ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

江戸・明治大正に想いを馳せる 歴史の町水海道

2014年09月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年9月26日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第18回(2014年第28回)、「歴史の町水海道」ウォーキングに参加した。

この日のコース地図
常総市小山戸町の「JA常総ひかり」をスタート。
常総線に沿って水海道駅方面へ進み、旧報徳銀行・二水会館・水海道天満宮・五木宗レンガ蔵・八幡神社など、
旧水海道市の歴史建築を探索して「JA常総ひかり」へ戻る、全長約8Kmのコースである。


第一集合場所の乙戸沼公園には、最近では珍しく25名が集まったが・・・


第二集合場所の「JA常総ひかり」に集まったのは23名だ。
乙戸沼公園を一緒に出発した夫婦が、なかなか到着しない。
「JA常総ひかり」の住所入りのコース地図を渡してあるので、カーナビがあれば問題なく到着出来る筈だが・・・
連絡を取ろうにも、会員名簿には自宅の電話番号しか登録されていない。
携帯は未登録となっている。(未加入かも知れない)


このまま待つ訳にもいかないので、とりあえず、準備体操だ。


直ぐ近くまで一緒に車を走らせたことは確かなので、
ウォーキング途中、ひょっとすると水海道市街地などでばったりと出遭うかもしれない、
ということを期待して、9時56分、出発!


いつものように先頭を務めるのはOさんだ。
すっと背筋を伸ばして歩く姿には、惚れ惚れする。


関鉄常総線沿いに旧水海道市街地へ向かう。


10時1分、北水海道駅前を通過。


北水海道駅の花壇には、ケイトウなどの花が咲いている。


県道357号線を水海道市街地へ。
歩道が狭いので、一列縦隊で進む。


新八間堀川


川の水は流れがなくかなり濁っている。
この先は、鬼怒川に繋がっているはずだが・・・
水門が閉じられているのだろうか?


新八間堀川の桜橋を渡る。


国道354号線を横断。
この日の予想最高気温は25℃ほどで、空気は乾燥しているそうだが、直射日光はまだまだ暑い。
女性にとっては、日焼けが気になる天気だ。


常総市役所本庁舎


現本庁舎の隣に新庁舎を建築中であった。
(10月1日撮影)


常総市役所完成予想図
(10月1日撮影)


大きな欅の木の家
『随分大きな木だわねぇ 家も立派だわぁ』


最初の目的地、旧報徳銀行水海道支店の建物がこの辺りにある筈なのだが・・・
この信号を左折して水海道駅方面へ向かえば見つかるだろう、と考えたのが間違った。


諏訪神社
(10月1日撮影)


諏訪神社の欅は樹齢400年~500年と推定され、市の天然記念物に指定されている。
(10月1日撮影)


旧報徳銀行は、
旧水海道宝町大通りの商店街に大正12年頃に建てられた煉瓦造りの近代建築で、今も当時のまま残されている。
平成18年に株式会社関東つくば銀行より常総市が譲り受けた。
という情報はあるが、見つからない。
(後で分かったことだが、先ほどの信号を真直ぐ進めば良かったのだ)


10月1日、確認のため、水海道へ行ってきた。
宝町大通りの商店街の通りに面して旧報徳銀行水海道支店があった。
(10月1日撮影)


大正時代を感じさせる堂々とした建物であった。
(10月1日撮影)


関鉄常総線沿いの県道357号線に出てしまった。
旧報徳銀行水海道支店は諦めて、次の「二水会館」へ向かうことにした。


水海道駅前を通過
なかなかモダンな駅舎である。
かつての水海道駅からは想像がつかない。


駅前の旧市街地を進むと左手に「SEIYU」なる建物が。
スーパーの西友にしては、派手な建物だと思ったら、パチンコ屋だった。


水海道図書館
水海道図書館へ来る途中、近くの方数人に「二水会館」を訊ねたが、
『そんな名前は知らない』との返事しか返ってこなかった。
地図を作成した身としては、この辺りの筈なのだが・・・


水海道図書館の右側をよく見ると、何と「二水会館」があるではないか。
やはり、ここで間違いはなかったという思いで一安心。
この近くの方は、図書館は知っていても「二水会館」は馴染がなく、
あまり耳にすることがないのだろう、と思う。
「二水会館」は、旧水海道町役場である。
鬼怒川と小貝川の二河川にちなんで「二水会館」と命名された、そうだ。


大正初期の地方官庁建築の好例で、左右対称型になる構成は時代の特徴をよく表している。
木造平屋建てだが、窓を上下2段に配して間に胴蛇腹を廻した2階建風の外観である。
平成9年に国登録有形文化財に指定されている。


ここで、一休みしていこう。
この日は、弁当はなしなので、軽いお茶菓子などで空腹をしのごう。
(この時、Oさんに行方不明のご主人から、『道に迷って到着がかなり遅れてしまい、
既に誰もいなかったため、ウォーキングは断念して帰宅した』との電話が入ったそうだ)


アスベスト除去および空調工事のため、あいにく図書館の扉は閉じられていた。
『トイレは我慢するしかないわねっ』


次の目的地、水海道天満宮へ


住宅地の中を進み、県道357号線を渡ると、


右手に水海道小学校があった。


水海道天満宮は小学校の直ぐ裏にあった。


鳥居の下にたくさんの椎の実が落ちていた。
『これ煎って食べると美味しいんだよねっ』
夢中で椎の実拾いだ。


子供の頃おやつ代わりによく食べたものである。


水海道天満宮
菅原道真公を御祭神とし、後村上天皇の御代(1339~1367)に創祀したと伝えられる。
毎年、7月に執り行われている旧市街七ヶ町による祇園祭は、八幡神社、水海道天満宮に合祀
されている八坂大神の祭礼である。
本殿は市の文化財に指定されている。


天満宮ではお馴染みの牛神


牛神をバックに記念撮影を済ませる。


境内には一六神社の他にもさまざまな神様が合祀されていた。


台杉(代杉)
樹齢数百年の杉の切り株の脇から、新しい杉の穂が育っている。
台の御先祖様に支えられ、真直ぐに育つ自分と子供達、
御神木とともに健やかに、末永く生きていくことを祈願する、という事が記されている。


一休みして体調を整えて、


次の目的地、五木宗レンガ蔵へ向かう途中、水海道一高前を通過。


塀にはさまざまな部の活躍を祝すたくさんの横断幕が。
演劇部や弁論部の全国大会出場の他、陸上部インターハイ出場を祝うものもある。
まさに文武両道である。


男女ハンドボール部関東大会出場なども見られる。


『いろんな部が活躍してるのねぇ』


旧市街地を進む


旧い建物もところどころに見ることが出来る。
水海道が旧くからの町であったことが伺える。


五木宗レンガ蔵が見えてきた。


左手には、鬼怒川に架かる豊水橋(国道354号線)が見える。


五木宗レンガ蔵
会津藩の廻米を扱うなど廻漕業を営んでいた五木田家の蔵である。
明治十五年(1882)建造と伝えられるレンガ蔵は、銅板葺、3階建。
平成7~8年にかけて改修を行い、店舗兼住宅と接続していたものを、建築当初の独立した建物とし、
現在は五木宗関連資料などの展示やギャラリーとしても活用されている、とのことだが、
あいにく扉は閉じられていた。


豪壮な家が建ち並ぶ住宅地を進む。
『へぇ~っ 立派な家だわねぇ』


水海道公民館の右奥に、
(10月1日撮影)


武道館はあった。
昭和七年(1932)5月に、水海道小学校の敷地内に雨天体操場兼講堂として竣工。
(10月1日撮影)


中を覗いて見ることにした。
(10月1日撮影)


昭和48年、雨天体操場兼講堂は、柔剣道を行うための施設に改修され「武道館」として生まれ変わった。
年配の女性たちが卓球(ピンポン)を楽しんでいた。
内部は床板張でステージも設けられている。
(10月1日撮影)


水海道公民館の附属施設として、武道愛好団体をはじめ、市民の多目的な活動スペースとして、利用されている。
(10月1日撮影)


市内に現存する数少ない木造学校建築物として、地域景観のシンボル的存在になっている。
国登録有形文化財に登録されている。
(10月1日撮影)


大楽寺の山門前を通過すると、


11時41分、水海道八幡神社に到着した。
国道354号線に面した道路側に大きな朱の鳥居が建ち、


駐車場の奥にまた小さな道路があり、そこからが境内になっている。


水海道八幡神社
水海道城主田村弾正の守護神として祀られたが、戦国時代末期に城は落城し、神社も荒廃した。
水海道が河岸町として発展した江戸時代初期の延宝五年(1677)に現在地に再建された。
本殿は市の文化財に指定されている。


本殿の前に稲が植えられ、刈り取りされるほどに穂が垂れていた。
何かの神事で稲刈りをやるのだろうか?


新八間堀川を渡り、「JA常総ひかり」を目指す。


交通量が多いため、新八間堀川を渡ったところを右に曲り、県道357号線へ。


新八間堀川に沿って県道357号線方向へ進む。


蒲焼の文字が見えるが、この日は定休日になっていた。


美味しそうな柿が鈴なりだ。
柿好きな自分だが、そう言えば、今年はまだ柿を食べていない。


常総線に沿って進む。


北水海道駅前を通過


「JA常総ひかり」の建物が見えてきた。


12時12分、「JA常総ひかり」に到着


整理体操をして、


『はいっ 深呼吸~っ』
『今日はお疲れさまでしたぁ』


初めての旧水海道市街地のウォーキングだった。
江戸時代から、明治大正時代の旧い建物が町のあちこちに残っている印象を強くした。
かつて両国と水海道間には、蒸気船が就航しており、水海道は物資の集積地として栄えたということが納得できた。
第二集合場所に到着出来ずに、2人が行方不明になるというハプニングに見舞われたが、
無事帰宅していたことが分かり安堵した。
携帯電話への加入と、会員名簿への登録を勧めていく必要性を強く感じた。

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