ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日本100名城巡り No.75 萩城

2012年08月06日 | ウマさんの「日本100名城巡り」
2012年8月6日(月)


この日は午前中津和野の街を散策し、その後萩城を訪問した。
萩に到着したのは、12時15分を少し回っていた。

関ヶ原の合戦の敗戦で、西軍の総大将であった毛利輝元は、長門・周防2国に移封されてしまった。
輝元は慶長九年(1604)日本海に面した長門国の萩に築城を開始し、阿武川河口の三角州を整地した。
萩城は、標高143mの指月山の山麓に本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれる。

城郭の構造は指月山山麓の平城の部分と山頂の山城の部分を合わせた平山城の形式で、
山麓には本丸・二の丸・三の丸を備えていた。(城址案内板)

萩史料館に車を止めて萩城へ向かった。


二の丸南門を進むと・・・


正面に初代藩主毛利輝元公像が建てられていた。
輝元は関ヶ原合戦の敗戦で、西軍総大将の責を問われ、これまでの領地中国地8か国120万石を削られ、
周防・長門の2国(36万9000石)の領主に移封された。
そこで輝元は、居城として防府・山口・萩の3か所を候補地として徳川幕府の意向を伺い、
萩指月山麓に築城することにした。
慶長九年(1604)築城に着手し、同十三年(1608)に完成させた。
これより文久三年(1863)第13代藩主敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間、政治の中心地になった。


二の丸南門の枡形を抜けると・・・


本丸門の前に出た。


本丸門から指月山(143m)を望む。


本丸門前に架かる極楽橋から天守閣跡と指月山を望む。
極楽橋は、萩城本丸と二の丸とを区切る内堀に架かっていた木橋である。
橋の長さは6間(約12m)、幅が2間(約4m)余りあった。別名幸橋とも呼ばれ、また観音橋の名もあった。


本丸跡に入城する前に、内堀二の丸側を歩いてみた。
本丸門の遠景


天守閣跡
約11mの高石垣の天守台上に、五重五階の大型望楼型天守が威容を誇っていたとのことである。




天守閣跡
本丸の南西にあたる位置に高さ14.4m、下層は東西19.8m、南北16.2mで、五層の白亜の天守閣があった。
毛利輝元の命により慶長十三年(1608)に完成、以後266年間存続したが、明治七年(1874)に解体された。


天守閣跡と内堀


今度は本丸門の反対側から内堀を通して指月山(143m)を望む


入場料210円を払って城内に入り、内堀側の土塀跡から天守閣跡方向を望む。
100名城のスタンプも本丸入口料金所に置かれていた。


天守閣跡に上ってみる。


天守閣跡は二段構成になっており、さらに一段上が天守台になる。


天守閣跡
天守台いっぱいに礎石が並んでいる。


天守閣跡から本丸門方向を見る。


天守閣跡から指月山を望む。


広大な城内本丸跡地は今は「指月公園」になっている。
芝生が敷き詰められ、たくさんの桜の木が植えられている。


萩城址記念碑


志都岐山神社の鳥居


鳥居の先を真直ぐに進むと本殿へ通じる万歳橋があるが、危険なため、渡ることは出来ない。
藩学明倫館孔子廟の池にかかっていたものを移したものだとか。


旧福原家書院
福原家は厚狭郡宇部に給領地(11,314石余)を持つ萩藩の永代家老として代々仕えてきた。
この建物は三の丸(堀内)にあった萩屋敷内の書院で、明治十五年(1882)現在地に移築した。
建築年代は天明年間(1781~88)ごろと思われるが、当時の重臣の住居を知る上で貴重な建物である。
(案内板より)
市指定有形文化財となっている。


花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を明治二十年頃移築したもの。幕末の頃、13代藩主毛利敬親が茶事にことよせて
家臣とともに国事の密議をこらした場所で有名だそうだ。
この場所は本丸御殿の奥藩主の御座間近くにあたり、庭石・池・築山は当時のままとのこと。
あいにくこの日は閉まっており、中には入れなかった。


志都岐山神社


志都岐山神社の本殿
祭神は、毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・毛利敬親・毛利元徳の5柱である。


志都岐山神社裏手を差月山(143m)登山口へ向う。
ここまで来たら上らない訳にはいかない。
かみさんとはここでいったん別れ、萩資料館で落ち合うことにした。


差月山への登り口
ここから約20分の道のりらしい。
かみさんを待たせているので少し速足で上る。


仰徳神社(こうとくじんじゃ)跡
仰徳神社は、宝暦十二年(1762)7代藩主重就(しげたか)によって建立され、
毛利氏の始祖天穂日命(あめのほひのみこと)と元就・隆元・輝元・
初代藩主秀就(ひでなり)が祀られていた。


登山道は最初のうちはそれほどきつくはないが、風がないので蒸し暑い。


上るにつれて次第に急な山道になってきた。
汗びっしょりになってきたので、どこからともなく蚊が寄ってきだした。
虫除けも持ってないし、タオルで蚊を追い払いながら上る。


15分ほどで突然目の前に詰丸の石垣が現れた。


詰丸の枡形石垣と土塀である。
山頂から海を監視するために詰丸は築かれたようだ。


15分ほどで詰丸の本丸に到着した。
麓の平城に合せ山頂に詰丸を設け、狭いながら本丸・二の丸を置いて陸と海とを監視するため、矢倉数か所、
天水溜二か所などを持つ望楼であった。


こちらは詰丸の二の丸と思われる。


石垣造りのための石を適当な大きさに割ろうとしていたと思われる。
切り口がしっかりと残っていた。
こうやってカメラを構えているとあっと言う間に両手に蚊が群がって来る。
料金所で『蚊が多いよ』と言われた通りだった。
こんなところに長居するつもりはない。一刻も早く下山することにした。


急いで下山して涼む間もなく二の丸東門へ向かった。
指月小橋から二の丸東門を見たところ。


二の丸東門
二の丸南門と同じようなしっかりとした造りである。


海側を見ると幕末の長州藩士らしき侍が数人。
望遠で撮ったが、侍たちはなかなか様になっているように見える。


遊覧船が戻って来た。
暑い日には、遊覧船に乗って涼むのも悪くはないかもしれない。


この後、数多くの幕末維新のヒーローを排出した松下村塾、松陰神社に向かった。
また、毛利家の墓所でもある東光寺にも立寄ることにした。


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