ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日本100名城巡り No.71 福山城

2012年08月10日 | ウマさんの「日本100名城巡り」
2012年8月10日(金)


前夜は福山城から20Kmほど離れた道の駅「アリストぬまくま」で宿泊したことから、
この日は朝から福山城を訪問した。

福山城は、元和五年(1619)、福島正則に替わって徳川幕府の譜代大名水野勝成が備後10万石の領主となり、
新たに築城し城下町を福山城と名付けた。
その後水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と明治四年(1871)の廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心となった。
明治六年(1873)廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋金御門、御湯殿を除いて殆ど取り壊された。

昭和二十年(1945)の戦災により天守閣と御湯殿も焼失したが、昭和四十一年(1966)
福山市制50周年記念事業として天守閣、月見櫓、御湯殿が復元された。
焼失をまぬがれた伏見櫓、筋金御門は昔日の姿を留め国の重要文化財に指定され、
城地は国の史跡として保存されている。

福山城は、近世築城の最後のものとしてその完成された築城術の粋を誇るもので、
全国城郭中屈指の名城と讃えられていた。(福山城博物館パンフより)

福山城裏手の福山文学館付近に車を停め、本丸北西側の棗木御門なつめごもん)跡から入城した。
棗木御門は搦手にあたる渡櫓門である。
門の手前に建てられている冠木門は模擬的なもの。


棗木御門跡の枡型を通り抜けると本丸になる。


本丸内側の西側に残る石垣


本丸西側にある黄金水
本丸に現存する唯一の井戸で、その他本丸には4ヶ所、二の丸に3ヶ所、三の丸に2ヶ所あったと云われる。
この黄金水は渇水時にも水を湛える素晴らしい井戸であった、そうだ。


本丸の中央に小さな築山があり、庭木が植え込まれている。
伏見御殿跡から築山を通して天守閣を見る。


福山城天守閣
福山城の城郭は南面し、天守閣は本丸の北隅に位置している。
城号は敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城と云い、別名を葦陽城(いようじょう)とも云う。
五重六階地下一階、別に二重三階の付櫓を持つ複合天守で、外見は六重のようにも見える。
一重目の南北面と二重目の東西面は比翼入母屋、その他の各層には千鳥破風や唐破風を設けている。


筋鉄御門すじがねごもん
本丸西南に位置する。
入母屋造り、本瓦葺、脇戸付、櫓門。
福山城本丸の正門にあたり、福山城築城に際して、京都伏見城から移築したものと云われている。


外側から見た筋鉄御門
柱の角に筋鉄を施し、扉に数十本の筋鉄を打ちつけているためその名が生まれたものである。
左に渡櫓、右に多聞櫓を連接させたもので、後代の枡型多聞の形式をとらない初期様式のもの、とのこと。
国指定重要文化財


伏見櫓
三重の隅櫓、本瓦葺。
京都伏見城「松の丸東櫓」にあったものを元和八年(1622)水野勝成の福山築城にあたって
将軍秀忠が移建させたものだそうである。


まるで小さい天守閣のような伏見櫓
伏見城の城郭建築の遺構としては希有のもので、白壁三重の豪華な姿に桃山時代の気風が伺われる。
国指定重要文化財


城内鐘櫓辺りから見た伏見櫓


伏見御殿跡
本丸の南、筋鉄御門のすぐ北に位置する。
本丸御殿に居住したのは、初代藩主水野勝成、二代勝俊のみで、三代藩主勝貞は
三の丸東側に新たな御殿(三の丸御屋形)を造営して移り住んだ。
今は、伏見御殿跡を示す碑と礎石だけが残されている。


御湯殿おゆどの
京都伏見城内にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に付随した建築で、国宝に指定されていた。
建築の一部は石垣上に張り出し、内部は物見の段と風呂の間に分かれていた。
昭和二十年(1945)の戦災により焼失したが、同四十一年(1966)秋、天守閣とともに外装、内部
ともに復原されたものである。


鐘櫓かねやぐら
本丸西側に位置し、はじめは鐘を吊り、太鼓を懸け、時の鐘と半時(1時間)の太鼓を打っていたと云われる。
市指定重要文化財


月見櫓はもと京都伏見城内にあったものを移築したもので、本来は着見櫓のことである。
追手側(南)や入江方面が展望出来る南東隅に築かれ、藩主等の到着を見極める役割をなしていた。
明治初年に取り壊されたが、昭和四十一年(1966)秋、天守閣とともに外観復原されたものである。


鏡櫓かがみやぐら
本丸の東側に位置し、東南隅の月見櫓から北へのびる塀で繋がれ、6間と4間の広さをもっていた。
明治六年(1873)廃城の際に取り壊されたが、昭和四十八年(1973)に外観復原がなされ
その姿を見ることができるようになった。
この鏡櫓は、福山城博物館の文書館として昭和四十九年(1974)に開館し、福山を中心に
文書・記録類を収集整理する場として活用されている。


天守閣へ登ってみよう。


入口から天守閣を見上げる。
圧倒される構えだ。


天守閣最上階
全国の名城の写真が展示されている。


望楼からの眺望(1)
南側のJR福山駅方面を見たところ。
本丸の鏡櫓、御湯殿、筋鉄御門が見える。(左から)


望楼からの眺望(2)
南東方面を見たところ。
JR山陽本線、山陽新幹線(大坂方面)が見える。


望楼からの眺望(3)
南西方面を見たところ。
JR山陽本線、山陽新幹線(広島・山口方面)が見える。


望楼からの眺望(4)
北東方面を見たところ。
福寿会館(和館・洋館)と望城亭の屋根がちらりと見える。


望楼からの眺望(5)
東方面を見たところ。
手前の高いビル(左)はグランドメゾン丸の内、右は丸の内ホテルか?


天守閣を降り、ここでいったんかみさんと分かれ、城の外を一周してみることにした。
二の丸石垣の直ぐ前がJR福山駅なっている。山陽新幹線の停車駅でもある。
新幹線と向き合って石垣があるというのは、福山城だけではないだろうか。


二の丸南側の石垣。
どっしりとしていて風格があり、存在感がある。


駅前辺りから二の丸石垣を見る。月見櫓(着見櫓)が見える。
着見櫓からは、藩主の到着などそれはよく見えたことだろう。


東坂口御門跡を上ってみる。
東坂口御門は本丸東側の二の丸上段と二の丸下段を結ぶ渡櫓門であった。
石垣はよく残っている。


東坂口御門跡の途中を右に折れ、二の丸上段東側へ進むと、福山城を築城した水野勝成の銅像があった。


二の丸上段東側から天守閣を見上げる。
本丸正面からの天守閣も良いが、ここから見るのもなかなか見事なものだと思う。


福寿会館
本館、洋館、望城亭と呼ばれる南茶室の施設で構成され、洋館は平成九年(1997)に登録有形文化財に登録されている。
(中には入らず、ここからの写真撮影だけにした)


さらに進むと三蔵稲荷神社があった。
毎年ミス三蔵稲荷を選ぶコンテストが行われることでも有名、とのことだ。


初代福山藩主水野勝成が福山築城の時、祀った神社である。


三蔵稲荷神社の本殿
この神社の祭神は、宇賀魂大神・猿田彦大神・大宮女大神とされている。


三蔵稲荷神社を通り抜けて左側を見ると、天守閣がそびえていた。
本丸の反対側から見たところ。


この後、赤穂へ向かった。
赤穂城は、今回の100名城巡りの最後の城となる。
何とか無事に巡ることが出来れば、と思っている。


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