように事細かに
神経質にヒステリックに肝っ玉小さくこだわる人は、他人が何をやっても
絶対に気に入らないので自分で気の済むまでやるほうが良いのだ。

手術が無事に終わって、ワンコも今より状態が上向いて、また三人での生活が
戻ってきますように! 祈り、願っている自分がいる。

私の気持ちは「Oh, My God !」では生易しすぎ、「オーマイガッ!!」である。

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山崎豊子さん

2009-11-15 21:54:09 | 読書
読書家の妹に薦められて山崎豊子を読み始めた。

「華麗なる一族」「沈まぬ太陽」と読んで、今は「二つの祖国」を
図書館から借りてきている。

山崎豊子さん、凄い!

感嘆のあまり本屋にヒラ積みの「作家の使命 私の戦後ー山崎豊子
自作を語る1ー」は思わず買ってしまい、アッという間に読んでしまった。

「二つの祖国」 これから読むの楽しみ~

このあと「不毛の大地」「大地の子」「白い巨塔」・・・・・
豊子さんの未読の著作がたくさんある、嬉しい~
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物思う秋、だなぁ・・・

2009-11-13 20:59:05 | 徒然
何を見ても悲しい日が時々ある。
今日の私がそうだった
この数ヶ月、ワンコの病気が心配で、私の話はもっぱらワンコのことが多いのか
「あなたは孫の話とかもせず、ワンコのことばかりネ」と知人に言われた。

孫かぁ・・・・
いつか会えるときが来るだろうか。
「親らしいこともせず、年をとったらすり寄って来るのは止めてくれ」と
娘に言われたことなどを思い出してしまった。
そんなにも悪い親だったんだなぁ、とあらためて声も無く悲しい。

元気の無いワンコを面倒をみたり病院に行ったりするのも悲しい。
無力な自分が姉の状態を心配するのも悲しい。
折に触れ、毎日必ず思い出す娘とのことを考えるのも悲しい。

今日も悲しい思いの一日だった。




11月8日の日曜日、姉と妹と三人で亡くなった父の母教会で
永眠者記念礼拝に出席した。
父が亡くなったのは私が二十歳の時なので47年も昔のことである。
仏教で言えばもう三十三回忌も過ぎて、そうだ、五十回忌と言うのが
あるのだろうか。
いずれにせよ、父の思い出も遠くなったが、こういう日でもないと
中々兄弟姉妹が集えないので一つのチャンスと思って私達は記念礼拝に出る。
上の姉と兄は夫々の理由で欠席だった。

膵臓癌を患い、手術ができなくて今抗がん剤を使って頑張っている姉に会えたのが
何よりも嬉しかった。
「来年、私がいなくなっても、必ず出席するのよ」と言っていたが、
そんなに悪い状態なのだろうか、言葉にならないくらい悲しく淋しい。

命あるものは必ず死ぬ、別れは必ず誰にも訪れるもの、そう分かっていても
悲しい。

姉は又「私、今くらいの年齢でよいと思っているのよ」と言っていた。
姉には言えなかったが、そうかもしれないと納得する自分がいる。

実は、私も毎晩、私の神に祈っているのだ。
もう充分生きました、幸せな人生でした、どうぞ長生きさせないでください、と。

老人が死を願うなんて悲しい国だ、という人もいるが、そうだろうか。
死が悲しいことだという前提なら、それも正しいかもしれない。
しかし死は救い、苦しみの終わりともいえるのではないか。
仏教では人生は苦、生まれてしまったのは毒矢に当たったことと言うではないか。

「生物学的にはもう役目は終わったのだからいつ死んでよいのよね」と友人が
言ったことがある。

自分の事が分かって自分の身の回りの処理ができる状態のうちに死を迎えられたら
たとえピンピンコロリで無くても、それは有り難く嬉しいことだ。
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