ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧甲州街道を歩く 第九回 鳥沢宿から大月宿

2016年12月18日 | ウマさんの「旧甲州街道」を歩く
2016年12月18日(日)

今年(2016年)の4月で「特選街道を歩く」が終わったことを受けて、仲間の皆さんから
『今度はどこを歩くの?』という声が上がり、五街道のひとつ甲州街道を歩くことにした。
日本橋から内藤新宿までは、「特選街道を歩く」第二回目(2015年2月22日)に歩いているので、
内藤新宿から信州の下諏訪宿までを歩くことになる。

「甲州街道を歩く」第九回目は、鳥沢宿(JR鳥沢駅)から大月宿(JR大月駅)
までの約8.4Kmを歩いた。

先ずは東京駅構内の駅弁屋へ。


駅弁の種類が多すぎて迷ってしまう。


東京駅8時11分発の高尾行中央特快に乗車し、


高尾で9時20分発の松本行に乗り換え、
9時49分、この日のスタート地である鳥沢駅に到着した。
この日の参加者は、7名である。


モダンな駅舎の鳥沢駅


9時55分、猿橋を目指して出発だ!


国道20号に沿って鳥沢宿を進む。
道路沿いに大きな家が立ち並ぶ。


鳥沢宿を進む。


国道20号から分岐して右の旧甲州街道へ。


少し進んで右へ曲がった所に馬頭尊と刻まれた石碑があった。
右には馬頭観世音と刻まれた小さな石碑も見える。
仔馬だったのだろうか?


旧甲州街道は、国道20号へ合流し、


再び国道20号と分れた。


桂川の対岸の景色
『随分高い所に家が建ってるねぇ』


しばらく旧道を進むと、道が見えなくなった。
急で細い坂の路があったので、下って行くと、


国道20号に出た。


宮谷橋を渡る。
一見したところでは橋とは分らないが、車線との間に川が流れている。


下水の蓋に猿橋の図が・・・
『猿橋は近いってことかな?』


国道20号沿いのコンビニの手前、
『猿橋って画いてあるよっ』


猿橋と画かれた大きな看板が目に入った。
猿橋まで800mとある。
『意外と早く着きそうだねぇ』


地区の公民館の脇に小さな稲荷神社があった。
参拝していこう。


猿橋中学校入口を過ぎると、また道が二つに分かれていた。
今度も右へ進む。


”日本三奇橋 猿橋”の看板が。
あそこから猿橋が見えるのかな?


道の左下を見ると、木製の橋が見えた。
猿橋のようだ。
『あれが猿橋かぁ』


10時46分、猿橋に到着。
猿橋は、長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで
奇妙な形をしている橋ということで、日本三奇橋と呼ばれている。
古くは7世紀頃に作られたと伝えられ、鎌倉時代には存在していたらしいが、
その起源ははっきりしていない。
元は吊橋だったとの推測もある。


猿橋から下流を見たところ、
『かなり深い渓谷なんだねぇ』


猿橋を渡って反対側から撮ったところ。


大黒屋
猿橋の袂にある食事処。
かつては歌川広重もこの猿橋近くの茶屋で食事をして一休みした。
名物『忠治蕎麦』は、その昔大黒屋がまだ旅館だったころ、
国定忠治が逗留したことから名付けられたと云われている。
蕎麦で有名な店だが、馬肉の竜田揚げや刺身こんにゃくなどの一品料理も美味、とのこと。
今の『忠次蕎麦』は馬肉の竜田揚げ付き、だそうだ。


現在は世界のHITACHIとして活躍している日立製作所だが、
実は二人の技術者がこの大黒屋で創業の打ち合わせを行った。
大黒屋の表には日立創業80年を記念して、日立工場「特称会」から
寄贈された作品が飾られ、創業秘話が書かれている。


猿橋は、両岸からせり出した桔木(はねぎ)によって支えられている。
桔木は片岸に2列あり、それぞれ4段に積み重ねられ、
土砂や重石によって地中で固定されている。


猿橋の橋桁
猿橋の桔木や行桁には小屋根があり、風雨による腐食などから、部材を守っている。
延宝四年(1676)以降に橋の架け替えの記録が残っており、
少なくとも宝暦六年(1756)からは現在のような形で作られていた。
猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られた、と言う伝説も残されている。


上流の新猿橋から猿橋を見たところ。


大黒屋はまだ開店前だったため、店前のテーブルで一休み。


『一休みするにはちょうど良い場所よねっ』


D子さん差し入れの干し芋が美味しかった。


遊歩道を通って名勝猿橋の展望台へ。


急坂の石段を下って行くと、桂川の景色が目の前に広がる。


展望台から渓谷と猿橋方面を望む。
手前は新猿橋だ。


猿橋の景色を堪能した後、大月市郷土資料館へ。


郷土資料館へ向かう途中の桂川の景色
『なかなか素晴らしい眺めだねぇ』


猿橋溶岩流の説明板があった。
今より六千年前の新富士火山古期溶岩流が、富士山より延々30Km以上を
桂川に沿って流下してきた溶岩流の末端、とのこと。
この溶岩は、厚さ約9mの玄武岩からなる、そうである。


溶岩流中心部には、材木を並べたように見える柱状節理が見られる。


猿橋公園を進むと、


11時32分、大月市郷土資料館に到着した。


各自100円を払って館内を見学。
館内には動物の剥製を始め、


脱穀機


機織り機などの器具が多数展示されていた。


写真も展示されていた。
『昔の幼い頃を思い出すよねぇ』


幼い子供が兵隊さんの格好をしている写真が印象的である。


蠅除け用の蠅帳や中に氷を入れて冷やす冷蔵庫なども。
『我家でも使ってたなぁ』と懐かしそうに話すMさん。


大月駅・猿橋駅周辺の地理模型があった。
猿橋宿は、日本橋から数えて24番目の宿場である。


ゆっくり見学していたら、昼になってしまった。
郷土資料館前の猿橋公園で弁当タイムにしよう。
旨い具合に丸いベンチがあった。


今日の駅弁は、牛肉弁当(1,050円)だ。


Oさんの差し入れは、自宅で採れたびわを焼酎に漬けたもの。
下戸の人にはアルコールが強すぎるかも・・・
『何だか酔っちゃいそう』


12時39分、猿橋公園を出発し、大月駅を目指す。


国道20号を進む。


12時49分、猿橋郵便局前を通過


12時53分、三嶋大明神に到着


三嶋大明神に参拝


本殿は、真っ赤である。


12時58分、猿橋駅前を通過


猿橋駅前を少し行った道端に青面金剛碑が建てられていた。


13時3分、阿弥陀寺に到着
後ろの建物が寺院と思われるが、一見しただけでは民家のようにも見える。


猿橋一里塚跡と書かれた木柱がある。


猿橋一里塚跡を過ぎると、桂川や駒橋発電所、


岩殿山が見えてくる。


国道20号から分岐し、山梨中央自動車のところを右へ入り、


旧甲州街道を進む。


仲の良い二人、いつも一緒である。


駒橋発電所、


発電用放水路を過ぎ、


大月を目指すも、道を間違ったようだ。
中央線の踏切が見つからないことに気がついた。


引き返すのはちょっと大変だが、旨い具合に斜面を上る径があった。


斜面を上ると、そこには第五甲州街道踏切があった。
探していた踏切だ。


踏切を渡って少し進むと、国道20号へ合流するが、
横尾橋バス停のところでまた直ぐに分岐する。


厄王大権現の境内に甲州街道駒橋宿と書かれた木柱があった。
駒橋宿は、本陣も脇本陣も無く、旅籠数軒だけの小さな宿場であった。


13時30分、厄王大権現に到着した。


古い狛犬(右側)と、


左側の狛犬の隣に平和祈願の石があった。碑文には以下が書かれている。
昭和20年8月13日午前8時32分米軍艦載機は突如大月町を襲い、
山間の町民に甚大な被害を与えた。
この時投下された爆弾の一つは桂川で爆発し、その爆風は1.5トンの石を噴上げ、
百余mの高さに達したという。
附近は国道沿いの人家密集地であったが、この石は厄王大権現の霊験によって、
当山地先に落下し町民は危く難を免れた。
時移り世が進むにつれ、世人びと厄王大権現を畏敬し、当時落下したこの石を、
平和祈願の石と名付け、ここに安置したものである。
『こんなでかい石が吹き飛ばされたんだ』


常夜灯と道祖神と刻まれた石が並んでいた。


コンビニで一休みし、店員に岩殿城址までの時間を訊ねると、
20分ほどとのこと。
この日は時間も早いので、岩殿城址まで行くことにした。


岩殿山が目の前に迫ってくる感じである。
中腹に岩殿城址と書かれた看板が見える。


14時4分、岩殿城址へ向かう。
岩殿城は、関東三名城の一つで、武田氏二十四将のひとり、
小山田出羽守の古城がある、そうだ。


岩殿城跡への登り口


急坂が続く。


途中で一息入れる。


休憩した所からうっすらと雪を被った富士山が見えた。


14時20分、岩殿城址入口の門に到着した。
麓の橋から16分が経過していた。


「岩殿山ふれあいの館」


丸山山頂へ上ってみよう。


関東の富士見百景の案内板が。
標高444.4mとある。


富士山は、先ほどより若干濃く見えるようになった。
西側の西日を浴びたところが銀色に輝いている。


後ろを振り返ると、岩殿山が聳えている。


「岩殿山ふれあいの館」へ入ってみよう。


「ふれあいの館」へ


階段を上り、二階の写真展示室へ。


たくさんの富士山の写真が展示されていた。


写真に見入る。


岩殿城址は、ここ「岩殿山ふれあいの館」ではなく、
どうやら山頂にあるらしいことが分かった。
岩殿山(634m)への登山道が続いている。


これから山頂を目指すのは時間的にも体力的にも厳しい。
『素晴らしい富士山を見れて、ここまで上って来た甲斐があったよねっ』
ということで、この日はここで引き返すことにした。


岩殿山を下る。


下る途中から見た富士山
そのうちまた訪れてみたい。
その時は、岩殿山山頂の城址を目指すことにしよう。


大月駅を目指す。


14時59分、大月合同庁舎前を通過
大月宿は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠2軒であった。


中央線の高月踏切を渡る。


駅前のこじんまりとした飲み屋街を進み・・・


15時8分、ゴールの大月駅に到着した。
旨い具合いに大月駅15時21分始発の東京行があった。


Oさん差し入れの缶ビールが実に美味しかった。
『ご馳走さまですっ』


『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「旧甲州街道を歩く」第九回目(鳥沢宿~大月宿間約8.4Km)を歩き終わった。
甲州街道一の見どころと言われる猿橋を観ることが出来たのは良かった。
また、当初予定していなかった岩殿山の途中まで上り、岩殿城址は山頂
と分かった時にはがっかりさせられたが、代りに富士山の雄姿を見れて感激した。
遠く茨城の土浦に住む身にとっては、やはり富士山の雄姿を拝めたことは、
何事にも変え難い最高のプレゼントだと言えるのではないだろうか。

次回(2017年1月)は、大月宿(大月駅)から黒野田宿(笹子駅)間
約12Kmを予定している。
どんな景色が観れるのか、どんなハプニングが待っているのか、
また駅弁は何にしようか、今から「旧甲州街道を歩く」が楽しみである。

この日の万歩計は、18.000歩を超えていた。

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