
先ず明白な事実から。
薬害エイズ「犯罪」の首謀者、帝京大学安部英医師は第一審で無罪判決を勝ち取った。
しかし検察の上告と執拗に続くメディアによるバッシングのなか、控訴審中に被疑者が死亡。
確定判決が出なかった。
1986年の事例について有罪となった松村被告が、1985年の事例については高裁段階で無罪が確定しているため、
1985年の件が唯一の被疑事実である安部被告も同様に無罪となった可能性は極めて高い。
しかし安部さんの死によって灰色決着となった。
つまりは世論に阿ね、生贄を作ろうとした特捜部とメディアは被疑者死亡により勝ち逃げだ。
裁判で有罪の判決が出ない、と言うよりは法律的には限りなくシロでも、社会的に有罪。
めでたし、めでたし。
櫻井よしこや小林よしのりのように必要以上に事件を煽り立て本を売った自称文化人からは
反省はおろか検証の様子もない。
当時のベストセラーは人知れず廃刊だ。
証拠隠滅だろ。
前から部屋に積んであった『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』をめくってみた。
編著者の1人はあの弘中淳一郎。
厚労省の村木厚子元局長の主任弁護人で、血友病専門医だった安部氏の無罪判決を勝ち取ったことで有名だ。
個人的な話だが(このブログは全部個人的だとセルフ・ツッコミ)、安部さんのお宅は我が家のお向かいで、
事件当時は行儀の悪い記者たちが大勢、クーラーの効いたハイヤーで(つまりエンジンかけっぱなしで)
待ち伏せ。
道路には煙草の吸い殻が散乱し、節目ごとには上空にヘリコプターが意味もなく飛び回った。
夜討ち朝駆けを掛ける記者に奥様が毅然として対応していた姿が懐かしく思い出される(今でもお元気)。
安部氏は1996年8月、東京地検特捜部に業務上過失致死容疑で逮捕された。
84年当時、帝京大付属病院第一内科長だった安部氏が非加熱血液製剤のHIV汚染を知りながら、
医師に非加熱製剤投与を止めるよう指示せず、血友病患者1人をエイズで死なせたという疑いだった。
詳しいことは本書を読んでもらえればわかるが、つまるところ84年当時、安部さんが(というか、世界中で誰も)
非加熱製剤によるHIV感染の危険性をよく分かっていなかった。
そして東京地裁は彼に完全無罪の判決を下した。
要するに後知恵。
安部さんは血友病患者の治療のために真剣な努力をしていた。
クリオ製剤研究のために自分の血液を使い、重症貧血で倒れたという。
「日本血友病友の会」設立や財団化の資金集めにも尽力したそうだ。
しかし結果的には大勢の血友病患者がHIVウイルスに感染した。
責任者出てこい!
生贄ですよ、こんなときに必要なのが。
さて当時の厚生大臣がポピュラリスト、市民派のアキカンさん。
自らが命じた報告書の期限三日前が厚生省に対する抗議運動の最終日だった。
報告書もできていないこの日に「こんなんありましたけど」と持ち出したのが所謂「郡司ファイル」。
83年当時、非加熱製剤が危険かもしれないと書かれた個人メモを取り出した(課内で議論もされなっかた屑メモだ)。
しかも「倉庫に隠されていました」と。
おいおい、倉庫は隠すところでなく、しまうところだろう。
菅厚生大臣のもとでは以後書類は机に山積みされるようになった(ウソですが)。
過去の事件だから自分は非難されない。
つまり、自分は安地帯に立ちながらて謝るふりをして得点をあげる。
日本軍の残虐行為を謝っちゃう戦後生まれと同じメンタリティーだ。
「ゴメン、でも俺は違うよ」というアレだ。
卑怯でね?
今でもこれが売りだと、アキカンさん。
能力だけでなく人格が....
そして格好のイジメラレ・キャラ、安部さんの登場。
マスコミは検察リークを得て、「エイズ問題の諸悪の根源は安部医師」というメッセージを送り続けた。
当時の最先端のHIV学者であるギャロ博士やシヌシ博士(2008年ノーベル生理・医学賞受賞)などに嘱託尋問を行ったが、
証言内容が安部医師に有利であったため、証言をなかったものにしてしまったという事実も暴露されている。
ううん、変わってないのね。
検察のやり口。
冤罪製造機、地検特捜部とマスゴミ。
書斎でいつも静かに本を読んでいた安部先生。
当時の私には世の中が見えていませんでした。
ごめんなさい。
そして前田事件を個人犯罪、あるいは大阪地検の問題に矮小化する作戦に乗らないようにしましょうね。
薬害エイズ「犯罪」の首謀者、帝京大学安部英医師は第一審で無罪判決を勝ち取った。
しかし検察の上告と執拗に続くメディアによるバッシングのなか、控訴審中に被疑者が死亡。
確定判決が出なかった。
1986年の事例について有罪となった松村被告が、1985年の事例については高裁段階で無罪が確定しているため、
1985年の件が唯一の被疑事実である安部被告も同様に無罪となった可能性は極めて高い。
しかし安部さんの死によって灰色決着となった。
つまりは世論に阿ね、生贄を作ろうとした特捜部とメディアは被疑者死亡により勝ち逃げだ。
裁判で有罪の判決が出ない、と言うよりは法律的には限りなくシロでも、社会的に有罪。
めでたし、めでたし。
櫻井よしこや小林よしのりのように必要以上に事件を煽り立て本を売った自称文化人からは
反省はおろか検証の様子もない。
当時のベストセラーは人知れず廃刊だ。
証拠隠滅だろ。
前から部屋に積んであった『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』をめくってみた。
編著者の1人はあの弘中淳一郎。
厚労省の村木厚子元局長の主任弁護人で、血友病専門医だった安部氏の無罪判決を勝ち取ったことで有名だ。
個人的な話だが(このブログは全部個人的だとセルフ・ツッコミ)、安部さんのお宅は我が家のお向かいで、
事件当時は行儀の悪い記者たちが大勢、クーラーの効いたハイヤーで(つまりエンジンかけっぱなしで)
待ち伏せ。
道路には煙草の吸い殻が散乱し、節目ごとには上空にヘリコプターが意味もなく飛び回った。
夜討ち朝駆けを掛ける記者に奥様が毅然として対応していた姿が懐かしく思い出される(今でもお元気)。
安部氏は1996年8月、東京地検特捜部に業務上過失致死容疑で逮捕された。
84年当時、帝京大付属病院第一内科長だった安部氏が非加熱血液製剤のHIV汚染を知りながら、
医師に非加熱製剤投与を止めるよう指示せず、血友病患者1人をエイズで死なせたという疑いだった。
詳しいことは本書を読んでもらえればわかるが、つまるところ84年当時、安部さんが(というか、世界中で誰も)
非加熱製剤によるHIV感染の危険性をよく分かっていなかった。
そして東京地裁は彼に完全無罪の判決を下した。
要するに後知恵。
安部さんは血友病患者の治療のために真剣な努力をしていた。
クリオ製剤研究のために自分の血液を使い、重症貧血で倒れたという。
「日本血友病友の会」設立や財団化の資金集めにも尽力したそうだ。
しかし結果的には大勢の血友病患者がHIVウイルスに感染した。
責任者出てこい!
生贄ですよ、こんなときに必要なのが。
さて当時の厚生大臣がポピュラリスト、市民派のアキカンさん。
自らが命じた報告書の期限三日前が厚生省に対する抗議運動の最終日だった。
報告書もできていないこの日に「こんなんありましたけど」と持ち出したのが所謂「郡司ファイル」。
83年当時、非加熱製剤が危険かもしれないと書かれた個人メモを取り出した(課内で議論もされなっかた屑メモだ)。
しかも「倉庫に隠されていました」と。
おいおい、倉庫は隠すところでなく、しまうところだろう。
菅厚生大臣のもとでは以後書類は机に山積みされるようになった(ウソですが)。
過去の事件だから自分は非難されない。
つまり、自分は安地帯に立ちながらて謝るふりをして得点をあげる。
日本軍の残虐行為を謝っちゃう戦後生まれと同じメンタリティーだ。
「ゴメン、でも俺は違うよ」というアレだ。
卑怯でね?
今でもこれが売りだと、アキカンさん。
能力だけでなく人格が....
そして格好のイジメラレ・キャラ、安部さんの登場。
マスコミは検察リークを得て、「エイズ問題の諸悪の根源は安部医師」というメッセージを送り続けた。
当時の最先端のHIV学者であるギャロ博士やシヌシ博士(2008年ノーベル生理・医学賞受賞)などに嘱託尋問を行ったが、
証言内容が安部医師に有利であったため、証言をなかったものにしてしまったという事実も暴露されている。
ううん、変わってないのね。
検察のやり口。
冤罪製造機、地検特捜部とマスゴミ。
書斎でいつも静かに本を読んでいた安部先生。
当時の私には世の中が見えていませんでした。
ごめんなさい。
そして前田事件を個人犯罪、あるいは大阪地検の問題に矮小化する作戦に乗らないようにしましょうね。